『廃油プラント洞窟』の湿った空気のなか、機械油と薬品が混じり合った重い匂いが鼻をつく。
天井の配管からは、粘り気のある黒い廃油がポタリ、ポタリと落ち、溜まり場に黒い紋様を描いていた。
周囲の静寂を破るのは、どこか遠くで錆びついた鉄パイプが軋む甲高い音だけだった。
カナタは解体したアーマー・シェルの体内から取り出したばかりの『高出力動力コア』をボロ布で丁寧に包むと、しっかりとリュックの底へと収めた。
青く仄かに光るコアは、手に持つとズッシリとした重みがあり、かすかな微振動と温もりをカナタの掌に伝えていた。
「よし……これでコアは1個。あと2個集めれば、ジャックの装備が買えるな」
「バウッ!」
傍らに立つジャックが、気合いを入れるように短く吠えた。
バンダの整備によって滑らかになった首をかしげ、耳をピクピクと動かしている。
背中の一部の装甲パーツ、その内側に存在する収納スペースへ追加される火器ユニット。
ジャックにとっても、自身の装備が強化され、カナタの役に立てるようになることが心底嬉しいらしい。
その尻尾は左右へ振られていた。
『マスター・カナタ。ソナーに新たな複数の生体反応を検知しました』
突如、ノアの低く透き通った声が脳内に響き、カナタの視界の端に青いAR表示が素早く展開される。
暗闇の奥、複雑に交差する錆びたパイプ群の先を指示する光のラインが引かれた。
『前方40メートル、旧ろ過槽と思われる広大空間。アーマー・シェル2体の接近を確認。配置は左右に分散しています。個体識別信号、共にC〜D級。警戒してください』
「2体同時か……」
カナタは背中の『ヘビー・スピア・改』の手応えを確かめるように、グリップのラバーを強く握り直した。
単体であれば、バンダが組み込んでくれた『高出力衝撃振動ドライブ』の威力を叩き込めば一撃で粉砕できることは、先ほどの戦闘で証明された。
だが、相手は巨体と強固な外殻を誇る中型魔獣だ。
2体同時に襲いかかられれば、片方を攻撃している最中に、もう1体から無防備な背中や側面を狙われる危険性が高まる。
「よし、頼んだぞ。俺が右のやつを処理している間、左のを釘付けにしてくれ」
カナタが視線を落とすと、ジャックはすでに身を低くし、機械化された鋭い爪を黒い泥に食い込ませていた。
その生体の赤い瞳には迷いの色はない。
訓練された生体兵器としての鋭敏さと、カナタへの信頼がそこにはあった。
「ワンッ!」
力強い返事が返ってくる。
『作戦承認。戦闘ナビゲーションを開始します。カナタ様、右側個体への最短アプローチラインを表示。ジャック個体、左側個体へのヘイト集積シミュレーションを実行します』
奥の闇から、ドシン、ドシン、と重く不快な足音が響いてきた。
粘り気のある廃油を跳ね上げながら姿を現したのは、先ほど撃破した個体と同等、いやそれ以上に巨大なアーマー・シェル2体だった。
体長2メートルを超える鉄の塊のような巨体。
黒く光る重厚な甲殻には、長年の廃棄物によって刻まれた傷や錆が不気味に刻まれている。
頭部の巨大なハサミをガチガチと金属音を立てて威嚇するように打ち鳴らし、侵入者である一人と一匹を排除せんとしていた。
「行くぞ!」
カナタの短く鋭い合図と同時に、ジャックが勢いよく走り出した。
機械化された脚先が地面の廃油を蹴り上げ、黒い水飛沫が舞う。
ジャックはしなやかな跳躍で溜まり場を軽々と跳び越えると、左側のアーマー・シェルへ一直線に向かって行った。
「ウーッ、ガウッ!」
ジャックは敵の視界に入るやいなや、低姿勢のまま右へ左へと高速のジグザグ走行を展開。
甲高い威嚇音をあげ、あえて敵の真正面で隙を見せるようなステップを踏む。
左のアーマー・シェルがその動きに素早く反応し、巨大なハサミを勢いよく振り下ろした。
ドガァン! と洞窟の地面が揺れ、廃油と泥が爆発したように舞い散る。
しかし、ジャックはバンダによって調整された足回りを活かして、ハサミが地面を砕く寸前、紙一重の差で横へと滑り込むように回避していた。
(よし! ジャックが完全に引きつけている!)
