こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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15.空虚な心

事件から数時間後。

 

ティアナ・ランスターは、事情聴取という名目で機動六課隊舎へ案内されていた。

避難命令が出ていた区域に最後まで留まり、魔法まで使用していた。

顔見知りでなければ、敵の協力者と疑われても仕方のない状況だった。

簡単な事情確認を終え、部屋にはなのはとティアナだけが残る。

重い空気が満ちる。

 

「ティアナ…」

 

なのはが静かに口を開いた。

 

「心配してたんだよ」

 

ティアナは視線を逸らしたまま答える。

 

「……あの時のことは、私もあまり覚えていません。」

 

淡々とした口調。感情は表に出ない。

 

「当てもなく歩いていたら、教会が目に入ったんです。」

 

そう言うと、自分の修道服の裾を軽く摘まんだ。

 

「そこで、『ここで働かせてください』って……お願いしました。」

 

なのはは、その黒い修道服を見つめる。

そこにいるのは、かつて六課で共に戦ったスターズ隊のセンターガードではない。

冥王教会のシスターだった。

 

「……助けてくれて、ありがとう」

 

なのはは頭を下げる。

 

「ティアナがいなかったら、今頃ヴァイス君も、私達もどうなっていたか分からなかった」

 

その言葉に、ティアナの眉がわずかに寄る。

 

(……今さら)

 

胸の奥がざわつく。

 

あの時は、誰も気づいてくれなかった。

何度も限界を迎えた。

何度も助けを求めた。

それでも届かなかった。

なのに、今になって。

 

「私ね…」

 

なのははゆっくりと言葉を続けた。

 

「今回、偶然だけど……ティアナの代わりに指揮をしたの」

 

ティアナは何も答えない。

 

「全然、駄目だった」

 

なのはは苦笑する。

 

「スバルも、エリオも、キャロも……思うように動かせなかった」

 

その声には、自嘲が滲んでいた。

 

「どうしてなんだろうって考えて……やっと分かった」

 

なのははティアナを真っ直ぐ見つめる。

 

「みんな、心がある人間なんだよね」

 

「……」

 

「命令すれば動く道具じゃない」

 

「信じてもらって、信じ返して」

 

「その積み重ねがあって、初めて一つの部隊になる」

 

ティアナの指先がわずかに震える。

なのはは唇を噛んだ。

 

「私は……気づくのが遅すぎた」

 

静かな声だった。

 

「ごめんなさい」

 

頭を下げる。

 

「あなたのSOSに、気づいてあげられなかった」

 

部屋に沈黙が落ちる。

ティアナは何も言えない。

言葉が喉の奥で詰まる。

押し殺していた感情だけが、ゆっくりと揺れていた。

なのはは顔を上げる。

 

「こんなことを言える立場じゃないって分かってる。それでも……」

 

一歩だけ前へ進む。

 

「お願い」

 

その声は、隊長としてではなかった。

一人の大人として。

一人の教導官として。

傷つけてしまった教え子へ向ける声だった。

 

「ティアナ、戻ってきて……」

 

その願いに、ティアナは目を閉じる。

答えは、まだ出せなかった。

 

 

静かな応接室。

 

窓から差し込む夕陽が床を赤く染め、部屋には時計の針だけが時を刻んでいた。秒針の音がやけに大きく響き、沈黙の重さを際立たせている。

向かい合って座るなのはは、意を決したように口を開く。

 

「ティアナ、戻ってきて……」

 

少しだけ震えるなのはの声。

隊長ではなく、一人の人間としての願いだった。

しかし。

 

「……お断りします」

 

はっきりとした拒絶だった。

なのはの表情が固まる。

 

「……え?」

 

思わず聞き返してしまう。

ティアナは穏やかなまま、なのはを見つめ返した。

 

「なのはさん」

 

「はい……」

 

「なのはさんは……私のことを、どう思っていますか?」

 

なのはは迷わず答えた。

 

「大切な部下」

 

「大切な仲間だよ」

 

その言葉に偽りはない。

だからこそ、ティアナは静かに続けた。

 

「では…」

 

一拍。

 

「あの模擬戦の時の私を、どう思っていますか?」

 

その問いに、なのはは息を止めた。

喉の奥が乾き、言葉が引き裂かれるように出てこない。

あの日のティアナ。

 

