翌朝。
スラム特有の重く濁った空気の中に、うっすらと朝焼けの赤い光が差し込む頃。
カナタは胸ポケットに重みを感じながら、安カプセルドームの狭いドアを押し開けて外へ出た。
チカチカと点滅する蛍光灯の下、ベッドの上でカードを並べて収支を確認した昨夜の熱気が、冷ややかな早朝の空気で引き締められていく。
ポケットに入っているのは、この1週間、泥と血に塗れて稼ぎ出した【3,408Cr】が入った電子カードだ。
背中には、あの日からカナタの命を繋ぎ止めてきた相棒——廃材の鉄パイプと工業用ドリルをワイヤーで幾重にも頑丈に巻き留めた無骨な武器『ヘビー・スピア』を背負っている。
「よし、行くぞ、ジャック」
「ワンッ!」
カナタの呼びかけに、元気に尻尾を振って応えるジャック。
その歩調は軽く、1週間前の痩せ細っていた姿からは想像もつかないほど毛並みにも艶が戻っていた。
目指すは、スラム街のさらに東側に位置する区画——通称『黒鉄街(くろがねがい)』。
旧時代の巨大な工場跡地を不法占拠した職人やジャンク屋たちが集まる場所で、カンカンと響く金槌の音、黒煙、そして溶接の青白い光が一日中絶えない、文字通りの工房街だ。
スラムの路地裏のようなコソコソとした陰湿さはなく、荒々しくも活気にあふれた熱気が街全体を包み込んでいる。
「へえ、ここが黒鉄街か。本当に工房ばっかりだな」
立ち並ぶ店舗の軒先には、ジャンクパーツから削り出されたサイバー義体、中古の火器、怪しげな動力パイプなどが乱雑に積まれていた。
通りを行き交うのも、体を機械化したハンターや、全身油まみれの職人たちばかりだ。
『カナタ様、レニー氏から共有された位置情報に基づき、推奨する工房へ案内します。前方、三差路を右折です』
視界の端に、ノアが控えめなナビゲーションのラインを表示する。
「サンキュ、ノア。レニーさんが『スラムで一番の偏屈だが、腕と筋だけは通ってる』って言ってた店だからな。楽しみだ」
案内された路地の奥に佇んでいたのは、煤けた鉄板を繋ぎ合わせた無骨な建物だった。
入口の上には、巨大なスパナを象った鉄製の看板が掲げられている。
『バンダ機械整備店』
カナタは息を静かに吐き出し、油の匂いが立ち込める店内の暖簾をくぐった。
◇
「頼もう! 装備の仕立て直しと、メンテナンスをしてほしいんだが」
店内に足を踏み入れると、カンカンと高らかに響いていた金属音がピタリと止まった。
店内は所狭しと工具や機械の解体パーツが積み上げられ、油と焦げた金属の匂いが充満している。
奥の作業台からヌッと顔を出したのは、スキンヘッドに傷だらけのゴーグルを乗せた、丸太のような腕を持つ巨漢の老技師だった。
彼こそが、この店の主であるバンダだ。
「あん? ガキと、ツギハギの泥犬か」
バンダはギラリとした眼光でカナタを一瞥すると、露骨に不機嫌そうな鼻鳴らしをした。
「冷やかしなら帰れボウズ。うちはガラクタの玩具を直すようなヒマな店じゃねぇんだ。手持ちの小銭で買えるのは、表のジャンク山に転がってるネジくらいだぞ」
「冷やかしじゃない。ちゃんと金はある」
カナタはポケットからカードを取り出し、カウンターの上の端末に提示した。
画面に【3,408Cr】という明確な数値が表示される。
バンダの太い眉が、ピクリと跳ね上がった。
スラムのガキがぽんと出せる金額ではない。
ましてや、その金には汗と血の匂いが染み付いていた。
「ほう。少しはまともな額だが、どこで盗んできた?」
「盗んでなんかねぇよ! 1週間、地下でラット・ディガーを狩り続けて稼いだ正当な金だ。レニーさんの『解体酒場』でな」
「レニーのババアのところだと?」
バンダはゴーグルを額から目元へと下ろし、じっとカナタの全身をスキャンするように見つめた。
実戦をくぐり抜けて引き締まったカナタの身体と、その背中に背負われた槍へ視線を固定する。
「見せろ、その槍を」
