炎
灼熱
体を燃やし、魂さえ焼き尽くす高熱
敵味方問わず、空に漂う妖精ごと呑み込む
そして消滅
帝国兵の姿は、もうどこにもない
焼け焦げた鎧の下に、黒き残滓が零れ落ちる
巻き込まれた妖精も消え、プリズムの金属塊を地に残す
燃え盛る大地を平然と跨いでいく、茶色のローブ
流れが変わった
異常な超重力を呼び起こす妖精の歌も止まり
ただ漂ったまま、下の様子を窺う
二対一
体は動く。けど、動けない
あの田舎娘はどうでもいい
問題は、
わずか数秒で、GIGA級の大魔法を
一見自爆にしか見えない。なのに、何らかの秘法で傷一つも負っていない
爆発範囲も精密に制御し、自分と周囲の兵士だけを呑み込む
事情は分からない。だが、これは間違いなく……こんな乏しい辺境にいるはずのない、最上位の魔術士
情報はどうなっている?!あの女……あれほど詳しい情報を寄越しておきながら、聖剣の守り手には一言も触れていない
…まさか…?最初から、そのつもりだったのか?
謀ったな、モルフォス!
考えている、この窮地の打開策を
「そろそろ聞かせてもらおうか、君たちの任務を」
冷たい詰問
元より淡々として冷たい声音が、今はさらに硬く、強い
「知れたこと……!」
将校は嘲るように吐き捨てる
そして、奮起
任務失敗――ならば、抗い抜くまでだ!
「聞きたければ、地獄で聞け!」
剣を握り締め、メビウスの胸へ突き出す
貫く――貫けない
敵を殺したい。だが、殺されない
せめて、あの訳の分からない魔法の反撃で、自分も部下たちと共に散れ!
将校の思考など、メビウスには筒抜けだった
いや、これほど単純明快なら、ミレイヴィアさえ分かる
あらゆる策を巡らせ、圧倒的な格差の前に絶望し、最後に放った、自らの死を乞う一撃
本物の殺意。だが、本当にメビウスを倒せるなど、将校自身すら信じない
あれだけの距離、メビウスほどの上位魔術士なら、ファイヤーボール程度の
だが、相手はメビウス
予想していた反撃は来ない、突き出した剣も届いていない
ローブまで、あとわずか
そのわずかな隔たりで、空間そのものが固定されていた
押しても、引いても、剣は微動だにしない
いや――剣だけではない
柄を握る将校の手まで、石になったように離れない
だが、石化ではない。力は入る、身体も動ける。ただ――剣だけが唐突に固定され、それを握る手も柄に粘り付いた
命なきものをその場に固定する、クラス3の魔術式――
物と物をくっつける、クラス1の魔術式――
二つの魔術式を瞬時に組み合わせ、今の現象を作り出した
だが、本来なら、物質固定は命ある者と繋がる対象には効かないはず。正しく言えば、持ち主の生命活動によって、術式を構築した魔力が生体エネルギーと対消滅し、すぐに効果が切れ
「出航するぞ、ミレイヴィア」
未だに藻掻く将校を無視し、ゆっくりと港へ向かう
「うわぁ?!」
一瞬のうちに何が起きたのか、理解できないまま棒立ちしているミレイヴィアは、メビウスの呼び声に引っ張られ、無意識に間の抜けた声を上げた
なんだか自分たちが押し潰されるかと思ったら、急に妖精が現れて、バカ重力を引き起こした。それからメビウスが自爆、でも自爆したのに死んでない。そしてあの将校がメビウスに向かって突撃、でもまた、何だか分からないものに貼り付いて止まった
すべてが速すぎて、頭が追いつかない
「は、はい!」
我に返って最初に出た、反射的な返事
だが、港へ向かおうとしたその時
空に漂っていた妖精たちが、一斉に片隅のテントの上へ集まり始めた
「妖精たち……何してるの?」
好奇心のまま、その後を追うミレイヴィア
「妖精が……?どういうこと……?」
まるで初めて想定を外されたように、メビウスの顔に珍しい驚きが浮かぶ
静かに、少し距離を置いて、ミレイヴィアの後へ続いた
好奇心に突き動かされたミレイヴィアは、遠慮もなくテントの幕を乱暴に引き裂き、そのままずかずかと中へ踏み込む
真っ先に目に飛び込んできたのは、蒼い短髪の少女
縄で幾重にも縛られ、地面へ転がされ、それでも突然の闖入者を見上げながら身を捩っている
恐怖、驚愕、そして――喜び
「ギア?!ギアなの?!」
一瞬、声を失った
次の瞬間には、縛られたままなのも構わず、少女は切にその名を呼んだ
