永遠の夕暮れを越えて   作:太陽を拝みたい

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7770クレジットの現実

都市防壁の狭い崩落穴を這い出し、カナタとジャックは「都市内部のスラム街」へと足を踏み入れた。

 

頭上を見上げても、外縁スラムから見上げていた空と何一つ変わらない。はるか上空の岩盤の隙間から、死んだ魚の目のようにぼんやりとくすんだ橙色の光が落ちてきているだけだ。

 

外縁部の荒野に比べれば、舗装された道があり排熱口からは微かな暖気が流れていたが、漂う空気はどこまでも荒んで冷めていた。

 

行き交う住人たちに、カナタたちを警戒する余裕など一切ない。薬や空腹で目がキマっている者、無気力に壁に背をあずけて蠢く者、一攫千金を狙ってギラギラとした目を光らせる者。誰一人として、泥に塗れた少年と一匹の犬に視線すら向けなかった。

 

「ここが、都市内部のスラムか」

 

カナタは背負ったボロ布の袋をぐっと背中に引き寄せた。

 

ずっしりと肩に食い込む重み。そこには先ほどノアのARガイドに従って回収した、ボルト・ラットの良質な放電器官や未劣化の精密基板が入っている。

 

推定回収価値、7,700クレジット。

 

(7,700クレジットもありゃ、泥水じゃない綺麗な水が飲める。温かい本物のメシだって、ジャックと一緒に腹いっぱい食えるんだ)

 

期待に胸を膨らませながら、カナタは路地裏へと足を進めた。

 

 

ノアの誘導に従って辿り着いたのは、路地裏の奥深くに店を構える一軒の怪しげなジャンク屋だった。

 

店内には電子部品の焦げた匂いと安タバコの煙が充満していた。カウンターの奥には、太い葉巻をくわえた巨大な体躯の男、悪徳買取屋のガルドがどっかりと腰掛け、背後にはサイボーグパーツで強化した用心棒が立っている。

 

「あぁん? 見ねぇ顔だな。外縁部から潜り込んできたドブネズミか」

 

「取引だ。これを見てくれ」

 

カナタは背中の袋から、ボルト・ラットの放電器官や精密基板をカウンターの上に並べた。

 

ガルドは葉巻を指で挟み、乱暴に素材を突っつくと、吐き捨てるように言い放った。

 

「全部まとめて、770クレジットだ」

 

「は?」

 

カナタは耳を疑った。そして、ノアが脳内に展開したデータをそのまま叩きつけるように叫んだ。

 

「ボルト・ラットの放電器官は蓄電量98%の良品だ! 解体時の傷もゼロ! 精密基板も未劣化だ! 市場の買い取り相場なら、安く積んでも7,700クレジットは下限のはずだ!」

 

カナタの叫びを聞いた瞬間、ガルドの葉巻を吸う手がピタリと止まった。

 

(あ……?)

 

ガルドの小さな目が、ギロリとカナタを捉える。

 

胃のあたりがざわつくような、嫌な違和感だった。

 

(スラムのゴミ拾いどもなんてのは、1日1〜15クレジット未満の泥水すするような日銭で生きてやがる。相場も価値も知りやしねぇスカベンジャーなら、770クレジットなんて提示すりゃ大金だと喜んで受け取るか、何も知らずに売るのが当たり前だ。足元を見て買い叩き、ゴミみたいな値段で巻き上げる。それがこの街で俺たちがやってきた当たり前だったはずだ……!)

 

だというのに、目の前のガキは欠けらも騙されていなかった。

 

(どこで相場を覚えやがった……? 蓄電量の正確なパーセンテージどころか、解体状態の鑑別、果ては都市の適正価格の下限まで寸分違わず口にしてやがる。どこぞの企業か、トップハンターの回し者か?)

 

一瞬だけ背筋に嫌な汗が伝ったガルドだったが、すぐに冷酷な顔を作り直すと、激しく煙を吹き散らした。

 

「知った風な口をきいてんじゃねぇぞ、ガキが!」

 

ガルドが机を殴りつけると、背後のサイボーグ用心棒が踏み出し、重厚な金属音が店内に響く。ジャックが身を低くしてウゥゥと低く唸った。

 

「ここは企業が管理する都市だ。正規のライセンスもねぇ不法侵入者の品なんぞ、足元見られて当然だろうが! 10分の1でも買い取ってやるだけありがたく思え。気に入らねぇなら企業警備隊に通報されてタダで没収されるか? ああ!?」

