崩れ落ちた隊舎の内部には、焼け焦げた紙の臭いと、消え切らない煙の匂いが漂っていた。
シャマルとカケルは、崩落を免れた医務室の一角で、散乱した患者カルテを探していた。
「……これ、まだ読めますね」
シャマルが棚の奥から一冊のファイルを引き抜く。
「それなら確保しておいてください。後で分類します」
「はい」
しばらく二人は黙々と作業を続けた。
やがて、シャマルがふと思い出したように口を開く。
「そういえばカケル先生って……なのはちゃんに対して、結構厳しいところがありますよね」
「……周りが甘やかしすぎなんですよ。だから、つけ上がる」
「ふふっ……」
あまりの辛口に、シャマルは苦笑する。
「相変わらずですね、先生」
「こちらからも質問です」
「え?」
「何故、あなた方はそこまで高町を特別扱いするんです?」
「……え?」
シャマルは目を瞬かせた。
「特別扱い……ですか?」
「自覚無しですか……」
カケルは額を押さえ、小さく息を吐く。
「あいつも苦労してるな」
「な、何のことですか?」
「丁度いい。ならば聞きますが、あなたから見た高町はどんな人間です?」
「なのはちゃんは……」
シャマルは少し考えてから、柔らかな笑みを浮かべた。
「頑張り屋で、優しくて……誰より強い心を持っています」
そこで少し照れくさそうに笑う。
「正直言って、歳上の私の方が助けられているところがありますね」
「…………」
カケルは小さく溜め息をついた。
「巷では、あいつを『エース・オブ・エース』とか『天才魔導師』とか……英雄扱いしていますが」
「はい」
「あなたはどう思います?」
「その通りだと思いますけど…?」
今度はカケルが頭を抱えた。
「え?」
「ジュエルシード事件、闇の書事件。立て続けに大事件の解決に尽力した話は知っているでしょう」
「ええ、もちろん」
「では、一般的に『英雄』とはどんな人物をイメージしますか?」
「えっと……強くて、賢くて……」
「あー、すみません。能力ではなく、性格を答えてください」
「せ、性格ですか?」
シャマルは少し考える。
「勇敢で……我儘で、豪快で……逆境の中でも笑えるような人、でしょうか」
「要するに、傍若無人な奴ですね」
「そこまで言います?」
シャマルがツッコむ。
「では最後に。そのイメージと高町は一致しますか?」
シャマルの表情が止まった。
「……しません」
ぽつりと答える。
「どちらかというと、なのはちゃんは真面目な優等生タイプ……英雄と呼ばれる者とは、真逆ですね」
「言いたい事が分かりましたか?」
「……はい」
カケルは拾い上げたカルテを閉じる。
「高町の信者は、やたらとあいつを英雄扱いしています」
「信者って……」
「しかし、当人の感性はごく普通の人間なんです」
その言葉に、シャマルは黙った。
「その認識のズレが、ティアナ・ランスターの事件に繋がっていると私は睨んでいます」
「……どういうことですか?」
「高町は魔法の才能に恵まれただけの凡人、ということです」
「凡人……」
「勉強、スポーツ、ゲーム、政治。世の中には、それぞれの才能を活かせる職業があるでしょう?」
カケルは淡々と続ける。
「その中で高町は、魔法の才能が突出していた。だから魔導師という仕事を選び、そこで才能を発揮した。謂わば、魔法のプロだ」
「…………」
「ただ、それだけです」
シャマルは何も言えなかった。
「ところが魔法社会の人間は、そこを勘違いしている」
「勘違い、ですか?」
「高町は魔法の才能に恵まれている。ならば、人間としても特別なのだろう、と」
カケルの声は淡々としていた。
「神に愛された人間だ、とでも思っているのでしょうね」
「……なのはちゃん自身は、そんなこと思っていませんよ」
「でしょうね」
「だから問題なんです」
「……」
「本人は普通の人間なのに、周囲だけが勝手に『特別な人間』に仕立て上げていく」
カケルは崩れた天井を見上げる。
「そして本人も、周囲から必要とされれば応えようとする。褒められれば頑張る。誰かが困っていれば、自分が助けなければと思う」
「それは……なのはちゃんの優しさですよ」
「ええ。だからこそ厄介なんです」
カケルはシャマルを見る。