「うわぁ?!あんた誰?!ちょ、ちょっと!なんであたしの名前を知ってるの?!」
ミレイヴィアも驚いた
こんな奇妙な格好をした少女など、知らないし、というか心当たりもない
でも、なんか微妙に見覚えが……?どこで出会った……?隣村の?でも、この服、綺麗っていうか……かっこいい?絶対カッムルで買えるものじゃない
「あっ……」
少女は落ち込んだような、何かを思い出したような顔をする
「ごめんなさい。知り合いと間違えた。えっと……私はヴィタ。泉ヴィタ」
「え?知り合いって――ちょっと待って!名前だけじゃなくて、顔まであたしに似てるの?!」
「あ、ああ……えっと……彼女の名前は、粟野未来」
「あわの……みらい?」
ぎこちなく繰り返してみても、やはり心当たりはない
「変な名前!それがどうしてあたしと同じ呼び方になるのよ!……って、わっ!ちょっと待って!今すぐ解いてあげる!」
そこで何かを思い出したように、慌てて聖剣を抜いて、ヴィタを縛る縄をまとめて断ち、ぐいっと引き起こした
「ありがとう」
ヴィタは丁寧に礼を言う
「いいのいいの~!」ミレイヴィアは頭を掻きながら笑った「そういえば、どうやって帝国軍に捕まったの?」
「分からない」
ヴィタは首を振る
「海に落ちて、目が覚めた時には、帝国軍に捕まっていた」
「え?え?なんで海に落ちたの?!」
「あ、それは……」
ヴィタは気まずそうに言葉を濁した
「なるほど。帝国軍に追われ、海へ飛び込むしか選択肢がないだろう。」
それまで後ろで観察していたメビウスが、不意に口を挟む
「はい」
ヴィタは丁寧に頭を下げた
「そうだったの?帝国って、やっぱド悪者だね!」
「あ、うん……」
「なるほど。君は……そういうことにしておこう」
メビウスはそう言い残し、港へ歩き出す
手振りだけで、二人にもついてくるよう促した
「あっ!あたしたち、
「うん。ありがとう」ヴィタは頷いた
二人でテントを出て、メビウスの後を追う
きょろきょろと辺りを見回していたミレイヴィアは、キャンプの中央に未だ固定されたままの将校へ気づき、指を差した
「あ、あいつ、このまま放っておいて大丈夫なの?」
「放っておけ。後は妖精に任せる」
メビウスは気のない調子で答えた。将校の存在など、初めから眼中にない
「え?よ、妖精さまに?妖精さまが、そんなことまでしてくれるの?!」
「実際、先ほど君を救ったのも妖精だ」
平然と返す
「う、ううう~!さすが妖精さま!分かった!」
そう言うなり、ミレイヴィアはひょいとモーターボートへ飛び乗った。
着地と同時に、艇体がぐらりと大きく揺れる。
「ギア、ちょっと手加減して!船が沈むよ」
ヴィタも乗り込み、おとなしく後部座席へ腰を下ろす。
メビウスは二人の様子を一瞥し、フルスロットルで発進。
モーターボートは、飛び上がるほどの勢いで、海上を爆走していく
「うわああ……!飛んじゃう?!」
「ま、待って!ゆっくりして!」
二人の悲鳴が重なった
沈みゆく夕陽へ向かい、沿岸すれすれを疾走する
波頭をサーフィンのように跳ね、宙へ放り出されるたび、ふっと身体から重さが消え
潮の匂いとしぶきを巻き込んだ海風が頬を叩き、髪は濡れ、容赦なく掻き乱された
エンジンの轟音と波濤の咆哮が混じり、耳を壊すほど爆音のシンフォニーへと生まれ変わる
どれほどの時間が過ぎたのか、分からない
気づけば空はすっかり黒く染まり、夜空には帯状の七色の光が漂っていた
海原が広がり、波も柔らかくなり、艇体の跳ねがようやく収まっていく。やがて
メビウスは速度を落とし、後部座席で青い顔をしているヴィタへ問いかける
「ヴィタ殿。よろしければ、君の身の上を聞かせてもらえるか」
「はぁ……私……?」
ヴィタは、何とか身体を起こした
「そういえば、ヴィタのその服、なんか変……っていうか……すごくかっこいい!大きな街から来たんでしょ?」
ミレイヴィアが興味津々にヴィタの服の裾を摘まむ。さっきまで同じように揺さぶられ、散々悲鳴を上げていたはずなのに、こちらはまったく堪えていない
「うん……たぶん、そんなところ」
ミレイヴィアに支えられながら、ヴィタは咳払いを一つ
姿勢を正し、口を開く
「私――私は、別の世界から来た」
