レリックの封印を確認し、なのはは小さく息を吐いた。
「よし……これで任務完了。あとは地上へ戻るだけだよ」
緊張がわずかに緩んだ、その瞬間だった。
コツ、コツと静まり返った地下道に規則正しい足音が響く。
「……誰?」
スバルが振り向く。
暗闇の奥から、一人の少女がゆっくりと姿を現した。
腰まで届く紫の長髪。白い肌。そして感情の欠片もない無機質な瞳。
まるで人形のようだった。
「迷子……?」
スバルが思わず一歩踏み出す。
「大丈夫? ここ危ないよ――」
その腕を、なのはが即座に掴んだ。
「待って」
「なのはさん?」
「油断しないで。こんな場所に普通の人が来られるはずがない」
静かな声だったが、その緊張は全員に伝わる。
なのはは少女を見据えたまま一歩前へ出る。
「キミ。お話を聞かせてもらえるかな?」
返事はない。少女はただ、なのはを見つめ返すだけだった。
(反応がない)
ならば保護を優先するしかない。
なのはは魔法陣を展開する。
「
その瞬間、全身の警戒が跳ね上がった。
「みんな!! 躱して!!」
反射的に全員が飛び退く。
すると直前まで立っていた地点が爆ぜ、地下道の床が抉れた。
「な、何!?」
スバルが周囲を見回すが、敵の姿はない。
だが“何か”が確かにいる。
(見えない……!?)
なのはは即座に魔力弾を展開した。
「アクセルシューター!」
無数の光弾が地下道を走り回る。壁をなぞり、天井をかすめ、死角を潰していく。
そのうちの一発が、何もない空間によって弾かれた。
「そこ!」
歪んだ空間が裂け、壁に叩きつけられた異形が姿を現す。
昆虫のような外殻。節くれだった四肢。人と虫を無理に繋いだような歪な姿。
だが悲鳴も苦痛もない。
「使い、魔?」
なのはは眉をひそめる。
違う。反応があまりに希薄だ。命令だけで動く兵器に近い。
「キャロ! 拘束して!」
「はい!」
「スバル、エリオ! 周囲警戒! ガジェットが来たら迎撃!」
「了解!」
「なのはさんは!?」
「この個体を確保する! 正体を調べれば何か分かるかもしれない!」
「了解!!」
それぞれが散開し、地下道に再び戦闘音が響き始めた。
◇
数十分後。
地上へと這い上がったなのは達を、青空と管理局の輸送ヘリが迎えた。
「スターズ1! こちらです!」
ヴァイス・グランセニック陸曹がコクピットから手を振る。
「よかった……」
なのははようやく息をつく。
これで終わる。全員帰れる。
そう思った矢先だった。
拘束された紫髪の少女が、静かに口を開く。
「……私に構ってて、いいの?」
感情のない声が続く。
「また……守れないよ?」
その一言が、空気を凍らせた。
「……え?」
なのはの胸に嫌な予感が走る。
反射的に空を見上げた瞬間――
キィィィィィン!!
高エネルギー反応。
「ヘリ!!」
叫ぶより早く、閃光が空を裂いた。
轟音。
爆炎。
一直線の砲撃が輸送ヘリを貫く。
「うおぁあああああ!」
ヴァイスの悲鳴。
機体は黒煙を噴きながら傾き、墜落を始めた。
「しまった……!」
なのはは歯を食いしばる。
狙いはレリックでも少女でもない。
最初から――六課そのものだった。
◇
轟音。
空気そのものが裂けたような衝撃が、街全体を揺らした。
次の瞬間、輸送ヘリの機体腹部が閃光に呑まれる。
爆炎。
橙色の火球が一瞬で膨れ上がり、金属を内側から押し潰すように広がった。
「っ……!」
なのはの視界が白と橙に焼かれる。
遅れて、耳の奥を殴りつけるような爆音が追いかけてきた。
ドォン――ッ!!
鼓膜が震え、空気が押し潰される。
風圧が一気に押し寄せ、なのはの髪と制服を後方へ強く引き剥がした。
熱。
焦げた金属と燃料の匂いが、風に乗って一瞬で鼻腔を満たす。
「ヴァイス君ッ!!」
叫びは、爆音に飲まれながらも街へと叩きつけられた。
だが返事はない。
ヘリは制御を失ったまま、ゆっくりと、しかし確実に傾いていく。
回転するローターが空を切り裂き、ギギギッと異常な金属音を撒き散らす。
機体がビル群の隙間へと吸い込まれるように落ちていく。
「……っ!」
なのはは一歩踏み出そうとして、足が止まった。
次の瞬間。
墜落。
鈍い衝突音とともに、ヘリは建物の影へと消えた。
そして――
遅れて、黒煙が立ち上る。
最初は細く、やがて太く、空へとねじれるように伸びていく。
炎の赤と、燃え尽きた金属の黒が混ざり合い、空気を歪ませていた。
熱風が遅れて街路を撫で、ガラス窓がかすかに震える。
◇
その光景を、離れたビルの屋上からティアナも見ていた。
「砲撃!?」
呆然とした声は、風にさらわれていく。
爆発の余韻がまだ空気に残っている。
耳の奥がじんじんと痺れ、遅れて心臓が強く跳ねた。
(今の……何?)
