ミリアルデを深く抱擁していたアルフレッド。
月の光は冷たく、二人の影を石畳に長く引き伸ばしていた。
ミリアルデの腕から伝わる体温と、かすかな震え。
それは300年の月日を共に泉で過ごしてきた「戦友」の重みではなかった。
「……バカだよ、お前は。俺は、隣にお前がいてくれればいいと、ずっと思っていた。それだけなのに」
アルフレッドの声は、夜風に混じる吐息のように掠れていた。
「なぜ、今になって……この300年の歳月の中で、いくらでも時間はあったはずだというのに」
その言葉を胸元で受け止めたミリアルデは、彼の首筋に顔を埋めたまま、自嘲気味に口角を上げた。
「そうね……本当にバカだわ。あんたがそうやって寄り添ってくれる時間を、私はただの『心地よい静止』だと思い込んでいたのよ。エルフにとっても、不老不死の化け物と呼ばれたあんたにとっても、この平穏な夜が永遠に続くんだって……どこかで高をくくっていたの。踏み出すことは、この二人だけの安らぎを壊してしまうんじゃないかって」
ミリアルデは腕の力を緩めず、まるで彼をこの場所に繋ぎ止めておこうとするかのように、さらに深く抱きしめた。
「でもね、アルフレッド。あの子たちが来て……フランメが細巻きに火をつけた時、瞳に宿る『未来』を見た時、分かってしまったの。時間は止まっているんじゃなくて、私たちが目を逸らしていただけなんだって。あんたが『人間』になり、誰かの『友達』になった瞬間、止まっていた砂時計がさらさらと崩れていくのが怖かった……」
彼女の瞳から溢れた一筋の雫が、アルフレッドの黒い軍服に深く染み込んでいく。
「あんたはいつか、私の知らない場所へ、あの死臭と鉄の匂いがしない『朝』へ行ってしまう。失うのが怖くなるまで、自分が何を持っていたか気づかないなんて……大魔法使いのエルフも、笑っちゃうくらい人間くさくなったものでしょ?」
「……ミリアルデ」
「ねえ、アルフレッド。あの子たちのところへ行く前に、一度だけでいいから……私を『大魔法使い』としてじゃなく、ただの女として見て。あんたの隣にいることが、当たり前じゃないんだって、私に分からせて……」
アルフレッドはゆっくりと、彼女の腕を解くようにして顔を見合った。
そこには、魔剣を振るって敵を喰らう冷徹な「人狼」の顔はなかった。
かつて故郷の花畑で許嫁シルヴィアを愛したあの26歳の青年の面影と、300年の死線を潜り抜けてきた不老の狼の矜持が、深い黄金の瞳の中で静かに重なり合っていた。
懐にある中身が空っぽになった銀の小箱――亡き許嫁の思い出を胸に抱いたまま、彼は白手袋を脱ぎ、大きく傷だらけの手をミリアルデの頬へとそっと添えた。
過去を捨てるのではない。
シルヴィアへの永遠の愛と約束を背負ったまま、いま眼前に佇むこの愛おしい同胞に、己の血のすべてを捧げる覚悟の証として。
「ミリアルデ。俺はお前を、一度もただの『傍観者』だと思ったことはない」
その掌の熱は、呪われた化け物のものとは思えないほどに穏やかであった。
「俺の時が動き出すというのなら、その隣にいてくれないと困る……お前がいない『朝』など、俺にはもう眩しすぎるからな」
ミリアルデは、その言葉を噛みしめるように目を閉じた。
砂時計が崩れ落ちる音はもう聞こえない。
代わりに、今まで聞こえなかった彼自身の温かな鼓動が、彼女の掌に力強く伝わってきた。
「……ふふ、やっぱりあんた、口説き文句が下手ね。でも……どんな魔法よりも効いたわ」
暗い噴水広場で、二人の距離が静かに重なる。
それは永劫の停滞に終わりを告げ、明日という『朝』へと踏み出すための、静かな、けれど熱い、誓いのような接吻であった。
ミリアルデは愛おしそうに彼の胸元に頭を預け、小さく息を吐いた。
「もう……どこへでも付き合ってあげるわよ、狼さん」
「フッ……なら、行くぞ。ミリアルデ」
アルフレッドは彼女の肩を抱き寄せる。
かつて逃げ続けた政治の表舞台、そして人類の歴史を塗り替える凄惨な狂乱の時代へ向けて――
人狼の騎士とエルフの大魔法使いは、静かに、しかし二度と揺らぐことのない足取りで、夜の闇の中へ歩みを進めていった。
二人は、静かに「狼の泉」を後にした。
(第27話につづく)
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
第26話「狼の泉に別れを告げて歩みだす二人」をもちまして、第2章 統一王朝編【建国編】は無事に完結となります。
過去の記憶と安息の中に微睡んでいた人狼の騎士と、エルフの大魔法使い。
二人が自らの意思で平穏な『夜』に別れを告げ、明日という『朝』へと踏み出す瞬間を描き切ることができました。
ここまで彼らの物語を見守り、温かく応援してくださった読者の皆様に、心より感謝申し上げます。
次回からは、いよいよ物語の核心へと切り込む『第3章 統一王朝編【魔法改革編】』が始まります。
宮廷・王室会議での暗闘、ゼーリエ率いる聖杖法院との激闘、そしてフランメとフリーレンと共に挑む、統一王朝最大の歴史的事件「魔法の一般化(魔法改革)」――。
表舞台へと踊り出たアルフレッドとミリアルデを待ち受ける壮絶な運命(血と火の動乱)を、より緻密かつ丁寧に描き出すため、準備期間として少しの間だけ執筆のお休み(充電期間)をいただきます。
連載再開の目途が立ちましたら、改めて活動報告等でお知らせいたします。
楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
作品を気に入っていただけましたら、ぜひ「ブックマーク(お気に入り)」「評価」「応援コメント」や「レビュー」などをいただけますと、第3章を紡ぐ最大の執筆の活力となります!
一言のご感想やご意見も、大変励みになります。
それでは、第3章【魔法改革編】で再び皆様とお会いできることを心より楽しみにしております。
引き続き『人狼の騎士 ~統一王朝崩壊史~』を、どうぞよろしくお願いいたします。
タリンナリー