こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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32.日常の崩壊

 

新暦0075年、9月8日。

 

スカリエッティの秘密研究所。

地上から隔絶された地下施設では、無数の機械音が絶え間なく響いていた。

巨大な培養槽、整然と並ぶコンソール、幾重にも張り巡らされた配線。

その中央で、戦闘機人ウーノが端末を操作していた。

 

「プランⅠ-A《ゆりかご》案件の進捗は順調です」

 

冷静な声が広大な空間に響く。

 

「四日後の対抗組織への襲撃準備も完了しています」

視線を端末へ走らせる。

 

「最終製作機No.7、8、12も機体・武装ともに調整済みです」

 

「ご苦労さま」

 

応じたのは白衣の若い男だった。

次元犯罪者ジェイル・スカリエッティ。

その顔には愉悦とも狂気ともつかない笑みが浮かんでいる。

 

「思わぬアクシデントで予定は狂ったが……修正できて何よりだ」

 

巨大モニターへ視線を向ける。

そこに映るのは機動六課の戦闘記録――正確には、ティアナ・ランスター離脱後のフォワード陣のデータだった。

 

「ふむ」

 

スカリエッティは顎に手を当てる。

ティアナ不在の戦闘では、フォワード陣の動きは明らかに鈍っていた。

連携の乱れ、判断の遅れ、各個撃破。

司令塔を失った影響は明白だった。

 

「司令塔一人でここまで変わるとはね」

 

興味深げに笑う。

だが、その表情はすぐに変わった。

 

「いや……それも終わった」

 

別の戦闘記録へ切り替える。

そこには、長い黒髪を靡かせて戦場を駆ける青年の姿があった。

新たな指揮官。

彼はティアナとは異なり、前線に立ち自ら戦場を動かしていた。

結果、フォワード陣の動きも変化している。

 

「思いの外、優秀だね」

 

スカリエッティは目を細める。

 

「部隊運用の思想そのものが違う」

 

データを切り替える。

 

「少々手を焼いたが――敵わない相手ではない」

 

新たな戦闘機人のデータが表示される。

 

「後期型は近接戦闘主体だ」

 

格闘能力、機動性能、反応速度。

対魔導師戦を想定した調整が施されている。

 

「遠距離から削られる前に間合いを潰す」

 

さらに項目を開く。

 

「戦闘経験の不足も問題ない」

 

ガジェットが収集した戦闘データを移植する。

 

「敵の経験をこちらが利用すればいい」

 

スカリエッティは満足げに笑った。

 

「盤石の布陣だ」

 

理論上は、すべて完璧だった。

四日後、計画は予定通り進む――はずだった。

 

「……」

 

その笑みがわずかに消える。

 

「ドクター?」

 

ウーノが振り返る。

 

「どうかしましたか?」

 

「妙だな」

 

スカリエッティは胸元に手を当てた。

 

「胸騒ぎがする」

 

ウーノは沈黙する。

彼女にはその感覚が理解できない。

スカリエッティは研究者であり、戦場の勘とは無縁の人間だ。

だからこそ、その違和感を持て余していた。

 

(何だ? 何か見落としているような…)

 

データに異常はない。

戦力差も想定内。

想定外要素も排除済み。

それでも、何かが引っ掛かる。

モニターに映る青年とフォワード陣。

そのさらに向こう側に、説明できない“何か”がある。

 

「トーレなら……いや、彼女でも説明はできないか」

 

「ドクター?」

 

「何でもない」

 

スカリエッティは笑みを戻す。

 

「ただの勘だよ」

 

そして指を鳴らした。

 

「ウーノ、“プレゼント”の進捗は?」

 

その言葉に、ウーノの表情がわずかに強張る。

 

「解析率83%です」

 

「そうか」

 

スカリエッティは満足げに頷く。

 

「あと少しだね」

 

「ですが完全解析にはまだ――」

 

「構わない」

 

言葉を遮る。

 

