ティアナが機動六課を去ってからというもの、部隊の歯車は目に見えて狂い始めていた。
「リィン、前衛フォワード陣への指示を!」
「は、はいっ!」
オペレーター席に座るリィンフォースII――通称リィンが慌ただしく指示を飛ばす。
だが、それは指示と呼ぶにはあまりにも大雑把だった。
「スバルさん、前へ! エリオさんは右側を警戒してください!」
「了解!」
返事は良い。しかし、それだけだった。
なのははモニター越しに二人の動きを見つめ、小さく息を吐く。
(……やっぱり)
当然の結果だった。
スバルの突進速度。
エリオの機動力。
二人は常に戦場を高速で動き続ける。
その二人に最適な指示を出し続けるには、常人の何倍もの思考速度が必要になる。
敵味方の位置。
地形。
残存魔力。
次の行動予測。
その全てを瞬時に整理し、最善手を選び続ける。
ティアナは、それを当たり前のようにこなしていた。
だからこそ、失って初めて分かる。
彼女が担っていた役割の重さを。
「キャロ!」
「は、はい!」
「えっと……その、負傷者がいたら回復を!」
「ど、どの程度ですか!?」
「え……その……」
答えが止まる。
キャロはリィンの言うブーストをいつ誰へ掛けるべきか判断できず、治癒魔法もどこまで温存すべきか分からない。
指示する側も答えられない。
戦場は、その一瞬すら待ってはくれなかった。
『レリック反応、消失!』
オペレーターの声が響く。
「またか……」
なのはは拳を握る。
これで二つ目。
二つ目のレリックを奪われた。
(ティアナなら……)
そんな考えが脳裏をよぎる。
いや、違う。
そんなことを考えても意味はない。
ここにいない人間を責めたところで、何も変わらない。
ティアナは、自らの夢を捨ててまで去ったのだ。
兄・ティーダの汚名を返上する。
それだけを胸に走り続けてきた少女が、その夢さえ捨てて脱走を選んだ。
そこまで追い詰めたのは誰だったのか。
(……私たちだ)
胸が締め付けられる。
今さら「戻ってきて」と言う資格など、自分たちにはない。
「ちっ!」
スバルが珍しく舌打ちを漏らした。
敵を取り逃がした悔しさか。
それとも思うようにチームが動けない事への苛立ちか。
どちらにせよ、彼女の余裕は確実に削られていた。
なのははその横顔を見つめる。
そして視線を隊長陣へ向けた。
ヴィータは腕を組んだまま黙り込み、シグナムも険しい表情でモニターを見つめている。
誰も何も言わない。
もし指揮を執っているのがティアナだったなら。
少し判断が遅れただけでも、ヴィータは怒鳴っていただろう。
シグナムも厳しく指摘したはずだ。
なのに、今は違う。
相手がリィンだから。
身内だから。
誰も叱責しない。
(……ティアナには、あんなに厳しかったのに)
その理不尽さに、なのは自身の胸が痛んだ。
あの時、ティアナはどんな気持ちでその叱責を受けていたのだろう。
自分は、本当に彼女を見ていただろうか。
『高町隊長、次のポイントへ移動します!』
「……うん」
返事はした。
だが、その声には力がなかった。
部隊はまだ動いている。
任務も続いている。
誰も倒れてはいない。
それでも、なのはには聞こえてしまった。
軋む音。
少しずつ、少しずつ、機動六課という部隊が音もなく崩れ始めている。
その音だけが、静かな戦場にいつまでも響いていた。
◇
聖王教会本部。
静寂に包まれた一室で、カリム・グラシアは一人、眉を寄せていた。
「……何かしら、これ」
彼女自身、望んで発動させたわけではない。
レアスキル――『
未来に起こる出来事を、詩文のような形で記す異能。
いつもなら、長い年月の流れの中で揺らぎながら現れる未来の断片が、ゆっくりと書き換わるように浮かび上がる。
だが今回のそれは、あまりにも異質だった。
唐突に。
そして、逃げ場のないほど鮮明に。
