こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

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37.明日の為に

 

惑星エルトリアの一軒家にて。

 

薄暗い部屋の中で、部屋の主――イリスは外の景色を眺めている。

窓の外では夜のエルトリアが静かに息づいていた。

かつては死の星だった大地に、今では草木が芽吹き、僅かながらも生命の営みが戻っている。

その部屋の机には一冊の古びた手記が置かれていた。

先日、管理局員を名乗る女性が持ってきた物。

表紙には、擦れて消えかけた名前――フィル・マクスウェル。

 

『これはあなたが持つべき物と判断しました。ここにお返しします』

 

イリスは震える手でページをめくる。

これは、彼女を生み出した男が残した記録だった。

研究者として。

エルトリア再生委員会の一員として。

そして――一人の人間として。

そこには、彼が歩んだ日々が綴られていた。

 

 

【△月◯日】

惑星エルトリア再生委員会のメンバーに抜擢された。

星を救う。

口にするだけなら簡単だが、実際には途方もない仕事だ。

それでも、研究者としてこれほど心躍る仕事があるだろうか。

未知の環境。

未知の生命。

そして、星そのものを再生するという一大プロジェクト。

研究者魂が震えている。

頑張るぞ。

 

【□月△日】

現地は、思っていたより何倍も過酷だった。

大地そのものが死んでいる。

空気も、水も、土も。

何もかもが人間に優しくない。

護衛に来てくれた兵隊達が頑張ってくれている。

彼らには本当に感謝している。

だが、汚染された大地が生み出す現地生物は想像以上に危険だ。

最低でも一日に一回は、必ず銃声が響く。

それを聞くたび、スタッフ達に緊張が走る。

研究に集中したい。

だが、いつ自分達が襲われるか分からない。

なんとかしないと……。

 

【×月△日】

遂に、恐れていたことが起きた。

スタッフの一人が喰われてしまった。

兵隊の一人と恋仲だったらしい。

人気のない場所で逢瀬していたところを襲われたそうだ。

彼女を守ろうとした兵士も負傷した。

救助に向かった時には、もう……。

研究室に戻っても、誰も口を開かなかった。

それを皮切りに、私のところへ辞表を持ってくる者が次々と現れた。

無理もない。

ここは研究所ではない。

戦場だ。

私は何をしているんだ。

 

【◯月×日】

悪いことは重なるものだ。

成果が上がらない私達に業を煮やしたスポンサー達が、援助を打ち切ると言い出した。

彼らの言い分は理解できる。

利益を出すことが企業人に求められるのだから。

ただ……エルトリアの再生が、短期間で終わる仕事ではないことくらい、最初から予想できただろうに。

研究資金が減る。

人員が減る。

時間も減る。

なのに、求められる成果だけは変わらない。

やるせない気持ちだけが積もっていく。

 

【△月●日】

私はテラフォーミングユニット『イリス』を開発した。

理論上は、エルトリアの環境を大きく改善できる。

だが、これをもってしても、現状打破には繋がらないだろう。

必要な資源が足りない。

実験環境も足りない。

そして何より、人が足りない。

最近、妙なことを考える。

私はエルトリアを『病人』として見ていた。

治療しなければならない星。

救わなければならない患者。

だが最近は違う。

時々、この星が――怪物(・・)に見える。

私達を喰らい続ける怪物に。

そんなことを考える自分が嫌になる。

 

【□月×日】

打つ手がなくなった。

私は自分の無能さを呪う。

研究者なのに、何もできない。

スタッフ達を不安にさせないように、作り笑いばかりが上手くなる。

「大丈夫だ」

「まだ方法はある」

「必ずエルトリアを蘇らせる」

そんな言葉を吐き続けている。

自分自身が、その言葉を信じられなくなっているのに。

 

【◯月□日】

最後のスポンサー『プルートー財団』の役員がやってきた。

ああ。

断罪の時か。

最後まで残ってくれたことには感謝している。

だが、もう私達には成果を出す力がない。

何を言われても仕方がない。

そう思っていた。

 