 

カナタは悔しさに歯を食いしばった。視界の隅でノアのテキストが踊る。

 

『分析。物理的交渉での勝利確率は0.02%です。受諾を推奨します』

 

理不尽だが、今の自分たちには対抗する力も身分もない。カナタは震える手でカウンターの上の770クレジットチップをひっ掴むと、素材を残したまま店を飛び出した。

 

 

路地裏の陰で、カナタは壁に激しく拳を叩きつけた。

 

「ちくしょう! ちくしょう!」

 

痛みが走るが、胸の中の悔しさに比べればどうということはなかった。ジャックが心配そうにカナタの手に鼻先を寄せてくる。

 

「これじゃ、どんなにお宝を拾ったって、ずっとスラムの底辺のままだ!」

 

だが、カナタの胸の奥には激しい怒りの火が灯っていた。顔を上げ、脳内のAIへ強く問いかける。

 

「なぁ、ノア。どうやったらあんな奴らに買い叩かれずに済む? どうすれば俺たちは無資格者って扱いを跳ね返して、まともな値段で取引できるようになるんだ!?」

 

『解は一つです。素材の適正価値での直接取引権、および合法的な身分を保障する唯一の証——【企業公認ハンターライセンス】の取得です』

 

ノアの回答とともに、AR視界に目標が表示される。

 

[必要要件:企業公認ハンター登録費用 50,000 Cr]

 

「5万! 1分の10で買い叩かれる今の状態だと、実質50万クレジット分の素材を集めなきゃいけないってことかよ!」

 

『否定。現在の能力では不可能ですが、より危険度の高いエリアへ進出し、上位の魔獣を狩ることで達成可能です。当ユニットのガイドのもと、実戦を通じて身体能力の拡張と戦闘スキルを習得してください。近道はありません。実戦による自己強化を推奨します』

 

黒い提示画面を見つめながら、カナタの思考が激しく渦巻いた。

 

ダグたち暴力的な奪取者に怯え、命からがら逃げ惑うしかなかった先程。死に物狂いで手に入れたお宝を、ゴミくずみたいに1分の10で叩き売られたついさっきの屈辱。どこへ行っても社会的IDすら持たない「存在しないゴミ」として扱われ、理不尽に踏みにじられる自分の弱さが、惨めで、不甲斐なくて、たまらなかった。

 

どうしようもない不安と、抑えきれないイライラが胸をかき乱す。

 

だが、ここで愚痴を叩いて腐ったところで何かが変わるわけじゃない。ただ泣き寝入りして、一生スラムの暗がりで泥を舐め続けるだけだ。

 

逃げるのは、もうやめだ。弱いままでいるのも、今日で終わりにする。

 

(強くなる……強くなるしかねぇんだ。誰も俺を舐められないくらいに!)

 

カナタは深く、長く息を吐き出し、込み上げるすべての感情を飲み込んだ。そして視線をまっすぐ前へと向け、隣で自分を見上げている相棒の頭を力強く撫でた。

 

「やってやろうじゃねぇか! 5万クレジット溜めて、絶対にハンターになってやる! あのブタ野郎の面前にライセンスを叩きつけて、見返してやるんだ!」

 

「ウォン!」

 

ジャックが力強く応えた。

 

 

一方その頃。

 

カナタたちが去った後の店内で、ガルドはカウンターに残されたボルト・ラットの放電器官を指先で摘まみ上げていた。

 

「解体痕が綺麗すぎるな」

 

ガルドは葉巻を揉み消しながら不機嫌そうに呟いた。

 

「ボルト・ラットの放電器官なんてのは、解体を5センチ誤れば残存電流がショートして破裂するか品質が落ちる。だが、これを見ろ。一番柔らかい節目の隙間に寸分の狂いもなくナイフが入ってやがる」

 

ガルドの心の中で弾き出したプロの鑑別結果と、あのガキが口にした査定数値は寸分違わず一致していた。

 

「あのガキの背後にはスラムのマフィアか、トップハンターの指南役でもついてやがるのか」

 

「ただのゴミ拾いでしょう。気にすることはありません」

 

用心棒の言葉に、ガルドは煙を吐き出しながら奥の金庫へ素材を仕舞い込んだ。

 

「さあな。だが、あいつがこのまま泥の中で野垂れ死ぬか、それともこの理不尽をぶち破って本物になり得るのか、見ものだな」

 

金庫の重い扉が閉まり、静まり返った店内に金属音が響いた。

 

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