玉座の間にて。
巨大な空間を、桜色の魔力と虹色の魔力が激しく駆け巡っていた。
二つの力が正面からぶつかるたび、轟音が響き、床が大きく震える。
衝撃波が壁を削り、玉座の間に刻まれた古代の紋様さえ、余波だけで次々とひび割れていった。
「ママッ!!」
ヴィヴィオの叫びが響く。
次の瞬間、聖王の拳がなのはを捉えた。
「――っ!」
凄まじい衝撃に、なのはの身体が吹き飛ぶ。背中から壁へ叩きつけられ、石壁が轟音とともに大きく陥没した。
「なのはママッ!」
ヴィヴィオの顔が歪む。
拳に残った感触が、気持ち悪い。
硬いものを殴った感触。
なのはの身体を打ち砕いた感触。
そして――頬に付着した、赤いもの。
「……っ」
血。
なのはママの血。
鉄のような匂いが、鼻の奥にこびりついて離れない。
「いや……」
ヴィヴィオは震える手を見つめた。
「こんなの……嫌……」
愛する家族を傷つけている。
大切な人を、自分の手で殴っている。
それなのに、身体は止まらない。
自分の身体なのに、自分の意思では動かせない。
まるで――。
自分の中に、知らない誰かがいるようだった。
「ママ……!」
ヴィヴィオは必死に叫ぶ。
「逃げて!!」
その声に、なのはが顔を上げた。
壁にめり込んだ身体を、ゆっくりと引き起こす。額から血が流れ、呼吸は荒い。足元もわずかにふらついていた。
それでも、なのはは立ち上がった。
「大丈夫、だよ」
なのはは笑う。
「なのはママ、結構強いんだから……」
声だけは、いつもの優しい声だった。
けれど、ヴィヴィオには分かる。
それが痩せ我慢だということくらい。
「……嘘」
「え?」
「大丈夫じゃないよ……」
ヴィヴィオの目から涙が溢れる。
「ママ、痛いんでしょ?」
「……」
「もう、いいから……」
身体が震える。
「お願い……もう、いいから……」
「私のことなんか……放っておいてよ……」
なのはの表情が変わる。
「ヴィヴィオ……」
「私のせいでママが傷つくの、嫌……!」
ヴィヴィオは頭を抱えた。
「私、止められない…!」
「この身体……私のなのに……!」
涙が頬を伝う。
「思うように動かせない……!」
「まるで……誰かに操られてるみたいで……!」
なのはは黙ってヴィヴィオを見つめた。
そして。
「……ダメだよ、ヴィヴィオ」
静かな声だった。
なのはは首を横に振る。
「簡単に諦めちゃダメ」
ヴィヴィオには分からなかった。
勝ち目などない。
自分の力は、なのはを圧倒している。
それなのに、何度倒されても、なのはは立ち上がる。
どうして。
どうして、この人は。
「どうして……?」
ヴィヴィオの声が震える。
「どうして、ママは……勝てないのに……」
「どうして、立ち向かってくるの…?」
なのはは少しだけ目を伏せた。
そして、ぽつりと口を開く。
「私ね」
「小さい頃からずっと……自分が嫌いだったんだ」
「……え?」
ヴィヴィオが瞬きをする。
なのはは笑わなかった。
ただ、静かに言葉を続ける。
「お父さんも、お母さんも」
「お兄ちゃんも、お姉ちゃんも」
「みんな凄くて、カッコよくて……立派だった」
なのはの視線が遠くなる。
「それに比べて末っ子の私は…」
「身体も小さくて、運動音痴で」
「学校の成績だって……友達と比べたら、ほとんど差がなかったの」
「だから…」
なのはは自分の手を見つめる。
「自分には何もないんだって、ずっと思ってた」
ヴィヴィオは黙って聞いていた。
「でも」
なのはの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「魔法に出会ってから、人生が変わった」
「沢山の人を助けて」
「沢山の人を守って」
「ありがとうって言ってもらえて……」
なのはは胸元へ手を当てる。
「役立たずだと思っていた自分にも、少しずつ自信が持てるようになった」
「お父さんが大切にしている剣術もできない」
「お母さんみたいな美味しい料理も作れない」
「それでも」
なのははヴィヴィオを見る。
「初めて、自分を許せるようになったんだ」
「……」
「だから」
なのはは一歩、前へ出る。
足がふらつく。
