明かりが完全に消え、窓から差し込む青白い月光だけが、静まり返った宿の部屋を白く染め上げていた。
ベッドの上でそれぞれの思考に浸りながら眠りにつこうとしていたその時、隣のベッドから、消え入りそうな小さな声が響いた。
「……師匠(せんせい)」
フランメはふっと鼻で笑い、枕に頭を沈めたまま、気だるげに返した。
「……んっ、もう寝る時間だ、フリーレン」
「……ねえ、師匠」
「なんだい、早く寝なさい」
「ミリアルデと……師匠では、どっちが人狼を気にしているの?」
その問いが部屋の空気をピタリと凍らせた。
ベッドに横たわっていたフランメの身体が、一瞬にして硬直する。
「……は?」
思わず起き上がり、暗がりの中で隣のベッドへと鋭い視線を向けた。
しかし、質問を投げかけたフリーレンは、恋愛という概念すら持たない無邪気な瞳のまま、ただ首をかしげてじっと師の返事を待っていた。
魔族の恐怖から救い出されたばかりの少女にとって、それは純粋な知的好奇心に過ぎなかった。
だが、問われた側のフランメにとって、それはあまりにも不意打ちで、あまりにも核心を突いた残酷な問いだった。
(……ミリアルデと、私……?)
フランメの脳裏に、数年前のあの夜の光景がフラッシュバックする。
噴水広場の片隅で、まずい皇帝酒の陶器瓶を煽りながら不味いと文句を言っていたエルフの大魔法使い。
思い出したのは、建国舞踏会でアルフレッドが見せた不意打ちの独占欲に、顔を真っ赤にしながら一緒に踊っていた彼女の、エルフの大魔法使いの姿だった。
対して、自分はどうだ。
南部産の煙草の銘柄を真似し、彼の背中を追いかけ、人類の歴史をひっくり返す「魔法改革」という名の巨大な狂気を共に担ぎ上げようとしている人間の大魔法使い。
彼の隣に並び立つために世界を敵に回す覚悟を決めながらも、どこかで「あいつにとっての特別な存在でありたい」と願ってしまう、年頃の女性としての微かな執着。
(あいつは……数千年の時を生きる最強の大魔法使いと、私のような人間の小娘の、いったいどちらを見ているんだ……)
フランメは言葉を失い、開いた口が塞がらなかった。
経験したことのない冷や汗が背中を伝う。
師であるゼーリエの前ですらこれほど気圧されたことはないというのに、たった一人の弟子から投げかけられた無垢な一言が、彼女の胸の奥を激しく掻き乱していた。
「……師匠?」
返事がないのを不思議に思ったのか、フリーレンがもう一度、小首をかしげながら声を重ねる。
「……どっちなの?」
フランメは顔を引きつらせ、大きく息を吐き出すと、赤くなった顔を誤魔化すように乱暴に布団を頭までかぶった。
そして、暗闇の中から絞り出すような低い声で、短く言い捨てた。
「……うるさい。くだらないこと聞いてないで、さっさと寝な」
「……うん」
暗闇の中で小さく呟くフリーレンの声を最後に、部屋は再び静寂に包まれた。
布団の中で顔を真っ赤にしながら目を固く閉じる大魔法使いと、その横顔を月光が静かに照らし出していた。
(第26話に続く)
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