教会を出た二人が街へ足を踏み入れた瞬間、ティアナは言葉を失った。
――本来なら、ここには規制線が張られているはずだった。
事件現場には局員が配置され、一般人を避難させ、周辺区域を封鎖する。
それが管理局の基本だ。
だが、今日は違う。
「……何、これ」
道端には逃げ惑う人々。
泣き叫ぶ子供。
負傷者を抱えて走る局員。
その局員達自身も、顔には明らかな焦りを浮かべている。
規制線を張るどころか、現場の維持そのものができていない。
「人が……足りない」
ティアナが呟く。
その声には、単なる状況分析ではない“嫌な予感”が混じっていた。
――足りないのは人手だけじゃない。
“秩序そのもの”が崩れている。
そう直感してしまう自分が、ティアナは怖かった。
行人は周囲を見回した。
「これは…今までと事件の規模が違うな」
「はい」
遠くで爆発が起こる。
建物の窓ガラスが一斉に震え、逃げ惑う人々から悲鳴が上がった。
「これじゃあ戦争だ」
行人が顔を顰める。
その言葉がティアナの胸に重く落ちた。
戦争。
その単語は、ティアナの中で“禁句”に近い重さを持っていた。
六課にいた頃、彼女は何度も思った。
――これは戦争じゃない。
――これは犯罪の鎮圧だ。
そう言い聞かせなければ、自分の足が止まる気がしたからだ。
だが今、目の前の光景はその言い訳を容赦なく踏み潰していく。
敵を制圧する。
犯罪者を逮捕する。
市民を守る。
そんな言葉では、この光景を説明できない。
そこにあるのは、圧倒的な物量と破壊。
そして――敗走だった。
「逃げろ!」
「魔法が使えない!」
「AMFだ!」
局員の一人が叫ぶ。
その直後。機械音が響いた。
ガシャッ。
無機質な機械兵器が、逃げる局員へ砲口を向ける。
「くっ……!」
阻止しようと局員から魔力弾が飛ぶ。
しかし、AMFの影響下では威力が著しく落ちて破壊には至らない。
――当たっているのに、止められない。
その事実が、ティアナの胸を冷たく締め付ける。
ガジェットの砲撃が局員を無慈悲に吹き飛ばす。
「うわあああっ!」
「……!」
ティアナの顔が強張る。
さらに別の場所でも、逃げ出した局員がガジェットに追われている。
魔法が使えない。
戦術も崩れている。
頼みの綱だった魔導師が、その力を奪われている。
そして機械兵器には、そんな事情など関係ない。
ただ淡々と逃げる者を撃ち抜いていく。
「酷い……」
ティアナの拳が震える。
その“酷さ”は、単なる戦況への評価ではなかった。
――あの時と同じだ。
模擬戦で何もできずに崩れていく自分。
撃墜される瞬間の、あの無力感。
「六課の対策が……何も反映されてないの?」
「AMF対策か?」
行人が周囲を見ながら答える。
その声は冷静すぎて、逆に現実味があった。
「レジアス中将が嫌ったか、あるいは――」
行人の声を遮るように爆発音が響く。
「簡単には真似できなかったってところかな」
「……」
ティアナは唇を噛む。
“簡単には真似できなかった”。
その言葉が、妙に現実的で、そして残酷だった。
六課は何のために作られたのか。
AMF。
ガジェット。
レリック。
それらへの対策を実戦で確立するためではなかったのか。
なのに――
「……これじゃあ、何のために六課が設立されたのか、分からないじゃない」
悔しさに声が震える。
それと同時に胸の奥がきしんだ。
――違う。
本当は分かっている。
“分からない”んじゃない。
“分かりたくない”だけだ。
足が止まりかける。
胸の奥に、かつての記憶が蘇る。
教導。
模擬戦。
叱責。
撃墜。
絶望。
あの日、自分が味わった苦しみ。
何度も何度も考えた。
なぜ自分はあそこまで追い詰められたのか。
なぜ、あんな思いをしなければならなかったのか。
――自分が弱かったから。
そう結論づけることでしか、前に進めなかった。
でも今は違う。
弱さの問題じゃない。
“戦場そのものが変わっている”。
「私が受けた苦しみは……」
声が小さくなる。
それは怒りでも悲しみでもなく、“置き去りにされた感情”だった。
「絶望は……何だったのよ…」
その問いは、誰かへの責任追及ではない。
過去の自分自身への問いだった。
――あの痛みは、意味があったのか。
――あの涙は、無駄じゃなかったのか。
行人が横目でティアナを見る。
だが、すぐには答えなかった。
彼女の問いに簡単な答えなどない。
ただ一つだけ確かなものは、
「ティアナ」
「……はい」
「今は前を見よう」
その言葉は優しさではなく、“現実への引き戻し”だった。
「……」
「答えを探すのは、生き残ってからでいいさ」