それでも、止まらない。
「ヴィヴィオ、自分を嫌いにならないで」
「……!」
「今の自分が嫌いでもいい」
「怖くてもいい」
「何もできないって思ってもいい」
なのはは笑った。
「でも、それで全部を諦めちゃダメ」
「いつかきっと、ヴィヴィオにも自分を好きになれるような日が来る」
「私は……そう信じてる」
「ママ……」
ヴィヴィオの唇が震える。
なのはは手を伸ばす。
その手には、まだ血が付いている。
傷だらけで。
震えていて。
それでも、ヴィヴィオへ向かって伸ばされる。
「だから、私は逃げない」
「あなたを助けてみせる」
「ヴィヴィオはどう?」
なのはの声が優しく響く。
「あなたの気持ちを聞かせて?」
「……」
ヴィヴィオの胸が締め付けられる。
ずっと。
ずっと言いたかった。
でも、言えなかった。
怖かった。
自分の力が怖かった。
なのはを傷つける自分が怖かった。
そして何より、助けてほしいと願うことが怖かった。
それでも。
「……ママ」
涙がこぼれる。
「助けて……!」
その言葉を聞いた瞬間、なのはは笑った。
「うん」
迷いのない声。
「助けるよ」
一歩。
また一歩。
なのははヴィヴィオへ近づいていく。
「絶対!!」
その言葉が、玉座の間いっぱいに響き渡った。桜色の魔力が、なのはの周囲で強く輝く。
その光の中で、ヴィヴィオは初めて思った。
自分は、この人に倒されるのではない。
この人は――。
自分を、迎えに来てくれたのだ。
聖王としてではない。
兵器としてでもない。
ただ一人の娘として。
「ママ……!」
ヴィヴィオの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「……うん」
なのはもまた、涙を浮かべながら笑った。
「帰ろう、ヴィヴィオ」
玉座の間に、二人の声が重なった。
◇
「雷光流転拳!!」
行人の拳が、音速の壁を幾度も叩き破った。
一撃。
二撃。
三撃。
四撃。
そして五撃。
ほとんど同時に放たれた五つの拳が、ゼストの身体を正確に捉える。
顎。
心臓。
鳩尾。
そして両脇。
人体の急所を狙い澄ました音速拳。
常人ならば、一撃目で意識を失っていてもおかしくない。
ましてや五連撃。
そのすべてを受ければ、立っていることすら不可能なはずだった。
「ウグッ…!?」
ゼストの身体が大きく後退する。
だが。
「オォオオオオオオオオッ!!」
喉を引き裂かんばかりの咆哮。
ゼストは倒れなかった。
両足を地面へ踏みしめ、赤槍を地に刺し、身体を無理やり固定する。
口元から血が流れ落ちる。
それでも、その瞳から闘志は消えていない。
「……チッ」
行人は軽く舌打ちした。
拳を引きながら、ゼストを睨む。
(耐えられた!? 俺の十八番だぞ)
それでも、倒れない。
いや。
倒せない。
行人は即座に次の手段を考える。
斬撃。
すでに試した。
骨を断っても、
打撃。
これも駄目だ。
筋肉を貫き、骨を粉砕しても、ゼストは戦い続ける。
ならば――
行人の脳裏に、水龍が浮かぶ。
巨大な水の奔流を龍へと変え、敵を飲み込む必殺技。
それならば、ゼストを跡形もなく消し飛ばせる。
しかし、
行人は周囲を見た。
荒れ果てた大地。
崩れた建物。
そして、少し離れた場所で戦いの行方を見守る六課の局員達。
怯えながらも、その場を離れることができない者達。
あの技を使えば、ゼストだけでは済まない。
(……使えない)
拳を握る。
ならば威力を落とすか。
いや、それではゼストは死なない。
生き残れば、また
そして――さらに強くなる。
(どうする……)
打撃は効かない。
斬撃も意味がない。
水龍を使えば周囲を巻き込む。
半端な攻撃では、敵をさらに強くするだけ。
(あとできる事と言ったら……)
そこまで考えた、その時だった。
「
轟音すら切り裂くような怒声が響いた。
「一体いつまで遊んでいるつもりだ!!」
「……!」
行人が振り向く。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
白衣を羽織る氷のように鋭い眼差し。
