王城の中庭には、刻一刻と没していく夕陽が深い茜色の影を落としていた。
噴水の水面は流れた血のような朱に染まり、風が吹くたびに冷ややかな細波を立てている。
その縁に腰を下ろした軍服姿の人狼アルフレッド・ベルンハルトは、指先で、紫のオーラを揺らめかせながら煙草を静かに燻らせていた。
隣には、空になった陶器の酒瓶を膝に抱え、あくびを噛み殺しながらうつらうつらと舟を漕いでいるエルフの女――ミリアルデ。
三百年という途方もない歳月を、命を喰らう怪物として生き続けてきた人狼の騎士と、数千年の忘却を酒の海に沈めて歩むエルフの大魔法使い。
人間たちの社会からは遥か遠く浮世離れした二人の影が、落ちる陽光の中で長く、重々しく伸びていた。
「……ふう」
アルフレッドは重厚な吐息とともに、紫煙を空へ吐き出した。
南部諸国産の厳選された極上の葉煙草。その独特な香草の苦みが、彼の体内に刻まれた無数の命の死臭を束の間だけ覆い隠す。
彼は懐から、丁寧に磨き上げられた銀製の小箱を取り出した。
細かな傷が無数に刻まれたその蓋を開け、中に転がる小粒の白い砂糖菓子をひとつ摘む。
「……またそれを食べるの? 舌が痺れそうな甘味じゃない。飽きないわね」
ミリアルデが半目で彼を盗み見ながら、呆れたように呟く。
「……黙っていろ、酔いどれエルフ。これが俺の鎖だ。この甘味だけが、俺を人間に繋ぎ止めている」
アルフレッドは砂糖菓子を口の中へ放り込み、舌の上で転がした。
広がるのは、かつて三百年前に滅んだ故郷の、素朴で懐かしい砂糖の味。
どれほど戦場で血の海を泳ごうと、配下の商人たちに命じて周辺地方からこの郷土菓子を買い集めさせ、小箱へ補充し続ける。
それだけが、彼が「アルフレッド」という人間であったことを自覚するための、唯一の儀式であった。
その時だった。
カツン、カツンと、控えめだが洗練された硬質な靴音が、石畳の廊下から中庭へと近づいてきたのは。
血と死臭、そして濃厚な葡萄酒の香りが漂う異様な中庭に、場違いなほどの華やかさを纏った人影が姿を現した。
夕暮れの光を受けて揺れるのは、絹のように柔らかな金髪。
身に纏っているのは、春の陽光をそのまま織り上げたかのような、上品で淡い黄色のドレスであった。
少女の名は、ロザリア。
彼女は現国王の遠縁にあたる王族の血を引く令嬢であり、今年で十八歳を迎える。
八歳の頃からこの城に身を寄せ、現皇太子であるコンラートとともに実の兄妹のようにして育ってきた。
コンラート――現在二十三歳。
飾り気がなく、武人としての素直さと愚直さを併せ持つ青年であり、統一王朝の歴史において「初代皇帝」としてその名を轟かせることになる男である。
アルフレッドがこの王国に仕えて以来、実に八人目の主となるはずのコンラートは、周囲が「死神」「人狼」「怪物」と恐れおののくアルフレッドに対し、純粋に剣術の師としての深い敬意と信頼を寄せる数少ない人物であった。
そしてロザリアは、そのコンラートとの縁談がすでに調っており、来月には挙式が執り行われることになっている「未来の妃」でもあった。
現在、凄まじい勢いで周辺国を呑み込み、急拡大を続けるこの王国において、彼女はもっとも重要な政治的意味を持つ存在であった。
王国の未来を決定づける存在――のちに全土を統一し、覇権を唱えることになる『初代皇帝』コンラート。
当時はまだ皇太子であった彼の第一の縁談相手であり、統一王朝の「未来の皇后」として名を挙げられている渦中の王女であった。
十八歳という若さでありながら、その佇まいには気品と、どこか物怖じしない芯の強さが漂っている。
