ミッドチルダの、とある病院。
白いカーテン越しに差し込む午後の日差しが、病室の床を淡く照らしていた。
ベッドの上では、スバルが上半身を起こしている。
身体のあちこちには包帯が巻かれ、腕には点滴。
それでも命に別状はなく、数日もすれば退院できる程度の怪我だった。
その傍らには、ティアナが座っている。
「良かった。ギンガさん、命に別状はないって」
ティアナは安堵したように息を吐いた。
「うん……」
スバルは小さく頷いた。
「ごめんね、ティア」
「……何謝ってるのよ?」
「だって……ティアの悩みに気づいてあげられなくて。その上、助けてもらって……」
スバルは俯く。
「……」
ティアナは一瞬だけ黙った。
そして、困ったように笑う。
「……あの時は、私自身が隠そうとしてたんだから自業自得よ。それに今回だって、私じゃなくても助けてたわよ」
「うん…ありがとう、ティア」
「どういたしまして」
短いやり取り。
それだけで、二人の間に静かな沈黙が落ちた。
病室には空調の音だけが響いている。
しばらくして、
「それに……」
ティアナが小さく口を開いた。
「私の方こそ、ごめん」
「え?」
「勝手に出て行っちゃって…大変だったでしょ?」
ティアナは視線を落とした。
スバルは少しだけ考えてから、素直に頷いた。
「うん」
「……やっぱり」
「でもね…ティアの凄さが、よく分かった」
スバルは笑う。
「え?」
「なのはさんでも、私たちのセンターガードは上手くできなかったんだ」
「……」
ティアナの表情がわずかに固まる。
それは、以前なら胸に突き刺さっていた言葉だった。
けれど今は。
「でもね…」
スバルは続ける。
「ボルツっていう新しい子が来てね。この前、やっとなのはさんの試験に合格できたんだ」
「へえ」
ティアナが少しだけ目を丸くする。
「凄いじゃない」
「でしょ?」
スバルは嬉しそうに笑う。
「ティアとは全然違う動きを言ってくるから、エリオとキャロも大変でさ。着いていくのがやっとだよ」
「……ふふ。そう」
ティアナの口元が緩む。
それまで少し暗かった病室に、柔らかな空気が満ちていく。
失われたもの。
変わってしまったもの。
それでも、残っているものもある。
そんなことを、二人とも何となく感じていた。
「あ、あのさ……」
不意にスバルが言い淀む。
「何?」
「その……」
「いや、待って」
ティアナが遮った。
「私から言わせて」
「……うん」
ティアナは一度、深く息を吸った。
「私ね」
その声には、以前のような迷いがなかった。
「管理局に復帰したいと思ってる」
「……え?」
スバルが目を見開く。
「ギンガさんを攫われて泣いてるあんたを見て、気づいたの」
ティアナは静かに続ける。
「私の心に」
「私自身の気持ちに」
兄の顔が、脳裏をよぎる。
あの日の悲しみ。
怒り。
何もできなかった自分への悔しさ。
長い間、部屋に蹲っていた。
「兄さんが死んで、凄く悲しくて……長いこと、部屋に蹲ってた」
「犯罪者や……冷たい世間に怒りが湧いたわ」
ティアナは一度、言葉を切る。
「でもね…それだけじゃなかった」
窓から差し込む光を見つめる。
声が、少しだけ柔らかくなる。
「この世には大好きな家族を、友達を、恋人を……大切な人を奪う、悪い連中がいる」
スバルは黙って聞いている。
「こんな辛い思いを、誰かにさせたくない。そんな奴らから、みんなを守るんだ……そう思ってた」
「それを、今になって思い出したの」
「ティア……」
スバルの目が少し潤む。
「六課に戻れるかは分からない」
ティアナは苦笑する。
「でも、はやて部隊長には伝えたいの。もう一度――」
一拍を置いて言い切る。
「私を使ってください、って」
スバルの顔がぱっと明るくなる。
「うん! うん、うん! ティアなら、きっと大丈夫だよ!」
「ちょっと、まだ戻れるって決まったわけじゃないでしょ」
「でも戻りたいんでしょ?」
「……うん。戻りたい」
ティアナは小さく笑った。
六課に初めて勧誘された時は迷いがあった。そんなティアナはスバルの強引さに引っ張られる形で入隊した。
しかし――今度は違う。
自分の意思で強く入隊を志願する。
迷いない笑顔を見て、スバルも満面の笑みを浮かべる。
「あ!」
そして、何かを思い出したように声を上げた。
「でも……教会の方はどうするの?」
「一緒にいた人、あの時の神父さんだよね?」
「行人さん?」
ティアナの表情が、ほんの少しだけ和らぐ。
「行人さんは……私の気持ちを分かってくれると思う。だって、行人さんが言ってたもの」
「君のいたい場所にいていいんだって」
