こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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26.聖戦への思い

 

しばらくの沈黙が談話室を満たした。

窓の外では虫の音だけが静かに響いている。

 

「ハァ……」

 

行人は深くため息をつき、椅子の背もたれへ身体を預けた。

天井を見上げたまま、力なく目を閉じる。

エレンはそんな様子を見つめ、首を傾げた。

 

「おや。聖戦に出られないことが、そんなにショックですか?」

 

「……まぁな」

 

短い返事。

そこには隠しようのない落胆が滲んでいた。

元の世界の聖戦参加は絶望的。

だが、この世界なら。

そう思っていた淡い期待も、今この瞬間に消え去った。

エレンは静かに紅茶を口へ運ぶ。

 

「分かりませんね。そんなに人を殺したいんですか?」

 

行人は苦笑した。

 

「……違うよ」

 

その笑みは、自嘲だった。

 

「戦場に出るってことは、敵を殺すってことです」

 

エレンは視線を逸らさず続ける。

 

「あなたは命の尊さを語る」

 

「教会では子供達と笑い合い、負傷者を助け、死者へ祈りを捧げる」

 

「なのに戦場へ行きたがる」

 

「言っていることと、やっていることが矛盾しています」

 

静かな指摘だった。

責めているわけではない。

純粋な疑問だ。

行人は目を閉じたまま、小さく笑う。

 

「……だよな」

 

その言葉を否定できなかった。

百も承知だ。

自分でも何度考えたか分からない。

それでも。

 

「ある人と……戦いたかったんだ」

 

ぽつりと漏れる。

エレンは何も言わない。

続きを待つ。

 

「俺にとって」

 

行人はゆっくりと言葉を選ぶ。

 

冥闘士(スペクター)って肩書きは、聖戦へのチケットみたいなものだった」

 

静かな夜風がカーテンを揺らす。

 

「俺は…きっと戦場じゃないと、自分の為に戦えない」

 

拳をゆっくり握る。

 

「自分の意思を確立できない」

 

その言葉には、迷いも見栄もなかった。

ただ、どうしようもない本音だけがあった。

 

「だから、あの人と戦いたかった」

 

小さく息を吐く。

それだけだった。

勝ちたいわけじゃない。

殺したいわけでもない。

ただ、その人と拳を交えた先にしか、自分という人間の答えはない。

そう信じていた。

エレンはしばらく黙っていた。

やがて、呆れたように肩をすくめる。

 

「……バカですね」

 

「ああ」

 

行人は苦笑した。

 

「そうさ、バカなんだよ」

 

その笑顔はどこか晴れやかだった。

自分が愚かだということだけは、誰よりも理解している。

椅子から立ち上がり、窓の外へ目を向ける。

月明かりが中庭を淡く照らしていた。

 

「きっと、死んでも治らない」

 

エレンはその背中を見つめる。

戦いたいから戦うのではない。

殺したいから剣を取るのでもない。

自分という存在を確かめるためだけに、戦場を求める男。

 

「……本当に、面倒な人ですね」

 

小さくため息をつく。

その声には、いつもの棘が少しだけ少なかった。

行人は振り返らず、小さく笑うだけだった。

 

 

談話室を出ようとした行人は、ふと思い出したように足を止めた。

 

「あ、そうだ」

 

「まだ何か?」

 

エレンが紅茶を口に運びながら視線だけ向ける。

 

「最後に一つだけ聞いていいか?」

 

「どうぞ」

 

行人は少しだけ期待を込めた声で尋ねた。

 

「この世界の天虚星レヴィアタンの冥闘士(スペクター)って、もういるのか?」

 

エレンは少し考えるように顎へ指を添えた。

 

「さあ? 私も全ての冥闘士(スペクター)を把握している訳ではありませんので」

 

「……そうか」

 

肩を落とす行人。

やはり簡単には分からないか。

そう思った、その時だった。

 

「ああ、でも」

 

