屋上。
冷たい風が吹き抜ける高層ビルの上で、青いボディスーツを着た二人の女性が眼下の戦場を見下ろしていた。
一人は眼鏡をかけた女性。
もう一人は巨大な砲身を携えた少女。
「お見事〜、ディエチちゃん。いい仕事よ〜」
クアットロは満足そうに笑う。
「ありがとう」
ディエチは淡々と答える。
感情の起伏は少ない。
だが、彼女の砲撃がもたらした結果は明白だった。
眼下のヘリは墜落し、周囲には爆煙が立ち込めている。
「これで終わり……とはいかないかしらね」
クアットロが呟いた、その時だった。
爆煙の中から青い光が伸びる。
一本。
二本。
幾重にも重なった光の道が、まるで壁のように展開された。
「……あら?」
クアットロは目を細める。
その直後、瓦礫の向こうから姿を現したのはスターズ分隊の少女達だった。
「ウィングロード…?」
ディエチが小さく呟く。
「本来なら足場として使う魔法よねぇ?」
青い光の回廊。
それをスバル・ナカジマは、自分達を守る盾として利用していた。
爆風を受け止める。
瓦礫を防ぐ。
味方を守る。
移動魔法を防御壁へ転用するという、常識外れの使い方。
「あは〜ん……やっぱり厄介ねぇ、あの子」
クアットロは楽しそうに目を細める。
だが、彼女が本当に警戒したのはスバルだけではなかった。
爆発の瞬間、本来なら散開するべきだった。
しかし間に合わない。
そう判断したオレンジ色の髪の少女は、迷わず別の選択をした。
「スバル!」
短い声。
それだけで十分だった。
「分かった!」
スバルが即座に反応する。
迷いはない。
確認する時間もない。
それでも動けた。
なぜなら彼女は知っている。
ティアナが無意味な指示を出さないことを。
長い時間を共に戦ってきた相棒だからこそ、その判断を信じられる。
結果として、ウィングロードによる防御壁が間に合った。
クアットロはその一連の流れを見て、感心したように呟く。
「判断が早いわねぇ…」
単純な魔力量ではない。
状況判断。
仲間への理解。
信頼関係。
それら全てが揃わなければ成立しない動きだった。
「オレンジ髪の子…前より面倒になってるじゃない」
クアットロはティアナを見る。
ティアナは敵を睨みながら、冷静に状況を分析する。
敵の位置。
味方の損傷。
撤退経路。
全てを同時に処理していた。
以前のように、自分一人で抱え込むためではない。
全員を生きて帰すために。
「できることなら、ここで片付けておきたかったけど…」
クアットロは肩をすくめる。
「仕方ないわね」
「欲張りすぎると、痛い目を見るだけだもの」
ディエチが静かに頷く。
「撤退?」
「ええ」
クアットロは踵を返す。
「ドクターを追っているのなら、いずれまた会うでしょうし」
その瞬間。
「……させると思うか?」
低い声が響いた。
二人が振り向く。
いつの間にか彼女達の頭上、赤い髪の少女が立っていた。
鉄槌型デバイスを構え、鋭い眼差しで睨みつける。
「スターズ2……ヴィータ」
クアットロが呟く。
ヴィータは不敵に笑った。
「散々好き勝手やってくれたな」
「ここから先は、逃がさねぇぞ」
風が吹き抜ける。
戦場の空気が変わった。
ティアナ・ランスターが戻った。
そして、六課の歯車が再び動き始める。
◇
「ティア──ッ!!」
爆煙が渦を巻く戦場の中、スバルの声が破裂音のように響いた。
視界は最悪だった。黒煙と赤い炎が入り混じり、空気は熱で歪んでいる。
崩れ落ちた輸送ヘリの残骸が地面に突き刺さり、ローターの一部がまだ火花を散らしながら軋んでいた。
周囲には瓦礫と金属片が散乱し、踏み出すたびに靴底が嫌な音を立てる。
その中を、スバルは構わず駆けてくる。
瞳いっぱいに涙を浮かべ、今にも飛びつきそうな勢いだった。
だが足元は崩れたコンクリート片に取られ、何度もバランスを崩しかける。それでも止まらない。
「戦闘中!」
鋭い声が、爆音を切り裂いた。
「集中しなさい!!」
ティアナの一喝。
その視線だけで、スバルの足がぴたりと止まる。
「う……」
