地下道。
湿った空気と、機械音だけが響く暗闇の中で、機動六課のフォワード陣は戦っていた。
「スバル!」
「はいっ!」
短い呼び掛け。
次の瞬間、青い魔力光が地下道を駆け抜ける。
「ナックルダスター!」
鋼鉄の拳がガジェットを真正面から打ち抜いた。
装甲がひしゃげ、機械兵器が壁へ叩きつけられる。
続けて――。
「エリオ!」
「はい!」
雷光を纏った少年が地面を蹴る。
一瞬で敵の懐へ潜り込み、槍を一閃。
「スタールメッサ―!」
刃がガジェットの中枢を貫き、機械の身体が崩れ落ちる。
後方ではキャロが魔法陣を展開していた。
「フリード!」
「ギャウ!」
竜の炎が敵の動きを制限する。
そして、
「ディバインシューター!」
なのはの魔力砲撃が、残ったガジェットを正確に撃ち抜いた。
一見すれば、見事な連携だった。
それぞれの役割を理解し、互いを補い合う。
普通の部隊なら十分に称賛される戦果。
しかし――。
なのはだけは、その瞬間から小さな引っ掛かりを覚えていた。
(……今の、少し噛み合いが遅れた?)
違う。そうじゃない。
目の前の戦闘は確かに成功している。誰もミスはしていない。
むしろ一人ひとりの動きは以前より洗練されている。
それなのに、どこか「一拍」だけ遅い。
その正体が分からないまま、胸の奥にだけ違和感が沈殿していく。
(違う……何かが違う)
これは悪い意味ではない。
みんな確実に成長している。
スバルの突進力は以前より鋭くなった。
エリオの判断速度も上がっている。
キャロの支援も正確になった。
なのに。
「本当なら…」
なのはは小さく呟く。
「もっと早く、もっと確実に、もっと無駄なく制圧できた」
その言葉を口にした瞬間、違和感は形を変えた。
ただの感覚ではなく、「理由のある欠落」として。
(どうして? みんなはちゃんと動けていたのに…)
答えは、すぐに浮かんだ。
浮かんでしまった。
ティアナがいれば。
あの子なら。
スバルがどこへ突っ込むかを予測し。
エリオが迷う前に最短の指示を出し。
キャロの魔力消費すら戦況全体の中で調整していた。
個々の力を「戦力」に変えるのではなく、「流れ」にしていた。
だからこそ、あの頃の連携は速かった。
無駄がなかった。
迷いがなかった。
「さぁ、先を急ごう」
なのはが声を掛ける。
「は……はい」
返事は返ってきた。
だが、その声にはわずかな揺らぎが混じっていた。
なのははそれに気づいてしまう。
そして、気づいた瞬間に胸が痛んだ。
(違う……この子たちが悪いんじゃない。今の不安は、私のせいだ)
歩きながら、なのはは思考を整理しようとする。
優秀な魔導師を集めれば最強の部隊ができる。
かつての自分は、そう信じていた。
才能。
能力。
魔力量。
それさえ揃えば、戦いは成立すると思っていた。
でも今は分かる。
それは「静止した理想」でしかなかった。
戦場は止まらない。
人は成長し続ける。
そして成長は、必ず「変化」を伴う。
スバル達は、なのはの訓練によって確かに強くなった。
できることは増えた。
速度も。
威力も。
判断力も。
だがそれは同時に――。
「昨日の正解が、今日の正解ではなくなる」ということだった。
攻撃の間合いが変わる。
踏み込みの癖が変わる。
判断の優先順位が変わる。
それを常に更新し続けなければ、連携はすぐに崩れる。
(……これを、全部繋げていたの?)
なのはの中で、違和感が「理解」に変わる。
センターガードは、ただ指示を出す役じゃない。
全員の「変化」をリアルタイムで読み取り続ける存在だ。
さらに敵の動きまで重ねて。
(そんなのを……一人で?)
息が詰まる。
今さらになって、その重さが現実味を持って迫ってくる。
思い返せば分かる。
スバルとティアナは訓練校時代からの付き合いだった。
だからこそ、スバルの癖を前提にした指示が成立していた。
エリオとキャロは経験が浅かった。
だからこそ、ティアナの言葉を「そのまま形」にできた。
だが今は違う。
全員が成長している。
自分の判断を持ち始めている。
つまり――。
指示は「通すもの」ではなく、「調整するもの」になっている。
(……ティアナは、毎日これをやっていたの?)
