こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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16.さようなら

 

機動六課隊舎の正門前。

 

そこには普段の任務時とは違う、ひどく静まり返った空気が漂っていた。

集まっているのは、なのはやフェイト、はやて。

スターズ、ライトニング分隊の仲間達。

そして、六課に所属する多くの局員達。

誰もが一人の少女を見送るために、ここへ来ていた。

 

ティアナ・ランスター。

 

その身元引受人として、冥王教会から訪れた行人が隣に立っている。

 

「……いいんだな。本当に」

 

行人は最後に確認するように尋ねた。

 

「はい」

 

ティアナは即答した。

迷いのない返事。

それ以上聞かないでほしい。

そう言っているようにも聞こえた。

 

行人はそれ以上言葉を重ねなかった。

彼女がどれだけ考えた末に、この決断をしたのか。

短い付き合いでも理解できていたからだ。

 

「じゃあ、行こうか」

 

行人が車へ向かおうとした、その時だった。

 

「ま、待ってください!」

 

声を上げたのはスバルだった。

ティアナが振り返る。

スバルは少し震える手で、一つの物を差し出した。

 

「これ……ティアナに渡してくれませんか?」

 

それは、カード型のデバイス。

クロスミラージュ。

ティアナのデバイス。

長い時間を共に戦ってきた存在だった。

 

「この子、ティアナの相棒なのに……置いていっちゃうんです」

 

スバルは俯く。

その言葉が落ちた瞬間、周囲の空気がわずかに沈んだ。

風は吹いているはずなのに、その流れだけが妙に遠く感じられる。

金属のフェンスを揺らす音も、靴底が砂利を踏む音も、どこか薄くなっていく。

誰かが息を呑む気配だけが、やけに鮮明に響いた。

 

ティアナは何も言わない。

ただ、そのデバイスを見つめていた。

指先が動くこともなく、視線だけが静かにそこへ留まる。

行人は静かにクロスミラージュへ視線を向ける。

そして、

 

「……それを聞いたら、私が受け取る訳にはいきませんね」

 

「え……? どうしてですか?」

 

スバルが目を見開く。

 

行人は淡々と答えた。

 

「あの子がそれを置いていくのは、これからの人生に必要ないと思ったからでしょう」

 

「……」

 

「使う気のない主人の下に置かれているなら、新しい主人に使ってほしい」

 

行人はクロスミラージュを見る。

 

「私があの子なら、そう考えます」

 

「それは……そうですけど」

 

スバルは言葉に詰まる。

しかし、すぐに顔を上げた。

 

「じゃあ、クロスミラージュの気持ちはどうするんですか!?」

 

「……」

 

「ティアナの相棒なんですよ!?」

 

その声が響いた瞬間、周囲の音がさらに遠のいた。

風の音だけが、やけに大きく耳の奥に残る。

行人は少しだけ目を細めた。

 

初期化(・・・)して、一から育てていけばいいでしょう」

 

「え……」

 

その一言が正門前の空気をさらに静かにした。

遠くで鳴いていた鳥の声さえ、今は届かない。

ただ、風が鉄柵を撫でる音だけが間延びしたように続いている。

 

「それとも」

 

行人は静かに問いかける。

 

「主人を苦しめる事しかできないと分かっていて、それでも一緒にいたいと言っているんですか?」

 

スバルは黙った。

言い返す言葉が見つからないのではない。

その問いが、あまりにも真っ直ぐだったからだ。

 

「それこそ、デバイスの本分から逸脱しています」

 

厳しい言葉だった。

だが、間違ってはいなかった。

クロスミラージュを見れば、ティアナは必ず思い出す。

 

魔導師だった自分。

戦場に立っていた自分。

そして――あの日。

なのはに撃墜された瞬間を。

それは相棒ではなく、傷を開く鍵になってしまうかもしれない。

 

スバルも分かっていた。

だからこそ苦しかった。

ティアナにこれ以上、苦しんでほしくなかった。

 

「……」

 

沈黙が流れる。

その沈黙は、ただの無音ではなかった。

風が通り抜けるたびに、誰かの喉がわずかに動く音がする。

それすらも大きく感じるほど、言葉のない時間が重く沈んでいた。

やがて行人は、少しだけ声を和らげた。

 

「ですが」

 

「?」

 

「それすら嫌なら」

 

行人はクロスミラージュを見てから、スバルを見る。

 

「あなたが預かっていればいい」

 

「私が……?」

 

「はい」

 

行人は頷く。

その動作は静かで、しかし揺るぎなかった。

 

「いつになるか分かりません。ですが…」

 

「ティアナが再び魔導師として、管理局員として戦うことを決意した時。その時に渡してあげてください」

 

一拍。

その間、風が再び正門を抜けていく。

鉄柵がかすかに鳴り、遠くの木々が揺れる。

けれど誰も、その音を追わなかった。

 

「あの子の相棒として…ね」

 

スバルの目が揺れる。

そして、ゆっくりとクロスミラージュを握りしめた。

その瞬間、金属でも魔力でもない確かな“重さ”が手に残る。

それは物理的な重さではなく、託された時間そのものの重みだった。

 

「……はい」

 

小さな声。

けれど、確かな返事だった。

ティアナはその様子を黙って見ていた。

何か言いたそうに。

唇がわずかに動きかけて、それでも結局、言葉にはならない。

ただ一瞬だけ。

ほんの一瞬だけ。

クロスミラージュへ視線を向けた。

その視線は、別れでも拒絶でもなく――ただ、確かにそこにあった時間の名残だった。

 

そして、車へ乗り込む。

ドアが閉まる音は、やけに遠くで鳴ったように感じられた。

エンジンがかかる。

低い振動が地面を伝い、足元に現実を少しずつ戻していく。

だが誰も動かない。

誰も手を振らない。

振るべき手が分からなかった者もいれば、動かすことすらできなかった者もいた。

 

車がゆっくりと動き出す。

タイヤが砂利を踏む音が、一歩ごとに間を置いて響く。

その一音一音が、まるで別れを刻むように長く引き延ばされていく。

正門の前を通り過ぎるその瞬間だけ、時間が不自然なほど遅くなった。

ティアナの横顔が、ガラス越しに一瞬だけ見える。

その一瞬が、やけに長い。

誰かの呼吸が止まるほどに長い。

そして次の瞬間には、もう遠ざかっていく。

エンジン音が徐々に薄れ、角を曲がる。

その最後の残響が消えるまで、誰も視線を外さなかった。

音が完全に途切れたあとも、しばらく沈黙は続いた。

残されたのは、風の音と、胸の奥に沈んだまま言葉にならない喪失感だけだった。

誰も追いかけなかった。

 

今はまだ、彼女が選んだ道を尊重する時だったから。

 

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