話すべきか随分迷ったようだが、ミレイヴィアとメビウスの顔を見比べた末、ヴィタは続けた
「……地球という星から」
「なるほど――
メビウスは前を向いたまま
振り返りもせず、何かを考えるように呟いた
「ち、ちきゅう?な、なにそれ?!」
「はぁ……それは……」
ヴィタは困り果てた顔をする。彼女にとって――いや、地球人にとって、「地球とは何か」など説明する必要すらない常識だった。例え地球平面説の信者とか変な相手だって、地球そのものを一から紹介することなど、考えたりもしない
いざ説明しろと言われると、どこから話せばいいのか分からない
「それは別の世界。遥か遠くにある、とても大きな別の大陸だと思えばいい」
メビウスが、ごく当たり前のことのように補った
「魔法使いさん、地球を知ってるの?」
「私の名はメビウス。地球の存在は、いくつかの典籍にも記されている。噂にすれば、レムス帝国の開祖も地球人だったらしい」
「えぇ?!……それって地球人って、みんな悪い人なの?」
ミレイヴィアが、考えるより先に尋ねた
「あくまでどこから来たかというだけの話。全員が善人とは限らない。全員が悪人とも限らない」
「ギアは、そういうところが単純だね」
「こらー!あたしを天然みたいに言うな!」
「それで、君はどうして――なぜイール・エランへ来た?」
「あの……」ヴィタはもう一度ためらい、深く息を吸う。そして、気持ちを整えてから、ようやく口を開いた「私は地球連邦軍の機密部隊に所属して、『
「戦い……か?」
メビウスが、確かめるように聞き返す
「わあ?ヴィタって、あたしと同じくらいに見えるのに、もうその……なんかすごそうな軍隊の一員なの?」
「厳密には違う。私はただ、ハッカーとして戦隊の人たちの戦いを支援している」
「戦隊、と、ハッカー。ほぉ……?」
「は、はっかー……?」
意味も分からず、口にも馴染まない言葉が次々と出てくる
ミレイヴィアには、とても覚えきれそうにない
「ハッカーとは、
メビウスが、さも当然のように解説を始める
「え?ヴィタって魔法使いなの?」
「え……?あ、うん……はい」
「その神徒を追って、イール・エランへ来た?」
「うん……大まかに言えば、そうなる」
「なるほど。だいたい分かった」
心配も警戒も感じさせない。まるで自分には関係のない話を聞いたような、あまりにも淡々とした声
続ける言葉が見つからなかったのか、それとも、短く、けれど長い冒険に疲れたのか
後部座席の二人の少女は、いつしか静かに寄り添い、そのまま眠りへ落ちていた
航行は静かに続く
メビウスは無表情のまま前だけを見つめ、操縦を続ける
まるで機械のように
やがて、空が再び白み始める
遥か天幕の果てで太陽が目覚め、その光が四方へ広がり、夜を照らしていく
突如、大波が穏やかに進んでいたモーターボートを空へ跳ね上げ、激しく海面へ叩き落とした
その衝撃でヴィタが飛び起きる
気分の悪さはとうに限界へ達していたらしく、真っ青な顔で船縁へ凭れかかった
「ヴィ、ヴィタ?大丈夫?!」
一緒に叩き起こされたミレイヴィアは、隣で今にも死にそうな顔をしているヴィタを見て、慌てて肩を揺さぶる
だが、それでヴィタは余計に泡を吹いただけだった
「船酔いのようだ」
メビウスは一瞥しただけで、逆に速度を上げる
「燃料もそろそろ尽きる。着陸に備えろ」
「ちゃ、着陸って?!」
ものすごく嫌な予感がして、ミレイヴィアは叫んだ
モーターボートが進むにつれ、広く穏やかだった海面は次第に騒がしくなり、艇の揺れも一度ごとに激しさを増していく
視界の果てを、真っ直ぐな断層が横切っていた
轟々と荒れ狂う奔流が、そこから未知の深淵へ落ちている
海そのものが、何か巨大な力に吸い込まれていくようだった
一面の海水が断層へ向かって奔流し、モーターボートを巻き込みながら加速していく
エンジンの轟音と激流の咆哮が重なり、騒がしく、単調な二重奏を奏でる
耳をつんざく轟音とともに、巨大な力が艇を空へ放り投げようとしていた
――ではない
もう、放り投げられている
そして、落下
この落差の前では、ジェットコースターなど子供の玩具に等しい
ロケットの打ち上げにも似た凄まじい圧力が三人の身体を苛む
それでも圧力に逆らって顔を上げたミレイヴィアが見たものは、一生忘れることのない壮麗な奇跡だった