その瞬間、ティアナの中で何かが切り替わる。
――今は、立ち止まる時じゃない。
過去に沈むのは、全部終わってからでいい。
「……分かってます」
声はまだ震えていた。
だが、その震えは“崩壊”ではなく“再起動”に近かった。
ティアナは拳を握り直す。
二人は戦火の更なる奥へと進んでいった。
◇
それから数十分。
二人が走り抜けた街の各所で、戦闘は続いていた。
爆発。
砲撃。
悲鳴。
そして、ガジェットの無機質な駆動音。
やがて――。
一際大きな爆発が起きた。
衝撃波が街路を駆け抜ける。
「……!」
ティアナが立ち止まった。
その震源地から微かな魔力を感じ取る。
「この魔力は……」
目を見開く。
“知っている”。
理屈ではなく、身体が先に反応していた。
「スバル……!?」
その名前を口にした瞬間、胸の奥がさらに締め付けられる。
考えるより先に、ティアナは爆発地点へ駆け出していた。
◇
瓦礫の向こうにスバルはいた。
そこでは、ガジェットとは明らかに異なる敵が戦っている。
身体に密着したボディスーツ。
人間離れした身体能力。
間違いなく、スカリエッティの仲間だ。
その中心で、スバルが吠えていた。
「ギン姉を返せぇぇぇぇ!!」
スバルの拳が敵を吹き飛ばそうと振るわれる。
だが、怒りに任せた攻撃が通用するほど敵は甘くない。
そして――その敵の一人が抱えているものを見た瞬間、ティアナは愕然とする。
「……ギンガさんっ!?」
半死半生の状態で拘束されているギンガ。
その姿を見た瞬間、ティアナの胸の奥で“何かが焼き切れそうになる”。
――まただ。
また、守れない。
また、間に合わない。
「ギン姉!!」
スバルが叫ぶ。
その声は、ティアナの過去の記憶を揺さぶる。
――あの時の自分と同じだ。
何もできず、ただ叫ぶしかなかった自分。
敵の一人が笑った。
「チンク姉、逃げるよ!」
「分かった!」
声に反応した眼帯の少女――チンクが振り返る。彼女の身体を、妹らしい少女が掴んだ。
「えっ――」
地面が波打ち、二人の身体がそのまま地中へ沈んでいく。
「ギンガさん!」
一緒に飲み込まれていくギンガの姿にティアナは堪らず声を上げる。
「待てぇぇぇぇ!!」
スバルも我を忘れて飛び出す。
それを目にしてティアナの中で“恐怖”が跳ね上がる。
――いけない。
敵の目はスバルを油断なく捉えている。
罠だ。
そう理解するのに時間はかからなかった。
「スバル! 抑えて!!」
「でも、ギン姉が!」
その声は理屈では止まらない。
“分かっているのに止まれない”。
それが一番危険だとティアナは知っている。
だからこそ――。
「スバル! お願い!」
ティアナは駆け寄り、その身体へ組みついた。
「落ち着きなさい!」
「離して!!」
「駄目!」
スバルが必死に振りほどこうとする。
だが、ほんの一瞬だけ動きが止まった。
聞き覚えのある声。
かつて何度も自分を叱ってくれた声に気がついたのだ。
「ティ…ア?」
その一瞬をティアナは逃さなかった。
「バインド!」
零距離から展開された魔力の縄が、スバルの身体を拘束する。
「うわっ!」
「ごめん、スバル!」
「ティア、どうして!」
「今のあなたじゃ助けられない!」
その言葉は、かつて自分が誰かに言われたかった言葉でもあった。
「でも、ギン姉が!」
「分かってる!」
ティアナは強く言い切る。
その声には、過去の自分への“否定”と“肯定”が同時に混ざっていた。
「だから――」
その視線が、少女達を飲み込んだ地面へ向く。
「
「……!」
その時だった。
「ティアナ!」
行人の声にティアナが振り返る。
「行人さ……ん?」
しかし、そこにいた光景を見て言葉を失った。
地中へ潜ったはずの少女達。
その全員が捕らえられていた。
「……え?」
「何で……?」
完全に逃げられたと思っていた。
追跡は諦めていたところへ、まさかの光景である。2人は目を丸くするしかない。
眼帯の少女――チンクは怯えた表情を浮かべながら、妹達を庇うように行人の前へ出ていた。
「く、来るな……!」
震える声に行人は困ったように眉を下げた。
「大丈夫、ギンガさんは無事だよ」
その言葉に、ティアナの中の“緊張の糸”が一瞬だけ緩む。
「ほら、ちゃんと生きてる」
行人が指し示した先には、瓦礫の上に横たえられたギンガの姿があった。
「ついでに」
行人は拘束した少女達へ目を向ける。
「犯人達には大人しくしてもらったけど」
「……」
ティアナスバルは絶句するしかない。
そして――。
「な……何なんだ、お前は」
恐怖に震えながらチンクがやっとの思いで口を開く。
