戦場は橋の上へと移っていた。
巨大な橋梁。
その上を吹き抜ける風が、戦闘の余波で巻き上げられた砂埃を運んでいく。
ボルツは橋の上を駆けていた。
「……っ!」
背後から迫る無数の光弾。
それらは単純な直線軌道ではない。
右へ。
左へ。
上へ。
そして、まるで意思を持っているかのように軌道を変えながら、ボルツへと殺到してくる。
オットーのレイストーム。
標的を追い続ける誘導弾だ。
普通なら、逃げ切ることなどできない。
ならば――。
「……!」
ボルツは突然、進行方向を変えた。
橋梁脇に並ぶ建物。
その一枚の窓へ向かって、躊躇なく突っ込む。
ガラスの破片を撒き散らしながら、ボルツの身体が屋内へ飛び込む。
着地。
そして――。
「ここだ!」
ボルツは頭を低く伏せた。
次の瞬間、無数の光弾が頭上を通過していく。
背後の壁へ次々と着弾。
コンクリート片が弾け、白い粉塵が室内へ舞い上がった。
ボルツは振り返らない。
ただ、耳だけで着弾音を聞いていた。
一発。
二発。
三発。
やがて、光弾の音が途絶える。
静寂が訪れるとボルツはゆっくりと顔を上げた。
(……やはり)
確信する。
(こいつには死角がある)
変幻自在の誘導弾。
その性能は恐ろしい。
だが、完全無敵ではない。
標的を追尾させるためには――。
(目標を、常に視界に捉えていなければならないと見た!)
ボルツは割れた窓の向こうを見る。
遠くに見える何棟もある建物。
そこのどれかに潜んでいるはずのオットー。
見えているからこそ追える。
ならば、視界から消えればいい。
(それさえ分かれば……)
やりようはある。
ボルツの口角が、ほんの僅かに上がった。
(光弾使いに、目にものを見せてやる)
周囲を見回すと階段に目が留まる
敵は自分を追ってくる。だったら――
ボルツは迷わず階段へ向かった。
規則正しい足音が屋内に響く。
階段を一段、また一段と駆け上がる。
ボルツの脳裏では、すでに次の戦術が組み上がり始めていた。
敵の射線。
視界。
地形。
距離。
そして――もう一人。
(双剣使いは、どう動く?)
自然と目が鋭くなる。
敵が二人いる以上、必ずこちらの行動を読もうとしてくるに違いない。
ならば、その読みすら利用する。
そう考えながら、ボルツは階段を駆け上がっていった。
◇
その頃、ボルツが上層へ向かっているのと同時刻。
ディードは、屋上から建物内部へ降りていた。
足音はない。
戦闘機人の身体能力を活かし、ほとんど音を立てずに階段を駆け下りていく。
狙いは単純だった。
挟み撃ち。
オットーのレイストームによってボルツを上へ追い込む。
そこへ、ディードが下からではなく――上から降りてくる。
逃げ場を奪う。
どんなに優れた戦士でも頭を取られることを嫌がる。
上を取られれば、行動の自由を奪われる。
ボルツとて例外ではないはずだ。
ディードは二振りの剣を握り直す。
その指先に、僅かに汗が滲んでいることに気づいた。
(……?)
汗?
自分が?
ディードは一瞬だけ眉を寄せる。
(緊張しているのか?)
馬鹿な。
(私が……あの男に?)
確かに、意表は突かれた。
戦闘機人である自分が、真正面から押し切れなかった。
身体能力なら圧倒的にこちらが上。
反応速度。
筋力。
耐久力。
すべてが自分たち戦闘機人に分がある。
それでも何故か、あの男の姿が頭から離れない。
黒い瞳。
何者にも靡かない。
何者にも屈しない。
ただ己の意思だけを貫き通す、強い眼差し。
まるで――ダイヤモンド。
ディードは、その瞳を思い浮かべる。
不滅の代名詞。
何よりも硬く、何よりも強い宝石。
彼こそ不滅の意志そのもの。
だからこそ、胸の奥に奇妙な高揚が湧き上がる。
(それを今から……)
ディードの口元が引き締まった。
(屈服させてあげます!!)
