惑星エルトリアの一軒家にて。
薄暗い部屋の中で、部屋の主――イリスは外の景色を眺めている。
窓の外では夜のエルトリアが静かに息づいていた。
かつては死の星だった大地に、今では草木が芽吹き、僅かながらも生命の営みが戻っている。
その部屋の机には一冊の古びた手記が置かれていた。
先日、管理局員を名乗る女性が持ってきた物。
表紙には、擦れて消えかけた名前――フィル・マクスウェル。
『これはあなたが持つべき物と判断しました。ここにお返しします』
イリスは震える手でページをめくる。
これは、彼女を生み出した男が残した記録だった。
研究者として。
エルトリア再生委員会の一員として。
そして――一人の人間として。
そこには、彼が歩んだ日々が綴られていた。
◇
【△月◯日】
惑星エルトリア再生委員会のメンバーに抜擢された。
星を救う。
口にするだけなら簡単だが、実際には途方もない仕事だ。
それでも、研究者としてこれほど心躍る仕事があるだろうか。
未知の環境。
未知の生命。
そして、星そのものを再生するという一大プロジェクト。
研究者魂が震えている。
頑張るぞ。
【□月△日】
現地は、思っていたより何倍も過酷だった。
大地そのものが死んでいる。
空気も、水も、土も。
何もかもが人間に優しくない。
護衛に来てくれた兵隊達が頑張ってくれている。
彼らには本当に感謝している。
だが、汚染された大地が生み出す現地生物は想像以上に危険だ。
最低でも一日に一回は、必ず銃声が響く。
それを聞くたび、スタッフ達に緊張が走る。
研究に集中したい。
だが、いつ自分達が襲われるか分からない。
なんとかしないと……。
【×月△日】
遂に、恐れていたことが起きた。
スタッフの一人が喰われてしまった。
兵隊の一人と恋仲だったらしい。
人気のない場所で逢瀬していたところを襲われたそうだ。
彼女を守ろうとした兵士も負傷した。
救助に向かった時には、もう……。
研究室に戻っても、誰も口を開かなかった。
それを皮切りに、私のところへ辞表を持ってくる者が次々と現れた。
無理もない。
ここは研究所ではない。
戦場だ。
私は何をしているんだ。
【◯月×日】
悪いことは重なるものだ。
成果が上がらない私達に業を煮やしたスポンサー達が、援助を打ち切ると言い出した。
彼らの言い分は理解できる。
利益を出すことが企業人に求められるのだから。
ただ……エルトリアの再生が、短期間で終わる仕事ではないことくらい、最初から予想できただろうに。
研究資金が減る。
人員が減る。
時間も減る。
なのに、求められる成果だけは変わらない。
やるせない気持ちだけが積もっていく。
【△月●日】
私はテラフォーミングユニット『イリス』を開発した。
理論上は、エルトリアの環境を大きく改善できる。
だが、これをもってしても、現状打破には繋がらないだろう。
必要な資源が足りない。
実験環境も足りない。
そして何より、人が足りない。
最近、妙なことを考える。
私はエルトリアを『病人』として見ていた。
治療しなければならない星。
救わなければならない患者。
だが最近は違う。
時々、この星が――
私達を喰らい続ける怪物に。
そんなことを考える自分が嫌になる。
【□月×日】
打つ手がなくなった。
私は自分の無能さを呪う。
研究者なのに、何もできない。
スタッフ達を不安にさせないように、作り笑いばかりが上手くなる。
「大丈夫だ」
「まだ方法はある」
「必ずエルトリアを蘇らせる」
そんな言葉を吐き続けている。
自分自身が、その言葉を信じられなくなっているのに。
【◯月□日】
最後のスポンサー『プルートー財団』の役員がやってきた。
ああ。
断罪の時か。
最後まで残ってくれたことには感謝している。
だが、もう私達には成果を出す力がない。
何を言われても仕方がない。
そう思っていた。
【□月◯日】
朗報だ。
支援は続行される。
……信じられない。
代わりに、彼女の依頼を聞くことになる。
何でも彼女の星でも環境汚染は深刻らしい。せっかく打開策を見つけてもいきなり実施するのは躊躇いがある。だからまずはエルトリアで試したいとの事だった。
要は治験薬の被験者になってほしいというものだ。
やむを得ない。
この星を諦めるくらいなら、どんな条件でも受け入れる。
これが最後の機会なのだから。
【×月●日】
彼女の紹介で、J・Sと知り合った。
奇妙な男だ。
頭が良い。
頭が良すぎる。
私も優秀と言われていたが、彼はそれ以上だ。若いのに大したものだ。
そして、どういうわけか私と妙に話が合う。
研究者としての興味も近い。
何より、互いに似たような境遇を経験しているらしい。
気づけば、上司の愚痴を言い合うことが増えた。
「まったく、上は現場を何も分かっていない」
「分かりますよ。私のところも似たようなものです」
そんな会話をしていると、少しだけ気が楽になる。
部下にはとても愚痴を溢せなかったので助かる。
こんな状況で笑える相手ができるとは思わなかった。
……悪くない。
【●月×日】
最悪だ。
上層部がエルトリア再生を諦めた。
本格的に、他の星への移住計画へ力を入れ始めている。
つまり、エルトリアを救うことを諦めたということだ。
ようやく目途が立ったと思ったのに。
私達は何のために……。
これまで死んでいった人達は。
辞めていった仲間達は。
残ってくれたスタッフ達は。
全部、何のためだった?
