朝食の後片付けを終えた食堂。
行人が食器を棚へ戻していると、背後からエレンの視線がじっと突き刺さっているのに気づいた。
「……最近、二人とも仲が良いですね」
不意に投げられた言葉に、行人は手を止めて振り返る。
「ん?」
エレンは腕を組み、値踏みするような目でこちらを見ていた。
「何かありましたか?」
「別に」
行人は軽く首を傾げる。
「ただ、あの夜以降かな」
そう言って思い返す。
ティアナは夜の自主訓練を隠さなくなった。
裏門の訓練場で魔力弾の射撃を行い、行人が走り込みに向かえば、いつの間にか隣に並んでいる。
柔軟運動や基礎体力づくりも、当然のように付き合うようになっていた。
その代わりと言っては何だが、行人もまたティアナから魔導師との戦い方やマルチタスクの考え方を教わっている。
互いに足りないものを補い合う。
それだけの関係だった。
「一人より二人の方が都合が良い時もある」
最後の皿を棚へ戻しながら、行人は淡々と続ける。
「ティアナには色々助けられてるよ」
「ああ」
エレンは妙に納得したように頷いた。
だが次の瞬間、何気ない調子でとんでもない言葉を差し込む。
「下のお世話とかですか?」
「…………」
一瞬、食堂の空気が凍りついた。
「今まで男所帯だったあなたには、色々溜まっているでしょうし」
「……お前さぁ」
行人のこめかみに青筋が浮かぶ。
ゆっくりと振り返ると、声の温度が一段下がった。
「冗談を言うなら人を選べ」
いつもの穏やかな表情は消えている。
「さすがに怒るぞ」
「おや」
エレンは肩をすくめ、意外そうに目を瞬かせた。
「本気で怒るとは思いませんでした」
「当たり前だ」
即答する行人に、エレンはなおも悪びれない。
ふっと口元を緩めると、今度は別の角度から切り込んできた。
「ですが、若い男女が二人きりで深夜に野外運動をしているんですよ?」
「……」
「邪推くらいします」
行人は言葉を失う。
「あなたこそ、あの子がうら若き乙女だということを忘れてはいませんか?」
「いや、俺はそんなつもりじゃ――」
エレンは容赦なく遮った。
「事実はどうであれ、傍から見ればそう見える、と言っているんです」
「…………」
反論の言葉が出てこない。
確かに、言われてみればその通りだった。
本人たちにやましい意図はなくとも、周囲がそこまで事情を汲んでくれるとは限らない。
行人は額に手を当て、小さく息を吐いた。
「……気を付ける」
「ええ。その方がよろしいでしょう」
エレンは満足げに頷くと、今度はわざとらしく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それが嫌なら、いっそ本当に交際してみては?」
「それこそ冗談じゃない」
即座に返す。
「俺は聖戦を諦めてない」
真っ直ぐな瞳で言い切るその声には、一切の迷いがなかった。
「いつ死ぬか分からない身で、誰かと付き合うなんてできるか」
その言葉に、エレンは一拍置いてから深くため息を吐いた。
「……クソ真面目が」
「何だよ」
「その真面目さ、半分くらい恋愛にも向けられませんかね」
「向ける予定はない」
「でしょうね」
エレンは心底呆れたような目で行人を見つめる。
まるで、どうしようもないものを見る視線だった。
「そんな調子では、そのうちティアナに愛想を尽かされますよ」
「だから、そういう話じゃ――」
「はいはい」
最後まで聞く気はないらしい。
エレンは軽く手を振ると、そのまま食堂を出ていった。
静けさが戻った室内で、行人は大きく息を吐く。
「……何で俺が説教されるんだ」
その呟きは誰に届くこともなく、静かな食堂へと溶けていった。
◇
午後の冥王教会。
礼拝堂の掃除を終えたティアナは、入口の扉が開く音に顔を上げた。
「ようこそいらっしゃいまし…た」
視線の先に、見慣れた金色の髪がある。
「フェイトさん…」
思わず身構えるティアナに、フェイトは小さく苦笑して両手を軽く上げた。
「大丈夫。無理やり六課に連れ戻すつもりはないよ」
そして隣にいた少女へ視線を向ける。
「今日はこの子に会わせたくて来たんだ」
少女は一歩前に出て、胸の前で手を揃えた。
「こ、こんにちは。ヴィヴィオです」
澄んだ声が礼拝堂に響く。
その瞬間、ティアナの目が見開かれた。
(この子……)
忘れるはずがない。あの日、路地裏で倒れていた少女だ。
フェイトは優しく微笑む。
「このお姉ちゃんが、ヴィヴィオを助けてくれたんだよ」
ヴィヴィオは大きく頷き、ティアナの前へ歩み寄る。
「お姉ちゃん、助けてくれてありがとうございました」
深々と頭を下げる少女に、フェイトがそっと頭を撫でた。
その様子を見て、ティアナの肩から力が抜ける。
ただお礼を伝えに来ただけなのだと理解した。
ティアナはしゃがみ込み、ヴィヴィオと目線を合わせる。
「どういたしまして。元気そうで安心したわ」
ヴィヴィオは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、フェイトもほっと息を吐く。
「やっと笑ってくれたね」
ティアナは少し照れたように視線を逸らす。
「少しは……落ち着きました」
「そう」
フェイトは静かに頷き、表情を改めた。
「ヴァイス陸曹も無事だよ。しばらくは絶対安静だけど。彼から伝言『お陰で助かった。この借りは必ず返す』だって」
「ふふふ、大人しく傷を治してくださいと伝えてください」
「それと……あの時はごめん。ティアナが苦しんでいたことに気付けなかった」
ティアナはすぐに首を振る。
「違います。隠していたのは私です」
フェイトが目を見開く。
ティアナは一度息を整え、続けた。
「あの頃の私は、弱さを見せるのが恥だと思っていました。だから誰にも相談しなかったんです」
そして小さく苦笑する。
「なのはさんにも、ちゃんと話すべきでした」
フェイトは黙って耳を傾ける。
「エース・オブ・エースの訓練に疑問を持つなんて、身の程知らずだと思い込んで……最初から諦めていました」
静かに首を振る。
「でも、なのはさんはそんな人じゃなかった。ちゃんと向き合ってくれる人だったんです」
視線を落とし、唇を噛む。
「私は結局、逃げただけでした」
礼拝堂に静寂が落ちる。
フェイトは何も言わない。ただ、目の前の言葉を受け止めていた。
ティアナは顔を上げ、穏やかに微笑む。
「だから、あの事件は誰か一人のせいじゃありません。すれ違いが重なった結果だったんだと思います」
その笑顔は、以前のような無理のあるものではなかった。
フェイトは小さく息を吐き、柔らかく笑う。
「……ティアナ、強くなったね」
ティアナは少しだけ照れながら頷いた。
「まだまだです。でも、少しは前に進めたと思います」
憑き物が落ちたようなティアナの笑顔は陽の光によって輝いて見えた。