『ディード』
耳元からオットーの声が響く。
「はい」
『来るよ。目標まで――』
機械的な声で、数字が刻まれていく。
『十』
ディードは剣を握り直した。
『九』
階段を一段下りる。
『八』
呼吸が自然と浅くなる。
『七』
視線が階段の先へ向く。
『六』
まだ見えない。
『五』
もうすぐだ。
『四』
剣を構える。
『三』
身体が自然と前傾する。
『二』
あと一歩。
『一』
その瞬間。
ディードは――跳んだ。
「――ッ!!」
階段の踊り場という狭い空間に逃げ場はない。
左右には壁。
背後には階段。
そして上は、ディードが陣取っている。
こんな場所では、跳んで躱すことも難しい。
ボルツは――
「……!」
踊り場へ姿を現した。
同時にディードの二振りの剣が閃く。
「はあっ!!」
奇襲に反応したボルツは咄嗟に刀を抜いた。
一刀を受け止める。
火花が散る。
だが、ディードの腕は止まらない。
「まだです!」
二本目の剣が振り上がる。
狙いは首。
逃げ場はない。
防ぐには、一刀を受け止めた状態からさらに身体を動かさなければならない。
だが間に合わない。
ディードの目が光る。
(勝った)
勝利を確信したその瞬間だった。
突如、ボルツの身体から力が抜ける。
「……え?」
ディードの瞳が見開かれる。
受け止めていたはずの刀が、わずかに沈んだ。
支えていた力が消えたことでディードの二本目の斬撃が――空を切る。
「な――」
勢いを止められない。
身体が前へ流れる。
戦闘機人の圧倒的な身体能力。
それは本来ならば武器だ。
しかし、今この瞬間だけはそれが仇となった。
「――っ!」
ボルツは一歩だけ踏み込んだ。
そしてディードの腹部へ、片足を添える。
「なっ――!?」
次の瞬間。
「――ッ!!」
ボルツが蹴り上げる。
ただの蹴りではない。
ディードの突進力。
自身の体重。
ボルツの重心移動。
その全てを利用していた。
“空中巴投げ”と呼ばれる技だった。
「きゃ――!?」
ディードの身体が宙へ浮く。
視界が反転する。
天井。
壁。
そして――窓。
「――ッ!!」
止まれない。
戦闘機人の身体能力でも、今から勢いを殺すことはできない。
「しま――」
ディードはけたたましい音を立てて顔面から窓を突き破る。
無数のガラス片が宙を舞った。
その向こうに広がっていたのは遥か下。
地上。
「――――っ!!」
ディードの身体が、落ちていく。
風が全身を撫でる。
視界が高速で回転する。
その最後に見えたのは割れた窓の向こう。
刀を構えたまま、こちらを見下ろしているボルツだった。
黒い瞳は揺らがない。
まるで、何事もなかったかのように。
ディードは落下しながら理解する。
自分は負けたのではない。
力で押し切られたわけでもない。
自分の「勝った」という確信そのものを利用されたのだ。
その事実が、何よりも悔しかった。
◇
「よくもディードを…!」
オットーの声が、瓦礫の街に低く響いた。
次の瞬間、背後に無数の光弾が生まれる。
数十。
いや、それ以上。
空間を埋め尽くすように展開された光弾が、一斉にボルツへ向かって飛翔した。
まるで流星群の如く。
「……!」
ボルツの姿が、建物の奥へ消える。
直後、光弾の雨が建物へ叩き込まれた。
窓が砕け、壁が弾け、コンクリート片が粉塵となって舞い上がる。
だが、当たらない。
光弾は建物の中を縦横無尽に飛び回りながら、それでも標的を捉えきれず、虚しく壁へ突き刺さっていく。
(……やっぱり)
オットーは目を細めた。
怨敵がいるのは、遮蔽物の多い建物の中。
レイストームは確かに誘導性に優れている。
だが、精密射撃には向いていない。
基本は物量。
大量の光弾を展開し、逃げ場を削り、最終的に標的を仕留める。
強力ではある。
しかし、大雑把な武装でもあった。
(当てるには、もっと近づかないと……)
脳裏にディードが落下していった光景が蘇る。
オットーの表情が僅かに強張った。
(でも!)