「……へえ」
スバルの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「ふーん。へー」
「な、なによ……」
ティアナが眉をひそめる。
スバルはニヤニヤしながら、じっとティアナを見つめた。
「ティアが女の子の顔してるー」
「……は? はぁ!?」
ティアナの頬が、一瞬で赤くなる。
「何でそうなるのよ!?」
「だってぇ」
スバルは楽しそうに笑う。
「行人さんの話をしてる時、すっごく嬉しそうだよ?」
「そ、そんなことない!」
「あるよ!」
「ないったら!」
「じゃあ嫌いなの?」
「……っ」
ティアナの口が止まる。
「ほら、真っ赤だー。好きなんだー!」
「バ、バカスバル!」
ティアナは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「そんなんじゃないったら!」
「えー? 絶対そうだよー!」
「だから違うって言ってるでしょ!」
病室に、二人の声が響く。
さっきまで静まり返っていた部屋に、久しぶりの笑い声が戻っていた。
ティアナは顔を赤くしたまま、窓の外へ視線を逸らす。
そこに広がっていたのは、ミッドチルダの青い空。
そのどこかに、今も行人がいる。
そう思うと不思議と胸が温かくなった。
まだ、答えは分からない。
自分が行人に抱いている感情が、恋なのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
けれど、ただ一つだけ分かっていることがある。
自分のいたい場所を、自分で選べるようになった。
そして――その選択を、行人はきっと笑って受け入れてくれる。
だからティアナはもう迷わない。
もう一度、自分の足で歩き出す。
その先に待つ場所が、六課であろうと。
冥王教会であろうと。
あるいは、そのどちらでもない場所であろうと。
今度は、自分で選ぶ為に。
◇
とある秘密の地下施設。
そこは、幾重にも張り巡らされた隔壁のさらに奥に存在していた。
人の気配はない。
機械の駆動音だけが、冷たい金属製の通路に低く響いている。
その最奥にある巨大な部屋。
そこには――
「……ふむ」
ジェイル・スカリエッティは、目の前に広がる光景を満足げに眺めていた。
部屋一杯に敷き詰められた、無数のレリック。
血のように赤い光を放つ結晶が、規則正しく並べられている。
「……これだけあれば『ゆりかご』の起動には問題ないだろう」
そう呟くと、スカリエッティは踵を返した。
重厚な扉が閉じる。
その先にあるのは、研究施設とは思えない空間だった。
広い部屋。
そこに集う、幾人もの少女達。
全員人間と変わらぬ姿をしている。
だが、その身体には人の手によって造られた機械の命が宿っていた。
スカリエッティにとっては作品。
そして――家族だ。
「ドクター」
最年長の少女、ウーノが歩み寄る。
「皆、準備は完了です。いつでも行けます」
「ありがとう、ウーノ」
スカリエッティは微笑んだ。
「さて、皆…」
一同を見回す。
「いよいよ、決起の時だ」
その声に、戦闘機人達の表情が引き締まる。
「残念ながら、チンク、セイン、ノーヴェ」
一瞬だけ、スカリエッティの笑みが薄くなる。
「そして協力者のルーテシアと、その召喚虫ガリューは管理局に捕縛されてしまった」
沈黙。
だが、それは悲観によるものではない。
「よって、これは彼らを救出するための戦いでもある」
スカリエッティは静かに告げる。
そして、いつもの狂気を宿した笑みを浮かべた。
「皆、力を尽くしてほしい」
「はい、ドクター」
返事が重なる。
その声を満足そうに聞きながら、スカリエッティは天井を見上げた。
長かった。
実験も。
準備も。
レリックの収集も。
全ては、この日のためだった。
「見ていてくれ。マクスウェル…」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
◇
同時刻、ミッドチルダ各地にて。
突然、通信回線が強制的に割り込まれた。
複数の画面が一斉に切り替わる。
そこに映し出されたのは、一人の男だった。
白衣を纏い、愉悦に満ちた笑みを浮かべている。
「さあ、いよいよ復活の時だ」
ジェイル・スカリエッティ。
次元世界を震撼させてきた狂気の天才は、まるで舞台上の役者のように両手を広げた。
「私のスポンサー諸氏」
視線を巡らせる。
「そして、こんな世界を作り出した管理局の諸君」
口元が歪む。
「偽善の平和を謳う聖王教会の諸君も……見えるかい?」
その瞬間、大地が揺れた。
