地中にて。
セインは、すこぶる機嫌が良かった。
「ふふ~ん♪」
地面の中を自在に泳ぐように進みながら、鼻歌まで歌っている。
ディープダイバー。
地中という、セインだけに許された世界。
ここなら誰にも追いつかれない。
今回の任務も上々だった。
姉妹達は無事に回収。
さらに、スカリエッティへの土産として戦闘機人タイプゼロ――ギンガまで確保した。
「これ、みんなに自慢できるよね~」
思わず頬が緩む。
姉妹達から羨ましがられる姿を想像すると、ニヤニヤが止まらない。
「チンク姉なんか、きっと――」
その時だった。
「……ん?」
セインが顔を上げる。
何か聞こえた。
「何の音?」
周囲は土と岩だけ。
いつもの地中世界。
自分以外の存在など、本来なら入り込めない。
なのに。
――ズ……ズズ……。
最初は、ただの錯覚のような微かな振動だった。
だが次の瞬間、それは“音”ではなく“圧”として伝わってくる。
地面そのものが、内側から軋んでいる。
「……?」
セインは息を呑み、振り返る。
それと同時に世界の“隙間”が、開いた。
「……え?」
土が、濡れている。
あり得ない。
ついさっきまで雨なんて降っていなかった。
水など存在しないはずの領域。
それなのに――指先ほどの細い水が、土壌の割れ目から滲み出していた。
ポタ……ポタ……。
音がする。
水滴が落ちる音。
それはやがて一つではなくなり、無数の場所から同時に始まった。
ポタ、ポタ、ポタ、ポタ……。
それはまるで地面そのものが“汗をかいている”かのように。
「な、なに……これ……?」
セインの声が震える。
次の瞬間。
――ゴボッ。
空間が“吐いた”。
土の中から、水が噴き出す。
細い流れではない。
圧力を持った“侵入”だった。
岩の隙間をこじ開けるように、水がねじ込み、押し広げ、地中の空間を侵食していく。
「や、やだ……っ」
セインは後退する。
だが逃げた先にも、すでに水が回り込んでいた。
四方。
上下。
すべての方向から、じわじわと“濡れ”が広がってくる。
そして――水は、形を持ち始めた。
最初はただの渦。
次に、うねり。
そして、骨格のような“輪郭”。
「……ッ!?」
セインの喉が鳴る。
水が“組み上がっていく”。
まるで見えない手が、液体を彫刻しているかのように。
頭部。
角のような突起。
そして、空洞のような眼窩。
そこに“光”はない。
ただ、暗い水の塊が、こちらを見ている。
「……や、やめて」
声が漏れる。
だが水は止まらない。
地中のすべての水分が集約されていく。
岩の中の湿気。
土の中の水脈。
空間そのものに染み込んでいた“水”という概念が、ひとつの意思のように収束していく。
そして――“龍”が完成した。
それは形ではない。
圧だった。
存在そのものが、押し潰してくるような質量。
水でできているはずなのに、重い。
息ができないほどに、重い。
「ひっ……」
セインの視界が揺れる。
水龍が、ゆっくりと口を開いた。
その動きに合わせて、周囲の水が“引きずられる”。
音が遅れてやってくる。
ゴ……ゴゴゴゴ……。
地中全体が鳴っている。
「いや……いやぁ……っ!!」
セインは反射的に逃げ出す。
だが逃げた先で、また水が“先回り”している。
まるで地中そのものが、彼女の逃走経路を知っているかのように。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
セインの絶叫が土の中で木霊する。
水龍が動く。
“泳ぐ”のではない。
地中を“侵略していく”。
水がある場所ではなく、水が“通る場所”を作りながら追ってくる。
逃げ道が、消えていく。
圧が、増していく。
呼吸が、浅くなる。
視界が、暗くなる。
そして――巨大な顎が、すぐ背後に現れた。
「――――っ!!」
音が消えた。
水が、すべてを包み込む。
◇
「セイン!?」
誰かの声がした。
「大丈夫だ。もう大丈夫だから」
「……!」
セインは勢いよく目を開けた。
「はぁっ……! はぁっ……!」
荒い呼吸。
全身に嫌な汗をかいている。
目の前には、心配そうな顔をしたチンクがいた。
「チ、チンク姉……?」
「ああ。私だ」
チンクはセインの肩へ手を置く。
「落ち着け。夢でも見たのか?」
「う、うん……」
セインは胸を押さえる。
まだ心臓が激しく鳴っている。
「なんか変な夢……」
「どんな夢だ?」
「水の怪物に……喰われそうになるの」