近接戦闘。
それだけは避けなければならない。
ディードは強かった。
そのディードを倒した相手に、自分から間合いを詰めるなど――。
(そんな迂闊な真似はできない)
ならばこのまま距離を保つ。
逃げ場を削る。
そして敵が疲れ果てるのを待つ。
それが最善だ。
「……」
オットーは、ひたすらレイストームを撃ち続けた。
光弾が飛ぶ。
また飛ぶ。
さらに飛ぶ。
轟音が途切れない。
建物の外壁が次々と削られていく。
コンクリートが弾け、鉄筋が露出する。
窓は全て砕け、壁には無数の穴が開いていく。
やがて、建物そのものが巨大な蜂の巣のような姿になった。
(これなら……)
隠れる場所もなくなる。
光弾の雨が止まらない。
しかしボルツは出てこない。
「……」
オットーは黙って撃ち続けた。
時間だけが過ぎていく。
やがて、建物を包み込むほどの煙が立ち込めた。
視界が完全に塞がれる。
これ以上撃ち続けても、標的を確認できない。
オットーはようやく射撃を止めた。
静寂。
いや、完全な静寂ではない。
崩れかけた建物が、ギシギシと不気味な音を立てている。
「……」
オットーは目を凝らす。
煙の向こうには何も見えない。
その時だった。
「……っ!?」
ヒュッと風切り音をあげて何かが飛んできた。
ガラス片だ。
それがオットーの頬を掠める。
「クッ……!」
頬に赤い線が走った。
遅れて一滴。
血が頬を伝い、地面へ落ちる。
「…やはり、まだ…!」
オットーの瞳が鋭くなる。
見えない。それでも――
(関係ない!!)
この敵を相手に休んではいけない。
敵はまだ生きている。
「これなら……どうだ!」
再び光弾が展開される。
だが今度は、ボルツを狙うものだけではなかった。
別方向へ飛ぶ光弾。
建物の奥にある支柱に次々と光弾が突き刺さる。
轟音と共に建物全体が大きく揺れた。
「……!」
建物そのものを壊す。
支えを失わせる。
逃げた場所そのものを攻撃に変える。
「これでお前は……」
オットーは息を整える。
「逃げるしかない」
さあ出てこい。
脱出してきたところを――仕留める。
建物が軋む。
壁が崩れる。
天井の一部が落下する。
柱が次々と折れていく。
そして建物は、ゆっくりと倒壊を始めた。
巨大な瓦礫が落ちる。
粉塵が舞い上がる。
轟音が街を震わせる。
それでもボルツは現れない。
「……」
オットーは待った。
まだだ。
焦るな。
敵が出てくる瞬間を見逃すな。
心臓が早鐘のように鼓動している。
視界の一点へ集中する。
煙。
瓦礫。
崩れた壁。
その全てを見つめる。
やがて――建物は完全に崩れ落ちた。
残ったのは、巨大な瓦礫の山だけだった。
「……」
それでもボルツは出てこない。
(僕にやられるくらいなら……自殺、を選んだ?)
オットーの脳裏に一つの考えが浮かぶ。
まさか。
そんなはずはない。
いずれにせよ、死体を確認しなければ安心できない。
そしてディードの安否も確認しなければならない。
オットーは慎重に歩き出した。
一歩。
また一歩。
瓦礫を踏み越える。
視線は絶えず周囲を警戒している。
「……!」
瓦礫の隙間に何かを見つけた。
刀。
ボロボロに刃毀れした刀。
そのすぐ近くの瓦礫の下から、人間の腕が一本だけ伸びていた。
ぴくりとも動かない。
「……」
オットーは目を細めた。
「僕の……勝ちだ」
ようやく確信する。
強敵だった。
だが、これで終わりだ。
オットーは腕を構える。
無数の光弾が、再び空中へ展開された。
「……これで終わり」
狙いを定める。
生まれがモノを言う。
どれだけ強い意志を持っていても。
どれだけ戦術に優れていても。
所詮、人間は人間。
戦闘機人である自分には及ばない。
そう思った。
引き金を引こうとした瞬間――
「――――ッ!!」
瓦礫の山が。
弾け飛んだ。
「な――!?」
オットーが目を見開く。
大量の瓦礫を吹き飛ばしながら、一つの黒い影が飛び出してくる。
「……チッ!」
オットーは反射的に照準を向ける。
(やはり……ブラフ!)