カナタは迷いを捨て、右側の1体へ全神経を集中させた。
右のアーマー・シェルは、目の前の人間を押し潰そうと、重厚な巨体を前傾させて突進してくる。
凶悪な鉄のハサミが全開にされ、カナタの胴体を真二つに引き裂こうと迫る。
「ノア、踏み込みのタイミングを指示してくれ!」
『了解。敵の攻撃動作まで、3、2、1……今です!』
ノアの正確なカウントに合わせ、カナタは大地を強く蹴った。
振り下ろされる巨腕の軌道を、最低限の体さばきでかわす。
頬をかすめる風圧と、機械油の不快な熱気。
そのまま突進の勢いを利用し、アーマー・シェルの側頭部を滑り抜けるようにして懐へと潜り込んだ。
狙うは、ハサミの付け根と、胸甲のわずかな継ぎ目だ。
カナタは右手の人差し指で、グリップに配置された起動スイッチを強く押し込んだ。
ブワァァァァンッッ!
耳鳴りのような重低音とともに、新槍の穂先が超高速で振動を開始する。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
全身の踏み込み、腰の捻り、そして腕の推進力。
そのすべてを一点に集中させ、カナタは高周波の刃をアーマー・シェルの胸甲の隙間へ深く突き立てた。
ズドッドッッ!
超硬合金の穂先が肉体に侵入した瞬間、組み込まれた『高出力衝撃振動ドライブ』の凄まじい衝撃波が体内に浸透していく。
高周波が波紋のように内部を駆け巡り、どんな安物兵器も弾き返してきた激硬甲殻の内側から、内臓、骨格、そして肉体を容赦なく砕き散らしていく。
「ガ、ギギギッ!?」
右のアーマー・シェルは悲鳴とも断末魔ともつかぬ異音を上げ、内部からの圧力に耐えきれず、背甲から黒い体液を吹き出させながら横倒しになって沈黙した。
「1体目撃破……!」
間髪入れずにカナタは槍を引き抜き、指先で瞬時に振動ドライブのスイッチを切る。
連続使用は熱暴走を引き起こし、せっかくの最高級兵器を破壊してしまう。
バンダの言いつけ通り、叩き込む一瞬だけ使う。
カナタが素早く視線を左へ向けると、ジャックは未だ見事な立ち回りを見せていた。
ハサミの振り下ろしを余裕をもっていなしつつ、隙を見ては相手の関節部分や移動用の足へ鋭い前脚の撃ち込みを行い、機動力を奪っていた。
「待たせたな、ジャック!」
「バウッ!」
カナタは地面を強く踏みつけ、ジャックが体勢を崩させた左のアーマー・シェルの背後へと大きく跳躍した。
空中で再び人差し指に力を込め、スイッチを押し込む。
ブォォォン!
高周波を纏った黒光りする穂先。
カナタは落ちる勢いをそのまま乗せ、無防備に晒された背甲の継ぎ目へ一閃を叩きつけた。
ズガガガガッ!