なのはは息を呑む。
その問いは、ほとんど確信に近かった。
そして同時に、胸の奥に別の感情が落ちる。
後悔。
気づくのが遅すぎたという事実。
「なのはさん?」
スバルの声で我に返る。
「あ、ごめんね」
なのはは笑顔を作る。
だがその笑顔は、いつもより少しだけ遅れて出た。
その遅れすら、自分で分かってしまう。
(敵は……まだ本気じゃない)
ガジェットを倒せた。
だが、いつも楽勝ではなかった。
機械兵器であるはずの相手に、これほどの負荷がかかっている。
つまり――敵は力を温存している。
あるいは、以前より強化されている。
この先、本格的な戦闘になった時、今の状態で勝てる保証はない。
なのはの脳裏にかつて聞いた言葉が蘇る。
『エースもストライカーも、実はそこまで重要じゃない』
『時代の寵児みたいな奴は、いつの時代にも現れる』
『だがな、指揮官や隊長は違う』
『優秀な魔導師ほど、自分のやり方を持っている』
『そんな連中を一つの目的へ向かわせる。それができる奴こそ、本当に優秀な隊長だ』
当時のなのはには、その意味が分からなかった。
強い人間が集まればいい。
それだけで成立すると思っていた。
でも今なら分かる。
それは「集める」ではなく「揃え続ける」能力だった。
才能ある者達は、常に変化する。
だからこそ、まとめる側も変化し続けなければならない。
そして――。
(ティアナ…)
彼女は、それをやっていた。
まだ若い少女だった。
自分自身も迷いながら。
不安を抱えながら。
それでも仲間の「今」を見続けていた。
「……遅かった」
なのはは俯く。
理解はもう十分だった。
問題は、理解した「今」ではなく、理解できなかった「過去」だ。
ティアナが何を見て、何を背負い、どれほどの速度で判断を積み重ねていたのか。
その重さを、今になってようやく知る。
地下道の先には、まだ敵がいる。
戦いは終わっていない。
それでも、なのはの中では別の戦いが静かに始まっていた。
違和感から理解へ。
理解から後悔へ。
そしてその後悔を抱えたまま、それでも前へ進むための戦い。
教官として。
隊長として。
そして、一人の人間として。
ティアナ・ランスターと向き合うための戦いが。
◇
「……また振動」
足元を伝う微かな揺れに、ティアナは眉をひそめた。
ビルの屋上。
なのは達が地下へ突入してから、どれほど時間が経っただろう。
地上へ戻ってくる気配はない。
時折、地面を震わせる爆発音だけが戦況を物語っていた。
「思ったより……時間かかってるわね」
思わず漏れた一言に、自分でも驚く。
(何を気にしてるのよ)
もう自分には関係ない。
そう何度も言い聞かせてきたはずだった。
なのに耳は無意識に地下から響く音を追い、目はレリックが発見された路地から離れようとしない。
ティアナは小さく舌打ちした。
「お荷物がいないんだから、早く片付けなさいよ…」
皮肉だった。
六課にいた頃。
自分はそう思われていると、本気で信じていた。
自分さえいなければ。
自分さえもっと優秀なら。
何度、そんなことを考えただろう。
ふと、苦い笑みが浮かぶ。
(それとも……)
なのは達は今頃になって気づいたのだろうか。
センターガードが何をしていたのか。
誰が四人分の戦況を頭に入れ。
誰が敵味方全員の位置を把握し。
誰が「あと一歩」で崩れそうな連携を繋ぎ止めていたのか。
もし気づいたのなら――。
(もう遅い)
その一言だけが胸に残った。
六課にいた時に。
あの場所にいた時に。
気づいてほしかった。
「……」
何度、辞めようと思ったか分からない。
何度、仲間を見捨てようと思ったか分からない。
何度、自分の弱さを嫌いになったか分からない。
眠れない夜。
焦燥に押し潰されそうな訓練。
笑顔を作るだけで精一杯だった日々。
誰も気づかなかった。
いや――気づかせなかったのは、自分だったのかもしれない。
それでも。
「せめて……」
ティアナは静かに目を閉じる。
(私が味わった苦しみの十分の一でもいい)
あの息苦しさを。
胸を締めつける恐怖を。
仲間を守れなかったらどうしようという絶望を。
知ってほしい。
そうでなければ、この痛みは報われない。
「脳天気に笑ってた、お嬢様達には……それくらいがお似合いよ」
吐き捨てるように呟く。
だが、その声には憎悪はなかった。
あるのは、疲れ切った諦めだけ。
ティアナの瞳に宿るのは燃え盛る怒りではない。
氷のように澄み切り。
そして、どこまでも冷たい悲しみだった。
怒りはいつか燃え尽きる。
だが、悲しみは静かに心へ降り積もり、人を凍らせる。
ティアナ・ランスターの心は、今まさにそんな静かな冬の中にあった。
それでも、地下から響く戦闘音が聞こえるたびに彼女の視線は無意識にその方角へ向いてしまう。
「本当に、何やってるのよ…」
呆れたように呟くその声は、誰へ向けたものだったのか。
地下で戦う元仲間達へか。
過去の自分へか。
それとも、まだ彼女達を気に掛けてしまう、自分自身へ向けたものだったのか。
ティアナにも、その答えは分からなかった。