★★『全て黒く焼き尽くす鳥』と『鳥籠』 作:あばなたらたやた
『NB9。状況を確認した』
技研管制室から通信が入った。
『機体各部の損耗は許容範囲内。ただし、神経接続負荷と精神的ストレスは危険域に接近している。これ以上の戦闘継続は推奨できない』
「それで?」
『……敵の増援は止まらない。ボーダー各部隊も限界だ。君が後退すれば、現在の防衛線は維持できないだろう』
「……」
『そうだ』
短い沈黙。そこには、ただ冷酷な論理の行使を躊躇うような、歪んだ人間性の残響が横たわっていた。
『NB9。命令する。戦闘を継続しろ。敵性トリオン兵を排除し、ゲート周辺の制圧を優先。君が動ける限り、前線を支えてくれ』
「了解」
『本当にいいのか』
「何が?」
『君は、もう十分に戦った』
私は己の手を見つめた。漆黒の装甲に覆われた指先。それは過酷な神経接続の歪みによって、微かに、しかし確かに震えていた。神経接続という名の回路を通じて脳髄へと直接伝わる痛みの波は、鎮痛処理という麻薬を施しても完全には消え去ってはくれない。
視界には重畳する赤い警告表示が錯綜し、肺を往復する呼吸は浅く荒い。
正直に言えば、休みたかったのだ。
もう戦いたくはない。
もう破壊の引き金を引きたくはない。
もう、絶望の深淵から誰かが助けを求める悲惨な声を聞きたくなどなかった。それでも、眼下には、まだ生を営む人々が存在している。逃げ惑う無力な人間たち。手傷を負った同胞を運ぶ防衛隊員。崩落した建物の影で、怯えながら助けを待っている誰か。そして、その生きとし生きるもの全ての尊厳を踏み潰そうとする、絶対の敵が存在している。
それに、蹂躙する快楽を味わっていたい。もう少しだけ殺したい。大義名分と正義を胸に破壊したい。
「問題ない」
『NB9……』
「私はまだ動ける。武器も使える。敵を倒せる」
自らの口から漏れる音を聞きながら、ふと一つの真理に気づいた。
私は、敵を破壊することを恐れてはいない。高出力レーザーキャノンの白光が敵の強固な装甲を貫く瞬間。閃くレーザーブレードが異形の身体を容赦なく切断する瞬間。
全領域開放。アサルトアーマーが放つ爆発的衝撃波が敵の群れを一掃する瞬間。その惨禍のたびに、私という存在の核に確かな手応えが刻まれるのだ。
自らの行使する絶対の力が、確実に結果へ結びついている。
敵という虚無が消え去る。
世界を脅かす脅威が削減される。
誰かが生き残る。
その客観的事実が、私の冷え切った精神の深淵に、恐るべき狂気の熱を生み出していた。死への恐怖も、魂を擦り減らす疲労も消えてなどいない。けれど、それら生物の本能すら押し流すほどの歪んだ高揚という名の毒が、確かに私の中に存在していたのだ。
……ああ。
私は、まだ戦える。そして、恐ろしいことに戦えることが嬉しいのだ。その感情の胚胎に、狂おしいほどの後ろめたさがないと言えば虚偽になる。しかし、目の前に立ち塞がるのはこちらの世界を侵略する無機質な敵に他ならない。
人間ではなく、意思疎通の地平すら持たぬ異形の兵士たち。
死を振り撒く存在。
存在する価値のないカスども。
ならば、打ち砕いて何が悪いというのか。
私には、それを全うできる絶対の牙がある。
私には、そのための暴力が与えられているのだから。
「管制」
『こちら管制』
「次の目標を」
『南部ゲート周辺。大型個体を含む敵性反応、推定3000以上。ボーダー部隊が交戦中だが、押し込まれている』
「了解。進路を送ってくれ」
『……NB9。無理はするな』
「善処する」
『それは無理をする人間の返答だ』
「そうかもしれない」
背部推進器が狂暴な唸りを上げた。私の機体の最大出力が上昇していく。背部の噴射口から蒼白きトリオンの光芒が迸り、私の身体という殺戮の器が前方へと力強く押し出された。
