こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

18 / 21
18.どうして

 

 

夜の冥王教会。

 

石造りの尖塔が月光に鈍く白く浮かび、中庭は黒い影に沈んでいた。

礼拝堂のステンドグラスから漏れる燭光が、風に揺れて淡く瞬く。

冷えた夜気は乾き、吸い込むたびに肺の奥がわずかに痛む。

草木の匂いと昼の熱を残した石畳が混ざり合い、澄んだ空気を形作っていた。

その静寂を破るように、乾いた破裂音が一定の間隔で響く。

 

パンッ。

 

パンッ。

 

夜に吸い込まれながらも、確かな輪郭を持って残響する。

放たれた小さな光弾が淡い尾を引き、一直線に木製の的の中心を撃ち抜いた。

命中の瞬間、乾いた木がわずかに軋み、微細な破片が夜風に散る。

最後の一枚が揺れながら倒れた。

 

「……ふぅ」

 

ティアナは小さく息を吐く。

白くはならない吐息は夜気に溶け、すぐに消えた。

六課の訓練に比べれば児戯のような内容だ。動く標的も時間制限もない。ただ静止した的を撃つだけ。

それでも、なぜか止める気にはなれなかった。

石畳に響く自分の呼吸がやけに大きい。遠くで夜鳥が一度鳴き、すぐに沈黙へ戻る。

六課のことか、昼間エレンに振り回された腹いせか。理由は分からない。

ティアナは夜空を見上げた。

雲間の月が冷たく尖塔を銀色に縁取る。

 

その時、裏門がギィと軋んで開いた。

 

「お疲れ様ー」

 

軽い声が夜風に乗る。静けさを乱さずに溶け込む声だった。

 

「お疲れ様です」

 

振り向くと、額に汗を浮かべた行人が立っていた。

走り込んできた熱がまだ残り、白い息が短く散る。

 

「行人さん、今日も走り込みですか?」

 

「ははっ。教会の雑務ばっかりだと体が鈍るからな」

 

行人は苦笑しながら頭を掻く。

 

 

「神父なんだから、別に気にしなくてもいいと思いますけど」

 

「それはそれ、これはこれ」

 

軽く笑い、行人は地面に腰かけた。

彼は呼吸を整えながら柔軟を始める。

ティアナはその様子を眺める。

修道服越しでも分かる鍛えられた体。

無駄のない動きと、しなやかな芯の強さ。

汗が月光を一瞬だけ反射して消える。

見慣れた武装隊員の身体とは違う。

鋼のようでありながら、風のように柔らかい。

 

「……冥闘士(スペクター)

 

「ん?」

 

行人が顔を上げる。

 

「エレンさんに聞きました。行人さんは冥闘士(スペクター)という、神に仕える戦士だって」

 

聖王教会でいうところの教会騎士のようなものだろうか。

昼間の穏やかな姿が脳裏をよぎる。

子ども達と笑い合う声、柔らかな表情。

どう見ても戦士には見えない。

 

「何でそんなものになったんです?」

 

沈黙の後、行人は口元を緩めた。

 

「へぇ、俺に興味が出てきた?」

 

ティアナは一瞬だけ顔をしかめる。

 

「……やっぱりいいです」

 

踵を返し、歩き出す。

 

「おやすみなさい」

 

「えっ、ちょっ……!」

 

行人が慌てて立ち上がる。パラパラと砂と土が零れ落ちた。

 

「待って待って!」

 

ティアナは振り返らない。

 

「分かった、分かったから!」

 

行人は両手を上げて苦笑した。

 

「教えるよ」

 

その言葉に、ティアナはゆっくり振り返る。

月光が横顔を照らし、瞳に微かな光を宿す。

夜風が二人の間を静かに吹き抜けていった。

 

 

行人は少しだけ夜空を見上げた。

さっきまでの軽い笑みは消え、静かな表情になる。

 

「俺には家族がいてな」

 

ぽつりと語り始める。

 

「父さんと母さん、それに兄と俺。四人家族だった」

 

ティアナは黙って耳を傾ける。

 

「父さんは医者で、母さんは専業主婦。外から見れば、そこそこ裕福で幸せな家庭だったと思う」

 

一拍置く。

 

「……外から見れば、だけどな」

 

その声には乾いた響きがあった。

 

「父さんは典型的な学歴至上主義だった」

 

行人は苦笑する。

 

「自分より学歴の低い人間は、人格まで劣っていると本気で信じてた」

 

「……」

 

「母さんは優秀な人だった。でも親の勧めでお見合いして、就職せずに結婚した」

 

夜風が木々を揺らす。

 

「だから父さんには頭が上がらなかった」

 

静かに、淡々と続ける。

 

「そんな父さんにとって、子どもは家族じゃない。自分の後を継がせるための道具だった」

 

ティアナの瞳がわずかに揺れる。

 

「兄は凄かった」

 

その言葉だけは、わずかに誇らしげだった。

 

「頭も良くて人望もある。生徒会にも入って、誰かのために動くのを苦にしない奴だった」

 

自然と笑みが浮かぶ。

 

「自慢の兄貴だったよ」

 

だが、その笑みはすぐに消えた。

 

「それに比べて俺は捻くれててな」

 

「勉強は駄目、運動も底辺。学校ではいじめにも遭った」

 

淡々とした口調が、かえって重い。

 

「当然、父さんは兄の方を可愛がる」

 

「兄が本命で、俺は予備」

 

「いつの間にか、家の中ではそれが当たり前になってた」

 

ティアナは何も言わず、ただ聞いている。

 

「出来の悪い俺は塾に放り込まれた」

 

「でも成績は上がらない」

 

行人は自嘲気味に笑う。

 

「家に帰ればテスト用紙を取り上げられて、殴られたり、怒鳴られたりした」

 

少しだけ目を伏せる。

その一言で十分だった。

ティアナは思わず拳を握る。

 

「夜の街は綺麗だった」

 

行人は教会の外へ視線を向ける。

 

「駅前には笑ってる人がいて、恋人がいて、家族連れがいて、コンビニやゲーセンでは友達同士で集まって……みんな楽しそうだった」

 

静かな声が続く。

 

「でも俺は、家に帰るのが嫌で仕方なかった。まだ子どもなのにバスも使わず、歩いて帰っていたよ」

 

学校に居場所はない。

塾では劣等生。

家では暴力。

どこにも自分の居場所はなかった。

 

「学校、塾、家」

 

指を折るように数えながら苦笑する。

 

「どこに行っても思うんだ」

 

『俺の居場所って、どこなんだろう』

 

その問いに答える者はいなかった。

だから。

 

「いつしか思うようになった」

 

行人は夜空を見上げる。

 

「……人間って、醜いな(・・・)って」

 

怒りも憎しみもない。

長い年月の果てに沈殿した、静かな諦めだけが滲んでいた。

ティアナは何も言えなかった。

穏やかに笑う神父にも、自分と同じように誰にも言えない傷があったのだと、初めて知ったからだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。