新暦0075年、9月8日。
スカリエッティの秘密研究所。
地上から隔絶された地下施設では、無数の機械音が絶え間なく響いていた。
巨大な培養槽、整然と並ぶコンソール、幾重にも張り巡らされた配線。
その中央で、戦闘機人ウーノが端末を操作していた。
「プランⅠ-A《ゆりかご》案件の進捗は順調です」
冷静な声が広大な空間に響く。
「四日後の対抗組織への襲撃準備も完了しています」
視線を端末へ走らせる。
「最終製作機No.7、8、12も機体・武装ともに調整済みです」
「ご苦労さま」
応じたのは白衣の若い男だった。
次元犯罪者ジェイル・スカリエッティ。
その顔には愉悦とも狂気ともつかない笑みが浮かんでいる。
「思わぬアクシデントで予定は狂ったが……修正できて何よりだ」
巨大モニターへ視線を向ける。
そこに映るのは機動六課の戦闘記録――正確には、ティアナ・ランスター離脱後のフォワード陣のデータだった。
「ふむ」
スカリエッティは顎に手を当てる。
ティアナ不在の戦闘では、フォワード陣の動きは明らかに鈍っていた。
連携の乱れ、判断の遅れ、各個撃破。
司令塔を失った影響は明白だった。
「司令塔一人でここまで変わるとはね」
興味深げに笑う。
だが、その表情はすぐに変わった。
「いや……それも終わった」
別の戦闘記録へ切り替える。
そこには、長い黒髪を靡かせて戦場を駆ける青年の姿があった。
新たな指揮官。
彼はティアナとは異なり、前線に立ち自ら戦場を動かしていた。
結果、フォワード陣の動きも変化している。
「思いの外、優秀だね」
スカリエッティは目を細める。
「部隊運用の思想そのものが違う」
データを切り替える。
「少々手を焼いたが――敵わない相手ではない」
新たな戦闘機人のデータが表示される。
「後期型は近接戦闘主体だ」
格闘能力、機動性能、反応速度。
対魔導師戦を想定した調整が施されている。
「遠距離から削られる前に間合いを潰す」
さらに項目を開く。
「戦闘経験の不足も問題ない」
ガジェットが収集した戦闘データを移植する。
「敵の経験をこちらが利用すればいい」
スカリエッティは満足げに笑った。
「盤石の布陣だ」
理論上は、すべて完璧だった。
四日後、計画は予定通り進む――はずだった。
「……」
その笑みがわずかに消える。
「ドクター?」
ウーノが振り返る。
「どうかしましたか?」
「妙だな」
スカリエッティは胸元に手を当てた。
「胸騒ぎがする」
ウーノは沈黙する。
彼女にはその感覚が理解できない。
スカリエッティは研究者であり、戦場の勘とは無縁の人間だ。
だからこそ、その違和感を持て余していた。
(何だ? 何か見落としているような…)
データに異常はない。
戦力差も想定内。
想定外要素も排除済み。
それでも、何かが引っ掛かる。
モニターに映る青年とフォワード陣。
そのさらに向こう側に、説明できない“何か”がある。
「トーレなら……いや、彼女でも説明はできないか」
「ドクター?」
「何でもない」
スカリエッティは笑みを戻す。
「ただの勘だよ」
そして指を鳴らした。
「ウーノ、“プレゼント”の進捗は?」
その言葉に、ウーノの表情がわずかに強張る。
「解析率83%です」
「そうか」
スカリエッティは満足げに頷く。
「あと少しだね」
「ですが完全解析にはまだ――」
「構わない」
言葉を遮る。
「むしろ今だからこそ試す価値がある」
「……ドクター?」
「念には念を、だ」
研究室の奥へ視線を向ける。
厳重に隔離された装置。
その中にあるのは、彼自身の手によるものではない。
「彼から貰った“あれ”を使おう」
口元が歪む。
「ちょうどいい実験台もいる」
ウーノの目がわずかに見開かれた。
「……まさか」
「さて」
スカリエッティは楽しげに笑う。
「面白い結果になるといいな」
照明がゆっくりと明滅する。
モニターに映る戦闘データ。
完成した戦闘機人。
予期せぬ“プレゼント”。
すべては予定通り――のはずだった。
だが、スカリエッティの計算には、一つだけ存在しない変数があった。
それは戦力でも、機械でも、魔力でもない。
人間が、自分の意思で予想外の選択をするということだった。
◇
公開意見陳述会、当日。
その日、冥王教会は本来であれば静かな朝を迎えるはずだった。
礼拝堂では信徒たちが祈りを捧げ、廊下には子供達の足音が穏やかに響いている。
銀製の燭台を磨く微かな擦過音。
食器を片付ける規則的な音。
どこかで交わされる、何気ない笑い声。
それらはすべて、平穏そのものだった。
――その平穏を、引き裂くように。
ウゥゥゥゥゥ――――!!
「……っ」
空気が震えた。
低く、腹の底に響くような警報音が、教会全体を揺らす。
続けて、耳をつんざくような甲高いサイレンが重なる。
ピィィィィィィ――――!!
一瞬で、空気が変わった。
子供達の笑い声が途切れ、代わりにざわめきが広がる。
「なーにー?」
「これ、何の音……?」
ティアナはすぐには答えられなかった。
喉の奥が、乾く。
(緊急警報?)