その問いは、戦場の誰もが共有していた。
ティアナも、スバルも。
“理解できないもの”に直面した時、人は一度思考を止める。
だが行人だけは違った。
異形の鎧を纏った彼は、いつもの調子で首を傾げている。
「?」
戦場のど真ん中にて。
かつての仲間と再会したティアナ。
姉を奪われ、激情に駆られていたスバル。
そして、敵の戦闘機人達を軽々と捕らえてしまった行人。
あまりにも常識外れな光景に、ティアナは思わず額を押さえた。
「……あー、もう」
小さく息を吐く。
その吐息には、恐怖でも混乱でもなく――張り詰めていたものが一気にほどけるような、かすかな安堵が混じっていた。
そしてその安堵の奥で、どうしようもなく呆れたように、もう一度だけ呟く。
「本当にこの人は……」
◇
地上本部が襲撃を受けている頃、同じく機動六課隊舎もまた戦火の只中にあった。
爆発音が連続して響き、外壁が軋む。
窓ガラスが細かく震え、敷地内へ侵入した無数のガジェットが機械音を撒き散らしながら残留組の局員達へ殺到していた。
数は多い。圧倒的に多い。
「右側、突破されます!」
「分かってるわ!」
ロングアーチからの指示の下、シャマルが即座に拘束魔法を展開し、数体をまとめて絡め取る。しかし次の瞬間、別方向から別の群れが突入してくる。
「……切りが、ないな!」
ザフィーラも前線に出て殴り飛ばすが、押し返しても押し返しても波が途切れない。
その背後では、隊舎の数カ所から黒煙が立ち上っていた。
一本。
また一本。
そしてさらに一本。
被害箇所が、じわじわと増えていく。
◇
その頃、本来なら医務室で安静にしているはずのヴァイス・グランセニックは、建物の影に身を伏せていた。
「……ちくしょう、せっかく塞がってきたってのに」
呼吸を整えながら、傷口の鈍い痛みを無視する。
無理をしている自覚はある。だが、戦力は明らかに足りていない。
「寝てる場合じゃねぇよな!」
デバイスのストームレイダーを構え、短く息を吐く。狙いは一切の無駄を省く一射。
「そこだ」
魔力弾がセンサー部を正確に撃ち抜き、ガジェットが崩れ落ちる。
続けて二体、三体。
一発ずつ、確実に潰す。
だがその視界の端に異質な影が映った。
爆炎の向こうに佇むガジェットとは明らかに違う“人影”。
「……あれは」
報告にあった対象の蟲を操る少女。
ヴァイスは一瞬だけ呼吸を止め、照準を合わせる。まだ敵はこちらに気づいていない。
「今なら……」
引き金に指がかかる。
しかし、
「……っ」
指が止まった。
視界が揺れる。
脳裏に焼き付いた過去の光景が、強制的に蘇る。
引き金を引いた瞬間の感触。
外れた弾。
そして――血に沈んだ妹の姿。
「違う……!」
銃口が震える。
撃てない。
撃てば、また同じことが起きる気がした。
その一瞬の躊躇が、致命的な隙を生んだ。
「――っ!?」
背後から殺気。
振り返るより早く、巨大な影から凶々しい鉤爪が振り下ろされる。少女の使い魔である昆虫人間だ。
「しまっ――!」
間に合わない。
だが、
「
静かな声が戦場に落ちた。
瞬間、空気が凍結するように歪む。
昆虫人間――ガリューの動きが途中で止まり、見えない拘束が全身を絡め取った。
さらに同時に、ルーテシアの周囲にも氷結した輪が展開される。
「……え?」
少女の目が見開かれる。
何が起きたのか理解できないまま、動きだけが封じられていた。
ヴァイスも同様に固まる。
「な、何だ……?」
爆煙の向こうから一人の男が歩いてくる。
白衣が風に揺れ、眼鏡の奥の視線は冷静そのものだった。
「全く……」
白衣の男――カケル・R・ワゴンは、拘束されたガリューを一瞥して小さく息を吐く。
「怪我人は大人しくしていろ」
「カケル先生!?」
ヴァイスの声が裏返る。
「何で先生がここに…!」
「お前が病室を抜け出したからだろう」
カケルは淡々と答える。
「……」
「傷が開いたら治すのは俺だしな」
「いや、それは……」
「それに、これでも元教導官だ。怪我人ばかりに良いカッコはさせんよ」
視線が少女――ルーテシアへ向く。
拘束された少女は、警戒と困惑の入り混じった目でカケルを見ていた。
ガリューは完全に沈黙している。
「……状況は把握した」
「今はこっちが先か…」
カケルの視線がヴァイスに向く。
そこで改めてヴァイスは自分の手を見た。
震えている。
敵を前にして撃てなかった。
「俺……」
「分かっている」
「心の傷は簡単には治らない。だから厄介なんだ」
「すみません…」
撃てなかった事を責めないその気遣いが、今のヴァイスには少し辛かった。