私はまだ諦めていない。
諦めたくない。
でも、私一人では何もできない。
無力だ。
【●月◾️日】
お終いだ。
イリスも。
フォーミュラシステムも。
家族同然だったスタッフ達も。
全て奪われることになってしまった。
惑星を再生させるために、私達は頑張ってきた。
何年も。
何度も失敗して。
仲間を失って。
それでも、いつかこの星を取り戻せると信じて。
なのにあんまりじゃないか。
その研究が軍事利用される。
私達が救おうとした星のためではない。
誰かを傷つけるために。
誰かを殺すために。
そんなものを作るために、私達は研究していたんじゃない。
ダメだ。
ダメだ。
ダメだ。
ダメだ。
ダメだ。
ダメだ。
ダメだ。
――もう、嫌だ。
◇
そこから先は文字が滲んでいた。
一行。
また一行。
何度も書き直された跡。
途中で筆圧が乱れ、紙を破りそうなほど強く押しつけられた文字。
そして最後には、何を書いたのかさえ判別できない。
イリスは、そこでページを閉じた。
「…………」
何も言えなかった。
手記を胸へ押し当てる。
古びた紙の感触が、胸元に伝わる。
そこには、自分を生み出した男の苦しみが残っていた。
自分を造った理由。
自分に託された願い。
そして――その願いが踏みにじられていった記録。
「お父さん……」
声が震える。
頬を、一筋の涙が伝った。
「……ごめんなさい」
何に対する謝罪なのか、イリス自身にも分からない。
ただ、手記を抱き締める腕に力がこもる。
自分は、この人の願いから生まれた。
この人が救おうとした星を。
この人が守ろうとした仲間を。
そして――この人が最後まで諦められなかったものを。
自分は、どこまで受け継げているのだろう。
涙が、手記の表紙へ落ちる。
小さな染みが一つ。
また一つ。
夜の静寂の中、イリスはただ、父の残した言葉を抱き締め続けていた。
◇
スバルから手渡された、一枚のカード型デバイス。
ティアナはしばらくの間、それを黙って見つめていた。
クロスミラージュ。
長い時間を共に戦い、何度も自分を支えてくれた相棒。
六課を離れる時、置いていったもの。
もう自分には必要ないと思っていた。
けれど今は違う。
ティアナは静かにカードを握り締める。
「……待たせて、ごめん」
その声は小さかった。
けれど、確かな決意が宿っていた。
「でも、もう大丈夫よ」
カードへ向けて、微笑む。
「だから……私と、もう一度戦って」
次の瞬間、
『No problem.』
懐かしい声が返ってきた。
「……ふふっ」
思わず笑みが零れる。
変わらない。
この相棒は、何も変わっていない。
ならば、今度は自分が変わる番だ。
「クロスミラージュ――」
ティアナはカードを掲げる。
「セットアップ!」
オレンジ色の魔力光が、一気に周囲を包み込んだ。
光が弾ける。
身体を覆うバリアジャケット。
髪が魔力の風に揺れ、手の中に二丁の拳銃型デバイスが現れる。
ティアナは片方を握り、重さを確かめる。
指を動かす。
引き金の感触を確かめる。
不思議だった。
以前よりも、手に馴染む。
まるで長い間離れていたことなど嘘だったかのように。
「……うん。やっぱり、これね」
ティアナは小さく頷く。
その姿を見たスバルが、嬉しそうに笑った。
「ティア……」
「何よ?」
「ううん。なんでもない」
スバルは首を振る。
ただ、帰ってきた。
それだけで十分だった。
◇
その後、ティアナは懐かしい顔ぶれと合流した。
エリオ。
キャロ。
そして――以前とは違う顔。
黒髪の少年が一人、こちらを見ていた。
「お前がティアナ・ランスターか」
感情のない淡々とした声。
「はじめまして、僕はボルツ。お前の後任だ」
少年は簡潔に名乗った。
「はじめまして、ティアナ・ランスターです」
ティアナも名乗り返す。
そして、少しだけ口元を緩めた。
「悪いけど、敬語は使わないわよ」
「それで構わない。僕も敬語は苦手だ」
即答だった。
「……そう」
随分とあっさりしている。
ティアナはボルツを観察する。
感情を表に出さない。
余計なことを言わない。
必要なことだけを伝える。
なるほど、これはなかなかの曲者だ。
「それで……」
ティアナは周囲を見回した。
「指揮官はどうするのかしら?」
「僕がやる」
当然のように返ってくる。
「……じゃあ、お願いするわ」
エリオとキャロが同時に目を見開いた。
「え?」
「ティアナさん……?」
二人が驚くのも無理はない。
かつてのティアナなら、ここで簡単には引かなかった。
自分がやらなければ。
自分が一番分かっている。
そんな思いを抱えていた。
けれど。
「私はブランクがあるし」
ティアナは淡々と続ける。
「成長したスバル達を、今の私が上手く動かせるとは思えないの」
