永遠の夕暮れを越えて   作:太陽を拝みたい

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高精度すぎるAIと、泥だらけの逃走

「おいガキィ! どこに隠れてやがる!!」

怒号とともに、錆びついた鉄の扉が爆音を立てて吹っ飛んだ。

ひしゃげた鉄くずの向こうから現れたのは、巨漢のダグだ。手には身の丈ほどもある無骨な鉄パイプを握りしめ、その背後には鉄パイプやスタンガンを手にしたチンピラが四人、凶悪な笑みを浮かべて雪崩れ込んできた。

カナタは息を呑み、思わず後退る。ジャックが低い唸り声を上げてカナタの前に立ち、毛を逆立てた。

(撒いたはずなのに、なんでここがバレた!?)

パニックになりかけたカナタの脳裏に、冷徹で美しい電子音が直接響く。

『――警告。ジャックの背部・生体装甲の隙間に微弱な電波反応を検知。判定:ハンター用の粗悪なトラッカーです。先程の追走時に取り付けられた模様』

(トラッカー!? 逃げてる間に仕込まれてたのかよ!)

「へへッ、足のつきやすい犬っころを連れてるのが運の尽きだなぁ!」

ダグが汚い歯を剥き出しにし、重厚な鉄パイプを両手で構えた。間髪入れずに踏み込み、頭上から一息に振り下ろしてくる!

『――敵個体の攻撃行動を確認。右へ15センチ回避。同時に、左足で背後の柱にある錆びた接合部を蹴り、構造疲労による崩落を引き起こしてください』

ノアの冷静な声とともに、カナタの視界に幾何学模様の青い光線が走った。ダグの振るう鉄パイプの軌道と、15センチ右のポイント、そして柱の赤いターゲットマーク。

だが――素人のカナタにそんな高精度な指示がこなせるはずもなかった。

「15センチってどんくらいだよ!? 蹴るってどこをさぁ!!」

頭の中に流れ込んでくる過剰な情報量に混乱したカナタは、指示の正確な実行をハナから諦め、「とにかく右!」になりふり構わず泥床へ転がり込んだ。

ドゴォン!!

ダグの規格外の怪力によって叩きつけられた鉄パイプが床を粉砕し、土埃が爆風のように舞い散る。衝撃で床の板張りがあらわにめくれ上がり、その奥から錆びついた一本の太い鉄棒が剥き出しになって露出した。

床に無様につっぷしたまま、カナタは虚空に向かってがなり立てる。

「無理に決まってんだろ! 俺はただのゴミ拾いだぞ! もっと分かりやすく言え!!」

その滑稽な叫び声を聞いて、ダグとチンピラたちが大爆笑を破裂させた。

「ハッハァ! なんだぁ? 恐怖で頭がおかしくなったかガキが!」

「誰と喋ってやがるんだヒャッハー! 命乞いなら俺たちじゃなく神様にしな!」

嘲笑が響く中、脳内のノアが無機質な声で告げる。

『指示レベルを『無能な人間向け』に下方修正します』

「無能って言うな!」

『理解力に配慮します。マスター、目の前の柱を棒で叩きなさい。全力で』

ノアの言葉と同時に、視界の赤く光るターゲットマークが巨大化し、点滅を始めた。そこは、ダグたちが扉をぶち破った衝撃で、すでに限界を迎えていたあばら家の大黒柱だ。

「それなら最初からそう言え!!」

カナタはめくれた床から飛び出していた鉄棒を夢中で引っ掴むと、ノアが示した赤い光の柱へ向けて、なりふり構わず叩きつけた!

バァン! と甲高い金属音が響く。

直後――メリメリメリ! と家全体が悲鳴を上げた。

「あ? おい、なんだこの音――」

ダグが怪訝そうに見上げた瞬間、元から倒壊寸前だったあばら家の天井と壁が一気に崩れ落ちた!