死体ではない。
あの腕は囮。
自分が油断して近づいてくることを、最初から待っていた。
(そう来ると思ったよ!)
オットーに慢心はない。
不測の事態も想定済みだ
敵を捕捉するオットーだが、突如その思考が完全に停止する。
「……え?」
目の前へ迫るボルツ。
その姿を改めて見る。
右腕がない。
いや、正確には“欠けている”。
左足首も同じだった。
折れているのではない。
曲がっているのでもない。
そこから先が文字通り、欠け落ちていた。
まるで、硬い石が割れたように。
「……」
オットーの瞳が揺れる。
(人間じゃ…ない?)
あまりにも異様だった。
人間の身体なら、骨折すれば不自然な方向へ曲がる。
だが、ボルツの身体にはそれすらない。
まるで黒い宝石が砕けたような欠けた断面。
それでもボルツは走っている。
残された左腕だけで。
残された足だけで。
こちらへ向かって。
「……なぜ……」
オットーの指が僅かに震えた。
照準がぶれる。
(どうして……動けるの?)
その一瞬、それだけで十分だった。
ボルツとの距離が消える。
「――ハァアアアアッ!!」
気づいた時には既に目の前。
完全に間合いへ入られていた。
「……っ!」
オットーが慌てて身を引く。
だが遅い。
ボルツの右腕が振り抜かれる。
そしてその“腕“から鋭い氷の刃が生えた。
「――ッ!?」
「氷牙一閃!!」
オットーの身体が大きく仰け反る。
ボディスーツが裂け、その下から赤い線が走った。
さらに遅れて血が滲む。
深い。
明らかに深手だった。
「……うぐっ」
オットーは傷口へ意識を向ける。
(早く……処置を……)
しかし、体に力が入らない。
「……あ…」
身体が傾く。
膝から崩れ落ちる。
地面へ手をつきながら、オットーは目の前の男を見上げた。
「怖い、ね…」
震える声。
「右腕……捨てた、の?」
ボルツは答えなかった。
ただ、黒い瞳でオットーを見つめる。
その目にあるのは、怒りでも憎しみでもない。
ただの冷静な判断。
「僕は、お前達を過小評価はしていない」
静かな声だった。
「勝利のために、腕と足を一本ずつなら――」
一拍。
「安い代償だ」
「……」
オットーの目が僅かに見開かれる。
「ハハッ……」
小さく笑った。
不思議と、怖くはなかった。
(そういうことか……)
オットーは、ボルツを過小評価していた。
いや、もっと正確に言えば“過小評価していないつもり”だった。
だからこそ、距離を取った。
慎重に戦った。
正面から挑まなかった。
自分の戦い方を崩さなかった。
それが最善だと信じていた。
だがボルツは、その慎重さそのものを利用した。
自分が瓦礫へ近づくこと。
死体を確認しようとすること。
最後の一撃を確実に叩き込もうとすること。
そこまで全て読まれていた。
「……なんだ」
オットーは苦笑する。
「侮っていた……というのは、口だけだったんだね」
自嘲するように笑う。
「実際には……真逆だった」
自分は彼を恐れていた。
だからこそ自分の戦い方に固執した。
安全な距離。
大量の誘導弾。
消耗戦。
全て恐怖心から選んだ行動だ。
その結果、敵の意図を読むことを忘れていた。
「僕の……負け…だ……」
声が小さくなる。
視界がぼやけていく。
それでもオットーの口元には、僅かな笑みが残っていた。
(次は……)
そんな言葉が、胸の奥に浮かぶ。
(次こそは……勝ちたい…)
敵として。
戦士として。
いつかもう一度、この男と戦いたい。
そんな願いを、誰にも告げることなく。
オットーは静かに意識を手放した。
◇
ティアナはふと、ボルツとの会話を思い出していた。
作戦開始を間近に控え、待機していた時の事だ。
『お前なら、僕達をどうやって倒す?』
「どういうことよ?」
そう尋ねたティアナに、ボルツは少しも迷わず答えた。
『ああは言ったが、僕が敵ならまず司令塔を叩く』
『できなくても、分断させる』
その言葉に、ティアナは頷いた。
離脱した後のスバル達の動きを考えれば、当然の作戦だ。