視界の果てには、群がる無数の敵影。さらにその暗澹たる向こうには、世界を侵食するように開いたままの異界のゲート。
倒しても、倒しても、終わりなど訪れない。一つを破壊すれば、また次の破滅が現れる。次を粉砕すれば、そのまた次の惨劇が現れる。
終わりなき絶望の戦場。
良い展開だ。楽しいね、とてもさ。
「来い」
右腕に宿る高出力レーザーキャノンが起動する。
真紅の照準が、敵群の中心という絶対の座標を捉えた。
「全部は破壊する」
物理的引き金を絞り込む。圧倒的な光芒が戦場の闇を貫いた。敵の巨躯が内側から吹き飛び、連鎖する爆炎が空間を包み込む。無数の敵性反応が、一瞬にして領域から消失していく。
その絶対的な破壊の光景を目にして、私は確かな快感を覚えていた。倒し、守り、自分という存在には成し遂げられることがあるのだと。
体が吹き飛んだ時は悲しかったが、こういう展開になると思わなかった。技研の皆さんには感謝してもしきれない。
『NB9、敵性反応の減少を確認。だが、後方から新たな増援が接近している』
「確認した」
『次の敵群を表示する』
「必要ない。見えている」
私は左手のレーザーブレードを構える。
死への恐怖はある。肉体を灼く痛みの苛烈さもある。この地獄から今すぐ逃げ出したいという弱き心だって、根底には残っているのだ。
それでも、私の存在そのものは揺るぎなく前を向いていた。
『NB9。交戦を許可する』
「了解」
私は再び、異形の群れが渦巻く深淵へとその身を躍らせた。
終わりの見えぬ永遠の戦場を、この手で全てを終わらせるために。
殲滅を楽しんでいると、とても暗い。深い水底に沈んでいくように、視界も、感覚も、すべてが濃密な闇の中に溶けていく。
『神経接続、段階遮断シークエンスを開始』
遠くで、誰かの声が聞こえた。機械的な振動を伴って脳の奥に届くその音は、まるで自分とは無関係な世界の出来事のように現実味がなかった。
「こちらボーダー本部。全ゲートの消失を確認。全防衛部隊、戦闘終了。繰り返す、作戦終了だ」
「東部防衛部隊、了解。敵性反応なし。……本当に終わったんだな」
「北西部、こちらも敵影なし。負傷者の救助を開始する」
「沿岸部、海上に残存反応なし。黒い機体の位置を確認した。応答はあるか?」
「技研、こちら本部。NB9の状況を報告しろ」
「技研管制室、了解。現在、戦闘管制を解除中。神経接続の段階遮断シークエンスに移行します」
……ああ、終わったのか。
思考が砕かれ、言葉を組み立てることも不可能に近かった。
絶対的な同調と、急激な断線がもたらす物理的衝撃により、頭蓋の裏側が激しく脈打ち、鋭い断絶の痛みが走る。脳幹という生の核心に押し寄せる致命的な過負荷。けれど、そんな痛みにすら、どこか他人事のような遊離した感覚を抱いていたのだ。
限界という概念の境界線など、とっくに通り過ぎていたのだから。高密度トリオン弾の渦という死の領域を切り裂き、改造された肉体……機体フレームが悲鳴を上げて軋む不協和音を聞きながら、自分はただ動き続けていた。
何万回、何十万回と刃を振るい、トリオンの光芒を奔流させ、敵という虚無を穿ち続けたのか記憶の領域には残っていない。ただ、耳元で次々と下される冷酷な戦術指示と、限界を超えて肉体を灼く過負荷。
『神経接続率、低下開始。生体トリオン線路の反応を監視』
『脳波に異常な減衰を確認。遮断速度を調整しますか?』
『いや、規定のシークエンスを維持しろ。急激な遮断は避ける』
『了解。生体反応、継続監視』
身体を巡る生体トリオン線路が熱を帯び、神経回路が焼き切れる。
苦痛が続いていた。やがて、冷たい薬液が全身の血管の流し込まれる。
鎮静化処理という名の自我の遮断。
『鎮静化処理の残存濃度を確認。覚醒までの推定時間は?』
『現時点では算出不能です。高次脳機能の回復に個人差が生じる可能性があります』