「優しい人間ほど『期待に応えなければ』と思ってしまう」
「…………」
「高町は英雄ではありません。英雄になりたいわけでもない」
少しだけカケルの声が柔らかくなる。
「ただの、頑固で真面目な少女です」
「……」
「なのに周囲が勝手に英雄にする」
シャマルは、なのはの姿を思い浮かべていた。
いつも笑っている。
いつも誰かを助けようとする。
いつも自分より他人を優先する。
そして、自分が傷ついても「大丈夫」と言う。
「……私たちは、なのはちゃんを褒めているつもりでした」
「分かっています」
「応援しているつもりで……」
「それも分かっています」
「でも……」
シャマルは俯いた。
「それが、なのはちゃんを苦しめていたかもしれないと?」
「あくまで私の妄想ですがね」
カケルは否定しなかった。
「そう考えているからこそ、私は高町に英雄であることを要求しません」
「……」
「疲れたら休め。無理なら無理と言え。間違えたら謝れ。誰かに助けてもらえ」
何の感情も持たずに淡々と語る。
「それで良くありませんか?」
シャマルはしばらく黙っていた。
やがて、
「そうですね…」
そう返すのが精一杯だった。
◇
崩壊した隊舎の廊下には、焼け焦げた書類や砕けた医療器具が散乱していた。
シャマルとカケルは崩落を免れた医務区画で、まだ使える薬品や患者カルテを回収していく。
しばらくは紙をめくる音だけが響いていたが、ふとシャマルが口を開いた。
「……ねえ、カケル先生」
「何です?」
「さっきの話しの続きです。なのはちゃんって、人付き合いが苦手で、孤独を愛するような人だったら……まだ分かるんです」
カケルが手を止める。
「孤高の天才、という言葉が似合う人っていますから。自分から他人と距離を取って、それを望んでいる人なら……」
「ええ」
「でも、なのはちゃんは……違いますよね?」
「……はい」
カケルは短く答えた。
シャマルは、瓦礫の向こうにいるなのはの姿を思い浮かべる。
はやてと話している時の笑顔。
フェイトと並んでいる時の柔らかな表情。
スバルやティアナたちに声を掛ける時の、教導官としてではない年上の少女の顔。
なのはは、人と話すことが嫌いな人間ではない。
むしろ、人と心を通わせることを好んでいる。
「私が見てきた限りでは……なのはちゃんは、人と話すのが好きです。誰かと一緒にいて、笑ったり、悩みを聞いたり……そういうことが好きな人です」
「でしょうね」
カケルは人形のように頷いた。
「だから……魔法社会に来たことで、なのはちゃんが孤独になることはないと思います」
シャマルは少し笑った。
「人気者ですもの。エース・オブ・エース、天才魔導師、英雄……皆さん、なのはちゃんを褒めて、慕って、頼りにしています」
「ええ」
「きっと、この世界でなのはちゃんが一人になることはありません」
そこでシャマルの声が少しだけ弱くなった。
「……でも」
「なのはちゃんの心に、本当に触れることができる人は……」
カケルは黙っていた。
「滅多に現れないんじゃあって…なーんて、さすがに考えすぎですよね?」
「いえ、その通りだと思います」
聞きたくない返答だった。
シャマルが振り向く。
「魔法の才能が、あいつの鎧になっていますから」
「鎧……?」
「ええ」
カケルは拾い上げたカルテを眺めながら続ける。
「少し整理しましょうか」
「……はい」
「高町なのはという人間を見る前に、皆が『天才魔導師・高町なのは』を見る。本人が何を考えているのか、何に傷つくのか、何を恐れているのか……そこへ辿り着く前に、魔導師としての実績が立ちはだかる」
「…………」
「つまり、最初から“人”として見られていない可能性がある」
シャマルの喉が小さく鳴った。
「そ……そんな……」
「あり得ないと思いますか?」
「だって……私たちは、なのはちゃんのことを……」
「ええ、そうでしょう」
カケルは一度だけ視線を上げた。
「だから、悪意があるとは言っていません」
「……」
「むしろ逆です。皆、高町を高く評価している。尊敬している。感謝している」
少し間を置く。
「だからこそ、見えなくなる」
「……」
「“天才魔導師”というフィルターが、無意識にかかる」
