ある日の冥王教会にて。
教会の探検と称して館内を歩き回っていた行人は、一つの異変に気付いた。
「……なぁ」
休憩時間中、行人は妙に神妙な顔で談話室で寛ぐエレンへ歩み寄る。
「この間、教会の中を探検してたら、ちょっと気になる物を見つけたんだけど」
「ほう」
エレンは紅茶を口へ運びながら首を傾げる。
「どこで、何を、見つけたんです?」
「地下室」
行人は身を乗り出した。
「
「ああ」
エレンはあっさり頷いた。
「私が作りました」
「…………はあっ!?」
思わず椅子から立ち上がる。
「作ったって……
「はい」
エレンは当然のように答えた。
「
「ですが、基本的に聖戦で敗北すると、あのお方は長い眠りにつかれます。しかし…」
ティーカップを静かに置く。
「聖戦が近づけば、一足早く目覚めた
「中には先走って
「その結果、
「……」
行人は考える。
「聖戦前だとハーデス様は寝てるから無理か」
「その通り」
エレンは微笑んだ。
「そこで天沌星キマイラである私の出番です」
「地下資源は全てハーデス様の所有物。冥界の鉱物だけでなく、
「それを用いて、私は試作品を製作しました」
「名付けて――
エレンは無表情でドヤる。
数秒の沈黙。
「つまり…パチモン」
行人は真顔で言った。
「……残念ながら否定できません」
エレンは肩を竦める。
「性能は
人差し指を立てる。
「本物とは違って
「なるほど…
行人は腕を組み感心する。
「そんな認識で構いません」
「ふむ……」
行人は黙り込み、何かを真剣に考えている。
そして椅子から降りると談話室入口まで移動し、助走をつけて天高く跳躍した。
そのままエレンの目前まで移動すると着地と同時に膝を畳み、頭を床に打ち付ける。
見事なジャンピング土下座だった。
「お願いします!!」
ゴンッ!
額が床へめり込む勢いだった。
「どうかこの卑しい汚豚に一着譲ってください!!」
「えぇ……」
露骨に嫌そうな顔をするエレン。
「あなた、自分の
「この世界には持って来れなかったんですよ!」
さらに頭を擦りつける。
「お願いします! 身を守る物が無いと不安なんです!」
「ふーむ。どうしましょうかねぇ」
エレンはわざとらしく考え込む。
「お願いします!」
ゴンッ!
「お願いします!!」
ゴンッ!
「お願いします!!!」
ゴンゴンゴンッ!!
「……」
エレンは半眼になった。
「床の方が可哀想になってきましたね」
そう言いつつ、深い溜め息をつく。
「仕方ありません。私も作ったは良いですけど、処分に困っていたところです」
行人の顔がぱっと明るくなる。
「ただし、壊しても直しませんよ」
「試作品ですからね。一々修理するのは面倒なんです」
「ありがとうございます!!」
◇
そして数分後、地下室にて。
「うおぉぉぉぉ!」
行人の歓声が薄暗い室内に響く。
黒紫色の
「これだよ! これが
肩を動かす。
腕を振る。
屈伸してみる。
「軽い!」
「すごい!」
完全に少年だった。
その時だった。
「行人さん?」
地下室の扉が開く。
掃除道具を抱えたティアナが顔を覗かせた。
「あ」
行人が振り返る。
「ティアナ、見てくれ! これが
ティアナはしばらく無言で見つめる。
頭から脚まで一通り確認した後、
「……その格好で掃除するんですか?」
「え?」
行人が固まる。
「礼拝まで、もう時間がありません。早く行ってください」
「えっ?」
言われて行人は掛け時計を見る。
いつの間にか休憩時間は終わっていた。
「やばっ! すぐ脱ぐ! ちょっと待っ──」
「脱ぐ時間が惜しいでしょう。」
ティアナは平然と言う。
「そのまま行けばいいじゃないですか。」
「えっ?」
「おや?」
行人とエレンが同時に声を上げた。
◇
結局、行人は
掃除をし、
礼拝を手伝い、
子供達の相手をし、
教会へ来た信徒達から、
「わぁー、行人神父カッコいい!」
「すみませーん、写真撮ってもいいですか?」
「新型のバリアジャケットですか? どこのメーカーなんです?」
などと質問攻めにされ、一日中教会の名物展示物と化していた。
夕方になって、ようやく
「……ハァ、疲れた」
「自業自得ですね」
エレンはくすりと笑う。
「あなたがあんなにはしゃぐからですよ」
「だって久々の
子供のように拗ねる行人。
その隣でティアナは静かに掃除道具を片付けながら、小さく溜め息をついた。
「次からは、お仕事が終わってから着てください」
「は~い…」
しょんぼり返事をする行人。
そんな姿を見て、エレンはまた笑いを堪えきれず肩を震わせるのだった。
◇
数日後、冥王教会にて。
礼拝の時間も終わり、静かな午後の時間が流れていた。
礼拝堂の隅では、行人が銀製の燭台を磨いている。
長い黒髪を首の後ろで束ね、法衣姿で黙々と布を動かす姿は、どう見ても冥王に仕える戦士というより、真面目な修道士だった。
その隣では、ティアナが祭具の整理をしている。
しばらくして、ティアナがふと口を開いた。
「……行人さん」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
行人は手を止めずに答える。
「
「