カリムの目の前に、新たな頁が現れていた。
彼女は震える指で、その文章をなぞる。
『光の矢が星を砕き、世界に闇の帳が下される』
「光の矢……?」
呟きは、理解ではなく拒絶に近かった。
それでも視線は、次の行へと引きずられる。
『人々は怒り狂い、狂信者に正義の剣を突き立てる』
『咎人が宝を闇の泉へと隠した』
『死者の国から覇王が蘇り、ここに暗黒の世が始まる』
読み終えても、意味は繋がらない。
いや、繋がらないのではない。
繋がってしまうことを、心が拒んでいた。
「……何度読んでも分からないわ」
カリムは椅子に深く腰を落とす。
機動六課。
その設立によって、未来は確かに変わった。
本来訪れるはずだった管理局の崩壊を防ぐために、八神はやては動いた。
古代ベルカの遺産。
選び抜かれた魔導師。
最新鋭の装備。
あらゆる力を集め、未来へ抗うための“形”を作った。
それが正しいと、誰もが信じた。
カリム自身も、その一人だった。
だが同時に、胸の奥には常に冷たい影があった。
(これほどの力を集めれば……世界に影響が出る)
分かっていた。
それでも止めなかった。
止められなかった。
はやてが背負おうとしたものを、彼女は支えると決めたからだ。
「……多少の犠牲は覚悟していた」
それは理性だった。
未来を救うための、冷たい計算だった。
だが今、その理性が音を立てて揺らいでいる。
カリムは窓の外を見る。
自分の予言が絶対ではないことは知っている。
未来は変わる。
変えられる。
だからこそ、はやてを信じてきた。
――信じることでしか、支えられなかった。
しかし。
「まさか……」
声が震える。
恐怖が、信仰を侵食していく。
「未来を変えた結果、さらに過酷な未来へ進んでいるなんて……」
そんなことが、あっていいのか。
正しいと信じた選択。
誰かを救うための決断。
それが、より深い闇への扉だったとしたら。
では、自分たちは何を救ってきたのか。
何を犠牲にしてきたのか。
カリムは両手を強く握り締める。
指先が白くなるほどに。
脳裏に浮かぶのは、親友の姿だった。
八神はやて。
小さな少女だった彼女は、今や多くのものを背負う指揮官となった。
家族を守るために。
仲間を守るために。
そして、未来そのものを守るために。
その歩みを、カリムは誰よりも近くで見てきた。
だからこそ――怖い。
(このまま進めば、はやては…)
守るために選んだ道が、彼女自身を壊してしまうのではないか。
その恐怖が、喉を締め付ける。
それでも同時に、胸の奥には別の感情があった。
信仰に近い、確かな信頼。
(はやてなら、きっと…)
どれほど絶望的な未来でも、彼女は諦めない。
その強さを、カリムは知っている。
だからこそ――祈るしかない。
「……はやて」
小さく名前を呼ぶ。
それは呼びかけであり、警告であり、懇願だった。
「お願い……」
誰もいない部屋で、声が震える。
恐怖が言葉を押し潰しそうになる。
それでも、カリムは続けた。
「なんとかして……」
未来を知る者としての責任と。
友を失うかもしれないという恐怖と。
それでも信じたいという願いが、同時に喉元で絡み合う。
カリムは自分ができることを全てやった。
予言を読み、可能な限りの情報を集め、手を打った。
だが、それでも足りない。
これ以上の備えは、もはや“未来への恐怖”を増やすだけだ。
ならば、残された選択は一つしかない。
信じること。
それは救いではなく、賭けだった。逃げだった。
カリムは静かに目を閉じる。
恐怖を押し殺すように。
信仰にすがるように。
そして、友情に縋るように。
「お願い……はやて」
未来を知る預言者としてではなく。
世界の行く末に怯える一人の人間としてでもなく。
ただ、友として。
彼女は祈った。
この先に待つ闇の中で。
それでもなお、手を伸ばし続ける誰かがいることを。