「うおりゃあああっ!!」
赤い閃光が青空を切り裂いた。
ヴィータは鉄槌アイゼンを構えたまま、一筋の紅い竜巻となって屋上へ突撃する。
爆風すら置き去りにする速度。
一直線にクアットロへ迫る。
「きゃっ♪」
クアットロは軽やかに身を翻し、その突進を紙一重で回避した。
だが、その後ろにいたディエチは違う。
巨大な砲を抱えたままでは、この速度に対応できない。
「鈍い!」
ヴィータは即座に標的を切り替えた。
「まず一人!」
アイゼンの推進機構が唸りを上げる。
さらに加速。
そのまま華奢な少女の身体へと、鉄槌を叩き込んだ。
「んなっ!?」
手応えはあった。
しかし次の瞬間、打ち抜いたはずの身体が砂煙のように掻き消えた。
(――幻影!?)
ヴィータの脳裏に警鐘が走る。
クアットロの幻術は「視界に映る像」を直接書き換えるものだ。
発動条件は単純で、彼女が視認できる範囲に“対象の位置情報を上書きする”こと。
つまり、彼女が見ている限り、そこに“いるように見せる”ことができる。
そして重要なのは、幻影そのものは実体を持たないが、ディエチの攻撃と“連動する前提”で設計されている点だった。
「しまっ――」
気付いた時には遅かった。
横合いから凄まじい衝撃が襲う。
「ぐっ!」
ヴィータの身体が吹き飛び、屋上を転がる。
体勢を立て直して見上げると、さっきまで何もなかった場所にディエチが立っていた。
その後ろではクアットロが、悪戯に成功した子供のように舌を出している。
(幻術か……! あの眼鏡の仕業だ!)
ヴィータは奥歯を噛み締めた。
だが単なる“見せかけ”ではない。クアットロの幻術は、ディエチの射線と完全に同期している。
つまり――
1. クアットロが「そこにディエチがいないように見せる」
2. ヴィータが空白を“安全地帯”と誤認する
3. その誤認した位置に、ディエチが事前に移動・または射線を通す
4. 幻影が破れた瞬間には、すでに攻撃が成立している
視覚の誤認そのものが、攻撃成立のトリガーになっていた。
火力と幻術。
これほど噛み合った組み合わせは厄介だった。
視覚は人が得る情報の大半を占める。
その視覚を狂わされれば、どれほど優れた戦士でも判断は鈍る。
「だったら!」
ヴィータは空中へ跳び上がる。
アイゼンの周囲に無数の鉄球が形成される。
「まとめて吹っ飛べぇぇぇっ!!」
鉄球が一斉に四方八方へ撃ち放たれる。
屋上全体を覆うような飽和攻撃。
狙いは命中ではない。
幻術師への負荷だ。
幻を維持するには、クアットロは“視界情報の更新”を常時行い続ける必要がある。
そこへ大量の破壊と遮蔽を叩き込めば、処理が追いつかなくなる。
「しまった!」
クアットロの顔色が変わる。
次々と幻影が消え去り、本物の姿が露わになった。
(今度こそ……!)
ヴィータの視界に、確かに“実体のディエチ”が見えた。
だがそれは、クアットロが意図的に残した“最後の誤誘導”だった。
幻術は完全に消えたのではない。
「見える=本物」という思考を誘導するため、あえて“本物らしい一体”だけを残したのだ。
「もらったぁぁぁ!!」
ヴィータが勝利を確信した、その瞬間。
「なーんちゃって♪」
甘い声が耳元で囁く。
「っ!?」
再び横合いから衝撃。
ヴィータは吹き飛ばされ、コンクリートへ叩きつけられた。
「ぐっ……!」
(まさか……!)
ヴィータは目を見開く。
(さっきの“見えてた大砲女”すら、誘導用の幻影だったのか!)