「むしろ今だからこそ試す価値がある」

 

「……ドクター?」

 

「念には念を、だ」

 

研究室の奥へ視線を向ける。

厳重に隔離された装置。

その中にあるのは、彼自身の手によるものではない。

 

「彼から貰った“あれ”を使おう」

 

口元が歪む。

 

「ちょうどいい実験台もいる」

 

ウーノの目がわずかに見開かれた。

 

「……まさか」

 

「さて」

 

スカリエッティは楽しげに笑う。

 

「面白い結果になるといいな」

 

照明がゆっくりと明滅する。

モニターに映る戦闘データ。

完成した戦闘機人。

予期せぬ“プレゼント”。

すべては予定通り――のはずだった。

だが、スカリエッティの計算には、一つだけ存在しない変数があった。

 

それは戦力でも、機械でも、魔力でもない。

人間が、自分の意思で予想外の選択をするということだった。

 

 

公開意見陳述会、当日。

 

その日、冥王教会は本来であれば静かな朝を迎えるはずだった。

礼拝堂では信徒たちが祈りを捧げ、廊下には子供達の足音が穏やかに響いている。

 

銀製の燭台を磨く微かな擦過音。

食器を片付ける規則的な音。

どこかで交わされる、何気ない笑い声。

それらはすべて、平穏そのものだった。

――その平穏を、引き裂くように。

 

ウゥゥゥゥゥ――――!!

 

「……っ」

 

空気が震えた。

低く、腹の底に響くような警報音が、教会全体を揺らす。

続けて、耳をつんざくような甲高いサイレンが重なる。

 

ピィィィィィィ――――!!

 

一瞬で、空気が変わった。

子供達の笑い声が途切れ、代わりにざわめきが広がる。

 

「なーにー?」

 

「これ、何の音……?」

 

ティアナはすぐには答えられなかった。

喉の奥が、乾く。

 

(緊急警報?)

 

教会に設置された非常警報。

それが作動するということは、単なる事故や火災ではない。

 

“街そのもの”が危機に晒されている可能性がある。

 

(まさか……)

 

思考が一瞬だけ凍りつく。

その瞬間だった。

 

「――あ、煙!」

 

子供の悲鳴に近い声。

 

「外! 外見て!」

 

「黒いの、上がってる!」

 

ティアナは反射的に窓へ駆け寄った。

そして――息が止まる。

 

遠くの街並みの向こう。

空へ向かって、黒い柱が何本も立ち上っていた。

一本ではない。

二本。

三本。

さらに、その奥からも。

まるで空を汚すために生まれたかのように、黒煙が次々と天へ伸びていく。

 

(あの方角って、たしか…)

 

視線が鋭くなる。

 

(地上本部だ)

 

胸の奥で、嫌な音が鳴った。

これは事故ではない。

明確な“攻撃”だ。

しかも――。

 

(この規模で警報が出てるってことは…)

 

街全体が、すでに危険域にある。

 

「……かなり、まずい状況?」

 

呟きは、ほとんど音にならなかった。

ティアナは即座に振り返る。

不安に揺れる子供達の視線が一斉に集まっていた。

今、自分が動揺を見せるわけにはいかない。

 

「はい、みんな」

 

声を整える。

震えを押し殺し、いつもの調子を作る。

 

「先生の言うこと、ちゃんと聞いてね」

 

「訓練通りに動けば大丈夫。焦らないで、順番に移動するわよ」

 

「はーい……!」

 

返事はある。

だが、その声には明らかな不安が混じっていた。

ティアナはそれでも笑顔を作り、子供達を誘導する為、教室を出る。

しかしその脳内では、思考が止まらない。

 

(このタイミングで地上本部を襲撃?)

 

公開意見陳述会。

全世界が注目する日。

その“最も目立つ瞬間”を狙った攻撃。

そして、それを実行できる存在。

脳裏に浮かぶのは、ただ一人。

 

(ジェイル・スカリエッティ…)

 

呼吸がわずかに浅くなる。

ついに動いた。

沈黙していた次元犯罪者が、明確に“戦争”へ踏み込んだ。

 

(レリックは?)