激しい炸裂音が洞窟内に響き渡る。
2体目の背甲が派手に弾け飛び、大量の体液と甲殻の破片が周囲に飛び散った。
巨大な甲虫は一度大きく身悶えした後、そのまま泥の上にドスンと倒れ伏し、二度と動かなくなった。
周囲に、静寂が戻る。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
カナタは血と油を一切寄せ付けない槍を引き抜き、荒い息を整えた。
2体同時という危険な状況。
それを、ジャックとの連携、そしてこの『ヘビー・スピア・改』の力によって、無傷で制圧してみせたのだ。
手元に残る、確かな手応え。俺たちは、本当に強くなっている。
「ワンッ!」
ジャックが尻尾を振って駆け寄ってきた。
口元に少しだけ返り血がついていたが、怪我ひとつない様子で、その赤い瞳を満足そうに輝かせている。
「ナイス足止めだったぞ、ジャック。助かった」
カナタはしゃがみ込み、ジャックの頭を撫で回した。
ジャックは嬉しそうに目を細め、喉を鳴らす。
『戦闘終了。周辺の安全を確認しました。素材の採取ルートを表示します』
ノアのAR視界が青く明滅し、倒れた2体の巨体を精密スキャンしていく。
『獲得可能素材:
・高純度・黒鋼甲殻(部位:背甲)×4枚 ➔ 推定買取価格:2,000Cr
・アーマー・シェルの高出力動力コア×2個 ➔ 推定買取価格:2,000Cr
合計想定売却額:4,000Cr』
青く浮かび上がるホログラムのテキストを見て、カナタは息を呑んだ。
「コアが2個……! 最初のと合わせて、これで目標の3個が集まったぞ!」
カナタは思わず大声を上げていた。
手早く解体用ナイフを取り出し、ノアの視界ガイドに従って手際よく解体を進めていく。
胸甲の第三関節にナイフを滑り込ませ、硬い組織を切り開くと、奥から仄かに青く光る拳大の動力コアが現れた。
慎重に摘出し、2つとも布で包んでリュックへ収める。
リュックの重量は重くなったが、それ以上の達成感がカナタの胸を満たしていた。
これで、最初の1個と合わせてコアは合計3個。売却すれば3,000Cr。
甲殻の売却額を合わせれば、一気に大金が手に入る。
「よし……! これでジャックの背中に付ける銃が買える! 一旦スラムに戻って、レニーさんのところで全部売却しよう!」
「ワンッ、ワンッ!」
カナタの言葉の意味を理解したジャックは、大喜びでその場をくるくると回り、嬉しさを爆発させた。
50,000Crという、かつては遠すぎて見えなかったハンターライセンスの取得費用。
それが、今や明確な手応えとなって手の中に引き寄せられつつあった。
『了解しました。スラム・レニー氏の拠点への最短復帰ルートを検索します。視覚ナビゲーションを開始』
ノアが示す青い光のラインを頼りに、カナタとジャックは溢れんばかりの戦利品を背負い、不気味な廃油プラント洞窟を後にした。
◇
スラム北端、冷却塔廃墟区画。
立ち上る排熱の蒸気を抜け、カナタは慣れた手つきで『解体酒場』の重い鉄扉を押した。
店内には怪しい肉の脂が焦げる香ばしい匂いと、粗悪な合成酒の臭気が充満している。
荒くれハンターたちが杯を交わす熱気の中、カナタとジャックが入ってきても、もはや誰も特別な視線を向けない。
今やこの一人と一匹がカウンターへ向かう光景は、この酒場の日常の一部になりつつあった。
カウンターの奥では、白髪交じりの短髪の老女レニーが、左目の赤い義眼レンズをカチカチと作動させながら、大きな解体包丁を振るっていた。
ドスン!