カナタは背中から『ヘビー・スピア』を引き抜き、作業台の上に静かに置いた。
廃材の鉄パイプに、小型削岩機から取り外した工業用ドリルを強固なワイヤーで幾重にも巻き留めた異形。
誰がどう見ても、ジャンクのゴミ山から拾い集めただけの「合わせ物」だ。
バンダはゴツゴツとした大きな手で槍を持ち上げ、刃先や柄の接続部、そして使い込まれたグリップの皮紐をじっくりと検分した。
「フン、笑わせるぜ。廃材のパイプと、土木用のドリルをワイヤーで強引に縛り付けただけの代物じゃねぇか。締め付けたワイヤーも摩耗しかけてるし、軸も微かに歪んでやがる。武器としての完成度はゴミ以下だ」
辛辣な言葉。だが、バンダの手つきは優しかった。
彼はグリップに巻かれたボロ布の擦り切れ具合と、ドリルの刃先に付着した無数の微細な傷を指先で撫でた。
「だがな」
バンダの口元が、わずかにニヤリと歪む。
「手入れの跡がある。重心の狂いを、自分の癖に合わせてボロ布の巻き方で無理やり調整してやがるな。それに、この傷の付き方は、固い皮膜を持つ魔獣の肉を、何十体と正確に穿ち抜いてきた証拠だ」
バンダは槍を台の上にドスンと置くと、カナタを真っ直ぐに見つめ直した。
「腕はあるが、道具が追いついてねぇ。このまま使ってりゃ、次の戦闘でワイヤーが弾け飛んでドリルが外れ、お前の腕ごと弾け飛んでたところだぞ」
「やっぱり、限界だったか」
カナタは冷や汗をかいた。
薄々感じてはいたが、プロの技師の目から見ても限界ギリギリだったのだ。
「で、どうしたいボウズ。ゼロから打ち直すか? それともこいつの『芯』を残して改修するか?」
「芯を残して改修したい。この槍のおかげで生き残れたんだ。予算は、生活費を残して【2,000Cr】まで出せる。俺の手に馴染む、最高の一本にしてくれ」
バンダはニッと豪快に笑い、カナタの肩をバシリと叩いた。
「言ったなガキ! 2,000Crありゃ、まともな超硬合金の穂先と、高出力の衝撃振動ドライブが組み込める。そこらの三流ハンターが持ってる安物より、よっぽどいいブツに仕上げてやるよ!」
◇
「よし、武器の話はまとまった。次はそっちの犬だ」
バンダが視線をジャックに向けた。
「この犬も、見たところあちこちガタがきてるな。外装の背甲パーツの隙間に泥が詰まってるし、可動部のオイルも切れかかってる。ついでにスキャンして、可動部の調整とオイル交換くらいはしてやるよ。メンテなら、追加で200Crってところだ」
「助かる! ジャック、診てもらおう」
「ワン!」
ジャックはカナタの指示に従い、おとなしくメンテ用のスキャン台の上に乗り、チョコンとお座りした。
バンダは壁から大型のホログラム・スキャナーを取り出すと、ジャックの身体に向けて緑色のスキャン光線を照射した。
「どれどれ、どこの企業の警備犬か、ん?」
チチチ、ピピピピピッ!
突然、バンダの手元にあるスキャナーがけたたましい警告音を鳴らし始めた。
画面には真っ赤なエラーログが高速で流れ、バンダのゴーグルの奥の目が大きく見開かれる。
『警告:未知の生体プロトコルによる割り込みを検知。アクセス拒否。セキュリティ・ファイアウォール作動』
「な、なんだぁ!? スキャナの解析プログラムが、強制シャットダウンされただと!?」
バンダが焦って端末を叩くが、スキャナは煙を吹くようにプスンと音を立てて沈黙してしまった。
「おいおいボウズ! この犬、一体なんなんだ!? 俺の軍用互換スキャナのプロテクトを一瞬で焼き切りやがった!」
「え……?」
カナタは驚いてジャックを見た。
ジャックは何が起きたのか分かっていない様子で、首をかしげて「ハッハッ」と息を吐いている。
『カナタ様。バンダ氏の外部スキャナーによる詳細解析を感知したため、本機(ノア)の防衛プロトコルが自動作動し、該当機器へのデータ介入およびアクセスブロックを実行しました』
脳内でノアの声が静かに響く。
(ノア、お前が弾いたのか?)
