地下へと続く通路を、なのは達は駆け抜けていた。
湿った空気が肌にまとわりつく――という生易しいものではない。
呼吸のたびに、冷えた水気と鉄錆の匂いが肺の奥へと流れ込み、喉の奥にざらついた不快感を残していく。
頭上には無数の配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、どこかで水が滴るたびに「ポタ……ポタ……」と不規則な反響音が通路全体に広がる。その音は近くに聞こえたかと思えば、次の瞬間には背後から追いかけてくるように響き、距離感を狂わせた。
足元には濁った水が薄く流れている。
踏み込むたびに「ジャリッ」「チャプッ」と嫌な音が跳ね返り、靴底の感触が一瞬遅れて返ってくる。視界の悪さと相まって、自分がどこを踏んでいるのかさえ曖昧になる。
「サーチャー、展開」
レイジングハートの先端から淡い桜色の光球がいくつも放たれた。
しかしその光は、地下の闇に呑まれるように広がっていく。壁面に反射しては歪み、配管の影に切り裂かれ、まるで何かに食い散らかされるように不安定に揺らめいた。
光球は蜘蛛の子を散らすように地下道へ飛び、周囲の地形や魔力反応を探査していく。
その情報はなのはの脳裏へと流れ込むが、ノイズ混じりで断片的だ。地下特有の干渉が、魔法の感覚すら鈍らせている。
「……見つけた」
目を閉じ、情報を必死に整理する。
「レリック反応を確認。ここから約2㎞先だよ」
「2㎞ですか」
エリオが息を呑む。その声すら、コンクリートの壁に反響して二重三重に歪んで聞こえた。
「結構ありますね…」
「ううん、問題は距離じゃない」
なのはは険しい表情で地下道を見据えた。
視界は悪い。光は届かない。サーチャーの反応も途切れがちで、まるで闇そのものが情報を拒んでいるようだった。
「この狭さ」
空戦魔導師である自分には最悪の地形。
翼を広げる余地もなく、魔力の流れも壁に押し潰される。
それだけではない。
「ガジェットに遭遇しないことを祈るしかないね」
その言葉は、地下の静寂に吸い込まれた。
静かすぎる。だがそれは平穏ではない。
耳鳴りのような低い振動が常に足元から伝わり、どこかで巨大な機械が息を潜めているような圧迫感を生んでいた。
ガジェットは周囲への被害など考えない。
自爆でもされたら、防御壁で爆風は防げても、崩れた天井までは支えきれない。
コンクリートの塊が雨のように降り注ぎ、逃げ場のない空間を一瞬で墓場に変える。
生き埋めになれば、それで終わりだ。
「できるだけ戦闘は避けたい」
誰に言うでもなく呟く。
その願いは――。
「でも……そう上手くはいかないよね」
轟音と共に打ち砕かれた。
壁面が内側から爆ぜた瞬間、音は“爆発”というより“破裂”に近かった。
圧縮された空気が一気に解放され、鼓膜を殴りつけるような衝撃が通路全体を揺らす。
コンクリート片が雨のように飛び散り、天井の配管が悲鳴のような金属音を立てて軋んだ。
振動は床を這い、足元から骨に直接響いてくる。
砂煙が一気に視界を奪う。白いというより灰色の壁が押し寄せ、数メートル先すら見えない。
その中から、白い機械兵器が次々と姿を現した。
ガジェット。
その動きは滑らかというより“無機質な滑り”だった。
関節が動くたびに「ギギ……」と乾いた駆動音が響き、地下の反響で何倍にも増幅される。
一機、二機、三機――。
数が増えるたびに、空間そのものが圧迫されていくようだった。
「前方より敵! 数、多いです!」
キャロの叫びは、爆音と金属音にかき消されそうになりながらも必死に通る。
なのはは即座にレイジングハートを構えた。
「迎撃! でも爆発は最小限に!」
「「はい!」」
静寂だった地下道が、一瞬で“音の地獄”へと変わった。
魔力光と機械の火花が交錯し、爆発のたびに通路全体が揺れる。
振動は壁を伝い、天井から砂埃を降らせ、視界をさらに悪化させていく。
◇
その頃、現場から少し離れた高層ビルの一室。
避難命令により無人となったフロアで、一人の少女が窓辺に立っていた。
ティアナ・ランスター。
彼女の姿は
遠くからかすかに届く爆発音が、ビルのガラスを震わせていた。
窓越しに映るのは、慌ただしく動く管理局員達。
そして、地下へ突入した機動六課だった。
(どうやら無事に保護されたみたいね)
金髪の少女は既に管理局の保護下にある。
それを確認した時点で、自分の役目は終わった。
本来なら、そのまま教会へ戻ればいい。
そう思っていた。
なのに。
「……私、何やってるんだろ」
誰もいない部屋で、小さく呟く。
遠くの爆音が遅れて胸の奥に響く。
まるで地下で起きている戦闘が、そのまま自分の内側を揺らしているようだった。
「もう戻れないのに…」
窓ガラスに映る自分の顔は、どこか迷子のようだった。
戦うこと。
命を懸けること。
それが管理局員として正しい姿だと、ずっと信じてきた。
守る者は、前へ出る。
危険な場所へ踏み込む。
仲間の盾になる。
だからこそ、自分も何度も無茶をしてきた。
勝つために。
守るために。
だが――なのは達は、それを否定した。
力尽くで。
魔法を向けてまで。
「あの時……」
胸が締め付けられる。
戦場の記憶は、今も耳の奥に残っている。爆発音と怒号と、そして自分の魔法が向けられた瞬間の冷たい感触。
戦う理由も。
戦場へ立つ勇気も。
あの日、自分は失ってしまった。
「もう……命なんて懸けられない」
怖い。
ただ、それだけだった。
遠くで響く爆発音が、まるで“死”そのものの足音のように感じられる。
脳裏に兄の姿が浮かぶ。
ティーダ・ランスター。
誰よりも正義感が強く、人を守ることに誇りを持っていた兄。
その兄は、本当に命を落とした。
守るために戦い。
守るために死んだ。
なのに――世界は兄を英雄とは呼ばなかった。
失敗した執務官。
判断を誤った男。
そんな言葉ばかりが残った。
「……どうしてっ!」
憎い相手を、なぜ守る。
自分達を傷つけた世界を、なぜ守らなければならない。
そんなものに命を懸ける価値なんて、本当にあるのだろうか。
「だったら……」
ティアナはふと眉を寄せる。
遠くの爆音が一瞬途切れ、その静寂が逆に胸を締め付けた。
「なんで私は、あの子を助けたんだろ?」
ヴィヴィオを見つけた時に迷いはなかった。
危険だと分かっていても管理局へ通報した。
戻るつもりなどないのに。
もう局員でもないのに。
それでも身体は勝手に動いていた。
答えは見つからない。
ただ一つ分かるのは――視線は今も、地下で戦う仲間達の“音”を追い続けているということだけだった。