焦り。

苛立ち。

無茶な突撃。

制御を失った魔力。

そして――自分の砲撃が、その全てを止めた瞬間。

視界の奥で、光が弾けた感触が蘇る。

あのときの衝撃は、今も指先に残っている気がした。

 

「私は…」

 

ティアナが静かに口を開く。

 

「恨んでいません」

 

「悲しんでもいません」

 

「……」

 

「あの時の私は、確かにまともじゃありませんでした」

 

自嘲するように笑う

 

「だから…強引に止めたなのはさんの判断は、正しかったと思っています」

 

「じゃあ、なんで……」

 

なのはの声はかすれていた。

胸の奥が締め付けられ、呼吸が浅くなる。

 

「どうして戻ってきてくれないの?」

 

その問いは、ほとんど祈りに近かった。

ティアナは少しだけ窓の外へ視線を向ける。

夕焼けの光が頬に落ち、影を柔らかく縁取る。

 

「改めて思い知りました」

 

その声は、不思議なくらい穏やかだった。

 

「天才はいるんだって」

 

なのはの肩がわずかに震える。

その言葉が、刃のように胸へ刺さる。

 

「努力しても、どうしても超えられないものがある」

 

「私はその事実を受け入れることができました」

 

「違う!」

 

なのはは思わず立ち上がる。

椅子が床を擦る音が、やけに鋭く響いた。

 

「違うよ!」

 

「ティアナだって才能あるんだよ!」

 

必死だった。

否定したかった。

自分の手で壊してしまったものを、まだ取り戻せると信じたかった。

だが。

 

「私の欲しかった(・・・・・)才能じゃありません」

 

その一言で、なのはは言葉を失う。

空気が一瞬で冷えたように感じた。

 

「……」

 

「それに…」

 

ティアナは小さく笑った。

その笑みは、どこか遠くを見ているようだった。

 

「執務官になるっていう夢も…今考えるとなんだかおかしくて」

 

「おかしい……?」

 

なのはの声はかすかに揺れる。

 

「兄さんは、確かに尊敬できる人でした。でも――」

 

ティアナは懐かしむように目を細めた。

視線がゆっくりと落ちる。

夕陽がテーブルの上で揺れ、影が長く伸びていく。

 

「死んだ人間の為に生きている人間が危ない仕事に就くなんて……変ですよね」

 

その言葉は、誰かを責めるものではなかった。

ただ、自分自身を静かに切り離すような響きだった。

 

「兄さんが蘇るわけでもない」

 

「何かをくれるわけでもない」

 

「私がやろうとしていたことは…」

 

一拍。

時計の針が、やけに大きく鳴った。

 

「ただの自己満足だった」

 

静かに言い切る。

 

「ようやく気づいたんです」

 

なのはは何も言えなかった。

喉の奥に言葉が詰まり、呼吸だけが浅く繰り返される。

ティアナは微笑む。

どこか吹っ切れたような。

穏やかで、そして遠い笑みだった。

 

「だから」

 

ゆっくりと頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「私の目を覚まさせてくれて」

 

その瞬間、なのはの胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

視界の端が揺れる。

夕陽の赤が、急に痛いほど眩しく感じられた。

 

(違う)

 

そんなことを言ってほしかったんじゃない。

夢を諦めさせたかったわけじゃない。

生きる理由を失わせたかったわけじゃない。

 

なのはは自分の手を見下ろす。

あの日、魔力を放った手。

その感触が、今も皮膚の奥に残っている気がした。

 

(私は……)

 

ようやく理解した。

あの模擬戦でティアナが失ったものは、執務官になるという夢だけではない。

もっと根本にあったもの。

 

兄の背中を追い続けてきた理由。

努力を続ける意味。

そして――自分自身を信じるための支え。

その全てを、あの日断ち切ってしまったのだ。

 

なのはの耳に、遠くで鳴る時計の音だけが響く。

やけに規則正しく、残酷なほど冷静に。

 

(その引き金を引いたのは……)

 

震える指先が、無意識に拳を握る。

爪が掌に食い込み、痛みが遅れてやってくる。

 

(……私だ)

 

呼吸が浅くなる。

視界の端が滲む。

それでも涙は落ちない。

落ちる資格がないと、どこかで理解してしまっていた。

部屋には、重い沈黙だけが残っていた。

 

夕陽はゆっくりと傾き、二人の影を長く、長く床に伸ばしていた。

 

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