機動六課・会議室。
事件を終えたばかりの隊長陣が円卓を囲み、重苦しい空気の中で席についていた。
ティアナの離隊。
その穴は想像以上に大きく、フォワード陣の再編は急務となっていた。
静寂を破ったのは、八神はやてだった。
「みんな、注目や」
全員の視線が集まる。
「ようやくティアナの抜けた穴を埋められそうな子が来てくれたんよ」
そう言って入口へ目を向ける。
「入ってきてええよ」
扉が静かに開く。
最初に姿を現したのは、一人の青年だった。
腰まで届く黒い長髪をポニーテールに束ね、漆黒の隊服をまとっている。
鋭い眼差し。
引き締まった口元。
年齢はスバル達とそう変わらないはずなのに、その立ち姿には場数を踏んだ戦士の風格が漂っていた。
隊長達がその姿を見つめる中――。
「ボルツ君!?」
なのはが思わず立ち上がる。
青年は軽く視線だけを向け、小さく頭を下げた。
「お久しぶりです、高町教導官」
その声を聞いたフェイトが目を丸くする。
「なのは、知ってるの?」
「う、うん……」
なのはは頷きながらも、表情は晴れない。
「でも……ボルツ君がここにいるってことは……」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
その予感は、すぐ現実となった。
「久しぶりだな、高町」
低く落ち着いた声。
再び扉が開き、一人の男性が部屋へ入ってくる。
年齢は二十代半ばほど。
白衣を羽織り、首には聴診器。
軍人というより研究者にも見える穏やかな雰囲気だが、その瞳だけは驚くほど鋭かった。
なのはの背筋がぴんと伸びる。
「カケル、先輩……」
その一言に、ヴィータが眉をひそめる。
「知り合いか?」
なのははぎこちなく頷いた。
男性は全員を見回し、静かに一礼する。
「本日付で機動六課へ配属となりました」
「医務官カケル・R・ワゴンです」
一拍置き、隣へ視線を向ける。
「こちらは私の使い魔、ボルツ」
ボルツも一歩前へ出る。
「よろしくお願いします」
短く、それだけを告げた。
はやてが立ち上がり、全員へ説明する。
「なのはちゃんは知っとると思うけど、カケル先生は航空戦技教導隊の医務官やったんよ」
「魔力量はかなり高いんやけど、本人は戦闘より治療専門や」
「せやから、高ランク魔導師の制限にも引っかからへん」
ヴィータが腕を組む。
「で、そっちの兄ちゃんは?」
はやてが微笑む。
「ボルツ君が実戦担当や」
「主武装は刀による近接戦闘。せやけど、鞭も使えるから中距離も対応できる万能型やで」
「ほぉ……」
同じ戦闘スタイルのシグナムが興味深そうにボルツを見る。
一方、フェイトは隣のなのはをちらりと見た。
「なのは……大丈夫?」
「え?」
「なんだか顔色が……」
「だ、大丈夫」
なのはは慌てて笑顔を作る。
「ほんとに?」
「う、うん」
その様子を見ていたカケルが、静かに口を開いた。
「相変わらず無茶をしているようだな、高町」
その一言だけで、なのはの身体がびくりと震える。
「……っ」
誰にも気づかれていないと思っていた。
しかし。
カケルは淡々と続ける。
「まあいい」
「六課が稼働している間は、大目に見てやる」
会議室が静まり返る。
「だが」
白衣のポケットへ手を入れたまま、真っ直ぐになのはを見据える。
「任務が終わったら、どうなるかは分かっているだろうな」
なのはの頬から血の気が引いた。
(ば、バレてる……)
胸が締め付けられる。
シャマルには何度も頼み込んだ。
絶対に他言しないように、と。
だから誰にも知られていないはずだった。
それなのに目の前の医務官は、一目見ただけで全てを見抜いていた。
フェイトとはやては、不思議そうになのはを見る。
「なのは?」
「……何か隠してるん?」
問い掛けられたなのはは、ぎこちなく笑うことしかできなかった。
その様子を見ていたカケルは、小さくため息をつく。
(……やはり重症か)
エース・オブ・エース。
その肩書きを背負い続ける少女は、誰にも見せないまま、自分自身を少しずつ壊していた。
◇
機動六課医務室。
