機動六課隊舎の正門前。
そこには普段の任務時とは違う、ひどく静まり返った空気が漂っていた。
集まっているのは、なのはやフェイト、はやて。
スターズ、ライトニング分隊の仲間達。
そして、六課に所属する多くの局員達。
誰もが一人の少女を見送るために、ここへ来ていた。
ティアナ・ランスター。
その身元引受人として、冥王教会から訪れた行人が隣に立っている。
「……いいんだな。本当に」
行人は最後に確認するように尋ねた。
「はい」
ティアナは即答した。
迷いのない返事。
それ以上聞かないでほしい。
そう言っているようにも聞こえた。
行人はそれ以上言葉を重ねなかった。
彼女がどれだけ考えた末に、この決断をしたのか。
短い付き合いでも理解できていたからだ。
「じゃあ、行こうか」
行人が車へ向かおうとした、その時だった。
「ま、待ってください!」
声を上げたのはスバルだった。
ティアナが振り返る。
スバルは少し震える手で、一つの物を差し出した。
「これ……ティアナに渡してくれませんか?」
それは、カード型のデバイス。
クロスミラージュ。
ティアナのデバイス。
長い時間を共に戦ってきた存在だった。
「この子、ティアナの相棒なのに……置いていっちゃうんです」
スバルは俯く。
その言葉が落ちた瞬間、周囲の空気がわずかに沈んだ。
風は吹いているはずなのに、その流れだけが妙に遠く感じられる。
金属のフェンスを揺らす音も、靴底が砂利を踏む音も、どこか薄くなっていく。
誰かが息を呑む気配だけが、やけに鮮明に響いた。
ティアナは何も言わない。
ただ、そのデバイスを見つめていた。
指先が動くこともなく、視線だけが静かにそこへ留まる。
行人は静かにクロスミラージュへ視線を向ける。
そして、
「……それを聞いたら、私が受け取る訳にはいきませんね」
「え……? どうしてですか?」
スバルが目を見開く。
行人は淡々と答えた。
「あの子がそれを置いていくのは、これからの人生に必要ないと思ったからでしょう」
「……」
「使う気のない主人の下に置かれているなら、新しい主人に使ってほしい」
行人はクロスミラージュを見る。
「私があの子なら、そう考えます」
「それは……そうですけど」
スバルは言葉に詰まる。
しかし、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、クロスミラージュの気持ちはどうするんですか!?」
「……」
「ティアナの相棒なんですよ!?」
その声が響いた瞬間、周囲の音がさらに遠のいた。
風の音だけが、やけに大きく耳の奥に残る。
行人は少しだけ目を細めた。
「
「え……」
その一言が正門前の空気をさらに静かにした。
遠くで鳴いていた鳥の声さえ、今は届かない。
ただ、風が鉄柵を撫でる音だけが間延びしたように続いている。
「それとも」
行人は静かに問いかける。
「主人を苦しめる事しかできないと分かっていて、それでも一緒にいたいと言っているんですか?」
スバルは黙った。
言い返す言葉が見つからないのではない。
その問いが、あまりにも真っ直ぐだったからだ。
「それこそ、デバイスの本分から逸脱しています」
厳しい言葉だった。
だが、間違ってはいなかった。
クロスミラージュを見れば、ティアナは必ず思い出す。
魔導師だった自分。
戦場に立っていた自分。
そして――あの日。
なのはに撃墜された瞬間を。
それは相棒ではなく、傷を開く鍵になってしまうかもしれない。
スバルも分かっていた。
だからこそ苦しかった。
ティアナにこれ以上、苦しんでほしくなかった。
「……」
沈黙が流れる。
その沈黙は、ただの無音ではなかった。
風が通り抜けるたびに、誰かの喉がわずかに動く音がする。
それすらも大きく感じるほど、言葉のない時間が重く沈んでいた。
やがて行人は、少しだけ声を和らげた。
「ですが」
「?」
「それすら嫌なら」
行人はクロスミラージュを見てから、スバルを見る。
「あなたが預かっていればいい」
「私が……?」
「はい」
行人は頷く。
その動作は静かで、しかし揺るぎなかった。
「いつになるか分かりません。ですが…」
「ティアナが再び魔導師として、管理局員として戦うことを決意した時。その時に渡してあげてください」
一拍。
その間、風が再び正門を抜けていく。
鉄柵がかすかに鳴り、遠くの木々が揺れる。
けれど誰も、その音を追わなかった。
「あの子の相棒として…ね」
スバルの目が揺れる。
そして、ゆっくりとクロスミラージュを握りしめた。
その瞬間、金属でも魔力でもない確かな“重さ”が手に残る。
それは物理的な重さではなく、託された時間そのものの重みだった。
「……はい」
小さな声。
けれど、確かな返事だった。
ティアナはその様子を黙って見ていた。
何か言いたそうに。
唇がわずかに動きかけて、それでも結局、言葉にはならない。
ただ一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
クロスミラージュへ視線を向けた。
その視線は、別れでも拒絶でもなく――ただ、確かにそこにあった時間の名残だった。
そして、車へ乗り込む。
ドアが閉まる音は、やけに遠くで鳴ったように感じられた。
エンジンがかかる。
低い振動が地面を伝い、足元に現実を少しずつ戻していく。
だが誰も動かない。
誰も手を振らない。
振るべき手が分からなかった者もいれば、動かすことすらできなかった者もいた。
車がゆっくりと動き出す。
タイヤが砂利を踏む音が、一歩ごとに間を置いて響く。
その一音一音が、まるで別れを刻むように長く引き延ばされていく。
正門の前を通り過ぎるその瞬間だけ、時間が不自然なほど遅くなった。
ティアナの横顔が、ガラス越しに一瞬だけ見える。
その一瞬が、やけに長い。
誰かの呼吸が止まるほどに長い。
そして次の瞬間には、もう遠ざかっていく。
エンジン音が徐々に薄れ、角を曲がる。
その最後の残響が消えるまで、誰も視線を外さなかった。
音が完全に途切れたあとも、しばらく沈黙は続いた。
残されたのは、風の音と、胸の奥に沈んだまま言葉にならない喪失感だけだった。
誰も追いかけなかった。
今はまだ、彼女が選んだ道を尊重する時だったから。