そう。クアットロの真のトリックは「幻術が解けたように見せる幻術」だった。
1. 幻影を一部だけ解除し、“本物がいる”と錯覚させる
2. ヴィータが思考を「今度こそ本体」と固定する
3. その思考の死角から、別位置にいるディエチが攻撃する
4. 攻撃後に初めて“全てが幻術の誘導だった”と気付かせる
相手の思考を先回りし、その“確信”そのものを罠にする戦術。
「ウフフ♪ まんまと引っかかってくださいましたわ」
クアットロは口元を隠しながら楽しそうに笑う。
ディエチも静かに砲を構え直す。
「助かる」
「あなた達ベルカの騎士って、本当に真っ直ぐですこと」
クアットロの瞳が細くなる。
「真っ直ぐだからこそ、化かし甲斐がありますわ」
ヴィータはゆっくり立ち上がった。
額から一筋、血が流れる。
だが、その目から闘志は消えていない。
(みんな……悪ぃ)
アイゼンを握る手に力を込める。
(ちょっと時間がかかりそうだ)
その頃、地上ではなのは達がヴァイス救出のため瓦礫の中を駆けていた。
六課は今、二つの戦場で同時に試されてい
◇
「ヴァイス君! 返事をして!」
なのはの声が、燃え盛る炎の中へと吸い込まれていく。
轟々と唸る火勢が空気を揺らし、熱波が肌を刺すように押し寄せた。
焦げた金属の匂いと、燃料の甘く危険な臭気が混ざり合い、呼吸すら重くする。
「ヴァイスさん! どこですか!」
エリオも瓦礫を掻き分けながら叫ぶ。崩れた鉄骨が擦れ合い、甲高い金属音を立てるたびに、火花が散っては闇に消えた。
崩壊した輸送ヘリは原形を留めていない。
折れ曲がったフレームはねじれたまま黒く焼け焦げ、装甲片は爆風に引き裂かれて周囲へ無残に散乱している。
まだ熱を持つ破片が地面に触れるたび、じゅっと嫌な音を立てて煙を上げた。
燃料が漏れ出し、炎はまるで生き物のように勢いを増している。ぱちぱちと爆ぜる音が連続し、時折、内部に残った圧力が小さな破裂音となって響いた。
時間がない。
キャロは焦る気持ちを押し殺しながら周囲を見渡す。炎の揺らめきが視界を歪ませ、熱気で涙が滲む。
「見つかりません…!」
返事はない。
気絶しているのか、それとも――。
誰も口にはしなかった。だが、耳の奥で燃料が沸騰するような低い唸りが響くたび、最悪の想像が現実味を帯びていく。
このまま炎が燃料へ引火すれば――。
一瞬、空気が凍りついたように感じられた。
大爆発は避けられない。
もう助からない。
そんな最悪の考えが、熱と轟音の中で一瞬だけ全員の脳裏をよぎる。
その時だった。
「……!」
瓦礫の奥で、小さな緑の光が明滅した。
ぱち、ぱち、と規則正しく。炎の揺らぎとは明らかに異なる、意志を持ったような点滅。
「今の光!」
なのはが反射的に駆け出す。足元の破片が砕ける音が鋭く響き、熱風が背中を押す。
慎重に、それでも急ぎながら瓦礫を退かしていく。
鉄骨を持ち上げるたびに軋む悲鳴のような音が響き、焦げた装甲板をどかすと、そこから熱気が一気に噴き出した。
そして、その下から一人の男が姿を現した。
「ヴァイス君!」
操縦席に挟まれながらも、かろうじて息がある。
胸は微かに上下し、意識は薄い。
胸元ではストレージデバイス《ストームレイダー》が緑色の魔力光を繰り返し点滅させていた。
その光は炎の赤と対照的に、冷たいほど澄んで見える。
墜落の直前、ヴァイスは咄嗟にデバイスを操縦席から取り外し、自らの身へ装着していたのだ。
主人の危機を察知したストームレイダーは、微弱な魔力を断続的に放ち、まるで心臓の鼓動のように救助を求め続けていた。
「キャロ!」
「はい!」
キャロは即座に詠唱を開始する。
空気が震え、淡い桜色の光が彼女の手元から広がった。
魔力が触れた瞬間、ヴァイスの身体を包み込み、焼けるような熱と痛みを和らげていく。
出血が抑えられ、荒かった呼吸が少しずつ整っていく。
「応急処置は終わりました!」
「運び出そう!」
スバルとなのはがヴァイスを慎重に抱え上げる。
その瞬間、まだ熱を持つ金属が軋み、背後で炎が一段と高く跳ね上がった。
全員がその場から駆け出す。