教会に設置された非常警報。
それが作動するということは、単なる事故や火災ではない。
“街そのもの”が危機に晒されている可能性がある。
(まさか……)
思考が一瞬だけ凍りつく。
その瞬間だった。
「――あ、煙!」
子供の悲鳴に近い声。
「外! 外見て!」
「黒いの、上がってる!」
ティアナは反射的に窓へ駆け寄った。
そして――息が止まる。
遠くの街並みの向こう。
空へ向かって、黒い柱が何本も立ち上っていた。
一本ではない。
二本。
三本。
さらに、その奥からも。
まるで空を汚すために生まれたかのように、黒煙が次々と天へ伸びていく。
(あの方角って、たしか…)
視線が鋭くなる。
(地上本部だ)
胸の奥で、嫌な音が鳴った。
これは事故ではない。
明確な“攻撃”だ。
しかも――。
(この規模で警報が出てるってことは…)
街全体が、すでに危険域にある。
「……かなり、まずい状況?」
呟きは、ほとんど音にならなかった。
ティアナは即座に振り返る。
不安に揺れる子供達の視線が一斉に集まっていた。
今、自分が動揺を見せるわけにはいかない。
「はい、みんな」
声を整える。
震えを押し殺し、いつもの調子を作る。
「先生の言うこと、ちゃんと聞いてね」
「訓練通りに動けば大丈夫。焦らないで、順番に移動するわよ」
「はーい……!」
返事はある。
だが、その声には明らかな不安が混じっていた。
ティアナはそれでも笑顔を作り、子供達を誘導する為、教室を出る。
しかしその脳内では、思考が止まらない。
(このタイミングで地上本部を襲撃?)
公開意見陳述会。
全世界が注目する日。
その“最も目立つ瞬間”を狙った攻撃。
そして、それを実行できる存在。
脳裏に浮かぶのは、ただ一人。
(ジェイル・スカリエッティ…)
呼吸がわずかに浅くなる。
ついに動いた。
沈黙していた次元犯罪者が、明確に“戦争”へ踏み込んだ。
(レリックは?)
(もう十分な量が揃ったってこと?)
(本拠地は? 構成人数は?)
思考が次々と加速する。
だが、そのすべてが途中で途切れる。
――情報が足りない。
◇
地下シェルター。
子供達を避難させた先には、すでにエレン達が待機していた。
「エレンさん!」
「ティアナ。無事で何よりです」
その声は落ち着いている。
だが、状況が落ち着いているわけではない。
「これって……」
「地上本部が何者かに攻撃を受けているようですね」
エレンは短く言い切る。
「そして、その事態を街全体に知らせるために警報が発令された」
一拍置いて、続ける。
「つまり――かなりの劣勢と見ていいでしょう」
「……っ」
ティアナの表情が強張る。
“劣勢”。
その言葉の重みが、現実味を帯びて迫ってくる。
(六課は……?)
(今、戦況はどうなってるの……?)
思考が止まらない。
(レリックの解析は?)
(スカリエッティの狙いは?)
そこまで考えた瞬間、ティアナは自分で思考を切った。
これ以上は、今の自分には分からない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
(……皆、無事でいて)
かつての仲間達の顔が、脳裏をよぎる。
その時だった。
「じゃあ、ちょっと外の様子を見てくるよ」
声に振り向く。
そこに立っていたのは、法衣ではない。
黒紫色の冥衣を纏った行人だった。
山羊座の偽冥衣。
その姿は、教会で雑務をこなす青年とはまるで別人のように見えた。
エレンが短く頷く。
「お願いします」
「任せて」
行人は迷いなく答え、出口へ向かう。
「ま、待ってください!」
ティアナの声が鋭く響いた。
行人が足を止める。
「ここは管理局に任せるべきです!」
声が、思った以上に強く出てしまう。
行人は振り返り――。
「シーッ」
静かに人差し指を唇に当てた。
「子供達が怖がる」
「……っ」
ティアナははっとして周囲を見る。
不安に固まった子供達の視線。
慌てて声を落とす。
「……すみません」
「大丈夫」
行人は穏やかに言う。
「戦況を見に行くだけだ」
「管理局が持ちこたえられないなら、ここから移動する事も考えないといけない」
理屈は正しい。
だが、ティアナの胸はざわついたままだった。
(この人まで……)
戦場に近づく。
その事実だけで、過去の記憶が蘇る。
兄。
墓石。
崩れる日常。
届かなかった声。
「……なら」
気づけば、言葉が出ていた。
「私も行きます」
行人の目がわずかに見開かれる。
「ティアナ?」
「外の状況を確認するだけなら、私も役に立てます」
一瞬、言葉が詰まる。
それでも続ける。
「それに……」
喉の奥が熱くなる。
「何が起きてるのか、知りたいんです」
行人はしばらく彼女を見つめた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かった」
「ただし、無茶はしないこと」
「はい」
即答だった。
エレンが二人を見送る。
「くれぐれも戦闘には関わらないように」
「分かってる」
「はい」
だが、その約束が守られる保証はどこにもない。
地下シェルターの扉が開く。
その瞬間――遠くから、地を揺らすような轟音が響いた。
空気が震える。
地上本部の方角。
黒煙はさらに濃く、空を覆うように広がっていた。
ティアナはそれを見上げる。
(……始まってる)
もう、後戻りはできない。
世界が、音を立てて崩れ始めていた。