こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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23.後悔

医務室。

 

 

先ほどまでの説教が終わり、重苦しい沈黙が流れていた。

 

なのはは膝の上で両手を握り締めたまま、その指先に力を込める。爪が食い込むほどに握っていないと、胸の奥のざわつきが溢れてしまいそうだった。

 

(……聞かなきゃ)

 

意を決したように、しかし声はわずかに掠れていた。

 

「……カケル先輩」

 

「何だ?」

 

短い返答。その無機質さが、逆に逃げ場を塞ぐ。

 

「先輩は……ティアナとの一件を、どう思っていますか?」

 

言った瞬間、なのはは自分の心臓が跳ねるのを感じた。

 

(今さら、こんなこと聞いて…)

 

だが、聞かずにはいられなかった。

カケルは一瞬だけ眉を動かした。その僅かな変化を、なのはは見逃さない。

 

「聞いてどうする?」

 

その問いに、なのはは一瞬言葉を失う。

 

(やっぱり……そう、だよね)

 

当然の反応だった。部外者に過ぎない自分が、踏み込んでいい領域ではない。

 

「それは、もう終わった話だろう」

 

「ランスターニ士は冥王教会にいる」

 

「そして、お前達も復帰を期待してはいない」

 

「……はい」

 

なのはは小さく頷く。

その通りだった。理屈では、もう終わっている。

それでも胸の奥に残る棘のような感情だけが、どうしても消えなかった。

 

(終わった“はず”なのに……)

 

カケルは深く息を吐く。

その吐息には、わずかな疲労の色が混じっていた。

 

「……まあ、いい」

 

その一言に、なのはの肩がわずかに跳ねる。

 

「俺から見れば、どちらにも問題はあった」

 

「やろうと思えば、もっと早い段階で気づく事ができたと思っている」

 

(やっぱり…)

 

なのはは唇を噛む。

自分たちの判断は完璧ではなかった。その事実を突きつけられるのが怖かった。

隣のシャマルも、無意識に背筋を正している。

 

「高町」

 

「はい」

 

呼ばれただけで、喉が乾く。

 

「お前のことだから、フォワード陣は真面目なお利口さんばかり集めたんだろう?」

 

「……はい」

 

否定できなかった。

むしろ、それが誇りですらあった。

だが今、その誇りが少しだけ揺らぐ。

 

カケルは静かに頷いた。

 

「その判断は正しい」

 

「えっ……?」

 

思わず声が漏れる。

 

(……否定されると思ってたのに)

 

胸の奥で、張り詰めていたものが一瞬だけ緩む。

 

「一人の部下が勝手な行動を取った結果、部隊が瓦解する」

 

「そんな組織は論外だ」

 

「規律を守れる人材を集めるのは、指揮官として当然の判断だ」

 

なのははシャマルと目を合わせる。

同じように、驚きと戸惑いが浮かんでいた。

 

(……認められた?)

 

だが、その安堵は長く続かない。

カケルは人差し指を一本立てる。

 

「ただし」

 

その一言で、空気が再び引き締まる。

 

「反対意見を言う人間は必要だがな」

 

「だが、それは日頃の積み重ねがあって初めて意味を持つ」

 

なのははその言葉を聞きながら、胸の奥がじわりと痛むのを感じた。

 

(積み重ね……)

 

ティアナの顔が浮かぶ。

あの時、自分はどれだけ彼女の“積み重ね”を見ていただろうか。

 

「普段は怠けてばかりの奴が、いざという時だけ偉そうに説教しても誰も信用しない」

 

二人は黙って頷く。

その言葉は、鋭く胸に刺さった。

 

(……私たちも、そうだったのかもしれない)

 

ティアナの苦労を、どこか“当然のもの”として扱っていなかったか。

 

「話を戻そう」

 

カケルは腕を組む。

その動作に、場の空気が再び引き締まる。

 

「ティアナ・ランスターという人間を思い出せ」

 

「普段のあいつはどんな奴だった?」

 

なのはは一瞬だけ目を閉じる。

記憶の中のティアナは、いつも背筋を伸ばしていた。

 

「礼儀正しくて……真面目で……」

 

言葉にするほどに、胸が痛む。

 

「命令にも不満を言わず、いつも一生懸命で……」

 

それは“良い部下”のはずだった。

なのに、なぜ。

 

「優等生、ですね」

 

シャマルが静かに言葉を補う。

 

「そうだ」

 

カケルは頷いた。

 

「そんな奴が、規則を破った」

 

「しかも、自分の立場が不利になることを承知で、だ」

 

その瞬間、なのはの胸の奥で何かが軋んだ。

 

(どうして……)

 

診察室の静けさが、やけに重い。

 

「普通なら、何かあったと考える。それが人を見るということだ」

 

「でも……」

 

なのはは小さく反論する。

声は弱い。自分でも揺れているのが分かる。

 

「規則は規則です。違反した以上、止めなければ……」

 

言い切ろうとして、言葉が途中で詰まる。

その“正しさ”が、急に薄っぺらく感じられた。

 

「だから、もっと深く考えろ」

 