視界の端で、黒煙がゆらゆらと揺れている。
熱を含んだ風が頬を叩き、髪を乱す。
「どこから?」
反射的に周囲を見回す。
狙撃手なら、必ず見晴らしの良い場所を選ぶ。
風向き、射線、退路。
ティアナの思考は、局員時代の癖のまま、爆発の余韻の中で加速していく。
(いた)
視線の先。
自分がいるビルとは別棟の屋上。
そこに、歪んだ熱気の向こうに二つの人影があった。
「……二人」
一人は巨大な砲を構えた少女。
もう一人は、小柄な影。
距離の揺らぎと黒煙のせいで輪郭は滲んでいる。
だが、あの一撃の“重さ”だけははっきりと分かる。
あそこだ。
あそこから撃たれた。
ティアナは一歩踏み出しかける。
その瞬間、爆発の遅れた衝撃波が再び街を撫でた。
ビルの外壁が低く唸り、足元のコンクリートが微かに震える。
(どうする)
胸の奥で声が響く。
(ヴァイス陸曹を助けに行く?)
だが、すぐに別の自分が否定した。
(無理よ)
黒煙の向こうで燃え続ける残骸が見える。
生きているかどうかも分からない。
仮に生きていたとしても――
瓦礫の熱と煙の中へ飛び込む準備は、自分にはない。
救急用品もない。
デバイスもない。
ただの風圧と熱気の中で、無力な身体が立ち尽くすだけだ。
(行ったところで……)
また、爆風が遠くで小さく鳴った気がした。
(足手まといになるだけ)
そう。
分かっている。
頭では。
それでも。
(だったら……)
ティアナは、自分の足元を見た。
アスファルトはまだ爆発の余熱をわずかに残しているのか、靴底越しにかすかな熱が伝わる。
「……」
一瞬の静寂。
次の瞬間、靴がアスファルトを蹴った。
「っ……!」
風が一気に顔を叩く。
黒煙の匂いが肺に入り込み、咳き込みそうになる。
それでも足は止まらない。
一歩。
また一歩。
やがてそれは、思考よりも速く、全力の疾走へと変わっていた。
「何で……」
風圧が頬を裂くように流れていく。
「何で、私は走ってるのよ……!」
六課とはもう関係ない。
戻るつもりもない。
助ける義理もない。
そう思っていたはずなのに。
爆発の熱と黒煙の中で、身体だけが迷いなく墜落現場へ向かっていた。
◇
「ヴァイス君!」
墜落現場では、なのは達が必死に瓦礫をどかしていた。
まだ熱を持つ鉄骨がきしみ、手袋越しでも熱が伝わる。
「ここ持って!」
「はい!」
スバルが全身の力で鉄骨を持ち上げる。
金属が軋み、砂埃が舞い上がる。
エリオが周囲を警戒し、キャロが煙の中で負傷者の確認を行う。
視界は悪い。
黒煙がゆっくりと流れ込み、喉の奥が焼けるように痛む。
誰もがヴァイスを助けることだけに意識を向けていた。
その様子を見たティアナは、一瞬だけ安堵する。
(よかった……)
まだ間に合う。
自分の出る幕はない。
そう思った、その瞬間だった。
ティアナの思考が、黒煙の向こうに残る“違和感”を捉える。
(待って)
視線が再び屋上へ向く。
熱で揺らぐ空気の中。
敵は、まだそこにいる。
なのに。
何故撃ってこない?
何故追撃しない?
何故――こちらを見ている?
その瞬間。
爆発の余韻と黒煙の揺らぎの中で、ティアナの脳裏に点と点が一本の線になる。
(違う……)
狙いはヘリじゃない。
ヘリを落とすこと自体が目的じゃない。
救助に人員が集まる、その一瞬。
爆発の煙と混乱で視界と判断が鈍る、その瞬間。
そこへ――二撃目を叩き込むためだ。
「みんな!!」
ティアナは夢中で叫んでいた。
「逃げてーーーッ!!」
その声は、まだ熱を帯びた空気を切り裂いて響く。
聞き覚えのある声に、なのは達が一斉に振り向く。
「ティアナ!?」
「ティアナさん!?」
驚きに目を見開く仲間達。
だが、ティアナはそれどころではなかった。
黒煙の向こう。
屋上の少女が、静かに砲身を持ち上げる。
風が一瞬だけ止まったように感じられた。
「罠よ!!」
ティアナの絶叫が、爆発の残響の中に重なる。
「散開して!!」
その叫びと、次の瞬間に訪れる“二撃目”の気配は、ほぼ同時だった。