「はい」
ティアナは少し考える。
「たぶん戦うことなんでしょうけど」
「正解。基本的には戦闘要員だよ。冥王軍の兵士だからな」
行人はあっさり頷いた。
「……」
ティアナは周囲を見回す。
掃除された礼拝堂。
磨かれていく燭台。
整然と並べられた祭具。
そして、法衣姿でせっせと働く行人。
「でも行人さんって、殆どここで雑用してますよね」
「……」
行人の手が止まった。
「ソウデスネ」
「
「ソウデスネ」
「戦う仕事なのに?」
「……ソウデスネ」
ティアナの視線が、少しだけ冷たくなる。
「何かおかしくありません?」
「あはは……」
行人は乾いた笑いを漏らした。
「まあ、色々あってね」
「色々?」
「ちょっと、前の職場でやらかしちゃって」
ティアナが眉をひそめる。
「やらかした?」
「……」
「うん」
「それで罰として、この教会に飛ばされたんだ」
行人は笑っている。
だが、その話の内容はどう考えても笑い話ではない。
ティアナは呆れたような顔になった。
「それは、ご愁傷様……です?」
一瞬、言葉を探す。
「ありがとう」
「で、何をしたんですか?」
「あ、聞くんだ?」
「そこまで言われたら気になりますよ」
ティアナは祭具を整理しながら、じっと行人を見る。
行人は少しだけ困ったように頭を掻いた。
「あー……」
「ハーデス様に対して謀叛を企てようとした奴をですね」
一拍置いてから覚悟を決めたように行人は答えた。
「独断でやっつけました」
「……」
痛い沈黙が流れる。
礼拝堂に、布が燭台を擦る音だけが響く。
「……はい?」
「だから、謀叛を企てた奴を倒した」
「聞き間違いじゃなければ」
ティアナの目が細くなる。
「行人さんは、ハーデス様に反逆しようとした人を
「はい」
「命令は?」
「なかった」
「許可は?」
「取ってない」
「報告は?」
「事後」
「……」
ティアナは額に手を当てた。
「私も人のこと言えませんが……行人さんも大概ですね」
「ひどいな」
「どっちがですか」
即答だった。
行人は苦笑する。
「いや、でもさ。ハーデス様に対する謀叛だぞ? 放っておくわけにもいかないだろ」
「だからって独断で?」
「それは……まあ」
行人は視線を逸らした。
「結果的には上手くいったし」
「結果の問題じゃないでしょう」
ティアナの声が少しだけ強くなる。
「組織に所属しているなら、命令系統というものがあるでしょうに」
「……」
「自分の判断だけで動いたら、周囲が困るんですよ」
「……おっしゃる通りです」
項垂れる行人だがティアナを見て苦笑する。
「なんですか?」
「いやー、なんだか昔の誰かさんに似ているなと思って」
「……」
ティアナの表情が固まる。
「それ、私のことですか?」
「さあ?」
「行人さん」
「はい」
「今のは明らかに私のことですよね?」
「気のせいです」
「……」
ティアナは大きく溜息をついた。
しかし、不思議と嫌な気分ではない。
自分だけが組織から外れてしまったように感じていた。
自分だけが、間違ったことをしたように思っていた。
けれど――目の前の男もまた、似たような失敗をしている。
違うのは、失敗の規模くらいだ。
「……それで」
ティアナが尋ねる。
「結局、行人さんはその後どうなったんです?」
「前線から離されて教会送り」
「それだけ?」
「それだけ」
「ずいぶん軽いですね」
「いや、本人としては結構重いぞ」
行人は燭台を持ち上げる。
磨かれた銀が、午後の光を柔らかく反射した。
「俺は戦うために
「……」
「戦場に出るために鍛えて、
行人は礼拝堂を見回す。
「掃除と雑用って、そりゃないよ」
「……」
トホホと肩を落とす行人の姿にティアナは思わず吹き出しそうになった。
必死に口元を押さえる。
「笑った?」
「笑ってません」
「いーや、絶対笑っただろ」
「気のせいです」
そう言いながら、ティアナの口元にはわずかな笑みが残っていた。
行人はそれを見て、何も言わなかった。
ただ、自分も少しだけ嬉しそうに笑う。
「まあ」
再び燭台を磨きながら、行人は言った。
「こうしてティアナと話せるようになったんだから、悪いことばかりでもないよ」
「……そういうこと、さらっと言うんですね」
「何が?」
「何でもありません」
ティアナは視線を逸らした。
午後の陽光が、二人の間に静かに差し込んでいる。
戦場から離れた教会。
そこには、かつて命令を飛び越えて戦った
どちらも、自分の選択が正しかったのかは分からない。
それでも今は、同じ教会で、同じように誰かのために働いている。
「行人さん」
「ん?」
「その……」
ティアナは少しだけ迷ってから言った。
「もう勝手に一人で突っ走らないでくださいね」
「……」
「私も、気をつけますから」
ティアナの意外な言葉に行人は一瞬だけ目を丸くした。
そして、穏やかに笑う。
「分かった」
「約束ですよ」
「ああ」
礼拝堂に、二人の声が静かに響く。
そして――。
「行人さん」
「今度は何?」
「燭台、まだ一つ残ってます」
「……」
「昼の礼拝までに全部終わらせてください」
「はい……」
結局、冥王教会の午後は、いつも通り穏やかだった。