人は、己の内に秘めた本当の思想を、最初から自分自身の言葉で正しく表現できるとは限らない。だから私は、相手が発した言葉を観察し、整理する。
それは相手の考えを変えるためでも、正解を押しつけるためでもない。本人さえまだ気づいていない大切な感情の形を、共に手探りで見つけるためだ。
◆
「……たぶん、ですけど」
静まり返った夕暮れのラウンジ。私は紙カップのぬるくなったコーヒーに目線を落としたあと、ゆっくりと口を開いた。
「那須さんは、『自分が弱いから戦う』を選んだ人じゃないんだと思う」
不意の言葉だったのだろう。紙パックの紅茶を手にしていた那須さんが、丸い瞳をこちらに向けた。
「え……?」
「『弱さがあるから、自分だけの戦い方を選んだ』人なんだ。……私はそう思う」
彼女は言葉を挟まず、真剣な眼差しで私の声に耳を傾けている。私はその横顔を観察しながら、頭の中の思考をひとつずつ丁寧に言葉に変換していった。
「もし、身体が健やかで何不自由なく動けていたなら、きっと別の道を歩いていたのかもしれない」
「……」
「だけど身体が弱かった。……だからこそ那須さんは、自分にしかできない戦い方を探し続けたんだ。誰かと同じ強さを求めるのではなく、今の自分にできる方法で、誰かを守ろうと決めた」
私は少しだけ口元を緩め、彼女を見つめた。
「だから……弱さが夢や希望を奪ったんじゃなく、その弱さこそが、那須さんだけの戦い方を教えてくれたんじゃないのかなって」
沈黙が落ちた。
ラウンジに聞こえるのは、低く響く空調の排気音だけだ。那須さんは何も言わず、ただ手元の紙パックに視線を落としていた。
考えているのだ。投げかけられた言葉の意図を、自分という存在の奥深くまで静かに染み込ませるように。
私は焦らず、その時間を待つ。
言葉の整理――いわば「翻訳」とは、こちらの解釈を説明して終わりではない。相手がそれを自分の血肉として納得し、受け取れるまで静かに寄り添い待つ時間も含めて、初めて意味を成すのだから。
やがて。
彼女は深く、小さく息を吐き出した。
「……そんな風に自分のこと、考えたこともありませんでした」
そう言って、ふっと柔らかく笑った。
その笑顔は、今まで見てきた「無理を隠す微笑」や「周囲を安心させるための笑顔」とはどこか違っていた。
新しい自分のあり方を見つけた人間だけが見せる、心の底から澄み切った表情だった。
「私……ずっと自分の中で『弱いからこそ、人一倍頑張らなくちゃ』って、どこか自分を追い詰めていたんです」
「うん」
「でも、屍山さんの言葉を聞いていると……」
彼女はそっと、薄い病衣の上から自分の胸元に手を当てた。
「弱さを無理に否定して消そうとするんじゃなくて……」
一拍置き、彼女は噛みしめるように言った。
「その弱さも含めて……今の私なんですね」
「そうだと思いますよ」
私は間髪入れずに頷いた。
「人間は、欠けている部分を削ぎ落として完成するわけじゃない。欠けている部分も含めて、どう生きるかを選ぶ。……その選び方こそが、その人らしさになるのかなって」
那須さんはくすりと可憐に笑った。
「……屍山さんって、本当に不思議な方ですね」
「そうですか?」
「ええ。お話ししていると……自分でも気づいていなかった本当の気持ちを、そっと手渡してもらえる気がします。優しいですね」
私は軽く首を横に振った。
「私が何か特別なことを教えたわけじゃないですよ」
「え?」
「那須さんの話を聞いて、そこに元からあった想いを言葉に直しただけです。答えは最初から、那須さんの中にあった。私はただ、散らばっていたピースを少し整えたに過ぎないと思います」
彼女は数秒ほど目を丸くして呆気にとられていたが、やがて楽しそうに肩を揺らした。
「ふふ、それをやさしさだと、世間ではって言うんですよ」
「……かもしれないですね。私も、昔から人の気持ちを推し量ったりするのは、あまり得意ではありません。ですけど、人が本当に伝えたい想いを一緒に探すのは、私にとっても嫌いじゃない時間です」
そう、それこそが私の「戦い方」だった。
敵の侵攻パターンも、味方の迷いや葛藤も、目の前の人間の想いも。
まずは深く観察し、理解する。理解したものを整理し、次の一歩を踏み出すための標識を立てる。
私は別段、誰かの人生を強引に変えたいわけではない。ただ、その人自身が自分の足で、自分の力で前へ歩き出せるようになってほしい――そう願っているだけなのだ。
那須さんは紙パックの紅茶を一口含み、穏やかに微笑んだ。
「……ありがとうございます、屍山さん」
「ん?」
「今日は……なんだか自分のことが、少しだけ好きになれた気がします」
◆
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
高度な医療技術は、傷ついた肉体や器官を修復することができる。だが人は時に、たったひとつの温かな言葉、たったひとつの視点の変化によって、己の世界のあり方を劇的に変えることがあるのだ。だから私は、これからも人を見ることをやめないようにしようと思った。
どんなに不完全で不器用な人間の中にも、本人さえまだ気づいていない、輝くような答えが眠っているのだから。