その視線と声により、傍らにいたシャマルも、ザフィーラも動けなくなった。
カケルだった。
「周りをよく見ろ!!」
怒声が飛ぶ。
「お前達の戦闘で、これ以上被害を広げるな!!」
「……」
行人は黙って周囲を見る。
荒廃した大地。
砕けた地面。
焼け焦げた瓦礫。
そして、人外同士の戦いに怯える局員達。
彼らの顔を目にして、行人の胸の奥が重く沈んだ。
自分はゼストを倒すことに、周囲に被害が出ないように集中していた。
だが、それが齎したものは闘士の戦いの目撃者を増やす事にもなる。
行人とゼスト、もう自分達を人間と見る者はいないだろう。
命を救っても、心を救う事にはならないのだから。
「その槍使いは、もう助からん!!」
カケルの声が響く。
「ならば何を躊躇う!! それとも――」
「自分が手を汚す価値すら無いと、そいつを貶しているのか!?」
「……っ!?」
その言葉に行人が歯軋りする。
「人命が第一? 笑わせるなよ!」
カケルは吐き捨てる。
「お前のしている行為は、自己満足に過ぎん!!」
言葉が刃となって行人の胸を突く。
「半端な優しさなど、人を傷つけるだけだ!!」
行人の拳が震える。
違う。
そんなつもりではない。
殺したくない。
できることなら、別の方法で終わらせたい。
そう思っていた。
しかしそのために戦いを長引かせれば。
ゼストがさらに強くなれば。
周囲の局員達が巻き込まれれば。
それは本当に“優しさ”なのか。
「お前にできる事など、一つしか無いだろう!!」
カケルの声が、戦場を震わせる。
「殺せ!!」
行人の目が見開かれる。
「殺して、楽にしてやれ!!」
「……」
「その男の物語に、終止符を打て!!」
カケルは一歩も退かない。
「それが――」
そして。
「最後まで戦士たらんとする、そいつへの手向けだ!!」
静寂。
一瞬だけ戦場から音が消えたように感じられた。
行人の唇が、わずかに動く。
「……うるせぇよ」
底冷えのする低い声。
握る拳に力が入る。
そして燃えるような瞳がカケルに向けられた。
「部外者は――スッこんでろ」
カケルは無反応。
微動だにせず、無言で行人を見つめている。
その沈黙が、逆に行人の胸を刺した。
分かっている。
カケルの言っていることが正しい。
だからこそ腹が立つ。
他人に言われて決めることではない。
殺すのか。
殺さないのか。
それを決めるのは――。
(俺だ…)
行人はゆっくりとゼストへ向き直った。
「……」
ゼストもまた、行人を見ている。
血に濡れた顔。
それでもなお、戦士として立ち続ける男。
行人の視線がゼストの瞳を捉える。
その瞬間だった。
行人の雰囲気が変わった。
今までそこにあった柔らかさが消える。
他者を気遣う余裕も、相手を傷つけまいとする躊躇も、すべてが静かに消えていく。
代わりに現れたもの。
それは――
(これは……殺気)
ゼストの瞳が鋭くなる。
分かる。
戦士だからこそ分かる。
今まで目の前にいた男とは違う。
礼儀正しく。
穏やかで。
他人を傷つけることを嫌っていた男。
その奥に隠されていたものが、今ようやく姿を現した。
「……そうか」
ゼストの口元が、わずかに吊り上がる。
嬉しそうに。
待ち望んでいたものを見つけたように。
「ようやく、その顔を見せたか」
行人は答えず、静かに構えを取る。
風が吹き抜け、砂埃が舞う。
黒紫の鎧――
その姿には、もはや教会で子供達と笑い合っていた青年の面影はない。
今ここにいるのは一人の
魔星に見出され、
冥王の為に戦うことを選び、
そして――自らの意思で、命を刈り取ろうとしている男だった。
行人は静かに息を吸う。
「……行くぞ」
低く、冷たい声。
しかし、その殺気の奥にあるものだけは決して消えていなかった。
誰かを殺したいのではない。
誰かを傷つけたいのでもない。
ただこれ以上、誰も傷つけないために。
そして、最後まで戦士であろうとする男の意志を終わらせるために。
行人は今、自ら戦士の顔を選んだ。
更新が遅くなり申し訳ありません。
今回のなのは心情に関する話が納得がいかないと何度も書き直していました。賛否両論あるでしょうが、大目に見てくれれば幸いです。