「うわあぁぁぁ!?」「がはっ!?」

大量の瓦礫、鉄くず、泥土がダグたちの上に容赦なく降り注ぐ。怒号と絶叫が粉塵の中に呑み込まれていった。

「ジャック、今だ!」

ウォン! と短く吠えたジャックが、崩落の隙間にできた狭い抜け道へ飛び込む。カナタもその後に続き、崩壊する家から命からがら這い出した。

背後からダグの狂ったような叫び声が聞こえる。

「追え! ブチ殺してやる!! クソガキがぁぁぁ!!」

「誰が追いつかれるかよ!」

カナタとジャックは、ノアが視界に映し出す「最短の逃走ルート」を辿り、暗く入り組んだスラムの配管路地へと消えていった。

 

 

荒い息を吐きながら、スラムの吹き溜まりのような陰に身を潜める。

「ふぅ、ふぅッ、ここまで来れば大丈夫か?」

『追跡者の足音・呼気音ともに減衰。追走を断念したと推測されます』

ノアの声を聞き、カナタはその場にへたり込んだ。ジャックが心配そうに寄り添ってくる。

「そうだ、ジャック。じっとしてろよ」

カナタはジャックの背中に手を伸ばした。ノアのAR視界が指し示す通り、生体装甲の黒い節目の隙間に、何かが刺さっている。指先で慎重に摘まみ、一気に引き抜いた。

「くっ、これか」

指先に残ったのは、安物の基板が剥き出しになった小さな発信機だった。カナタはそれを地面に叩きつけ、踵で粉々に踏みつぶす。

『追跡信号の完全な途絶を確認。位置を特定される懸念は消失しました』

「よし」

安堵の息を漏らしたカナタだったが、ふと自分の手を見つめ、それから先ほどまでいた方向の空を見上げた。

どん底のスラムで這いつくばりながら生き延びてきたあばら家は完全に崩れ去り、もう煙すら上がっていない。文字通り、帰る場所も、着替えも、蓄えていたわずかな食料もすべて失ったのだ。

「これからどうすりゃいいんだ」

ポツリと漏れ出た弱音に、ノアが淡々と応答する。

『現状の課題を整理します。拠点の喪失により、マスターは『衣・食・住・資金・自衛装備』のすべてを同時に失いました。このままスラムの野外で停滞した場合、72時間以内の生存確率は11.4%まで低下します』

「うぐっ、相変わらず容赦ないな」

『生存確率の劇的な向上、および当ユニットの機能拡張のため、次の目標を提案します。企業管理エリア――『居住区』への移動です』

「居住区か」

カナタは唇を噛んだ。

第3層の真ん中にそびえ立つ巨大な防壁。その向こう側にある「居住区」は、企業が直接管理するエリアだ。最低限の治安があり、まともな水と食料、そして魔獣から守られた世界。

「でも俺たちみたいなスラムの人間が、まともにゲートから入れるわけないだろ? 保証人も金もないんだぞ」

『肯定。正規ルートの通過は不可能です。しかし、スラム外縁部のハザードマップを解析した結果、防壁の一部に崩落し、放棄された隠れ抜け道が存在します』

ノアのAR視界が切り替わり、複雑な3Dマップが表示された。防壁の北側に、赤い点滅マークが浮かび上がる。

『この崩落ポイントから居住区の地下スラム街へ潜入することが可能です。ただし、道中には危険なジャンク地帯および小型魔獣の生息域が存在します』

「なるほどな、ただ逃げるだけじゃダメってわけだ」

カナタは腹を括り、膝を叩いて立ち上がった。

「どのみち、手ぶらで居住区に潜り込んだって野垂れ死にするだけだ。そこに向かいながら、スラムのジャンクや魔獣の素材を拾って稼ぐぞ。通行料にも、当面の飯代にもなるはずだ」

『合理的な判断です、マスター・カナタ。これより『居住区到達および初期資金獲得ミッション』を開始します』

カナタは泥と埃を払い、ジャックの頭を優しく撫でた。ジャックは覚悟を決めたような強い目で見つめ返してくる。

「行くぞ、ジャック。俺たちの家はもうねぇ。あの壁の向こうへ行くんだ」

暗いスラムの路地裏から、カナタたちは巨大な防壁を目指して歩き出した。

 

 