靴底が地面を叩く音、瓦礫が崩れる音、そして背後で膨れ上がる炎の唸りが混ざり合う。
次の瞬間――轟音。
世界が一瞬、白く弾けた。
輸送ヘリが爆発したのだ。
圧縮された空気が一気に解放され、衝撃波が地面を叩きつける。
灼熱の火柱が夜空を裂き、爆風が背中を殴りつけるように押し出した。
耳をつんざく破裂音が遅れて響き、熱風が肌を焼く。
「きゃっ!」
キャロがよろめく。視界が揺れ、足元が浮くような感覚に襲われる。
エリオが咄嗟にその身体を支えた。二人の頬を、爆風に巻き上げられた砂と熱が叩く。
あと数秒遅れていたら――。
誰もが無言でその事実を理解した。
「ロングアーチ!」
なのはは通信を開く。まだ耳鳴りが残る中、声を張り上げる。
「グランセニック陸曹を発見しました! 意識はありませんが生存しています! 救護班を至急お願いします!」
『了解! 救護班を急行させます!』
通信が切れる。
これで当面の危機は去った。
だが、爆発の余韻が空気を震わせ続ける中、安心する暇はない。
屋上ではヴィータが敵を食い止めている。
遠くから断続的な衝突音と魔力の炸裂音が響き、戦闘が続いていることを告げていた。
敵の目的は正面決戦ではない。
こちらの隙を突き、戦力を削ること。
ヘリを撃墜したのも、そのためだった。
「……厄介だね」
なのはは軽く歯軋りする。
まだ耳の奥には爆発の残響が残り、心臓の鼓動と混ざり合っている。
これまで幾多の事件を乗り越えてきた。
だが、これほど狡猾に戦力そのものを削りにくる相手は初めてだった。
その時。
『なのはさん!』
シャーリーの切羽詰まった声が通信へ飛び込む。ノイズ混じりの声が、緊張をさらに引き上げる。
『大変です!』
「どうしたの!?」
『虫使いの少女が……消えました!』
「えっ!?」
なのはの表情が凍りつく。
そうだ。
ヘリが撃墜された瞬間、ヴァイスの救助を優先するあまり、捕らえた少女から目を離してしまった。
バインドで拘束していた。
だから安心していた。
しかし今、耳に残るのは爆発の残響と、遅れて押し寄せる嫌な予感だけ。
その一瞬の油断。
それこそが、敵の狙いだった。
◇
暗い地下水路。
人一人がようやく通れる狭い空間を、一つの影が音もなく進んでいた。
戦闘機人セイン。
固有能力《ディープダイバー》によって地盤そのものへ溶け込むように潜航し、ルーテシアを背負ったまま地中を移動している。
その傍らには、昆虫型召喚獣ガリューの姿はない。
既に姿を消し、地上でなのは達の様子を窺っていた。
「…残念だけど」
ルーテシアが静かに呟く。
「今回のレリックは諦めよう」
「了解でーす」
セインは相変わらず気の抜けた口調で返事をした。
「いや~、ルーテシアお嬢様が捕まったって聞いた時は、さすがにヒヤリとしましたよ」
「……」
ルーテシアはしばらく黙っていた。
そして、小さく口を開く。
「あの人達……強かった」
思い返すのは地下で対峙した魔導師達。
狭い地下道。
ヘリの撃墜。
仲間の救助。
捕虜の確保。
次々と想定外の事態が起こる中でも、彼女達はすぐに立て直した。
統率は乱れながらも、完全には崩れない。
それだけの実力があった。
「でも……」
ルーテシアの瞳に静かな光が宿る。
「次は負けない」
その声に迷いはない。
「あの人達には、まだ見せてないものがあるから」
切り札。
それはまだ一枚も切っていない。
戦いは終わっていないのだ。
「うんうん」
セインは軽く頷く。
「じゃあ、こっちはこのまま帰っていいんだね? うん」
短い返事。
その直後、セインの通信機が軽く鳴った。
「あ、お嬢様」
耳を澄ませたセインが笑みを浮かべる。
「トーレ姉から連絡でーす」
「何て?」
「クア姉とディエチは無事回収したって」
「……そう」
ルーテシアは安堵したように小さく息を吐いた。
今回の作戦は失敗。
レリックは向こうに渡った。
それでも、大切な仲間は誰一人欠けなかった。
それだけは、唯一の救いだった。
暗い地下を二人は静かに進んでいく。
やがて、その姿は闇の奥へと溶け込み、完全に見えなくなった。