「ん?」

 

エレンが何か思いついたように微笑む。

 

「あなたが呼べば来るのでは?」

 

「……は?」

 

冥衣(サープリス)が」

 

行人は目を丸くする。

 

「どういう意味だ?」

 

冥衣(サープリス)には魂があります」

 

エレンは当然のことのように説明を始める。

 

「依代へ宿り、冥闘士(スペクター)となる」

 

「つまり、レヴィアタンの魂はあなたの中にも混ざっているはずです」

 

「ならば…」

 

金色の瞳が悪戯っぽく細められる。

 

冥衣(サープリス)も、あなたを半身と認識するかもしれません」

 

「……」

 

行人は真剣に考え始める。

 

(確かに…)

 

理屈としては通っている。

この世界にもレヴィアタンが存在するなら、魂が共鳴してもおかしくはない。

 

「なるほど」

 

行人は立ち上がった。

 

「よし!」

 

大きく息を吸う。

 

「来い!」

 

拳を突き上げる。

 

「俺の冥衣(サープリス)!!」

 

…………。

 

静寂。

時計の針だけがコチ、コチと時を刻む。

何も起きない。

風すら吹かない。

談話室に響いたのは、行人の声だけだった。

 

「…………」

 

沈黙が痛い。

数秒後。

 

「ぷっ……」

 

エレンの肩が震えた。

 

「ぷくくっ……」

 

とうとう吹き出す。

 

「エ〜レ〜ン……」

 

行人は半眼で睨む。

 

「お前…ハメやがったな」

 

「さて、何のことでしょう?」

 

エレンは何食わぬ顔で紅茶を飲む。

 

「絶対分かってて言っただろ!」

 

「最後に判断したのは、あなたです」

 

「私は提案しただけですが?」

 

「ぐっ……」

 

反論できない。

勢いよく叫んだのは、紛れもなく自分だった。

その時だった。

 

「行人さん!」

 

談話室の扉が勢いよく開く。

ティアナが慌てた様子で駆け込んできた。

 

「どうしたんですか!?」

 

「何かあったんですか!?」

 

教会中に聞こえるほどの大声だったのだ。

心配するのも当然だった。

 

「えっと……」

 

行人は口を開く。

だが何と説明すればいいのか分からない。

 

『異世界の冥衣(サープリス)を呼ぼうとして失敗しました。』

 

などと言えるはずもない。

しばらく考えた末、

 

「何でもありません」

 

静かに答えた。

 

「いい歳した大人が、遅めの厨二病を発症しただけです」

 

「おい! 誰のせいだ!」

 

「あなたでしょう?」

 

行人が思わず叫ぶが、エレンは涼しい顔で返した。

 

「最後の判断をしたのは、あなたなのですから。」

 

「ぐぬぬ……」

 

行人は悔しそうに歯ぎしりする。

ティアナは事情がよく分からないまま、

 

「……はぁ」

 

と小さくため息をついた。

そして、

 

「ほどほどにしてくださいね」

 

とだけ言い残して談話室を出ていく。

その背中を見送りながら、エレンはついに堪えきれなくなった。

 

「ふふっ……ふふふ……くくっ…!」

 

珍しく心から笑っている。

 

「笑うなぁ!」

 

行人の情けない抗議が、教会中へ響き渡る。

――今日も、冥王教会は平和だった。

 

……ただ一瞬だけ。

 

誰にも気づかれないほど微かに。

談話室の奥で空気が“揺れた”。

まるで何かが呼ばれかけて、寸前で踏みとどまったかのように。

エレンの金色の瞳が、ほんの一瞬だけ細まる。

 

(今のは…)

 

気のせいか。

それとも。

紅茶の表面に小さな波紋が一つだけ遅れて広がった。

行人はそれに気づかないまま、まだエレンに文句を言っている。

 

(まぁ、いいでしょう)

 

――今日も、冥王教会は平和だった。

 

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