人間であれば、全軍を恐怖で凍りつかせる《人狼の騎士》の殺気と、死臭を纏うアルフレッドに近づく者など城内には誰一人として存在しない。
だが、ロザリア王女は怯える素振りすら見せず、軽やかな足取りで噴水広場へと歩み寄ってきた。
彼女の手には、銀のトレイに乗せられた優美な磁器のティーカップとポット、お菓子が丁寧に抱えられている。
「あら、人狼も隅に置けませんのね、こんなに美しいエルフがお相手にいたなんて」
ロザリア王女は可憐な唇を小さく綻ばせると、鈴を転がすような声でそう囁いた。
その瞳には、戦場の怪物に対する恐怖ではなく、年相応の好奇心と微かな親愛の情が宿っている。
「……ロザリア王女殿下」
アルフレッドは紫煙の向こうから、黄金の瞳を厳しく細めて姫君を見上げた。
腰にある魔剣フェンリスが、不吉な紫の脈動を打つ。
「……王女殿下、これは数千年を生きるエルフの化け物だ。気晴らしの相手だ」
冷酷で突き放すような人狼の言葉。
しかし、ミリアルデは酒瓶を抱え直すと、不満そうに鼻を鳴らした。
「化け物に化け物と呼ばれたくないんだけどね……ミリアルデよ、王女様」
ミリアルデは呆れたように肩をすくめると、空の瓶を愛おしそうに撫でた。
ロザリア王女は二人のやり取りを見て、くすくすと上品に微笑むと、ドレスの裾を優雅になびかせて二人の前へ歩み出た。
「ミリアルデ様、ごきげんよう。この人狼、お部屋でお茶をしようと誘っても断りますのよ」
彼女は少しだけ気取ったように首を傾げ、可憐な溜め息をついてみせた。
「わたくしがわざわざ淹れた最高級の紅茶ですのよ? それなのに『血の匂いが移る』だなんて仰って、見向きもしてくださらないのですから」
「……当然だ」
アルフレッドは冷淡に言い放ち、手甲の嵌められた指先で煙草の灰を地面に落とした。
「貴女のような高貴な姫君が、俺のような人喰いの化け物とお茶を囲むなど、世辞にも美しい光景とは言えん。それに……俺の周囲には、どれほど拭おうと死者の臭いがつきまとう。王女殿下の芳醇な紅茶の香りを台無しにするだけだ」
「まあ。相変わらず、ご自分を卑下なさるのがお上手ですのね」
ロザリア王女は怒る風もなく、むしろどこか愛おしそうにアルフレッドの佇まいを見つめた。
彼女は噴水の近くにある石製のベンチへ、品良く腰を下ろした。
淡い黄色のドレスが、夕陽を受けて柔らかな黄金色に輝く。
「わたくしは知っておりますわ、騎士アルフレッド。あなたがどれほど苛烈な戦場を駆け抜け、この国を守り続けてくださっているかを……父からも、そして皇太子殿下からも伺っております。我が国の領土がこうして広がり、平和な世の礎が築かれつつあるのは、すべてあなたのおかげだと」
「……平和、か」
アルフレッドの脳裏に、三百年前のあの惨劇が過った。
焼かれた故郷、血の海に倒れていた村人たち、そして――弄ばれ、見るも無残な姿で息絶えていた、十四歳の約束の少女・シルヴィア。
『平和な世の中に出してくださいね、アルフレッド様』
耳底で響く、少女の声。
彼が喰らい尽くしてきた数万の命、征服してきた数多の国家。
そのすべては、ただ一人の少女との約束を果たすための、狂おしい血の足跡に過ぎない。
「……王女殿下。この国が手にしつつあるものは、平和などという美しいものではない。俺という怪物が流させた、膨大な血の海の上に立つ覇権だ」
「それでもです」
ロザリア王女は力強い瞳で、まっすぐに人狼を見つめ返した。
「流された血の重さを知るあなた様だからこそ、わたくしたちはあなたを信じられるのです。暴力しか知らぬ野蛮な怪物ならば、わたくしもこうして近づきはいたしません」
そう語る彼女の横顔には、ただの深窓の令嬢ではない、将来『統一王朝』の皇后として世界を統べることになる者に相応しい、凛とした品格が満ちていた。