【□月◯日】

朗報だ。

支援は続行される。

……信じられない。

代わりに、彼女の依頼を聞くことになる。

何でも彼女の星でも環境汚染は深刻らしい。せっかく打開策を見つけてもいきなり実施するのは躊躇いがある。だからまずはエルトリアで試したいとの事だった。

要は治験薬の被験者になってほしいというものだ。

やむを得ない。

この星を諦めるくらいなら、どんな条件でも受け入れる。

これが最後の機会なのだから。

 

【×月●日】

彼女の紹介で、J・Sと知り合った。

奇妙な男だ。

頭が良い。

頭が良すぎる。

私も優秀と言われていたが、彼はそれ以上だ。若いのに大したものだ。

そして、どういうわけか私と妙に話が合う。

研究者としての興味も近い。

何より、互いに似たような境遇を経験しているらしい。

気づけば、上司の愚痴を言い合うことが増えた。

「まったく、上は現場を何も分かっていない」

「分かりますよ。私のところも似たようなものです」

そんな会話をしていると、少しだけ気が楽になる。

部下にはとても愚痴を溢せなかったので助かる。

こんな状況で笑える相手ができるとは思わなかった。

……悪くない。

 

【●月×日】

最悪だ。

上層部がエルトリア再生を諦めた。

本格的に、他の星への移住計画へ力を入れ始めている。

つまり、エルトリアを救うことを諦めたということだ。

ようやく目途が立ったと思ったのに。

私達は何のために……。

これまで死んでいった人達は。

辞めていった仲間達は。

残ってくれたスタッフ達は。

全部、何のためだった?

私はまだ諦めていない。

諦めたくない。

でも、私一人では何もできない。

無力だ。

 

【●月◾️日】

お終いだ。

イリスも。

フォーミュラシステムも。

家族同然だったスタッフ達も。

全て奪われることになってしまった。

惑星を再生させるために、私達は頑張ってきた。

何年も。

何度も失敗して。

仲間を失って。

それでも、いつかこの星を取り戻せると信じて。

なのにあんまりじゃないか。

その研究が軍事利用される。

私達が救おうとした星のためではない。

誰かを傷つけるために。

誰かを殺すために。

そんなものを作るために、私達は研究していたんじゃない。

ダメだ。

ダメだ。

ダメだ。

ダメだ。

ダメだ。

ダメだ。

ダメだ。

――もう、嫌だ。

 

 

そこから先は文字が滲んでいた。

一行。

また一行。

何度も書き直された跡。

途中で筆圧が乱れ、紙を破りそうなほど強く押しつけられた文字。

そして最後には、何を書いたのかさえ判別できない。

イリスは、そこでページを閉じた。

 

「…………」

 

何も言えなかった。

手記を胸へ押し当てる。

古びた紙の感触が、胸元に伝わる。

そこには、自分を生み出した男の苦しみが残っていた。

自分を造った理由。

自分に託された願い。

そして――その願いが踏みにじられていった記録。

 

「お父さん……」

 

声が震える。

頬を、一筋の涙が伝った。

 

「……ごめんなさい」

 

何に対する謝罪なのか、イリス自身にも分からない。

ただ、手記を抱き締める腕に力がこもる。

自分は、この人の願いから生まれた。

この人が救おうとした星を。

この人が守ろうとした仲間を。

そして――この人が最後まで諦められなかったものを。

自分は、どこまで受け継げているのだろう。

涙が、手記の表紙へ落ちる。

小さな染みが一つ。

また一つ。

夜の静寂の中、イリスはただ、父の残した言葉を抱き締め続けていた。

 

 

スバルから手渡された、一枚のカード型デバイス。

ティアナはしばらくの間、それを黙って見つめていた。

クロスミラージュ。

長い時間を共に戦い、何度も自分を支えてくれた相棒。

六課を離れる時、置いていったもの。

もう自分には必要ないと思っていた。

けれど今は違う。

ティアナは静かにカードを握り締める。

 