シャマルは何も言えなかった。
カケルは構わず続ける。
「もう一段踏み込みます」
「……はい」
「もし私の推察が正しければ、八神部隊長もハラオウン執務官も怪しい」
「はやてちゃんと、フェイトちゃんまで……?」
「二人とも事件を通じて高町に助けられた形で仲を深めているでしょう」
「それは……」
「もちろん、二人が高町を大切に思っていることまで否定しているわけではありません」
そこで一度、言葉を切る。
「ただ、“最初の認識”が問題です」
「最初の……」
「出会った時点で『自分を救ってくれた人』という印象がある。その印象を完全に取り払って、高町本人だけを見ることができているか……そこは別問題です」
「…………」
シャマルは俯いた。
確かに、そうかもしれない。
はやてにとってなのはは、闇の書事件で自分たちを救ってくれた少女。
フェイトにとっても、絶望の中から自分を救い出してくれた少女。
その後、二人がなのはを一人の友人として理解していったことは間違いない。
それでも最初に刻まれた印象は、決して小さくない。
「……では」
シャマルが恐る恐る尋ねる。
「なのはちゃんの心に、本当に触れられる人がいるとしたら……誰なんですか?」
カケルは少しだけ間を置いた。
「一つ、条件があります」
「条件……?」
「魔導師になる前の高町を知っている人間です」
「魔導師になる前……」
「魔法なんて知らなかった頃の高町です」
カケルはそう言って、瓦礫の向こうを見た。
「魔法の才能も、英雄としての実績もない。ただの少女だった頃の高町を知っている人間なら、少なくとも最初から“天才魔導師”というフィルターを通さずにあいつを見ることができる」
「…………」
「この魔法世界に、そんな人間がいますか?」
シャマルはすぐには答えられなかった。
だが、やがて脳裏に浮かんだのは二人の少女だった。
「……アリサちゃんと、すずかちゃん」
「心当たりがありますか?」
シャマルは短く頷く。
「そういう人たちなら、なのはちゃんのことを英雄じゃなくて……普通の女の子として見られる」
「おそらく」
カケルは静かに息を吐いた。
「だから私は、ティアナ・ランスターの事件についても、そこが一つの原因ではないかと考えています」
「ティアナちゃんの……?」
ここでカケルは一度、言葉を区切った。
「少し整理します」
「はい……」
「高町自身に対する自己認識と、魔法社会の評価。その間に大きなズレがある」
「…………」
「そして、高町本人がそのズレを十分に認識できていない」
シャマルは、なのはがティアナを訓練していた時のことを思い返した。
なのはは本気だった。
ティアナを潰そうとしていたわけではない。
むしろ、もっと成長してほしいと思っていた。
「高町からすれば、“私だって努力してきたんだから、あなたも頑張れる”という話です」
カケルが続ける。
「……」
「でもティアナから見れば違う」
「なのはちゃんは、天才だから?」
「そうです」
ここでカケルは一度、言葉を落とすように言った。
「高町は自分を特別な人間とは思っていないでしょう?」
「はい……」
「しかし周囲は特別だと思っている。高町の言葉もなんて謙虚なんだと脳内変換してしまう」
「…………」
「そのズレがある限り、同じ言葉でも意味が変わる」
シャマルは胸元を押さえた。
「……そんな」
「そして厄介なのは本人に悪意がないことです」
カケルは静かに続ける。
一拍置く。
「だから気づけない」
カケルはカルテを閉じた。
「でも……なのはちゃんは、本当に凄い魔導師です」
「ええ」
カケルは即答した。
「そこは否定していません」
「なら……」
「問題はそこから先です」
カケルの声が少しだけ鋭くなる。
「魔法が凄い。だから人間としても特別。だから英雄。だから傷つかない。だから強い」
「……」
「それは全部、周囲が勝手に積み上げた像です」
シャマルは息を呑んだ。
「でも……なのはちゃん自身は……」
「普通の人間でしょう?」
カケルは静かに言った。
「頑固で、真面目で、人助けが好きで……褒められれば嬉しいし、失敗すれば傷つく」
そこで一度、言葉を緩める。
「どこにでもいる、ありふれた人間です」
「…………」