神話にしか存在しない、世界の果て
無限に続く大瀑布が青白い巨大な幕を成し、微かに弧を描く断層に沿って視界の果てまで延び、下方の谷を丸ごと抱き込んでいる
真っ直ぐに流れ落ちる奔流は陽光を受け、眩い無数の虹を散らす
鼓膜を痺れさせていた轟音は、落下とともにようやく遠ざかっていった
メビウスは周囲を観察しながら、運転席脇の赤いボタンを冷静に押す
船体下部のゴム製エアクッションが、大きな網のように膨らみ始めた
モーターボートは徐々に減速し
内臓を絞り出されるような重圧も、ようやく和らいでいく
身を乗り出したミレイヴィアは、眼下を素早く見渡し、そのまま遠くへ視線を走らせた
荒涼として、どこか陰鬱なカッムルの土の海岸とはまるで違う
南国めいた砂浜と岩礁、その先には鬱蒼としていながら天を衝くほどではない広大な森
森の中央には湖を囲むように築かれた小さな町があり、さらに南へは木々を切り開いて造られた壮大な街道が延びている
その先
遠い断崖の上に築かれた、金色に輝く純白の王都
奇妙なのは、街道の両脇と北の町に、夥しい数の馬車が停まっていることだった
その場で品を広げ、売り買いを始めている
まるで市のような光景
ミレイヴィアがまだ見足りないうちに、視界は森へ遮られた
次の瞬間
艇体が、どん、と砂浜へ叩きつけられる
「あ、落ちた」
頭を掻きながら船を降り、名残惜しそうに巨大な滝を振り返る
「すごい……これ、何メートルあるの?」
「およそ千五百メートルだ」
メビウスは軽く答えた
疲れた様子など欠片もなく、そのままひらりと船を降りる
「あの王都に行くの?あの白い……すっごく豪華なところ!」
「ああ。聖剣の報せと、帝国軍の動向をレオス王へ伝えなければならない。急ぐぞ」
「あ、うん……うん!」
ミレイヴィアも深く考えず、すぐに歩き出そうとした
「ま、待って……!」
背後から、半死半生のか細い声
青ざめたヴィタが、モーターボートの中から這い出してくる
「ひゃああ、ゾンビ――!あ、違う!わあああ、ごめん!ごめん!」
反射的に叫んだ直後、やらかしたと気づいてさらに悲鳴を上げる
ミレイヴィアは慌てて駆け寄り、ヴィタを引き起こした
「あ、ありがと……。だ、大丈夫……」
ヴィタは弱々しく息をしながら、どうにか立ち上がる
「え?本当に大丈夫?背負ってあげようか?」
「うん……大丈夫。少し船酔いしただけ。身体は……いつも、こんな感じだから」
両手を膝につき、何度も深呼吸を繰り返す
「やっぱり、少し休んだ方がいいんじゃない?」
「本当に……大丈夫」
ヴィタは意地を張るように身体を起こし、ふらつきながら先頭へ出た
振り返って尋ねる
「こ、こっち……だよね?」
「たぶん……?」
「ああ。その方角へ進めばシルバティールだ。そこで一度休み、それから王都へ向かう」
メビウスも歩き出す
「ただし、この辺りには狼型や蜘蛛型の弱い魔物が出る。どうせ王都の衛兵でも狩り尽くせないから、初心者の手慣らしになっている」
「メビウス、何でも知ってるんだね!」
「魔物……か」
ヴィタは眉を寄せ、青白い未来型の拳銃を抜く
いつでも撃てるよう、周囲を警戒する構え
「ヴィタ、もしかして魔物が怖いの?」
「いいえ。いつ戦いになってもいいよう、備えておくべきだと思っただけ」
「そんなに緊張しなくても大丈夫!この辺の魔物なんて、そんなに強くないでしょ?」
ミレイヴィアは自信満々に胸を張る
そこでようやく、ヴィタの手にある拳銃へ目を留めた
「それ、何?武器なの?」
「うん」
ヴィタは短く頷く
メビウスの視線も、その拳銃を一度だけ掠めた
何も言わず、そのまま先頭を歩き続ける
三人は森の中を進んでいく
木々の間を進む音を、何かが聞きつけたのか
やがて周囲から、奇妙にざわつく音が聞こえ始めた
「敵かもしれない。備えろ」
メビウスが足を止め、杖を構える
「さあ!どこの雑魚か知らないけど、さっさと出てきなさい!」
ミレイヴィアも勢いよく両手で剣を構えた
「……」
ヴィタは何も言わず、背後へ銃口を向けて警戒する
次の瞬間
一本の骨が茂みを突き抜け、ミレイヴィアの額へ飛んできた
「あいたっ!」
見えてはいた