「……待たせて、ごめん」

 

その声は小さかった。

けれど、確かな決意が宿っていた。

 

「でも、もう大丈夫よ」

 

カードへ向けて、微笑む。

 

「だから……私と、もう一度戦って」

 

次の瞬間、

 

『No problem.』

 

懐かしい声が返ってきた。

 

「……ふふっ」

 

思わず笑みが零れる。

変わらない。

この相棒は、何も変わっていない。

ならば、今度は自分が変わる番だ。

 

「クロスミラージュ――」

 

ティアナはカードを掲げる。

 

「セットアップ!」

 

オレンジ色の魔力光が、一気に周囲を包み込んだ。

光が弾ける。

身体を覆うバリアジャケット。

髪が魔力の風に揺れ、手の中に二丁の拳銃型デバイスが現れる。

ティアナは片方を握り、重さを確かめる。

指を動かす。

引き金の感触を確かめる。

不思議だった。

以前よりも、手に馴染む。

まるで長い間離れていたことなど嘘だったかのように。

 

「……うん。やっぱり、これね」

 

ティアナは小さく頷く。

その姿を見たスバルが、嬉しそうに笑った。

 

「ティア……」

 

「何よ?」

 

「ううん。なんでもない」

 

スバルは首を振る。

ただ、帰ってきた。

それだけで十分だった。

 

 

その後、ティアナは懐かしい顔ぶれと合流した。

 

エリオ。

キャロ。

そして――以前とは違う顔。

黒髪の少年が一人、こちらを見ていた。

 

「お前がティアナ・ランスターか」

 

感情のない淡々とした声。

 

「はじめまして、僕はボルツ。お前の後任だ」

 

少年は簡潔に名乗った。

 

「はじめまして、ティアナ・ランスターです」

 

ティアナも名乗り返す。

そして、少しだけ口元を緩めた。

 

「悪いけど、敬語は使わないわよ」

 

「それで構わない。僕も敬語は苦手だ」

 

即答だった。

 

「……そう」

 

随分とあっさりしている。

ティアナはボルツを観察する。

感情を表に出さない。

余計なことを言わない。

必要なことだけを伝える。

なるほど、これはなかなかの曲者だ。

 

「それで……」

 

ティアナは周囲を見回した。

 

「指揮官はどうするのかしら?」

 

「僕がやる」

 

当然のように返ってくる。

 

「……じゃあ、お願いするわ」

 

 エリオとキャロが同時に目を見開いた。

 

「え?」

 

「ティアナさん……?」

 

二人が驚くのも無理はない。

かつてのティアナなら、ここで簡単には引かなかった。

自分がやらなければ。

自分が一番分かっている。

そんな思いを抱えていた。

けれど。

 

「私はブランクがあるし」

 

ティアナは淡々と続ける。

 

「成長したスバル達を、今の私が上手く動かせるとは思えないの」

 

「だから、指揮官はあなたに任せる」

 

エリオとキャロは顔を見合わせた。

明らかに違う。

以前のティアナとは。

自分の力を証明するために、無理をして前へ出ようとしていた少女はもういない。

ボルツはしばらくティアナを見つめた。

 

「分かった」

 

それだけだった。

議論をする気もない。

余計な確認もしない。

必要なことだけを受け取る。

ティアナは内心で苦笑する。

 

(実利主義というか……)

 

横目でボルツを見る。

 

(昔の私みたい)

 

ふと、そんな考えが頭をよぎった。

 

 

廃墟と化した六課隊舎へ戻ったはやては、負傷した局員達の前に立っていた。

傷ついた身体。

包帯を巻いた腕。

疲労で顔色を失った者。

それでも、誰もが立ち上がろうとしていた。

はやては一人一人の顔を見渡す。

 

「皆…」

 

静かな声だった。

 

「さっきは、よう戦ってくれた」

 

一度、頭を下げる。

 

「ありがとう」

 

それから顔を上げる。

 

「でもな…もう一踏ん張りしてな」

 