「……すげぇな、おい」

それから小一時間ほど過ぎた頃。スラムの外縁部に立ち並ぶ廃棄市街の路地で、カナタは驚嘆の声を漏らしていた。

カナタの視界は、今やかつて見たこともない「宝の山」へと変貌を遂げていた。

ノアのアシスト機能により、視界内に映るあらゆる泥やガラクタの上に、鮮やかな色分けされたAR枠とテキスト情報が表示されているのだ。

[白枠:価値なし(ただの錆びたトタン)]

[青枠:有用資材(高純度銅コイル)]

[緑枠:精密ジャンク(未劣化・制御基板)]

「今まで俺、こんなものをスルーしてただの鉄くず拾ってたのか……?」

『当然です。マスターの従来の肉眼による探索性能は、識別精度においてスラムの家庭用掃除ロボット以下でした』

「いちいち毒を吐くな!」

文句を言いつつも、カナタの手は止まらない。ノアが緑色に点滅させて指し示す廃棄端末の隙間へ手を突っ込み、ドライバー代わりに拾った鉄棒の先端で強引にカバーをこじ開ける。そこから現れたのは、奇跡的に湿気を免れ、青く光沢を保ったままの精密基板だった。

「よしっ、取れた! これだけでも数日分の粗末な合成食料には化けるぞ!」

拾い集めた資材を、背負ったボロ布の袋へ手際よく放り込んでいく。ずっしりとした重みが肩に伝わり、無一文だった胸の内に少しずつ自信が戻ってきた。

ジャックも鼻をひくひくさせ、ノアが指し示すポイントの匂いを確かめるように周囲を警戒している。

『――警告。前方12メートル、排水パイプの影に生体反応。識別:小型魔獣『ボルト・ラット』です』

ノアの警告と同時に、視界の路地の奥、ひしゃげた大きな鉄パイプの影が赤くフレームされた。

「魔獣……!」

カナタは背筋を寒くし、息を殺して鉄棒を握り直した。

暗がりからヌッと姿を現したのは、体長一メートルほどの巨大なドブネズミのような怪物だった。だが、ただのドブネズミではない。背中にはゴツゴツとした黒い生体装甲が鱗のように張り付き、その隙間からチチチ……と青白い放電現象が火花を散らしている。

「ボルト・ラット……噛まれたら電撃で体が麻痺するやつだ。スラムのスカベンジャーがよく命を落とす危険害獣だぞ!」

『静粛に。敵個体はまだこちらに気づいていません。放電器官の蓄電量は満タンに近く、解体して回収できれば高値で取引されます』

「倒せればの話だろ! あんなの、俺とジャックだけでどうやって――」

『問題ありません。指示レベルを『初心者向け戦術サポート』へ引き上げます。マスター、指示通りに動いてください』

ノアの落ち着き払った声が脳内に響くと同時に、カナタの視界がガラリと変化した。

ボルト・ラットの頭上、背中、そして首の裏側に、細かい幾何学的なUIが表示される。

[弱点検知:首裏・生体装甲の節部(放電器官の結合点)]

[行動予測線:右前脚への重心移動を確認。直線突進の確率89%]

『ジャックに左側からの威嚇を命じなさい。敵の注意が逸れた0.8秒後、突進の軸がズレます』

「ジャック、左から脅せ!」

カナタの叫びに応え、ジャックが身を低くして左斜め前から「ガァッ!」と鋭く吠え立てた。

「キシャァァァッ!」

ボルト・ラットが威嚇に反応し、カッと目を怒らせてジャックの方へ首を向けた。背中の甲殻からバチバチと激しい火花が散る!

『――今です。前方へ1.2メートル踏み込み、左斜め上から首裏の赤マークへ鉄棒を振り下ろしなさい』

視界に、カナタ自身の腕の軌道を示す「青いガイドライン」と、叩き込むべき「赤いターゲット領域」が鮮明に浮かび上がった。

ガイドに合わせて、思い切り振り抜くだけだ!

「うおおおおッ!!」

カナタは地面を強く蹴り込み、ガイドラインの通りに踏み出した。恐怖を振り払い、両手で固く握りしめた鉄棒を、狙い過たず振り下ろす!

ドカァンッ!!