スバルは前衛として突出する。
エリオとキャロは連携こそ優秀だが、まだ実戦経験が足りない。
そして、そこを狙われれば――部隊全体の判断が遅れる。
だからこそ司令塔を守る。
あるいは司令塔を失った場合に備えなければならない。
「もしもの時は、私が指揮官代行って訳ね」
『話が早い』
ボルツは短く頷いた。
『スバルの戦闘スタイルだと前線指揮は難しい』
『エリオ達は経験不足』
『消去法で、お前しかいない』
「……なんか腹立つわね」
ティアナは眉をひそめた。
「それって、私にはそれしかできないって言いたいの?」
『性格の問題だ』
「は?」
思わず聞き返す。
ボルツは淡々と続けた。
『お前は責任感が強い』
『仲間の命を、自分の命と同等に扱う』
「……」
『だからこそ、逃げたんだろ?』
その一言に、ティアナの表情がわずかに固まった。
胸の奥を、鋭い何かで突かれたような感覚。
だがボルツは、そんな彼女の反応を気にした様子もなく言葉を続ける。
『無理なら良いぞ』
『僕だけでも、やり遂げる自信はなくもない』
「…………」
ティアナの眉が、ぴくりと動いた。
腹が立つ。
猛烈に腹が立ってきた。
何なの、この男。
人に頼んでおいて、最後まで偉そうに。
しかも――。
(……なんか)
ティアナはボルツを睨みながら、ふと思う。
(昔の私を見ているみたい)
自分一人で何とかしようとする。
自分がやらなければと思う。
他人に迷惑をかけるくらいなら、自分が全部背負う。
その頑なさ。
その不器用さ。
まるで鏡を見ているようだった。
もっとも――
(助けを求められる分、私よりはマシかもしれないけど)
それでも言い方が気に入らない。
ものすごく気に入らない。
ティアナは大きく息を吐いた。
そして、ボルツを真っ直ぐ見据える。
「……いいわ」
『?』
「やってあげる」
ボルツがわずかに目を細めた。
「その代わり」
ティアナは指を一本立てる。
「あなたは、もう少し可愛げというか……素直さを持ちなさい」
『……』
「これは先輩としての忠告よ」
ボルツはしばらく黙っていた。
やがて、
『善処する』
「その言い方、絶対直す気ないでしょ」
『そうでもない』
「信用できないわね……」
思わずティアナはため息をつく。
だが、その口元にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
そして今に至る。
「スバル、エリオ、キャロ」
三人が一斉にティアナを見る。
「策を思いついたわ」
「えっ?」
スバルの目が輝く。
「ボルツに一泡吹かせるわよ」
「ええっ!?」
エリオが驚き、キャロも目を丸くする。
だが、三人の表情はすぐに楽しそうなものへ変わった。
「はい!」
「分かりました!」
「やります!」
元気のいい返事が重なる。
その声を聞いて、ティアナは思わず笑った。
懐かしい。
この感じだ。
作戦を考える。
仲間と意見を交わす。
成功した時の光景を想像する。
そして――失敗したら、みんなで怒られる。
そんな当たり前の時間。
以前の自分なら、何もかも一人で背負おうとしていた。
失敗しないように。
迷惑をかけないように。
誰かを傷つけないように。
けれど今は違う。
自分だけで戦う必要はない。
指揮官だからといって、全てを背負う必要もない。
仲間に頼っていい。
笑っていい。
怒ってもいい。
それでも、前へ進める。
「それじゃあ、始めるわよ」
「はい!」
ティアナは仲間達を見渡した。
その瞳には、かつての焦りとは違う光が宿っていた。
戦場へ向かうための、静かな覚悟。
そして仲間と共に戦うことを楽しめる、一人の少女としての笑顔だった。
◇
スバルのリボルバーナックルが、大地へ叩き込まれた。
次の瞬間、地面が大きく震え、砕けた石や土砂が一斉に巻き上げられる。
「なっ……!?」
ウェンディが目を見開く。
直後には、視界が白茶色の煙に覆われた。
砂塵。
粉塵。
砕けた建材の細かな欠片。
それらが風に乗って周囲へ一気に広がり、戦場そのものを巨大な煙幕へと変えていく。