勢いのまま前に出かけた身体が宙ぶらりんになり、耳がしゅんと垂れた子犬のように肩を落とすスバル。
その様子を見ていたエリオとキャロは、瓦礫の陰から思わず苦笑する。
だがその笑みも、周囲で崩れ続ける建物の轟音にかき消されそうだった。
遠くの屋上ではヴィータが、崩落するビルの影を見下ろしながら、
「相変わらずだな」
と小さく鼻で笑う。
だがその笑いは、どこか安堵に近いものだった。
爆炎の中でも“いつもの隊”が機能していることへの、かすかな安心。
一方、なのはとフェイト、はやては言葉を失っていた。
目の前にいる。
瓦礫と煙の向こう、崩れたヘリの残骸を背に立つその姿は、間違いなくティアナ・ランスター本人だった。
無事だった。
その事実に気づいた瞬間、なのはの指先から力が抜け、握っていたデバイスのグリップがわずかに軋む。
背後でまだ小規模な爆発が起き、破片が雨のように降る。
その音すら遠く感じるほど、胸の奥で張りつめていたものが音もなくひび割れていく。
「ティアナ……」
呼ぶ声は、思ったよりも小さかった。
喉の奥で一度つかえ、ようやく零れ落ちる。
「……おかえり」
その一言に、ティアナの眉がぴくりと動いた。
爆煙の揺らぎの中で、ほんの一瞬だけ視線が揺れる。
だが次の瞬間には、まるでそれを振り払うように顎がわずかに上がった。
「勘違いしないでください」
冷たい声だった。
けれどその声の端は、爆音に紛れても分かるほど、ほんの僅かに掠れている。
背後では崩れた鉄骨がきしみ、まだ燃えているヘリの残骸が爆ぜるように火花を散らす。
その音が、沈黙をさらに重くした。
「私は戻ったわけじゃありません」
言い切った直後、ティアナは一度だけ息を吸い直す。
誰にも気づかれないほど小さな動作だったが、その呼吸は戦場の熱気に乱され、わずかに震えていた。
誰も言葉を返せない。
なのはは唇を開きかけて、結局閉じる。
そのまま視線を落とし、握った拳に力を込めた。
――謝りたい。
――でも今じゃない。
その葛藤が、爆音の中でもはっきりと表情の奥で揺れている。
ティアナはそんな空気を振り払うように、周囲を素早く見回した。
崩れたヘリの機体。まだ煙を吐き続けるエンジン部。瓦礫の下から漏れる火。遠くで倒壊しかけている建物の影。そして、未だ生死の分からないヴァイス。
視線は一切止まらない。
だがその瞳の奥だけが、ほんのわずかに硬くなっている。
「火の手が早いですね」
冷静な口調。
感情を押し殺した、センターガードの声だった。
だがその言葉の最後に、爆ぜる音に紛れて、ほんの一瞬だけ息が詰まる。
「ヴィータ副隊長が上を抑えているうちに、さっさとヴァイス陸曹を見つけましょう」
全員の視線が自然とティアナへ集まる。
その姿は、瓦礫と炎に囲まれた戦場の中でも、六課にいた頃と何一つ変わらない。
誰よりも早く状況を整理し、次に取るべき行動を示している。
ただ一つ違うのは、その背中が以前より少しだけ遠く見えることだった。
なのはは小さく息を吸った。
胸の奥が痛むのに、それでも表情は崩さない。
遠くで建物が崩れ落ち、地面が微かに揺れる。
その振動が足元から伝わってくる。
「……うん」
返事をしたものの、その続きを飲み込む。
言いたいことは山ほどある。
けれど今は、そのどれもがこの爆音の中では届かないと分かっている。
「行こう!」
なのはの号令で全員が動き出す。
瓦礫を踏み越え、煙の中へ踏み込む。その一歩目が、少しだけ重い。
その横を歩きながら、ティアナは前だけを見据えて言った。
「人命が最優先です」
その言葉が誰に向けられたものなのか。
なのはには痛いほど分かっていた。
それは現場への指示であり――同時に、爆煙の中で自分自身に言い聞かせるように落とし込む言葉でもあった。
そしてその横顔は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
誰にも見えない角度で、瓦礫の熱風に晒されながら、わずかに強く唇を噛んでいた。