隣で静かに話を聞いていたミリアルデが、ふっと薄い唇を緩めた。
「ねえ、ロザリア様。この男はね、どれほど偉そうな口を叩いても、ただの『頑固な砂糖好き』なのよ。そんなに崇め奉ると、調子に乗ってまた臭い煙草を吹きかけてくるわよ」
「ふふ、ミリアルデ様ったら。でも、そうやって気さくにお話ししてくださるエルフ様がいて、わたくしは少し安心いたしましたわ。人狼様はいつもお一人で、誰も寄せ付けないような孤高のオーラを放っておられますから」
ロザリアはトレイの上から、小さなお手製のお菓子が乗った皿を取り出し、二人の方へと差し出した。
「これ、わたくしが焼いたクッキーですの。砂糖をたっぷり使って、可愛らしいお花のかたちに焼いてみましたのよ。人狼様、よろしければ召し上がってくださらない?」
アルフレッドは差し出された皿と、そこに佇む可愛らしい焼き菓子を見つめた。
シルヴィアが作ってくれた、あの愛おしい花冠の光景が、不意に胸を突く。
彼は一瞬、手を伸ばしかけたが、静かにそれを引いた。
「……お気持ちだけ受け取っておこう、王女殿下。俺の舌には、この小箱の砂糖菓子だけで十分だ」
「……もう。本当につれない方」
ロザリア王女は少しだけ唇を尖らせたが、すぐに諦めたように微笑むと、クッキーを一粒自分で口へと運んだ。
「でも、いつか必ず……わたくしの淹れたお茶と、わたくしの作ったお菓子を、あなたに召し上がっていただきますわ。それが……皇太子殿下と結婚し、わたくしがこの国の未来を背負うと決めた、ひとつの目標ですもの」
夕暮れの静寂が、三人を包み込む。
数千年の時を生き、あらゆる変化に冷めた視線を向けるエルフ、ミリアルデ。
三百年前に人間を捨て、不老の肉体と狂気的な純愛に身を投じた人狼、アルフレッド。
そして、わずか十八年という短い生の中で、巨大な王国の歴史を背負おうとしている人間の少女、ロザリア。
重なり合うはずのない三つの時間が、この王城の中庭、噴水広場という狭い空間で静かに交差していた。
「……ロザリア様」
ミリアルデが珍しく、真面目な声で話しかけた。
「皇太子との縁談……受けるつもりなの? 人間の王族なんて、権力闘争と暗殺の危険ばかりで、ろくな目にあわないわよ。私なら、美味しい酒と静かな森があればそれで満足だけどね」
ロザリア王女は空を見上げた。
茜色だった空はすでに群青色へと変わり始め、宵の明星がポツリと輝き始めている。
「ええ……受けますわ、ミリアルデ様。わたくしはこの国の王族の遠縁として生まれました。なら、この命と未来を、この国の安寧のために使うのは当然のことです」
迷いのない声だった。
十八歳の少女とは思えないほどの決意と覚悟。
アルフレッドはその姿に、かつて命を賭して国を守ろうとした、人間の頃の己の情熱の残滓を見た気がした。
「……皇太子は、良い男か?」
アルフレッドが短く尋ねた。
ロザリア王女は頬を微かに朱に染め、嬉しそうに目を細めた。
「ええ……とても誠実で、この国の未来を誰よりも真剣に考えておられるお方です……人狼様、あなた様が戦場で勝ち取ってくださる領土を、わたくしたちは『正しい国』として育ててみせます。ですから……どうかこれからも、我が国を……皇太子殿下をお守りくださいね」
「……ふん」
アルフレッドは鼻で笑い、新しい煙草に火をつけた。
「俺は誰かを守るために戦っているわけではない。俺はただ、約束を果たすために敵を喰らうだけだ……だが、これから立ち上げる『統一王朝』とやらが、俺の邪魔をしない限りは……立ち塞がる害虫どもはすべて引き裂いてやる」
「ふふ、それだけで十分ですわ」