「――!」
ミッドチルダ全域を、大きな地震が襲う。
建物が震え、窓ガラスが鳴り響く。
人々が悲鳴を上げる。
そして――大地に、巨大な亀裂が走った。
地面が左右へ押し開かれていく。
地下から、何かがせり上がってくる。
巨大な船体。
無数の砲門。
古代ベルカの技術によって造られた、巨大な飛行戦艦。
その全貌が、ゆっくりと地上へ姿を現していく。
「これこそが――君達が忌避しながらも、求めていた絶対の力!」
スカリエッティの声が通信回線を通して響き渡る。
巨大な船体が、ゆっくりと地上へ浮上する。
「旧暦の時代」
スカリエッティは笑う。
「一度は世界を席巻し、そして破壊した古代ベルカの悪魔の英知――『聖王のゆりかご』だ!」
巨大な影が、ミッドチルダの空を覆っていく。
かつて戦乱の世を終わらせ、同時にその戦乱を生み出した力の象徴。
古代ベルカの遺産が、現代へ蘇った。
◇
ゆりかご内部。
その中心部に位置する、巨大なコントロールルーム。
無数のモニターが並び、古代ベルカの機器が青白い光を放っている。
その中央に巨大な玉座のような装置が存在していた。
そして――
「見えるかい?」
スカリエッティは満足げに語りかける。
「待ち望んだ主を得て、古代の技術と英知の結晶は今、その力を発揮する」
民衆が視線を上げる。
その言葉とともに通信回線上の映像が切り替わった。
映し出されたのは金髪の少女――ヴィヴィオ。
小さな身体を椅子へ固定され、無数の装置に囲まれている。
「……ママ……」
怯えた声。
涙で濡れた顔。
「ママ……!」
助けを求める。
なのはへ。
フェイトへ。
自分を大切にしてくれた人達へ。
だが、その声は届かない。
「痛いよ……!」
身体を震わせる。
「怖いよ……!」
涙が頬を伝う。
「ママ……!」
声が大きくなる。
「ママァァァァァッ!!」
その悲鳴を聞きながら、スカリエッティはゆっくりとヴィヴィオへ近づいていく。
彼の手に握られていたもの。
それは――一つのレリックだった。
しかし、なのは達が知るレリックとは違う。
本来の色の赤ではない。
“青”。
蒼穹を思わせるような淡い青色を放つ、未知のレリックだった。
「さて……」
スカリエッティはそれを掲げ、レリックの光がヴィヴィオの顔を照らす。
「君には、少しだけ協力してもらうよ」
「いや……怖い……」
ヴィヴィオが首を振る。
「大丈夫だよ」
スカリエッティは穏やかに微笑む。
その笑顔が、かえって不気味だった。
「君は、この『ゆりかご』にとって必要不可欠な存在なのだからね」
青いレリックの輝きが増す。
次の瞬間、その光がヴィヴィオの身体へ吸い込まれた。
「――――ッ!?」
ヴィヴィオの身体が大きく跳ねる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫を上げながら小さな身体が拘束具の中で激しく震える。
青白い光が全身を駆け巡る。
「ママァァァァァッ!!」
その声は、通信回線を通してミッドチルダ中へ響き渡った。
そして――ヴィヴィオの身体からふっと力が抜け、頭が静かに垂れた。
意識を失ったのだ。
「……」
スカリエッティは、その様子をじっと見つめる。
やがて、ゆっくりと口角を上げた。
「素晴らしい……」
モニターに表示される数値を確認する。
「実に興味深い」
未知なる力。
未知なる反応。
そして――自分自身ですら、その全貌を理解していない可能性。
それすらも、彼にとっては喜びだった。
研究者として。
無限の欲望を持つ男として。
「さあ、ここからが本番だ」
スカリエッティは、ゆりかごの制御卓へ手を置く。
巨大な飛行戦艦が、ゆっくりとその巨体を空へ持ち上げていく。
大地が震え、空が震える。
ミッドチルダの人々が、その姿を見上げていた。
「見えるかい?」
スカリエッティは両手を広げる。
「これこそが、君達が恐れ、否定し、それでも心の奥底では求め続けてきた――絶対の力だ!」
ゆりかごの巨体がミッドチルダの都市に影を作る。
「管理局よ」
その顔から笑みが消える。
「世界よ」
静かな声。
「そして……」
スカリエッティは、天井――そのさらに向こうに広がる
「神よ」
「私を止めてみせろ!!」
その瞬間、彼の顔に狂気じみた笑みが戻る。
「私を生み出した者も!」
「私を利用した者も!」
「私を裁こうとする者も!」
「この世界そのものも――!」
両手を広げる。
「全て、この私が否定してみせよう!!」
ゆりかごから無数のガジェットが射出されていく。
スカリエッティの世界に対する挑戦が始まった。