いつもの明るさが、少しだけ戻る。

隊員達が顔を上げる。

 

「頭の上を、あんなもん飛ばれたら……」

 

はやては空を見上げた。

遠く。

雲の向こうに、巨大な影がある。

 

「気持ち良う眠れん」

 

何人かの隊員から、苦笑が漏れる。

だが、はやての目は笑っていなかった。

 

「スカリエッティの目的を阻止するために」

 

一歩、前へ出る。

 

「ウチに皆の力を貸してえな」

 

「はい!!」

 

返ってきたのは力強い声だった。

傷ついた身体で恐怖を抱えながら、それでも戦う意思だけは失っていない。

はやては満足そうに頷いた。

 

「それとな」

 

少しだけ間を置く。

 

「この緊急時を見過ごせんと、立ち上がってくれた人がおる」

 

「その人にも、一言もろてもええかな」

 

はやてが横へ退く。

その向こうから、一人の少女が歩み出た。

 

「……!」

 

ざわめきが起き、局員達の視線が一斉に集まる。

オレンジ色の髪。

見慣れた顔。

だが、この場にいる筈がない少女。

 

「ティアナ……?」

 

誰かが呟いた。

ティアナは一度だけ深く息を吸った。

そして、皆の前に立つ。

 

「先日は」

 

声が僅かに震える。

 

「私の身勝手で、皆さんにご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありませんでした」

 

ティアナが頭を下げる。

長い沈黙が流れる。誰も口を挟まない。

顔を上げ、局員の一人一人に語り掛ける。

 

「六課を離れた後…」

 

ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「私は、改めて自分の心と向き合う時間を得ました」

 

その脳裏に浮かぶ。

兄のこと。

六課のこと。

行人の言葉。

そして、自分が本当に何を望んでいたのか。

 

「そこで、気づいたものがあります」

 

拳を軽く握る。

 

「私は、大切なものを奪う犯罪者達を許せない」

 

声に力が宿る。

 

「そして」

 

一呼吸おいて思いを吐き出す。

 

「そんな奴らから、皆を守りたい」

 

顔を上げる。

もう迷ってはいなかった。

 

「それが、私の気持ちだったんです」

 

そして。

 

「どうか、もう一度…皆さんと戦わせてください」

 

深く頭を下げる。

その場を静寂が支配した。

しかし次の瞬間――。

 

「待ってたぞー!!」

 

誰かが叫んだ。

 

「俺達も頑張るからな!」

 

「一緒にやろうぜ!」

 

拍手が起こる。

一人。

また一人。

やがて、それは大きな音の波となって隊舎中へ広がっていき、万雷の拍手となった。

あまりの光景にティアナは目を見開く。

 

「……え?」

 

予想していなかった。

もっと責められると思っていた。

迷惑をかけた。

逃げた。

それなのに誰も、自分を責めなかった。

 

「……っ」

 

視界が滲み出し、慌てて目元を拭おうとする。

だが、その前にはやてが前へ出た。

まるでティアナを庇うように、その姿を隠す。

 

「ほらほら、まだ泣くんは早いで」

 

「……部隊長」

 

「泣くんは全部終わってからにし」

 

優しい声だった。

 

「今は――やることがある」

 

はやては振り返る。

皆の顔を見渡す。

そして。

 

「これより――ゆりかご破壊作戦を始める!」

 

声を張り上げる。

隊員達の表情が引き締まる。

 

「皆!」

 

はやての声が響く。

 

「気合い入れてや!!」

 

「了解!!」

 

轟くような返事。

その中で、ティアナも拳を握る。

クロスミラージュが静かに輝いた。

 

もう一度、自分の意思で選んだ場所。

自分の意思で選んだ仲間。

そして、自分自身が選んだ戦い。

 

ティアナは顔を上げる。

その瞳には、もう以前のような焦りはなかった。

ただ守りたいという意思だけが、まっすぐに宿っていた。

 

――ティアナ・ランスター。

 

彼女は今度こそ、自分の足で戦場へ戻ってきた。

 

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