「だから私は、あいつを英雄扱いする気はありません」
「……」
「英雄でなくていい。天才でなくてもいい」
少し間を置く。
「疲れたら休めばいいし、失敗したら誰かに助けてもらえばいい」
瓦礫の向こうから、遠く誰かの声が聞こえた。
それでもカケルは動かなかった。
「高町が魔法の才能に恵まれたことと、高町なのはという人間が特別であることは、別の話です」
シャマルは黙っていた。
今まで見てきたなのはの姿が、少しずつ違って見えてくる。
強い。
優しい。
頑張り屋。
頼りになる。
それは間違いなく、なのはの一面だ。
だが、それだけではない。
本当は笑いたい時に笑い、泣きたい時には泣き、誰かに頼りたい時には頼りたい。
そんな普通の少女でもある。
「……カケル先生」
「何です?」
「もし……なのはちゃんが、本当に自分と周囲の評価の違いに気づいていなかったら」
「はい」
「いつか……そのズレで、もっと大きな傷を負うんじゃないでしょうか」
カケルは少しだけ目を伏せた。
「だから、ティアナの件を放置するべきではなかったんですよ」
「…………」
「高町自身に悪意がないからこそ、誰かが教えてやる必要があった。あれは良い機会だったんです」
そしてカケルは、拾い上げた最後のカルテをシャマルへ差し出した。
「……あいつが英雄になる必要はありません」
「……」
「ただの高町なのはとして、誰かに助けてもらえる人間でいればいい」
シャマルはカルテを受け取りながら、静かに頷いた。
「……そうですね」
その声はいつもの明るさを失っていた。
彼女の脳裏には、はやてやフェイトと笑うなのはの姿が浮かんでいた。
たくさんの人に囲まれている。
たくさんの人から愛されている。
誰もが彼女を必要としている。
なのに、その中でいったい何人が――「高町なのは」ではなく、ただの「なのは」を見ているのだろう。
その問いが、シャマルの胸に重く残った。
◇
廃墟と化した六課隊舎。
かつて多くの隊員が行き交い、笑い声や足音が絶えなかった場所は、今では見る影もなかった。
焼け焦げた壁。
崩れ落ちた天井。
床には割れたガラスや、炭化した機材の残骸が散らばっている。
焼けた木材の匂いが、まだかすかに残っていた。
「……」
なのはは瓦礫を一つずつ退かしながら、静かに歩いていた。
目的は残された資料やデバイスの回収。
そしてヴィヴィオの痕跡を探すこと。
だが、足元に転がっていた小さなものに気づき、なのはの足が止まった。
「……これ」
しゃがみ込む。
煤で真っ黒になった布地。
焼け焦げ、片耳が半ば取れかかっている。
ところどころ綿が露出し、以前の愛らしい姿は見る影もない。
それでも――なのはには、それが何なのか分かった。
ヴィヴィオが大切にしていた、ウサギのぬいぐるみ。
「……ヴィヴィオ」
そっと拾い上げる。
指先に煤が付着する。
なのははそれを払おうとして、途中で手を止めた。
胸の奥から記憶が蘇る。
『ママ!』
嬉しそうに笑う少女。
小さな手を伸ばし、なのはを見上げる瞳。
初めてそう呼ばれた時の戸惑い。
嬉しさ。
そして――怖さ。
「……」
なのははぬいぐるみを胸元へ抱き寄せた。
(私……何がしたいんだろう)
ヴィヴィオのことを大切に思っていた。
それは間違いない。
けれど同時に、なのはは自分の中で線を引いていた。
私は母親じゃない。
ヴィヴィオに本当の母親の代わりを求められても、それに応えることはできない。
そう思っていた。
だから、必要以上に踏み込まないようにしていた。
それがヴィヴィオのためだと思っていた。
なのに今になって――胸の奥を蝕んでいるのは、紛れもない後悔だった。
(どうして……)
なのはは目を伏せる。
(私は、こんなに後悔してるんだろう)
答えは分かっていた。
大切だったからだ。
失いたくなかったからだ。
それなのに自分から距離を取った。
「……ティアナの時も」
小さな声が、誰もいない廃墟に落ちる。
瓦礫の向こうから返事はない。
「私……自分で、そうしたくせに」
ティアナに強くなってほしかった。
才能を伸ばしてほしかった。
仲間を守れる魔導師になってほしかった。
そのためなら厳しくすることも必要だと思った。