 

(もう十分な量が揃ったってこと?)

 

(本拠地は? 構成人数は?)

 

思考が次々と加速する。

だが、そのすべてが途中で途切れる。

――情報が足りない。

 

 

地下シェルター。

子供達を避難させた先には、すでにエレン達が待機していた。

 

「エレンさん!」

 

「ティアナ。無事で何よりです」

 

その声は落ち着いている。

だが、状況が落ち着いているわけではない。

 

「これって……」

 

「地上本部が何者かに攻撃を受けているようですね」

 

エレンは短く言い切る。

 

「そして、その事態を街全体に知らせるために警報が発令された」

 

一拍置いて、続ける。

 

「つまり――かなりの劣勢と見ていいでしょう」

 

「……っ」

 

ティアナの表情が強張る。

“劣勢”。

その言葉の重みが、現実味を帯びて迫ってくる。

 

(六課は……?)

 

(今、戦況はどうなってるの……?)

 

思考が止まらない。

 

(レリックの解析は?)

 

(スカリエッティの狙いは?)

 

そこまで考えた瞬間、ティアナは自分で思考を切った。

これ以上は、今の自分には分からない。

ただ一つだけ、確かなことがある。

 

(……皆、無事でいて)

 

かつての仲間達の顔が、脳裏をよぎる。

その時だった。

 

「じゃあ、ちょっと外の様子を見てくるよ」

 

声に振り向く。

そこに立っていたのは、法衣ではない。

黒紫色の冥衣を纏った行人だった。

山羊座の偽冥衣。

その姿は、教会で雑務をこなす青年とはまるで別人のように見えた。

エレンが短く頷く。

 

「お願いします」

 

「任せて」

 

行人は迷いなく答え、出口へ向かう。

 

「ま、待ってください!」

 

ティアナの声が鋭く響いた。

行人が足を止める。

 

「ここは管理局に任せるべきです!」

 

声が、思った以上に強く出てしまう。

行人は振り返り――。

 

「シーッ」

 

静かに人差し指を唇に当てた。

 

「子供達が怖がる」

 

「……っ」

 

ティアナははっとして周囲を見る。

不安に固まった子供達の視線。

慌てて声を落とす。

 

「……すみません」

 

「大丈夫」

 

行人は穏やかに言う。

 

「戦況を見に行くだけだ」

 

「管理局が持ちこたえられないなら、ここから移動する事も考えないといけない」

 

理屈は正しい。

だが、ティアナの胸はざわついたままだった。

 

(この人まで……)

 

戦場に近づく。

その事実だけで、過去の記憶が蘇る。

 

兄。

墓石。

崩れる日常。

届かなかった声。

 

「……なら」

 

気づけば、言葉が出ていた。

 

「私も行きます」

 

行人の目がわずかに見開かれる。

 

「ティアナ?」

 

「外の状況を確認するだけなら、私も役に立てます」

 

一瞬、言葉が詰まる。

それでも続ける。

 

「それに……」

 

喉の奥が熱くなる。

 

「何が起きてるのか、知りたいんです」

 

行人はしばらく彼女を見つめた。

やがて、小さく息を吐く。

 

「……分かった」

 

「ただし、無茶はしないこと」

 

「はい」

 

即答だった。

エレンが二人を見送る。

 

「くれぐれも戦闘には関わらないように」

 

「分かってる」

 

「はい」

 

だが、その約束が守られる保証はどこにもない。

地下シェルターの扉が開く。

その瞬間――遠くから、地を揺らすような轟音が響いた。

 

空気が震える。

地上本部の方角。

黒煙はさらに濃く、空を覆うように広がっていた。

ティアナはそれを見上げる。

 

(……始まってる)

 

もう、後戻りはできない。

世界が、音を立てて崩れ始めていた。

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