『肯定です。ジャック個体の内部生体データおよび機械構造は極めて高度な機密情報に分類されるため、外部からの非暗号化スキャンは制限対象となります』
カナタはゴクリと唾を呑み込んだ。
バンダは青ざめた顔でジャックとカナタを交互に見つめ、頭をガリガリと掻いた。
「クソッ、なんてバケモノだ。スラムのガキが連れて歩いていい代物じゃねぇぞ。おいボウズ、これ以上の内部解析は俺の手には負えねぇ。表面の清掃と、背甲パーツの洗浄、オイル補充だけで勘弁してくれ」
「あ、ああ、それで十分だ。よろしく頼む」
バンダは汗を拭いながら、どこか引きつった顔でジャックの外装メンテナンスに取りかかった。
数十分後、表面の泥と汚れが落ち、可動部に滑らかなオイルが充填されたジャックは、綺麗さっぱりとした姿を取り戻していた。
「槍の改修には、丸一日かかる。明日の夕方にまた来な」
「わかった。ありがとう、バンダさん」
カナタは改修費用とジャックの簡易メンテ代を合わせた【2,200Cr】をカードから支払い、工房を後にした。
黒鉄街を抜け、スラムへと戻る夕暮れの帰り道。
橙色に染まる廃墟の影を歩きながら、カナタの頭の中は先ほど工房で起きた出来事で持ち切りだった。
「なあ、ノア」
『なんでしょうか、カナタ様』
「さっきのバンダさんの反応、普通じゃなかったぞ。ノアがデータを隠したのは分かったけど、ジャックって本当はどんな存在なんだ?」
今まで、ジャックは「少し賢くて、背中に最低限の防具パーツをつけたサイボーグ犬」だとばかり思っていた。
5年前、幼いカナタがゴミ捨て場で倒れていたジャックを拾って以来、誰にも頼れないスラムの中で肩を寄せ合い、飢えと寒さを凌いできた唯一の家族だ。
カナタの真剣な問いかけに対し、ノアは数秒の沈黙を置いた。
『理解しました。カナタ様自身の戦闘能力が向上し、一定の資金基盤を確立された現在であれば、情報の開示によるリスクは低いと判断します』
ポーンという電子音とともに、カナタのAR視界に新たなホログラム・ウィンドウが展開された。
そこには、ジャックの生体透過図と、機械パーツの構造データが表示されていた。
『正式名称:自然発生型・生体機械融合種【オルガ・メカノイド(幼体)】』
「生体機械、融合種?」
『肯定です。ジャック個体は人工的に製造された完全なサイボーグではなく、親から産み落とされた【生体種】としての肉体を持つ生物です。筋肉や感覚器官などの生体部分は、食事や運動、そして戦闘を経験することで自発的に成長・強化されます』
「生き物! じゃあ、あいつはちゃんと生きてて、成長してるんだな」
『肯定です。一方で、背部のプロテクターをはじめとする機械部分は、自らの成長または外部からの改修・換装によってアップデートしていく特性を持ちます。ジャック個体の種族は、本来であれば群れの成人個体から新たな機械装備を取り付けてもらうことで、その潜在能力を解放していきます』
ノアの画面に、背中の防具パーツの奥に格納された「銃器スロット」のグラフィックが映し出された。
『成人個体のジャック種は、優れた索敵・誘導能力に加え、背部の機械ユニット内に収容された火器を用いた遠距離サポート戦闘を行います。しかし、ジャック個体は5年前に群れからはぐれた幼少期にカナタ様と出会ったため、現在は背部に最低限の防具用機械パーツしか装着されておらず、武器機能は未解放の状態です』
「背中に、銃!? じゃあ、パーツを取り付けてやれば、ジャックは遠距離から俺をサポートできるようになるのか!?」
『肯定です。カナタ様自身が外部から適切な機械パーツや火器ユニットを調達し、ジャック個体へ装着・アップデートを行うことで、本来のサポート戦闘能力を順次拡張していくことが可能です』
「そうだったのか」
カナタは思わず足を止め、隣を歩くジャックを見つめ直した。
ジャックはカナタの視線に気づくと、嬉しそうに「ワンッ!」とひと鳴きし、カナタの膝に頭をすり寄せてくる。
5年前、群れからはぐれてボロボロになり、背中の貧相なパーツを揺らして怯えていた小さな幼体。
あの頃からずっと自分と一緒に飢えを分かち合ってきた相棒が、この1週間で共に戦い、まともな食事をとったことで、その生体肉体もしなやかに引き締まり、着実に成長を果たしていたのだ。
「すまなかったな、ジャック。俺が知らなかっただけで、お前はちゃんと戦おうとしてくれてたんだな」
カナタはゆっくりと屈み込み、ジャックの温かい頭を愛おしそうに撫で回した。
ジャックは「くぅん」と目を細め、カナタの手のひらを舐める。
「よし、決めたぞ」
カナタは立ち上がり、夕日に向かって強く拳を握りしめた。
「俺がもっと稼いで、すごいパーツを買ってやる! お前の背中に最高の武器をつけて、二人で最強のチームになろうぜ!」
「バウッ!」
ジャックはカナタの決意に応えるように、尾を千切れんばかりに振って力強く吠えた。
◇
その夜。
安カプセルドームに戻ったカナタは、ベッドに横たわりながら自分の手を見つめていた。
手元に残った資金は、約1,200Cr。
明日には、バンダの手によって生まれ変わった新兵器『ヘビー・スピア・改』が手に入る。
そして、隣には5年前からずっと一緒に生きてきた家族であり、これから共に強くなっていく相棒のジャックと、冷静なノアがいる。
「50,000Crのライセンス取得、果てしなく遠い目標だと思ってたけど……今の自分たちのペースなら、案外早く手に届くかもしれない」
わずか1週間で3,000Cr以上を稼ぎ出し、己の肉体も、相棒との絆も劇的に変化した。
このスピードで稼ぎを増やし、装備を強化していけば、あの途途もない大金すら決して夢ではない。
カナタの胸の奥で、確かな手応えと熱い確信がふつふつと湧き上がってくる。
「絶対に手に入れてやる」
かつて自分をゴミのように扱い、見下していた奴らの顔が脳裏をよぎる。
だが、今のカナタの心にあるのは焦りではなく、未来へと突き進むための静かな決意だった。