ただ、どうして骨なんかが飛んでくるのかと不思議に思って【絶対に齧ろうと思ったわけじゃない】、防ぐことまで頭が回らなかった
骨はそのまま額へ直撃し、ミレイヴィアは痛みに声を上げる
その悲鳴が、引き金だった
続けて何本もの骨が、ミレイヴィア目がけて投げつけられる
一度食らえば、もうこんな単純な攻撃は通じない
反応したミレイヴィアが素早く剣を振るい、飛来する骨を残らず断ち斬った
攻撃をあっさり防がれ、茂みの中の何かが怯む
驚いたのか
本能的に恐れたのか
物音は次第に遠ざかり、そのまま逃げていく
ミレイヴィアは待たない
即座に追いかけた
「待って、ギア!」
その無鉄砲さが心配になり、ヴィタも後を追う
「大丈夫――!」
ミレイヴィアは走り続け、茂みへ逃げ込んだ小さな何かを一息に掴み上げた
「ん?これは……?」
首根っこを掴まれ、宙吊りにされたまま、手の中でもがき続けている
短い四肢
どこかドワーフにも似た体つき
だが、全身は暗紅色の硬い鱗甲に覆われ、頭部には明らかな竜の特徴
口からは、時折小さな炎まで漏れていた
「……何これ?竜の頭をしたドワーフ?コボルト?」
ヴィタは思わず口にする
だが、手にした銃は上げなかった
「……見たことないね!」
ミレイヴィアは少し考え、すぐにあっけらかんと笑う
「食べられなさそう!」
「これは……」
メビウスが、意外にも考え込む
「竜の亜種……いや、それも正確ではない。二次発生したデミドラゴン、といったところか」
「ええ……そんなの言われても分かんないよ」
「擬態?竜とは関係のない生物が、竜の姿を真似た……ということ?」
「ヴィタの理解で合っている。これは竜の姿を模し、ある程度まで進化した新種の魔物だ。倒された竜から逸散した膨大なデータが周辺へ散らばり、魔物と結びついて進化を引き起こした――おそらく、そういう現象だろう」
「とにかく魔物なんだよね?絞め殺してもいいよね?」
ミレイヴィアは不満そうに唇を尖らせる
難しい話などどうでもいい
知りたいのは、やっていいかどうかだけ
「倒して構わない。王都にも何か事情があるようだ。多少の功績を立てておけば、何かあった時に交渉しやすくなる」
メビウスが右手の杖を軽く払う
杖先から迸る、青い光線
幾重もの障害を貫き、遠くまで逃げた同種の魔物を正確に射抜いた
命中した光線はその場で拡散し、互いに交わり、光束を編んだ網へ変わる
網は獲物を釣り上げるように引き絞られ
逃げたはずの魔物を、呆気なく引き戻した
「今なら絞めていい」
「よし!」
ためらいもなく、抵抗もなく
軽く握っただけに見えた
骨が砕ける
もがいていた魔物は、その瞬間に動かなくなり、ミレイヴィアの手から無造作に地面へ捨てられた
光の網に捕らえられたもう一匹は、その光景を見て狂ったように暴れ始める
必死に逃れようとしても、外を囲む光束の網は、静止した天球のように微動だにしない
メビウスは左手を伸ばし、魔物の背を一突きした
もう一度、杖を払う
光の網が解け、魔物は放り出された
転がり、這いずり、必死に遠ざかっていく
先ほど刺された背から光が流れ落ち、地面に歪んだ道筋を描いていた
「え?何してるの?殺さないの?」
「その必要はない。ついていくぞ」
メビウスは慌てるでもなく、その光の道筋を辿り始めた
「魔物の巣を潰しに行くの?」
ヴィタも後を追いながら、困惑を隠せない
「私たち……王都へ行くんじゃなかった?」
「急いでも仕方がない」
メビウスは歩きながら、ゆっくりと説明する
「落下中、ギアも見ただろう。王都の前には馬車が連なっていた。何かがあって、都は封鎖されている。正規の手段では入れないだろう」
「え?あれ?何かのお祭りかと思った!すごく賑やかそうだったし!」
「……それは今、関係ないと思う」
もう慣れたのか、ヴィタはミレイヴィアの天然な発言をそのまま流し、メビウスへ話を戻す
「でも、あれほどの封鎖なら、普通の魔物を一匹や二匹倒した程度の功績じゃ、入れてもらえないんじゃない?」
「いや――入城は夜まで待つ。まだ日は長い。この先のシルバティールで休むにも、金がなければどうにもならない」
メビウスの話は、よく飛ぶ
不要と判断した細部も、算段も、すべて省いてしまう
「はぁ……」
ヴィタはため息をついた
夜に何をするつもりなのかは、だいたい察した