カナタはカウンターの上に、ずっしりと重いリュックから素材を取り出して並べた。
重厚で黒光りする『黒鋼甲殻』が6枚。
そして、青い光を放ちながら微振動を続ける『高出力動力コア』が3個。
「レニーさん、今日の分の査定を頼む」
レニーは包丁を止め、ギョロリとした赤い義眼をカナタと作業台の素材に向けた。
「……ほう」
ギョロリと義眼レンズの絞りが絞られ、カチリと音が鳴る。
レニーは作業台に近づくと、義眼の拡大機能でコアの表面をまじまじと観察し、不敵に口元を歪めた。
「ふん、驚いたねボウズ。アーマー・シェルの動力コアに、傷ひとつねぇ上質な背甲か。しかもコアが3個……。高周波で内部だけを叩き潰して抽出したね? 『廃油プラント洞窟』まで潜ってこれだけの仕事をしてくるとは、大したものだ」
レニーは胸ポケットから葉巻を取り出し、火をつけると紫煙を大きく吐き出した。
「約束通りの査定だ。黒鋼甲殻が6枚で3,000Cr。高出力動力コアが3個で3,000Cr。計6,000Crだ。文句はないね?」
「ああ、文句なんてないよ。頼む」
レニーはカウンターの下から、角に【6,000Cr】の数字が浮かび上がったプラスチック製のカード型チップをすっと滑らせてきた。
「毎度どうも。手元のカードに読み込ませな」
カナタがチップから電子カードへ数値を移行させる。
手元に残っていた1,208Crと合わせ、現在の総残高は7,208Cr。
目標である50,000Crまでの道のりが、はっきりと目に見える数字となって刻まれた。
「それと、レニーさん。頼みたいことがあるんだ」
カナタは身を乗り出し、ジャックの背中を指さした。
「風の噂で聞いたんだが……アーマー・シェルのコアを3つ以上持ち込めば、ジャックの背部モジュールにつける『汎用小型火器ユニット』の中古ジャンクパーツを売ってくれるって話、本当か?」
レニーは義眼レンズをカチリと鳴らし、フッと鼻で笑った。
「ふん、鼻の利くボウズだ。いいだろう、アタシは良いハンターには相応しいブツを提供する主義だ」
レニーはカウンターの奥から、重そうな金属ケースを抱えて戻ってきた。
ケースが開かれると、中から油紙に包まれた武骨な機械ユニットが現れる。
「旧時代企業の自動警備ドローンに搭載されていた、9ミリ口径の汎用火器ユニットだ。ジャンクと言っても、アタシが内部の稼働系と制御基板をしっかりオーバーホールしてある。その泥犬の背中にある収納スペースにピッタリ収まるはずだ。同期させれば、自動で牽制射撃ができるすぐれものさ」
「すごい……! いくらだ?」
「コアを3個も持ち込んでくれたお礼だ。弾薬100発付きで、特別に2,000Crで渡してやる」
「買わせてくれ!」
カナタは即座に手続きを行った。
2,000Crが引き落とされ、残高は5,208Crとなったが、惜しさは微塵もなかった。
「よし、取引成立だ。おい犬ころ、動くんじゃないよ」
レニーは手際よく工具を使い、ジャックの背中にある金属装甲パーツを外すと、内側の収納スペースへ火器ユニットを組み込んでいった。
固定用のロックがカチリと鳴り、ジャックの背中に小型機関砲がセットされる。
『外部モジュールとの接続を確認。新規火器ユニット『サブ・バレル9mm』を認識しました。システム同期を開始します』
ノアの声とともに、ジャックの背中から展開された機関砲がウィーンと音を立てて軽く上下左右に駆動テストを行った。
ジャックは背中の新しい重量感に驚いたように赤い瞳を丸くしていたが、やがて自分の武器だと理解すると、胸を張り、「バウッ!」と高く吠えた。
「似合ってるぞ、ジャック!」
カナタが撫でると、ジャックは得意げに喉を鳴らした。
レニーは葉巻の煙を燻らせ、満足そうにうなずいた。
「よし、調整完了だ。その火力があれば、もうスラムの浅い狩場に用はねぇな。次はもっと大きな獲物を狙ってきな」
「ああ、もちろんそのつもりだ。ありがとな、レニーさん」
「フン、次も上上な素材を持ってきな」
◇
『解体酒場』の重い鉄扉を押して外に出ると、スラムの冷たい夜風がカナタの頬を撫でた。
背中に背負った頼もしい相棒、『ヘビー・スピア・改』。
そして、隣を歩くのは足回りが整備され、背中の内部スペースに火器ユニットを搭載した最高の相棒ジャック。
手元には5,208Crの資金。
ほんの少し前まで、ジャンク品を集めた自作槍を握りしめて、ラット・ディガーを狩るのが精一杯の日々が懐かしく感じられる。
カナタはスラムの汚れた路地から見上げ、遥か上空に聳え立つ、光り輝くメガコーポレーションの上層都市を見つめた。
50,000Crを集め、ハンターライセンスを手に入れ、あの光の世界へ行く。
その距離は着実に縮まりつつあった。
「よし、ジャック。一回拠点に戻って、次の狩場の準備を整えるぞ」
「ワンッ!」
ジャックの頼もしい足音が、夜のスラム街に響き渡った。