『記録を続けろ。遮断開始から完全分離まで、すべての波形を保存しろ』
脳がじわじわと無へと減衰し、自分という自我の輪郭が薄れていく。自分が人間という存在であったことの証明すら、その冷徹な薬効によって曖昧に塗りつぶされていく。
苦しい……冷たい……。
意識の途切れかける暗黒の深淵で、かすかに人の話し声が聞こえた
『主任、NB9の生体反応が低下しています。意識レベルも確認できません』
『……そうか』
『覚醒後の対応について、指示をお願いします』
『……次に本検体が覚醒した際、我々がなすべきはまず人間としての謝罪だ』
誰の声だろう。主任だ。あんなにも重く、痛切な声で彼は語っている。私という命を過酷な戦場へ追いやってしまった罪悪感という名の劇薬に苛まれ、苦悩しているかのように。
『よし。それはそれ、これはこれ。現時点での『検体NB9』の生体限界到達データの抽出を開始しろ』
『切断に伴う脳波の減衰波形、トリオン線路の熱摩耗率、鎮静化処理下における自己喪失のプロセス……すべてミリ秒単位で記録するんだ。これほどの超高負荷環境下における『人間』の耐久データは二度と手に入らん』
『了解。神経接続遮断時の脳波データを抽出します。戦闘ログとの同期も実施しますか?』
『当然だ。戦闘行動、損傷履歴、神経負荷、鎮静化処理の各データを統合しろ。次期モデルの設計に必要になる』
『精神的耐性については?』
『特に重要だ。限界を超過した後、どの程度の命令遂行能力を維持できるのか。どの段階で自発的な判断が失われるのか。そこを明確にしろ』
『了解。次期モデルの適合性評価に反映します』
『覚醒後の精神ケアを考慮し、表向きは『君の脳を守るための緊急措置だった』と説明するストーリーで統一しろ。罪悪感を過度に与えず、我々への依存度を維持させる。謝罪もそのためのプロトコルの一環だ』
『主任、覚醒後の精神ケアについて確認をお願いします。本人が戦闘継続の判断について質問した場合は?』
『判断の責任は管制側にあったと説明する。過度な罪悪感を抱かせる必要はない』
『謝罪の内容は?』
『我々が彼を追い込んだことについて謝罪する。ただし、彼が我々に不信感を抱くような説明は避けろ』
『……依存度の維持も考慮しますか?』
『当然だ。彼の精神状態を安定させるには、我々との関係を維持する必要がある』
『了解しました』
……次に目を覚ました時、私は……どんな顔をして、あの『謝罪』を受け入れればいいんだろう。いや、構わないが、すごく気まずい。
元々、死ぬ命だったからそれを有効活用してくれるのはうれしい限りだ。人間性もあると嬉しいしけど、取り合えず、目の前の敵をぶち殺すことができれば文句は少ない。
『生体限界到達データ、抽出完了』
『戦闘ログとの同期も完了しました』
『素晴らしい適合性だ。この精神的耐性データがあれば、次期モデルの設計は大幅に進む』
『今回の戦闘データは、これまでの試験結果を大きく上回っています』
『当然だ。これほどの負荷を実戦環境で観測できる機会はない』
『次期モデルでは、神経接続の耐久性をさらに引き上げますか?』
『それだけではない。今回得られたデータをもとに、操縦者の認知負荷を低減する制御系統を再設計する』
『では、NB9の運用データは次期モデルにも引き継ぐ方針で?』
『そうだ。彼のデータは、次の世代に必要になる』
無機質な戦闘装甲が剥がされ、調整用のベッドの上に私はただの物質として横たえられている。装甲という庇護を失った皮膚の下では、今も摩耗し尽くした生体トリオン線路が不気味に蠢いていた。
重い肉体。動くことのない指先。痙攣という反動を繰り返すだけの無力な存在。
『素晴らしい適合性だ。この精神的耐性データがあれば、次期モデルの設計は大幅に進む』