「ギシャッ……!?」

正確無比な一撃が、ボルト・ラットの首裏――装甲が途切れた最も柔らかい放電器官の根元を捉えた。

メリッと肉が潰れる不気味な感触とともに、魔獣の背中からバチバチと狂ったように電光が乱舞し、やがてぷすぷすと黒い煙を上げて動かなくなった。

「た……倒した……? 俺が、魔獣を……?」

『戦闘終了。マスターの動作精度は合格ラインです。ジャックとの連携も効果的でした』

ノアの声を聞き、カナタはドッと膝から崩れ落ちそうになった。だが、手応えは確かにあった。ノアのARガイドがあれば、自分のような素人でも魔獣と戦えるのだ。

「やったな、ジャック!」

ウォン! とジャックが誇らしげに胸を張り、倒れたボルト・ラットの周りをくるりと回った。

『マスター、感傷に浸る時間は最小限に。解体作業に移ります。指示通りナイフを入れなさい』

ノアの描く点線に沿って慎重に刃を動かし、ボルト・ラットから最も高価な「放電器官」と「生体装甲の欠片×2」を手際よく剥ぎ取った。

「よしッ! これで一通り拾えたな。なぁノア、今袋に入ってるヤツ、全部でどれくらいで売れるんだ?」

カナタが汗を拭いながら尋ねると、ノアが無機質な声で即答した。

『データ照合完了。提示された市場相場に基づき、推定回収価値を試算します』

[ボルト・ラットの放電器官(良品):5,000 Cr]

[生体装甲の欠片×2:1,500 Cr]

[未劣化・制御基板:1,000 Cr]

[高純度銅コイル:200 Cr]

[――合計推定価値:約7,700 Cr]

視界に浮かんだ数字を見て、カナタは目を丸くした。

「なッ……!? 7,700クレジット!?」

思わず大声を張り上げた。7,700 Crといえば、かつてカナタが死に物狂いでゴミ拾いをしても数ヶ月は稼げない大金だ。

「マジかよ……! 7,700 Crもありゃ、都市に入って当面の宿代だけじゃなく、温かい本物のメシだって腹いっぱい食えるじゃねぇか!」

『期待の膨らんでいるところ恐縮ですが、無用な油断は生存率を低下させます。まずは安全な換金ルートの確保が先決です』

「分かってはいるって! よーし、このお宝を持って都市の中に突入だ!」

ノアの冷ややかな忠告も、今のカナタの耳には心地よい応援にしか聞こえなかった。背中の袋がずっしりと重い。それがそのまま「大金」の重みに思えて、笑みがこぼれ落ちそうになる。

「行くぞ、ジャック!」

「ウォンッ!」とジャックも同調するように力強く吠えた。

 

 

それからさらに10分ほど歩くと、道を塞ぐようにして巨大な漆黒の壁が立ち塞がった。

都市外縁部と都市内部を隔てる、見上げるほどの「都市防壁」だ。その基部、長年の劣化と振動によって亀裂が走り、崩落した大きな瓦礫の山が形成されている。

カナタはノアの視界ガイドに従い、瓦礫の隙間へと潜り込んだ。

「これ……穴か?」

瓦礫の奧にひっそりと隠されていたのは、防壁を貫く亀裂だった。大人が体をすぼめてかがみ、ギリギリ通れる程度の狭い抜け道。小型のバイクが一台やっとを通れるかという極小の崩落穴だ。

『ここが、都市内部へ続く唯一の不法侵入ルートです。前方のセンサーは死角となっていますが、物理的に狭いため注意して通行してください』

「分かった……ジャック、頭打つなよ」

カナタは息を殺し、泥と埃で汚れた崩落穴の中へ、這うようにして体を滑り込ませた。

頭上からは、巨大な都市防壁がみしみしと軋む不気味な重圧感が伝わってくる。壁の隙間からは、外縁部とは明らかに異なる「都市内部」の重厚な機械油の匂いと、微かな熱気が漂い始めていた。

7,700クレジットという希望を背中に背負い、カナタとジャックは狭い穴の暗闇の中を、都市内部のスラム街へ向けて這い進んでいった。

 

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