『全て黒く焼き尽くす鳥』と『鳥籠』   作:あばなたらたやた

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第九話:性能という名前

 

 

 人は道具を作る。

 道具は人を脅威から守り、高度な技術は失われかけた命すら救い出す。そこまでは間違っていない。

 

 だが、絶対に越えてはならない境界線がある。

 技術を生み出し、使う側であるはずの「人」そのものを道具として扱い始めた時、技術はもはや人を救うためのものではなくなるのだ。

 

 その一線を越える瞬間、世界が音を立てて崩れ去るわけではない。ただ静かに、何事もなかったかのように日常の中へ溶け込んでいく。

 

     ◆

 

「――NB9、次回試験の準備を」

「――NB9、これより第三区画へ移動」

「――NB9、戦闘データの記録を開始する」

 

 地下実験区画の冷たい空気のなか、白衣の男たちが無表情にその記号を口にする。

 もう誰も、その呼び名に違和感すら抱いていないようだった。研究員たちが管理番号を呼び、私が淡々とそれに応じる。

 

 不自然だったはずのやり取りは、繰り返されるうちに機械的な習慣へと成り下がっていた。最初は胸の奥に冷たく引っかかっていた棘のような違和感も、日を追うごとに摩耗し、薄れていく。

 

 人は環境に慣れていく生き物だ。

 身体の痛みに。無機質な環境に。己を呼ぶ記号の無機質さに。だからこそ、私は胸の奥で密かな恐怖を覚えていた。

 この無機質な記号に、私自身の心が何とも思わなくなっていくことが。

 

 地下で行われる模擬戦闘試験は、日に日に苛烈さを増していった。

 対峙する相手は、訓練用の人型トリオン兵。

 

 最初は一機。

 次は三機。五機。八機。

 私の適応率の上昇に合わせて、立ちはだかる敵の数だけが無感情に増やされていく。

 

「――試験、開始」

 

 スピーカーからの合図と同時に、人工筋肉にトリオンを巡らせて床を強く蹴る。

 

 右へ素早く回り込んで敵の射線を切り、標準装備のライフルを二発。牽制と同時に 死角へ滑り込んできた別個体へ、最短距離でレーザーブレードを打ち込む。

 

 背後からの急襲には、左肩に増設された追従ドローンが正確な自動迎撃で応えた。

 鈍い爆発音。視界が一瞬激しく揺れる。

 その爆風の隙を利用して距離を取り、素早く呼吸を整えながら残った敵の挙動を静かに観察する。

 

 変わらない、いつもの戦い方だ。派手な大技も、無駄な動きもない。相手の癖を見る。状況の変化を見る。勝てる手順を組み立てる。それだけだ。

 

「――試験、終了」

 

 無機質なアナウンスが響き渡る。

 

「戦闘完了時間、三分四十二秒。被弾率二パーセント」

「戦闘中の判断速度、基準値より一九パーセント向上」

 

 肩で呼吸をしながら、モニター前の研究員たちの会話に耳を傾ける。だが、彼らは誰一人としてこちらを見ようとはしなかった。彼らが目線を注いでいるのは、モニターに踊るグラフィカルな数値だけだ。

 

「反応速度が順調に伸びていますね」

「トリオンの循環経路も安定しています。予定通り、明日は第二段階の過負荷実験へ進めましょう」

 

 そこに「屍山血河」という人間の存在はなかった。並んでいるのはただ、兵器としての性能を示すデータと数値だけだった。

     

 昼の休憩時間。

 私は吸い寄せられるように、いつもの地上ラウンジへと足を向けていた。

 

 地下の実験区画から医療棟へと戻るだけで、世界を包む空気の質感が劇的に変わる。

 機械の稼働音ではなく、人間の柔らかな話し声。性能の評価ではなく、体調を気遣う優しさ。

 ここにはまだ、人を「人」として扱う温かな日常が残されていた。

 

「あ……ちぃかわさん……」

「…………」

「あれ、あれ? 屍山さん? 屍山血河さん?」

 

 聞き慣れた涼やかな声に顔を上げる。那須さんだった。

 彼女はいつも通り、当たり前のように私の人として扱ってくれる。

 その四文字の響きが、砂漠に染み込む水のように胸の奥へ深く温かく染み渡っていった。

 

「お疲れ様です」

「ああ、お疲れ様」

 

 彼女の向かいの席に腰を下ろす。

 那須さんは私の顔をじっと観察するように見つめると、小さく首を傾げた。

 

「……少し、お疲れですか?」

「ん……ええ、少しだけ」

「地下での実験、大変なんですね」

「まぁ、そうですね」

 

 それ以上は言えなかった。

 どう説明すればいいのか、自分でも言葉が見つからなかったからだ。

 

「今日はどんな検査だったんですか?」

 

 紙パックの紅茶を手に、那須さんが優しく尋ねてくる。

 

「基本身体能力の測定と……そのあとは模擬戦闘の試験だ」

「戦闘……」

 

 彼女の長い睫毛が揺れ、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

 

「もう、そんな段階まで進んでいるんですね」

「そうみたいです」

 

 私は曖昧に微笑んで、紙カップのコーヒーに視線を落とした。

 本当は違う。“そんな段階”などという生易しいものではない。これはもう、身体を治すための医療などではないのだ。けれど、その冷酷な事実を言葉にして口に渡してしまったら、何かが決定的に壊れてしまう気がした。

     

 その時だった。

 自動ドアが開き、地下の白衣を着た研究員が一人、ラウンジの中へと入ってきた。周囲を見回し、私を見つけると一直線にこちらへ歩いてくる。

 

「ああ、ここにいましたか」

 

 悪びれもせず、彼は私の目の前で口を開いた。

 

「NB9」

 

 反射的に、身体が背筋を伸ばして立ち上がっていた。長年の訓練と、この数日で叩き込まれた習性による動作だった。

 

「午後の適合試験のスケジュールが繰り上げになりました。至急、地下第三実験室へ入室してください」

「……わかりました。すぐ向かいます」

 

 短く返事を刻む。

 研究員は「よろしい」とだけ言って、私の返答の質すら確認せずにすぐさま背を向けて去っていった。

 ラウンジに、再び静寂が戻る。

 私は少し気まずさを覚えながら、もう一度席に腰を下ろそうとして――

 

「……ちぃかわさん」

 

 呼び止める声に、動きがピタリと止まった。

那須さんはいつもの穏やかな表情のまま、まっすぐ私を見つめていた。

 

「今の……」

 

 彼女は言葉を少しだけ吟味するように間を置き、静かに口を開いた。

 

「『NB9』って……?」

 

 私は一瞬だけ言葉に詰まり、努めて軽やかな自嘲の笑みを浮かべてみせた。

 

「ああ……管理番号だよ。あっちでは、効率が良いからって最近そう呼ばれているんです」

 

 大したことではない、と自分にも言い聞かせるように、なるべく気にしていないトーンで吐き出す。けれど、自分の声が自分でも引くほど乾いていることに気づいていた。

 

 そして、私の微かな変化を見逃さない彼女の繊細な観察眼が、その乾いた嘘を見抜けないはずはなかった。

 

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