それにしても、思わせぶりな魔法使いが昼間から動くのだから、何か深い思惑でもあるのかと思ったのに
結局は、小遣い稼ぎ――
そこまで考えたところで、一拍
ヴィタはメビウスを見る
フードの奥に隠れた視線が、ほんの一瞬、ミレイヴィアへ向いたように見えた
「あ……」
もう一拍
今度は分かった
「なるほど。それなら確かに、必要だね」
「ん?なんで二人ともあたしを見るの?」
「ギア。空腹か」
「あたし?……えっと……」
まるでその時を待っていたように、腹がぐぅ~と鳴った
「まだ動けるけど、やっぱりお腹は空いてたみたい!」
「シルバティールは町とはいえ首都圏だ。焼き肉なら、一キロおよそ八百銅貨」
メビウスが、間を外さず付け加える
「それって……どれくらい?」
異世界の物価など、ヴィタには見当もつかない
メビウスの言いたいことは分かる
だが、八百銅貨という数字は妙に小さく見えた
ゲームなら、アイテムの値段も所持金も、数千、数万は当たり前
どれほどの価値なのか、まるで尺度がない
「えええ?!一キロで八百銅もするの?!」
対して、ミレイヴィアは目を剥いた
「そんなに高いの?」
ヴィタが不思議そうに振り向く
「あたし、普段お金なんて使わないし――あ、違う!あたしの剣なんて銀貨五枚だったんだよ!」
ヴィタはミレイヴィアの腰にある機械仕掛けの聖剣へ目を向ける
だが、すぐに、その前まで使っていた武器の話だと気づいた
「もっと分かりやすい例はないの……?」
「ええと……何か……あ!卵一個が四銅だよ!」
「銅貨四枚……」
ヴィタの頭が素早く計算を始める
現代の物価なら、卵一個がおよそ三十五円
なら、銅貨一枚はたった十円ほど?
一キロ八千円の焼き肉…確かに高い
でも、絶対に手が出ないほどでもない
「まあ……大丈夫、かな?」
自信なさげに答え、慌ててミレイヴィアを見る
「一度に五キロくらい食べても……何とかなる?」
「全然よくないよ?!あたし、家を出る時に一銭も持ってきてないんだから!そもそも、狩りに出ただけで、こんな大事件になるなんて誰が思うの?!」
「はぁ……」
ヴィタは無意識にコートのポケットへ手を入れ、スマートフォンを取り出そうとした
だが、指先へ触れた冷たい感触が思い出させる
スマートフォンは、とっくに電池が切れている
それに、地球の金が異世界で使えるはずもない
「分かった。仕方ないね」
首を振り、地面を走る光の道筋に沿って慎重に歩き出す
「うう~!こいつら、少しはお金になってよね!手も足もあって、人みたいな魔物はさすがに食べる気になれないよ!」
「……人に似てなければいいの?」
「うん!」
「はぁ……」
一行は印を辿り、何事もなく河岸の拠点へ辿り着いた
六匹の小型魔物が、二メートルほどある、いかにも頭目らしい大柄な魔物を囲み、甲高い声で何かを喚き合っている
「あれだね――!」
ミレイヴィアが立ち上がり、飛び出そうとする
「待って」
ヴィタがその腕を掴んだ
「え?どうしたの?」
ヴィタは答えない
ただメビウスへ顔を向けた
「爆撃の魔法、使えるよね?」
「悪くない。常人並みの戦略思考だ」
メビウスは頷き、杖先へ青い光を集め始める
「ギア。私が手を離したら、飛び出して」
「あ、うん!」
一瞬きょとんとしたが、すぐに理解した
ミレイヴィアもメビウスの動きを見つめ、身を沈める
待つほどの時間はなかった
正確には、六秒にも満たない
朧げな光の塊は急速に収束し、蒼い電弧を踊らせる雷球へ形を変える
杖が振るわれた
不可視の力に押し出され、雷球は放物線を描いて飛ぶ
「――Function《
詠唱の声は、その後から追いついた
同時に、ヴィタが手を離す
待ち構えていたミレイヴィアも、地を蹴って跳ぶ
二発の砲弾
前後して、正確に魔物の拠点へ降り注いだ
先に、雷撃
目を灼く白光が、蒼い電弧の軌跡を引く
同時に、布のように、何の感触もなく、いつの間にか三人を覆っていた
続いて、ミレイヴィア
数秒かけて蓄えた力が、今日の昼食への渇望とともに爆発する
雄叫びを上げ、両手で剣を頭上へ掲げ、最も目立つ大型の
一撃で仕留め、さっさと戦いを終わらせるために
速い
メビウスの魔法より、さらに速い
だが――
魔法は、敵と味方を都合よく選り分けてくれるほど便利ではない