「ちょ、ちょっと待つっス!」
慌ててライディングボードを傾ける。
だが、周囲はもう何も見えない。
上も。
下も。
前も。
後ろも。
「うげっ!? 視界、ほぼゼロっスか!?」
ウェンディは反射的に目を細める。
粉塵が入り込まないよう、呼吸も浅くする。
地上にいるスバル達にとっても危険な煙幕だ。
だが、彼女にとってはもっと厄介だった。
空を飛ぶ自分には、地面という目印がない。
周囲の建物も見えない。
敵の位置も分からない。
自分がどこを飛んでいるのか、分からなくなる。
「うわっと!?」
反射的にボードを急旋回させる。
直後、目の前を何かが掠めた。
「危なかったっスね~!」
心臓が跳ねる。
冷や汗が背中を伝った。
今のは瓦礫だ。
煙の向こうから突然飛び出してきた建材の破片。
あと少し速度を落とすのが遅ければ、まともに衝突していた。
「……ヤバいっスね、これ」
ウェンディは唇を噛む。
ライディングボードの最大の武器は、その速度。
一気に加速して敵を翻弄する。
距離を取る。
狙いを定める。
そして高速で射線を変えながら攻撃する。
だが――速すぎれば、障害物にぶつかる。
遅すぎれば、敵に捕まる。
さらにライディングボードは小回りが利かない。
高速移動中に急激な方向転換をすれば、当然のように隙が生まれる。
だからこそ、ウェンディは常に周囲を把握していなければならない。
敵はどこか。
自分はどこにいるか。
進行方向に何があるか。
そして、どこへ逃げればいいか。
それができて初めて、彼女の速度は武器になる。
しかし今。
「全部、潰されてるっス…」
敵の位置が分からない。
自分の位置も正確には分からない。
煙幕の中では、速度そのものが凶器になる。
ウェンディは恐る恐る速度を落とした。
だが。
「……いや」
すぐに思い直す。
速度を落とせば、今度はスバル達に捕まる。
進むしかない。
しかし、進めば衝突する可能性が上がる。
「あ~最悪っスね……」
さらに厄介なのは――。
煙の向こうに、ぼんやりと建物の影が浮かぶ。
高い建物。
狭い通路。
複雑な路地。
「しかもここ、ビル群の中じゃないっスか…」
ウェンディの顔が引きつる。
開けた場所なら、まだ逃げられる。
空なら速度を生かせる。
だが、ここは違う。
ビルに囲まれている。
視界が悪い。
障害物が多い。
しかも敵は地上。
自分は空中。
この状況では、ライディングボードの長所がことごとく殺される。
「ガジェットも全滅だし…」
端末を確認し、ため息が漏れた。
正直帰りたい。
ものすごく帰りたい。
こんなところに長居したくない。
そんなウェンディは通信を繋げる。
「クア姉~」
『なぁに?』
「さすがに、ちょっとヤバくないっスか?」
一瞬、通信の向こうが静かになる。
ウェンディは嫌な予感がした。
だが、
『あら~?』
返ってきた声は、いつもと変わらない。
むしろ、妙に明るかった。
『大丈夫よ~』
「……」
『何か企んでるみたいだけど…』
クアットロの声が、煙幕の向こうへゆっくりと溶けていく。
『隠れているなら、都合がいいわ~』
「……」
ウェンディは黙った。
その声には余裕がある。
ありすぎる。
まるで、今の状況など最初から問題ではないかのように。
「……さすがクア姉っス」
思わず呟く。
頼もしい。
本当に頼もしい。
こんな状況でも全く動じていない。
敵が何を企んでいるのか分からなくても、クアットロは平然としている。
だからこそ、ウェンディは背筋に冷たいものを感じた。
(ふぅ~……)
煙の向こうへ視線を向ける。
(敵さんも、かわいそうっスね)
普段のクアットロなら、
もっと軽口を叩く。
もっと相手を馬鹿にする。
もっと楽しそうに笑う。
だが今は違う。
余裕がある。
笑っている。
それなのに――怖い。
ウェンディは小さく息を呑んだ。
「……これ」
自分でも分かる。
「クア姉、かなりキレてるっス」
白煙に包まれた見えない戦場のどこかで、静かに笑う姉の姿が見えた気がした。