けれど――ティアナが何を怖がっていたのか。
何に苦しんでいたのか。
何を求めていたのか。
なのはは、十分に見ようとしなかった。
「大事なら……」
言葉が途切れる。
なのはは、ぬいぐるみを握り締めた。
「大事なら……ちゃんと、大事に扱わなきゃいけなかったんだよね」
それは自分自身に向けたものだった。
胸が痛い。
苦しい。
けれど、その痛みから逃げることもできない。
(私は……逃げてばっかり……)
なのはは目を閉じる。
人を救う。
強くする。
正しいことをする。
そういう耳触りのいい言葉を並べ、誰かに『話を聞かせて』と言うことはできる。
けれど自分の心については、何も語らない。
弱かったこと。
怖かったこと。
誰かに嫌われるのが怖かったこと。
そんな自分を誰にも見せない臆病者。
(だって……そうしないと、嫌われるから……)
幼い頃の記憶が、胸の奥から浮かび上がってくる。
――あの日。
父が仕事中の事故で重体になった。
それを境に、家の中は大きく変わった。
母は店を守るため、身を粉にして働いた。
朝から夜まで働き続けて、それでも夜になると誰もいないところで、母は涙を流していた。
幼かったなのはにも、それだけは分かった。
そして兄と姉は剣の修行を中断した。
交代で店を手伝い。
交代でなのはの面倒を見た。
笑ってくれていた。
優しくしてくれていた。
けれど、幼いなのはにも、それが辛いことなのだと分かっていた。
(私のせいだ)
そんな思いが、なのはの心の奥に残った。
だから――迷惑をかけないように。
誰かを困らせないように。
強くならなければ。
役に立たなければ。
そんな子供になった。
そして魔法の世界へやって来た。
人を救いたいという思いは本物だった。
それだけは嘘じゃない。
けれど、それだけではなかった。
(家族に……胸を張れる自分になりたかった)
誰にも迷惑をかけない。
誰にも心配をかけない。
ちゃんと一人で立てる。
そんな自分になれば、家族はきっと笑ってくれる。
そう思っていた。
だから強くなった。
戦った。
誰かを救った。
誰かに頼られるたびに、自分は間違っていないのだと思えた。
でも、その生き方はいつの間にか癖になっていた。
誰かを救う側にいる。
誰かを支える側にいる。
だから、自分が支えてもらうことを知らない。
誰かに弱さを見せることを恐れる。
誰かの「大切な人」になることさえ、どこかで拒んでしまう。
「……私」
なのはは震える息を吐いた。
「何で……こんなに臆病なんだろう」
手の中のぬいぐるみに視線を落とす。
焼け焦げた耳。
煤に汚れた身体。
それでも、ヴィヴィオが大切にしていたという事実だけは消えない。
「ヴィヴィオ……」
なのはは、その名前を静かに呼んだ。
「ごめんね」
返事はない。
それでも言葉を続ける。
「私……あなたのママになれるかどうか、ずっと考えてた」
「そんな資格があるのかとか」
「本当のお母さんじゃないのに、そう呼ばせていいのかとか」
なのはの声が震える。
「でも……」
ぬいぐるみを胸に抱き締める。
「そんなこと、あなたには関係なかったんだよね」
ヴィヴィオが欲しかったのは肩書きでも、血の繋がりでもない。
ただ目の前にいるなのはを、なのはとして好きだった。
「……私、やっと分かった」
涙が一滴、ぬいぐるみに落ちた。
「大切な人を大切にするって……」
言葉が詰まる。
それでも、なのはは続けた。
「正しいことをするだけじゃないんだね」
「ちゃんと向き合うことなんだ」
なのはは立ち上がる。
窓の向こう。
焼け落ちた空を見上げる。
もう、逃げない。
ティアナの時も。
ヴィヴィオの時も。
「正しいこと」をしようとして、実際には向き合うことから逃げていた。
なら今度こそ。
「……絶対に助け出すから」
静かな声。
けれども、その奥には確かな決意があった。
「ヴィヴィオ、今度は…ちゃんとあなたのところまで行く」
焼け焦げた六課隊舎に、なのはの声だけが静かに響いた。
その声はこれまでの彼女が誰かに向けてきた「救う」という言葉とは違う。
命令でもない。
理想でもない。
誰かに褒められるためでもない。
ただ大切な人を失いたくないという、一人の人間としての願いだった。