少なくとも、メビウスが
ミレイヴィアの剣が、まず巨大な竜人の頭部を覆う鱗甲を捉える
激しい火花
だが、それだけ
あの無敵のボタンを何度押しても、指へ返る感触は頼りなく、何も起きない
怪力で頭を殴りつけられた竜人は、一瞬動きを止めた
次いで本能のまま腕を振り上げ、ミレイヴィアを掴もうとする
そして、一人と一匹が同時に驚いた
蒼白い雷球が地面へ叩きつけられ、爆裂する
蒼く散る雷光は、起伏だらけの岩場へ持続する電網を張り巡らせ、地に立つすべての魔物を捕らえた
小型魔物は、悲鳴を上げながらその場で息絶える
電流は蔦のように、魔法を遮断する竜鱗を這い上がる
鱗に守られていない腕の内側など、弱い箇所から体内へ染み込み、巨大な竜人の全身を駆け巡り、絶え間なく悲鳴を上げさせた
そして
竜人の頭骨へ食い込んだ鋼の剣身を伝い
聖剣を通り
ミレイヴィアの身体へ流れ込む
「あ、あああ――!いたたたた?!」
痺れというより、痛み
一瞬だけ走り、芯まで沁みる鋭い痛み
それに続いて、全身の筋肉を何度も拳で殴られるような、はっきりとした痛みが続く
最初の一撃ほど強烈ではない
だが、充分に辛い
「……」
ヴィタは呆れ果てて目の前の光景を見つめ、メビウスを横目で見る
まさか、味方まで巻き込むとは
しかも当人は、何事もなかったような顔をしている
とはいえ、ミレイヴィアの様子を見る限り
小型魔物を一瞬で倒した電撃も……それほど効いてはいないらしい
さすがはギア、というべきなのかな
本当に頑丈
自分なら、あの小型魔物と大差なかっただろう
いや、もっとあっさり終わるか……
普通の十六歳の女子高生を、あまり買い被らない方がいい
「ん?」
そこでヴィタは、奇妙な変化に気づく
ミレイヴィアの手の中で導線となった、機械仕掛けの聖剣
電流が流れ続けるにつれ、鍔を飾る黄金の獅子頭、その瞳が
消えていた光を取り戻し
再び、鮮やかな緑に輝き始めている
「メ――ビ――ウ――ス――!」
ミレイヴィアは歯を食いしばってもがき、剣を引き剥がそうとする
「焦りすぎだ」
メビウスが杖を引く
杖先の光が消え、地面を走っていた電流も同時に消えた
「だが、目的は果たした。もう一度、ボタンを押してみろ」
つい今しがた味方を痛めつけたことへの負い目など、欠片もない
「はぁ……?」
ミレイヴィアは地面へ降り立ち、振り下ろされた巨爪を受け止める
その勢いを利用して後ろへ跳びながら、苛立った目をメビウスへ向けた
もう一度、ボタンを押す
今度は、ずしりとした確かな手応え
弾けるような音とともに、剣身へ淡い金色の光が宿る
「すごい?!なんで急に使えるようになったの?!――ちっ!」
驚きから立ち直るより先に
身体は嫌悪を帯びたまま、本能のまま剣を振るう
刃は何の抵抗もなく、再び迫った巨爪を斬り払った
陽光の中、銀白の軌跡が一瞬だけ閃く
鱗甲と筋肉が裂ける
同じ血管鞘に収められていた数本の太い主脈も、まとめて断ち切られた
重い脈動に合わせ、幾筋もの鮮血が一斉に迸る
河岸の水面へ降り注ぎ
触れた水を、沸騰させ、蒸発させた
「腐食性……いや、百度を超える高熱?」
ヴィタは拳銃を握り、竜人の状態を観察しながら、どう加勢するべきか考える
「暗紅色の鱗、強大な力、炎のように熱い血……どうやら
メビウスは、どこか興味深そうに分析する
「だが、これほど目立つ怪物が、なぜ今まで王都軍や冒険者に討たれず残っていた?」
「そういうことは、戦いが終わってからにしよう」
ヴィタは河岸の戦いから目を離さない
「いや、戦いは、もう終わっている」
「終わってる?」
メビウスの言葉と同時
ミレイヴィアは竜人の脚元へ一気に駆け込み、跳躍する
一閃
聖剣の光が、竜人の首を、防ごうと差し出された腕ごと抹消する
首も腕も光の粒となり、宙へ散った
頭部は前へ
巨大な胴体は後ろへ
重い音を立て、地面へ倒れ込んだ
「速い――」
ヴィタは呆然と、その光景を見つめる
人類史に残る数多の伝説にも、鉄さえ断つと謳われた武器は少なくない
中でも最も有名な
だが、切れ味そのものを極限まで突き詰めて戦う光景など、初めて見た
あれは……本当に剣が到達できる鋭さなのか?
強いて言えば……SF作品でお馴染みのビームサーベル?