カケルは首を横へ振る。

 

「いい歳して、横断歩道では毎回ちゃんと手を挙げて渡るような奴が、ある日突然万引きをしていたらどう思う?」

 

「…………」

 

なのはは息を呑む。

頭では理解できるのに、心が追いつかない。

 

「『犯罪者だ』で終わるか?」

 

「虐めとか家庭の事情とか、何か理由があるんじゃあないかと考えないか?」

 

その問いに、なのはは小さく息を吐く。

 

「……考えます」

 

それは、ようやく絞り出した答えだった。

 

(考える、はずなのに…)

 

なぜティアナには、それができなかったのか。

 

「だろう」

 

カケルは静かに頷く。

 

「ティアナ・ランスターも同じだ」

 

「規則違反だけ見て終わるな」

 

「何故、その行動を至ったのかを考えろ」

 

なのはは俯く。

視線の先が滲む。

 

(私は……見ていなかった)

 

結果だけを見て、判断していた。

その過程にあった“揺れ”を、想像しようとすらしなかった。

 

「高町、ティアナ・ランスターを最終的に採用した理由は何だ?」

 

「えっと……」

 

記憶を辿る。

試験の光景が、断片的に蘇る。

 

「Bランク試験です」

 

「現時点のランク以上の動きを見せ、て……」

 

そこで言葉が止まる。

 

「あっ……」

 

思い出した瞬間、胸が締め付けられる。

あの時のティアナは、確かに“冷静”だった。

 

足を負傷し、リタイアしようとしていた。

 

無理をしなかった。

 

自分の限界を理解していた。

 

「思い出したか?」

 

カケルの声は静かだった。

責めてはいない。ただ事実を確認しているだけの声。

 

「それが本来のティアナ・ランスターだ」

 

「無茶をしない」

 

「冷静に状況を分析する」

 

「任務を達成できないと判断すれば、潔く退く」

 

その言葉が、なのはの胸に深く沈む。

 

(そんな子だったのに……)

 

「なのに、六課ではその判断ができなくなった。何故だ?」

 

その一言で、なのはの呼吸が一瞬止まる。

 

(私たちが……)

 

胸の奥が冷たくなる。

 

「つまり俺が言いたいのは、普段できていた判断が、何故できなくなったのかを考えろということだ」

 

なのはは恐る恐る口を開く。

 

「スバルが……無理に六課に引っ張ったから、ですか?」

 

言った瞬間、自分の声が震えているのに気づく。

カケルは目を閉じ、小さくため息を吐いた。

 

「そのことに当人が気付かないことを祈るよ」

 

「え?」

 

なのはの胸がざわつく。

 

「もし『自分が親友の夢を壊した元凶」と思い込んだら、今度はスバル・ナカジマが潰れる」

 

その言葉に、なのはの表情が強張る。

 

(そこまで……)

 

想像していなかった連鎖。

自分の判断が、誰かをさらに追い詰める可能性。

 

「人はな…壊れる時、突然壊れるわけじゃない」

 

カケルは静かに続けた。

その声は、どこか遠い記憶を見ているようだった。

 

「小さな無理を積み重ねて、最後の一本で折れる」

 

「お前達が見たのは、その最後の一本だけだ」

 

医務室は静まり返る。

なのははゆっくりと目を閉じた。

 

(……違う)

 

ティアナは、あの日突然変わったわけじゃない。

もっと前から。

ずっと前から。

一人で、誰にも見えない場所で。

無理を積み重ねていた。

その事実が、今さらのように胸へ重く沈み込んでいく。

 

(私は……一体、何を見ていたんだろう。何を解った気でいたんだろう)

 

その後悔だけが、静かに残っていた。

 

 

医務室を出ようとしたその時だった。

 

「高町」

 

背中へ掛けられた声に、なのはは足を止める。

 

――その一言だけで、胸の奥が少しだけ強く締め付けられる。

呼び止められたことが嬉しいのか、それともまだ何か言われるのか分からず、なのはは振り返ることができないまま息を呑んだ。

 

「シャマル先生、少し席を外していただけますか」

 

「……分かりました」

 

シャマルは一瞬だけ二人を見てから、静かに部屋を後にした。

扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

 

――逃げ場がなくなった、となのはは思った。

 

医務室には二人だけが残る。

沈黙が落ちる。

夕陽が窓から差し込み、白い壁を淡く染めているのに、その光はどこか冷たく見えた。

 

なのはは無意識に拳を握る。

怒られるのかもしれない、という予感と、それでも逃げたくないという気持ちがせめぎ合っていた。

 

やがてカケルが口を開く。

 

「一つだけ訂正しておく」

 

「え?」

 

思わず顔を上げる。

 

「さっきの話だ」

 

なのはは首を傾げる。

 

「俺は、お前だけを責めるつもりはない」

 

「でも…」

 

その言葉に、なのはの胸の緊張が少しだけ緩む。

同時に、なぜか別の痛みが静かに残った。

 

「というか、俺にも責任があるんだ」

 

なのはは目を見開いた。

 

「先輩が……ですか?」

 

「ああ」

 