ロザリア王女は満足そうに頷くと、ベンチからゆっくりと立ち上がった。
ドレスの裾を整え、完璧な動作で二人に優雅なお辞儀をする。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますわ。今夜は皇太子殿下との晩餐会がございますの……ミリアルデ様、またお話ししてくださいね。人狼様も、くれぐれもお身体を大切になさってください」
「ああ……夜風に当たって風邪など引くなよ、お姫様」
ミリアルデがひらひらと手を振る。
ロザリア王女はもう一度可愛らしく微笑むと、軽やかな足取りでトレイを持って中庭を去っていった。
彼女が歩み去った後には、ほのかな薔薇の香水と、焼きたてのお菓子の甘い香りが、ほのかに残されていた。
◇
一国の王女からの茶会への招きを平然と断る騎士など、この王国広しといえど彼一人であろう。
だが、そのやり取りを見守っていた背後の者たちにとっては、冷汗が止まらない地獄のような光景であった。
「おやめください、姫殿下! あのような化け物と会話するなど、御身が汚れまする! お部屋に帰ったらすぐに沐浴の準備を!」
「姫殿下、あの男は数百年を生きて血にまみれた死臭漂う怪物です! くれぐれもお気を付けください、何かあれば国王陛下にお叱りを受けまする……!」
ロザリア王女の後ろに控えていた侍女や護衛の騎士たちが、青ざめた顔で必死に声を張り上げた。
彼らの瞳に宿っているのは、アルフレッドに対する圧倒的な恐怖と、忌避感、そして強い蔑みであった。
魔剣フェンリスの呪いを宿し、千の敵を喰らい尽くしてきた「人狼」。
彼らにとって、アルフレッドは王国の忠実な怪物ではあっても、同じ言葉を話す「人間」としては認識されていなかったのである。
しかし、ロザリア王女はそれらの悲鳴にも似た説教や忠告を、まったく意に介さなかった。
「ええ、分かっていますわ」とだけ短く返し、名残惜しそうに一度アルフレッドの顔を見つめると、優雅にドレスの裾を翻して城の奥へと歩き出した。
怯える侍女や護衛たちを引き連れ、廊下の暗がりへと消えていくロザリア王女。
だが、彼女の足取りは、どこか不自然にゆっくりとしていた。
(……見ているだけでは、足りなかった)
廊下を歩きながら、ロザリア王女は胸の上にそっと細い手を置いた。
薄暗い回廊の窓から、不意に吹き込む風が彼女の淡い黄色のドレスを揺らす。
彼女はこの日、初めて人狼の騎士とミリアルデの『間』に、その足を踏み入れたのだった。
王城の高層にある彼女の部屋の窓からは、中庭の噴水広場が一望できた。
ロザリアは幼い少女だった頃から、ずっとあの窓辺に立ち、広場を見下ろしていた。
そこにはいつも、漆黒の甲冑を纏い、凄惨な死臭と不吉な紫のオーラを揺らめかせた不老の騎士がいた。
誰もが恐れ、近づくことすら害悪とみなす「人ならざる化け物」。
だが、彼は誰もいない静寂の中で、銀の小箱から砂糖菓子を取り出し、愛おしそうに口に含むのだ。
あるいは、泥酔したエルフの女と隣り合い、紫煙を燻らせながら、どこか狂おしいほどに寂しげな瞳で空を見上げていた。
いつだっただろうか。
幼いロザリアの胸の中で、鐘が鳴り響くような衝撃が走ったのは。
ただの恐ろしい怪物だと思っていた男の、一瞬の隙に見せる深い孤独と、絶望的なまでの気高さ。
その不気味で美しく、凄惨な佇まいに触れた瞬間、彼女の心は根こそぎ奪い去られていた。
激しい雷に打たれたかのように、全身の神経が歓喜と強烈な熱情で灼けつくように昂った。
――あれは、恋などという甘い感情ではなかった。
息もできないほどの渇望であり、嫉妬であり、彼という狂気に囚われた証であった。