「だから、指揮官はあなたに任せる」
エリオとキャロは顔を見合わせた。
明らかに違う。
以前のティアナとは。
自分の力を証明するために、無理をして前へ出ようとしていた少女はもういない。
ボルツはしばらくティアナを見つめた。
「分かった」
それだけだった。
議論をする気もない。
余計な確認もしない。
必要なことだけを受け取る。
ティアナは内心で苦笑する。
(実利主義というか……)
横目でボルツを見る。
(昔の私みたい)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
◇
廃墟と化した六課隊舎へ戻ったはやては、負傷した局員達の前に立っていた。
傷ついた身体。
包帯を巻いた腕。
疲労で顔色を失った者。
それでも、誰もが立ち上がろうとしていた。
はやては一人一人の顔を見渡す。
「皆…」
静かな声だった。
「さっきは、よう戦ってくれた」
一度、頭を下げる。
「ありがとう」
それから顔を上げる。
「でもな…もう一踏ん張りしてな」
いつもの明るさが、少しだけ戻る。
隊員達が顔を上げる。
「頭の上を、あんなもん飛ばれたら……」
はやては空を見上げた。
遠く。
雲の向こうに、巨大な影がある。
「気持ち良う眠れん」
何人かの隊員から、苦笑が漏れる。
だが、はやての目は笑っていなかった。
「スカリエッティの目的を阻止するために」
一歩、前へ出る。
「ウチに皆の力を貸してえな」
「はい!!」
返ってきたのは力強い声だった。
傷ついた身体で恐怖を抱えながら、それでも戦う意思だけは失っていない。
はやては満足そうに頷いた。
「それとな」
少しだけ間を置く。
「この緊急時を見過ごせんと、立ち上がってくれた人がおる」
「その人にも、一言もろてもええかな」
はやてが横へ退く。
その向こうから、一人の少女が歩み出た。
「……!」
ざわめきが起き、局員達の視線が一斉に集まる。
オレンジ色の髪。
見慣れた顔。
だが、この場にいる筈がない少女。
「ティアナ……?」
誰かが呟いた。
ティアナは一度だけ深く息を吸った。
そして、皆の前に立つ。
「先日は」
声が僅かに震える。
「私の身勝手で、皆さんにご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありませんでした」
ティアナが頭を下げる。
長い沈黙が流れる。誰も口を挟まない。
顔を上げ、局員の一人一人に語り掛ける。
「六課を離れた後…」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「私は、改めて自分の心と向き合う時間を得ました」
その脳裏に浮かぶ。
兄のこと。
六課のこと。
行人の言葉。
そして、自分が本当に何を望んでいたのか。
「そこで、気づいたものがあります」
拳を軽く握る。
「私は、大切なものを奪う犯罪者達を許せない」
声に力が宿る。
「そして」
一呼吸おいて思いを吐き出す。
「そんな奴らから、皆を守りたい」
顔を上げる。
もう迷ってはいなかった。
「それが、私の気持ちだったんです」
そして。
「どうか、もう一度…皆さんと戦わせてください」
深く頭を下げる。
その場を静寂が支配した。
しかし次の瞬間――。
「待ってたぞー!!」
誰かが叫んだ。
「俺達も頑張るからな!」
「一緒にやろうぜ!」
拍手が起こる。
一人。
また一人。
やがて、それは大きな音の波となって隊舎中へ広がっていき、万雷の拍手となった。
あまりの光景にティアナは目を見開く。
「……え?」
予想していなかった。
もっと責められると思っていた。
迷惑をかけた。
逃げた。
それなのに誰も、自分を責めなかった。
「……っ」
視界が滲み出し、慌てて目元を拭おうとする。
だが、その前にはやてが前へ出た。
まるでティアナを庇うように、その姿を隠す。
「ほらほら、まだ泣くんは早いで」
「……部隊長」
「泣くんは全部終わってからにし」
優しい声だった。
「今は――やることがある」
はやては振り返る。
皆の顔を見渡す。
そして。
「これより――ゆりかご破壊作戦を始める!」
声を張り上げる。
隊員達の表情が引き締まる。
「皆!」
はやての声が響く。
「気合い入れてや!!」
「了解!!」
轟くような返事。
その中で、ティアナも拳を握る。
クロスミラージュが静かに輝いた。
もう一度、自分の意思で選んだ場所。
自分の意思で選んだ仲間。
そして、自分自身が選んだ戦い。
ティアナは顔を上げる。
その瞳には、もう以前のような焦りはなかった。
ただ守りたいという意思だけが、まっすぐに宿っていた。
――ティアナ・ランスター。
彼女は今度こそ、自分の足で戦場へ戻ってきた。