「……」
「私、映画の見過ぎかな……」
そう言って、セインは苦笑する。
しかし、チンクの表情は晴れなかった。
「……セイン」
「うん?」
「残念だが、それは夢ではない」
「……え?」
チンクは静かに周囲を見回す。
そこは暗い地下空間ではなかった。
瓦礫。
崩れた建物。
そして、身体を拘束された自分達。
「私達は捕まった」
「……」
「後は、残った妹達に任せよう」
セインは言葉を失う。
「……うん」
やがて、チンクは視線を前へ向けた。
その先、黒紫色の鎧を纏った男が静かに立っていた。
その姿を見たセインは、夢の中で見た“水の龍”を思い出し――。
「……」
今度こそ、本当に夢ではないことを理解した。
◇
「……爆音が止みましたね」
ルーテシアとガリューを連行しながら、ヴァイスが周囲を見回す。
「敵さん、帰ったかな?」
「だと有り難いな」
カケルは前方を警戒しながら答える。
「こいつらを連れて、また戦闘なんて避けたい」
「同感っス」
瓦礫の間を慎重に進んでいく。
先ほどまで戦闘が繰り広げられていたとは思えないほど、周囲は静かになっていた。
だが、静かになっただけで安全になったわけではない。
崩れかけた建物。
散乱する金属片。
ところどころで燻り続ける炎。
そして、負傷した局員達。
その先に――。
「……あ」
ヴァイスが声を漏らす。
簡易的な救護所が設けられていた。
そこではシャリオ・フィニーノをはじめとしたロングアーチのスタッフ達が、負傷者の治療と搬送に追われている。
「カケル先生!? ヴァイス陸曹も、ご無事で!」
シャーリーが顔を上げる。
「まあ、何とかな」
ヴァイスは苦笑する。
その間にも、副部隊長のグリフィス・ロウランがカケルへ駆け寄った。
「カケル先生、状況を」
「ああ」
二人が短く情報を交換する。
ヴァイスはその横で、周囲の様子を確認していた。
そして。
「……シャーリー」
「はい」
「八神部隊長達は?」
「ご無事です」
シャーリーは答える。
だが、その声には明らかな疲労が滲んでいた。
「ただ……」
「ただ?」
「シグナム副隊長が、スカリエッティの一味らしき人物と交戦して……負傷しました」
「……!」
ヴァイスの表情が強張る。
「それと、ボルツ君の話では……ギンガ曹長が重体だそうです」
「マジか……」
さらに。
「さっきの襲撃で、ザフィーラさんも負傷しています」
シャーリーの目が潤む。
一つ。
また一つ。
戦力が削られている。
機動六課。
部隊長である八神はやてが、管理局の規定ギリギリまで人員を掻き集めて作った部隊。
それでも足りなかった。
だからこそ、一人一人が貴重だった。
そして恐らくヴァイス自身も、トラウマ持ちなのを承知で戦力として数えられていただろう。
――そんな六課がここまで削られた。
「……」
ヴァイスの背中を冷たいものが走る。
勝てるのか。
そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。
だが。
「そうか……」
それだけを口にする。
シャーリーの肩へ、そっと手を置いた。
「よく頑張ったな」
「……はい」
涙を堪えるように、シャーリーが頷く。
その時だった。
「戻ったぞ」
カケルが戻ってきた。
「カケル先生、どうでした?」
シャーリーが顔を上げる。
カケルの表情は、先ほどよりも厳しかった。
「思っていたより……事態はかなり深刻だ」
「え……?」
「敵は、ヴィヴィオを攫っていったらしい」
「……は?」
一瞬。
誰も言葉を理解できなかった。
「ヴィヴィオを……?」
ヴァイスの顔から血の気が引く。
「なんでです!?」
シャーリーの声が裏返る。
カケルはしばらく考えた後、静かに答えた。
「恐らく、としか言えないが……」
「ヴィヴィオが人造魔導師であることと、関係しているようだ」
「……」
その場に沈黙が落ちる。
カケルは続ける。
「あの子が何を目的として造られたのか。それが分かれば、敵の狙いも見えてくるはずだ」
誰も答えられない。
遠くでは、まだ爆発音が聞こえている。
隊舎の各所から立ち昇る黒煙。
負傷した仲間達。
連れ去られたヴィヴィオ。
そして――未だ姿の見えない敵。
ヴァイスはデバイスを握り直す。
さっきまで震えていた手が、今度は別の理由で強く握り締められている。
戦いはまだ、終わっていない。
むしろ、本当の戦いはこれから始まろうとしていた。