静まり返った診察室に、三人だけが向かい合って座っていた。
診察机の向こうには、白衣姿のカケル・R・ワゴン。
その正面には、高町なのはとシャマルが肩を並べて座っている。
重苦しい沈黙。
先に口を開いたのはカケルだった。
「さて…」
眼鏡の奥の鋭い視線が二人を射抜く。
「俺が何を言いたいかは分かるな?」
「……はい」
なのはが小さく頷く。
隣のシャマルも申し訳なさそうに俯いていた。
カケルはゆっくりと視線をシャマルへ移す。
「シャマル先生」
「はい!」
「あなたがこの子の主治医になると聞いた時、私は安心しました」
「ベルカでも屈指の治癒術師。医師としての腕も申し分ない」
「だから、ようやくこの馬鹿を止められると思ったんです」
「……っ」
シャマルの肩が震える。
「申し訳ありません!」
勢いよく頭を下げた。なのはちゃんを説得できませんでした!」
カケルは小さく息を吐く。
「おや? 何に対して謝っているんです?」
「え……?」
顔を上げるシャマル。
「説得できなかったこと、です……」
「違います」
即答だった。
「あなたは主治医です」
「患者に選ばれたということは、『この人に治してほしい』と信頼されたということでもある」
「その信頼に応えられなかったことを、まず考えるべきです」
シャマルは唇を噛む。
言い返せない。
カケルは今度はなのはを見る。
「高町」
「……はい」
「一つ聞こう」
眼鏡を静かに机の上に置く。
「お前が考えた完治までの治療計画を聞かせてくれ」
「…………」
「休養期間は?」
「競技復帰の目安は?」
「リハビリは?」
「任務への復帰基準は?」
「時間は十分与えた。当然、考えてあるんだろうな?」
診察室が静まり返る。
なのはは視線を泳がせる。
額から冷や汗が一筋流れ落ちた。
「…………」
「高町」
逃げ道はない。
なのははぎゅっと目を閉じ――
「す、すみません!」
勢いよく頭を下げた。
「全然考えてませんでした!」
沈黙。
カケルは深いため息を吐いた。
「やっぱりな、教導隊の頃から何一つ変わっていない」
その声には怒鳴るような激しさはない。
だが、それが余計に胸へ刺さる。
「高町」
「お前は優しい」
「誰かが無茶をすれば全力で止める。それはお前の長所だ」
「ランスター二士が自分を追い詰めた時もそうだった」
「仲間には『そんな戦い方はするな』と言う」
そこで言葉を切る。
なのはは俯いたままだ。
「なら…」
静かな声が診察室へ響く。
「何故、お前自身はそれを守らない?」
「…………」
「お前にだけ例外が許される理由は何だ? 言ってみろ」
返事はない。
あるはずもなかった。
「結局、お前は『自分は大丈夫』という根拠のない自信で身体を酷使し続けた」
「未来の自分が何とかしてくれる」
「そう思っていただけだ」
「違うか?」
「……違いません」
消え入りそうな声だった。
カケルは再びシャマルを見る。
「シャマル先生」
「はい……」
「患者の意思を尊重することは大切です」
「ですが、命に関わるなら、医師は嫌われても止める義務があると私は考えています」
「患者が望んだから治療を諦める」
「それは優しさではありません」
「責任放棄です」
シャマルは強く唇を噛み締めた。
「……はい」
その返事は重かった。
カケルは椅子にもたれ、小さく息を吐く。
「私は医者です。だから患者を治す」
「だが、患者自身に治る気がなければ、どんな名医でも救えない」
眼鏡を掛け直し、なのはを真っ直ぐ見据える。
「高町、治す気はあるのか?」
「…はい」
「壊れた教導官は、生徒を守れない」
「そして壊れた英雄は、誰も救えない」
その一言が、なのはの胸へ深く突き刺さった。
教導隊へ入ったばかりの頃。
何度も同じことを言われた。
それでも、自分は変われなかった。
その結果が今だ。
「……すみませんでした」
なのはは静かに頭を下げる。
その隣でシャマルも同じように頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
診察室には、二人の謝罪だけが静かに響いていた。