三十万度を超える高熱を収束させた光の刃なら、ああしたことも可能だろう――
けれど、あの切断面は、熱で溶断したようには見えない
むしろ、あまりにも潔い
純粋な物理の領域で
刃の向かう先にあるものを、ただすべて断ち切る
そうとしか思えない、極致の刃
「おーい!」
ミレイヴィアの嬉しそうな声が、ヴィタの思考を断ち切った
理由は分からないが、聖剣は復活した
竜らしき魔物も斬った
これで昼食が食べられる
その喜びは、メビウスに嵌められた怒りさえ、すっかり上回っているらしい
「すごい。もう終わったんだ」
ヴィタは身を隠していた茂みを跨ぎ、驚きと喜びの入り混じった声で称えた
「ごめん。何もできなかった」
続いて、羞恥
やっぱり自分は、ただの地球人
何もできない
「えへへ!だって、あたし強すぎるからね!」
ミレイヴィアは得意げに胸を張る
「はぁ……」
その能天気さに、かえってヴィタの肩から力が抜けた
「取るに足らない小事だ」
メビウスは切り刻まれた魔物を見ながら近づき、その場へしゃがみ込む
表皮に触れ、感触を確かめる
指先から滲む蒼い波動
皮膚の内へ侵入しようとするが、石の上へ落ちた水滴のように弾け、四方へ散った
「やはり……」
「どうしたの?」
ミレイヴィアが不思議そうに覗き込む
「いや、品質を確かめていただけだ。天然の抗魔力を備えた鱗甲。かなりの値がつくはずだ」
「すごい!じゃあ、お昼ご飯は何とかなりそうだね!」
「回収するぞ」
メビウスはローブの広い袖から、一つのペンダントを取り出し、ミレイヴィアへ差し出した
「え?何これ?」
首を傾げながらも受け取る
「物を収納し、取り出すための魔法道具だ。これを使え」
「くれるの?え?こういうのって、すごく貴重なんじゃないの?!」
「大したものではない」
メビウスは淡々と答え、それ以上は説明しない
「本当にいいの?やっぱり、すごく貴重そうなんだけど――」
「構わない。聖剣に選ばれた者を導くことが、私の使命だ。この程度、何でもない」
軽く手を振る
その傍ら
ヴィタは落ちていた爪を弄るふりをしながら、二人の会話――主にメビウスの様子を、疑わしげに盗み見ていた
「使命……?」
その言葉を、頭の中でもう一度転がす
響きだけなら、王道物語にありがちな賢者の台詞そのもの
ギアが主人公なら、受け入れられなくもない
それでも、この人はやはり怪しい――そんな本能的な感覚が消えない
もっと普通に考えるなら
ゲームなら、こういう場面で都合よくアイテムボックスが解放され、そのままアイテム回収のチュートリアルが始まることも珍しくない
そう思えば、納得できないこともない
けれど、ほとんど常にポーカーフェイス
好悪がまるで読めない
たまに見せる驚きさえ、妙に作り物めいている
しかも、こちらが困るたび、あまりにも都合よく次の足場を差し出してくる
疑うなという方が難しい
「はぁ……」
ヴィタはため息をついた
自分が疑いすぎているのかもしれない
そこまで考えるのは、さすがに失礼だ
目の前の爪を弄り続けながら、今度はこっそりミレイヴィアの反応を窺う
「そうなんだ!分かった!」
ミレイヴィアは嬉しそうにペンダントを首へ掛ける
そしてすぐ、頭を掻いた
「ええと……これ、どうやって使うの?」
「収納したい物を掴めば、自然に入る」
「こう……?」
半分も分からないまま頷き、片手で魔物の頭を掴む
(えい……!しまえ!)
そう念じた瞬間、ペンダントが金色に光った
手元に、何もない空間から無色の波紋が広がる
歪んだ空間は、ちょうど頭を包む大きさの球となり
魔物の頭を丸ごと呑み込み
消えた
「本当に消えた!……え、本当に入ったの?」
興奮
そして、不信
背中に負った鞄のような、そこにあるという安心感がまるでない
ミレイヴィアは本能的に疑い始める
「出す時は、こうだよね……?」
食べ物の屑を受け止めるように、右手をペンダントの下へ添える
取り出す、と念じる
すると本当に、掌の上へ無色の波紋が広がり始めた
先ほど仕舞った魔物の頭
その輪郭がはっきりと見える大きな何かが、今にも落ちてこようとしている
ミレイヴィアは反射的に、慌ててもう一度しまい込んだ
その一瞬
指先が無色の波紋へ触れる
冷たく、滑らかな氷の面へ触れたようで
それでいて、きっぱりと拒まれる
奇妙な感触に、ミレイヴィアの指は感電したように引っ込んだ
「冷たい……じゃあ、これがあれば、もうすぐ夏でも困らないんじゃない?」
自分の賢さに少し優越感を覚えたような、得意げな笑み