カケルは椅子へ深く腰掛け、窓の外へ視線を向ける。

その横顔は、いつもより少しだけ遠くを見ているようだった。

 

「教導隊へ来たばかりのお前は、意地っ張りだった」

 

なのはは小さく苦笑する。

 

――覚えている。

あの頃の自分は、止まることが怖かった。

教導隊に馴れようと必死だった。

 

「そう……でしたね」

 

「痩せ我慢しているお前に気づいた俺は同じことを言った」

 

『休め』

 

『治療を優先しろ』

 

『身体を壊すぞ』

 

「バカの1つ覚えみたいに、何度もな…」

 

懐かしむような口調だった。

なのはの胸の奥に、当時の光景が蘇る。

汗だくでクタクタになっても笑っていた自分と、真剣な顔でそれを見ていた彼。

 

「そしてお前は忠告を聞かなかった」

 

「はい……」

 

否定できない。

その言葉は、今の自分にもそのまま刺さる。

 

「だから俺も、ある時から諦めた」

 

その一言に、なのはの心がわずかに揺れる。

 

――認められたと思っていた。

それが勘違いと分かった瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。

 

「この頑固者は、大きな失敗でもしない限り変わらない。そもそも教導隊はそういうやり方じゃあないか、とな」

 

そこで言葉を切る。

 

なのはは何も言えなかった。

言い返したいのに、言い返せない。

その沈黙が、自分の未熟さを突きつけてくる。

 

「今思えば、そんなセオリーに甘えたのが間違いだった」

 

静かな声だった。

責めているわけではない。

それなのに、なのはの胸はなぜか苦しくなる。

 

「俺は医者だから体調ばかり注目していた」

 

「疲労」

 

「古傷」

 

「魔力負荷」

 

「筋肉や骨の状態」

 

「そういうものばかりだ」

 

眼鏡を外し、天井を仰ぐ。

その仕草が、どこか疲れて見えた。

 

「だが」

 

短い間その沈黙の中で、なのははなぜか息を止めていた。

 

「一番診るべきだったのは、お前の考え方だったと気づいた」

 

なのはの胸が小さく震える。

 

――見透かされている。

それなのに、不思議と怖くはなかった。

 

「無理をする理由、頼らない理由、管理局に来た理由、戦う理由…」

 

言葉が一つずつ落ちるたびに、胸の奥の奥に触れてくる。

 

「やり方を変える、その発想が当時の俺にはなかった。自分の正しさに酔っていたんだな」

 

カケルは苦く笑った。

 

「医者としての自分に拘るあまり、指導係としての自分を見失っていたのさ」

 

「今回のお前のようにな」

 

その言葉に、なのはの喉が勝手に動いた。

 

「そんなことありません!」

 

思わず声が出る。

自分でも驚くほど強い声だった。

 

「先輩は何度も止めてくれました! それを私は…」

 

言いかけて、言葉が詰まる。

 

――そうだ。

止められていたのに、止まらなかったのは自分だ。

 

「それでもだ」

 

カケルは首を横へ振る。

責めるでもなく、ただ事実として。

 

「俺は俺を許さない」

 

「ほんの少し考え方を変えるだけで、全く違う結果があったかと思うと悔しくて仕方ない」

 

その言葉は、自分への罰のようでもあった。

 

「だから六課へ来た」

 

「え……?」

 

なのはは目を丸くする。

 

「表向きはボルツの成長の為だがな」

 

カケルはなのはを真っ直ぐ見据える。

その視線に、なのはは思わず息を呑む。

 

「ティアナの一件を聞いて確信したよ」

 

――あの件。

胸の奥が一瞬だけ冷たくなる。

 

「俺の戦いはまだ終わっていない」

 

その言葉は静かだったのに、妙に重かった。

なのはは唇を噛む。

 

「お前の治療を諦めた事で今回の一件が発生したのなら、今後も起きる可能性がある」

 

「よって、治療を再開する事にした。お前の為じゃない。俺のプライドの為にだ」

 

「前回は身体に拘っていたから失敗した。だから次は”心“も診る」

 

「そこは…嘘でも、私の為って言って欲しかったです」

 

なのはは苦笑する。ああ、この人は何も変わってない。負けず嫌いで意地っ張りの頑固者。

 

「俺の性格を知っているだろ。俺は博愛の精神で医者になった訳じゃあない。俺は…いや、何でもない」

 

喋り過ぎたとカケルは黙り込む。

 

「相変わらずですね。……なんだかお医者さんというより、お説教好きなお兄さんです」

 

「失礼な奴だな」

 

珍しくカケルが苦笑した。

その表情に、なのはの胸が少しだけ軽くなる。

なのはもつられて笑う。

 

ほんの短い時間だった。

それでも、その笑顔は以前より少しだけ力が抜けていた。

 

――私だけじゃないんだ。

いつも完璧で正しかったカケル。

そんな彼にも失敗する事が、後悔する事があった。

そして今、それを克服する為に再び戦おうとしている。

私も、まだティアナにできる事があるかもしれない。

 

それが分かった事が、なぜか嬉しかった。

 

 

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