こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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10.恐怖

 

地下へと続く通路を、なのは達は駆け抜けていた。

 

湿った空気が肌にまとわりつく――という生易しいものではない。

呼吸のたびに、冷えた水気と鉄錆の匂いが肺の奥へと流れ込み、喉の奥にざらついた不快感を残していく。

頭上には無数の配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、どこかで水が滴るたびに「ポタ……ポタ……」と不規則な反響音が通路全体に広がる。その音は近くに聞こえたかと思えば、次の瞬間には背後から追いかけてくるように響き、距離感を狂わせた。

 

足元には濁った水が薄く流れている。

踏み込むたびに「ジャリッ」「チャプッ」と嫌な音が跳ね返り、靴底の感触が一瞬遅れて返ってくる。視界の悪さと相まって、自分がどこを踏んでいるのかさえ曖昧になる。

 

「サーチャー、展開」

 

レイジングハートの先端から淡い桜色の光球がいくつも放たれた。

しかしその光は、地下の闇に呑まれるように広がっていく。壁面に反射しては歪み、配管の影に切り裂かれ、まるで何かに食い散らかされるように不安定に揺らめいた。

 

光球は蜘蛛の子を散らすように地下道へ飛び、周囲の地形や魔力反応を探査していく。

その情報はなのはの脳裏へと流れ込むが、ノイズ混じりで断片的だ。地下特有の干渉が、魔法の感覚すら鈍らせている。

 

「……見つけた」

 

目を閉じ、情報を必死に整理する。

 

「レリック反応を確認。ここから約2㎞先だよ」

 

「2㎞ですか」

 

エリオが息を呑む。その声すら、コンクリートの壁に反響して二重三重に歪んで聞こえた。

 

「結構ありますね…」

 

「ううん、問題は距離じゃない」

 

なのはは険しい表情で地下道を見据えた。

視界は悪い。光は届かない。サーチャーの反応も途切れがちで、まるで闇そのものが情報を拒んでいるようだった。

 

「この狭さ」

 

空戦魔導師である自分には最悪の地形。

翼を広げる余地もなく、魔力の流れも壁に押し潰される。

それだけではない。

 

「ガジェットに遭遇しないことを祈るしかないね」

 

その言葉は、地下の静寂に吸い込まれた。

静かすぎる。だがそれは平穏ではない。

耳鳴りのような低い振動が常に足元から伝わり、どこかで巨大な機械が息を潜めているような圧迫感を生んでいた。

ガジェットは周囲への被害など考えない。

自爆でもされたら、防御壁で爆風は防げても、崩れた天井までは支えきれない。

コンクリートの塊が雨のように降り注ぎ、逃げ場のない空間を一瞬で墓場に変える。

生き埋めになれば、それで終わりだ。

 

「できるだけ戦闘は避けたい」

 

誰に言うでもなく呟く。

その願いは――。

 

「でも……そう上手くはいかないよね」

 

轟音と共に打ち砕かれた。

壁面が内側から爆ぜた瞬間、音は“爆発”というより“破裂”に近かった。

圧縮された空気が一気に解放され、鼓膜を殴りつけるような衝撃が通路全体を揺らす。

コンクリート片が雨のように飛び散り、天井の配管が悲鳴のような金属音を立てて軋んだ。

振動は床を這い、足元から骨に直接響いてくる。

砂煙が一気に視界を奪う。白いというより灰色の壁が押し寄せ、数メートル先すら見えない。

その中から、白い機械兵器が次々と姿を現した。

 

ガジェット。

 

その動きは滑らかというより“無機質な滑り”だった。

関節が動くたびに「ギギ……」と乾いた駆動音が響き、地下の反響で何倍にも増幅される。

一機、二機、三機――。

数が増えるたびに、空間そのものが圧迫されていくようだった。

 

「前方より敵! 数、多いです!」

 

キャロの叫びは、爆音と金属音にかき消されそうになりながらも必死に通る。

なのはは即座にレイジングハートを構えた。

 

「迎撃! でも爆発は最小限に!」

 

「「はい!」」

 

静寂だった地下道が、一瞬で“音の地獄”へと変わった。

魔力光と機械の火花が交錯し、爆発のたびに通路全体が揺れる。

振動は壁を伝い、天井から砂埃を降らせ、視界をさらに悪化させていく。

 

 

その頃、現場から少し離れた高層ビルの一室。

避難命令により無人となったフロアで、一人の少女が窓辺に立っていた。

 

ティアナ・ランスター。

 

彼女の姿は幻術魔法(オプティック・ハイド)によって外界から完全に隠されている。だが、外の世界の“音”までは消せない。

遠くからかすかに届く爆発音が、ビルのガラスを震わせていた。

窓越しに映るのは、慌ただしく動く管理局員達。

そして、地下へ突入した機動六課だった。

 

(どうやら無事に保護されたみたいね)

 

金髪の少女は既に管理局の保護下にある。

それを確認した時点で、自分の役目は終わった。

本来なら、そのまま教会へ戻ればいい。

そう思っていた。

なのに。

 

「……私、何やってるんだろ」

 

誰もいない部屋で、小さく呟く。

遠くの爆音が遅れて胸の奥に響く。

まるで地下で起きている戦闘が、そのまま自分の内側を揺らしているようだった。

 

「もう戻れないのに…」

 

窓ガラスに映る自分の顔は、どこか迷子のようだった。

 

戦うこと。

命を懸けること。

それが管理局員として正しい姿だと、ずっと信じてきた。

 

守る者は、前へ出る。

危険な場所へ踏み込む。

仲間の盾になる。

だからこそ、自分も何度も無茶をしてきた。

勝つために。

守るために。

 

だが――なのは達は、それを否定した。

 

力尽くで。

魔法を向けてまで。

 

「あの時……」

 

胸が締め付けられる。

戦場の記憶は、今も耳の奥に残っている。爆発音と怒号と、そして自分の魔法が向けられた瞬間の冷たい感触。

戦う理由も。

戦場へ立つ勇気も。

あの日、自分は失ってしまった。

 

「もう……命なんて懸けられない」

 

怖い。

ただ、それだけだった。

遠くで響く爆発音が、まるで“死”そのものの足音のように感じられる。

脳裏に兄の姿が浮かぶ。

ティーダ・ランスター。

誰よりも正義感が強く、人を守ることに誇りを持っていた兄。

その兄は、本当に命を落とした。

守るために戦い。

守るために死んだ。

なのに――世界は兄を英雄とは呼ばなかった。

 

失敗した執務官。

判断を誤った男。

そんな言葉ばかりが残った。

 

「……どうしてっ!」

 

憎い相手を、なぜ守る。

自分達を傷つけた世界を、なぜ守らなければならない。

そんなものに命を懸ける価値なんて、本当にあるのだろうか。

 

「だったら……」

 

ティアナはふと眉を寄せる。

遠くの爆音が一瞬途切れ、その静寂が逆に胸を締め付けた。

 

「なんで私は、あの子を助けたんだろ?」

 

ヴィヴィオを見つけた時に迷いはなかった。

危険だと分かっていても管理局へ通報した。

 

戻るつもりなどないのに。

もう局員でもないのに。

それでも身体は勝手に動いていた。

 

答えは見つからない。

ただ一つ分かるのは――視線は今も、地下で戦う仲間達の“音”を追い続けているということだけだった。

 

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