王女という何不自由ない立場でありながら、定められた運命に従い、兄と慕う未来の皇帝のもとへ嫁ぐことを義務付けられた籠の鳥。
だからこそ、血に塗れ、世界から忌み嫌われながらも、誰の支配も受けずに己の「約束」のためだけに存在し続けるあの狼の姿が、どうしようもなく眩しかったのだ。
(いつも、あなたたちが談笑するのを窓の中から見ていたの……)
胸の奥で、熱くドロリとした感情が渦巻く。
彼女は静かに目を閉じ、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「だけど、見ているだけでは足りなくなったわ……あなたたちが羨ましいの……人狼の騎士」
その独り言は、窓から吹き抜ける風の中に溶け、静かに消えていった。
◇
「……いい子ね、あの子」
ロザリアの背中が見えなくなった後、ミリアルデがぽつりと溢した。
「人間の命は短いわ。たった数十年で芽吹き、花を咲かせ、散っていく……あの子もきっと、あっという間に年老いて、死んでしまうんでしょうね」
「……人間の価値は、長さではない」
アルフレッドは吐き出した紫煙の向こうで、冷たく言い切った。
「あいつは自分の命の使い道を知っている。一瞬で燃え尽きるからこそ、人間は美しい花を咲かせるんだ……俺のように、死ぬこともできず、腐りかけた魂を引き摺り回す怪物よりも……よっぽどな」
「……あんた、相変わらず自分に厳しいわね」
ミリアルデは呆れたように首を振ると、アルフレッドの膝の上に置かれた銀の小箱を指差した。
「ねえ、人狼さん。あの子が作ったクッキー、一粒くらい食べてあげればよかったのに。あんなに可愛らしくお花のかたちに焼いてあったんだから」
「……俺の口に合う甘味は、故郷の砂糖菓子だけだ」
アルフレッドは頑なな手つきで銀の箱を懐へ収めた。
「どんなに美しく飾られた菓子だろうと、シルヴィアの思い出を汚すわけにはいかん……俺は、あの砂糖菓子の味さえあればいい」
「……つくづく、哀れで愛おしい男ね」
ミリアルデは微笑み、アルフレッドの肩に、そっと自分の肩を寄せた。
「いいわよ。あんたがどれだけ過去に縛られていても、どれだけ血に塗れていても……私がこうして、隣で酒を飲んであげる。ロザリアちゃんが大人になって、おばあちゃんになって、いなくなる日が来ても……私とあんたは、ここでこうして煙草を吸って、酒を煽っているんでしょうね」
「……付き合いきれん、酔いどれエルフめ」
アルフレッドは吐き捨てながらも、彼女を突き放そうとはしなかった。
完全に陽は落ち、王城の中庭には深い夜の帳が降りていた。
頭上には、冷酷なまでに美しい満月が浮かんでいる。
風が吹き抜け、王国の旗を激しくなびかせた。
北の空――遠く離れた魔王城の方向から、不吉で冷ややかな気配が、微かに漂ってくる。
破竹の勢いで領域を広げる王国と、不老の不滅の命を持つ人狼の存在。
北方で蠢く魔族たちが、この異形の存在に気づき、動き出す刻はすぐそこまで迫っていた。
「……来るぞ、ミリアルデ」
アルフレッドは静かに立ち上がった。
カシャリ、と重厚な音を立てて、魔力で編まれた漆黒の甲冑が全身を覆っていく。
紫のオーラが、飢えた巨狼の形を成して彼の背後に揺らめいた。
「次の戦場だ……統一された王朝の礎となる血を、また流しに行かなければならん」
「行ってらっしゃい、人狼さん」
ミリアルデは座ったまま、空になった酒瓶を掲げて彼を見送った。
「無事に帰ってきたら……今度はロザリアちゃんのお茶、一口くらい飲んであげなさいよ」
アルフレッドは答えず、ただ暗闇の中へと重々しい足取りで歩みを進めた。
彼の背中に、満月の光が冷たく突き刺さっていた。
(第5話に続く)