こちら冥王教会ミッドチルダ支部   作:マルク

7 / 25
7.軋む正義

 

ティアナ・ランスターが機動六課を去ってから、既にかなりの時間が経っていた。

なのはは、執務机の引き出しを静かに開く。

そこにはティアナが置いていった私物が、今もそのまま残されていた。

 

予備の手袋。

書きかけの戦術ノート。

そして、何冊もの魔導書。

 

「……」

 

着の身着のまま飛び出した。

それだけは間違いない。

だからこそ心配だった。

着替えも金もない。

行き先も分からない。

生きているのかさえ確認できない。

スバルにも尋ねた。

しかし返ってきたのは、首を横に振る姿だけだった。

 

「ごめんなさい……私も、何も知りません」

 

親友ですら知らない。

それほどまでにティアナは一人で姿を消したのだ。

そして、もう一つ。

六課には深刻な問題が起きていた。

 

ティアナの後任として前線指揮を任されたリィン。

当初は何とか務めていた。

だが、任務を重ねるたびに判断は鈍り、指示は遅れ、隊の連携は崩れていく。

最初は「慣れていないだけ」だった。

誰もがそう思っていた。

しかし違った。

彼女の中で、何かが確実に壊れ始めていた。

戦場に立つたび、リィンの視界は妙に遠くなる。

敵の動きが見えているのに、声が出ない。

指示を出さなければならないのに、喉の奥で言葉が絡まる。

 

(違う……違う、こうじゃない……)

 

頭の中では分かっている。

最適解も、隊の配置も、リスクも全部理解している。

それでも、口が動かない。

一瞬の遅れが、致命的な隙になる。

その“遅れ”が積み重なった結果――。

 

エリオが負傷した。

 

致命傷ではない。

だが、指揮官としては十分すぎるほど重い結果だった。

その瞬間、リィンの中で何かが音を立てて崩れた。

 

(私のせいだ)

 

(私が遅れたから)

 

(私が判断できなかったから)

 

戦場での失敗は、数字では終わらない。

誰かの血として残る。

誰かの痛みとして残る。

その現実が、彼女の心に突き刺さった。

それ以来、リィンは部屋から出てこなくなった。

 

「……お仕事、行きたくないです……」

 

扉越しに聞こえる震えた声に、誰も返す言葉を持たなかった。

その声は、拒絶ではない。

逃避でもない。

ただ、壊れかけた心が必死に自分を守ろうとする、か細い防衛反応だった。

 

(また失敗したらどうしよう)

 

(また誰かが傷ついたらどうしよう)

 

(私が指揮を取る資格なんて、本当にあるの?)

 

考えれば考えるほど、答えは一つに収束していく。

――自分は指揮官に相応しくない。

その結論に辿り着くたび、呼吸が浅くなる。

胸が締め付けられる。

視界が揺れる。

それでも誰にも言えない。

言ってしまえば、終わってしまう気がした。

だから彼女は、扉の内側でただ縮こまることしかできなかった。

 

隊員は疲弊し、任務は失敗が続く。

レリックは既に二つも奪われた。

ついに、はやては決断する。

 

限界だ。

そう判断した彼女は、師でもあり、スバルとギンガの父でもあるゲンヤ・ナカジマ三佐へ協力を求めた。

 

会議室にて。

通信で事情を聞き終えたゲンヤは、机を勢いよく叩いた。

 

『馬鹿野郎!!』

 

怒号が部屋中に響く。

 

『そんな大事なことを、どうして今まで黙ってた!!』

 

「……申し訳ありません」

 

はやては深く頭を下げるしかなかった。

隣ではフェイトも、シグナムも言葉を失っている。

ゲンヤは苛立ちを隠そうともせず言葉を続けた。

 

『六課は今までにない思想で作られた部隊だろうが!』

 

「はい……」

 

『従来の運用方法が通用しない事態が起きるなんざ、最初から分かりきってた話だ!』

 

誰も反論できない。

 

『問題が起きたなら、その時点で周りを頼れ! 抱え込んでどうする! 現場だけで解決できるなら、上官なんて要らねぇんだ!』

 

重苦しい沈黙が部屋を支配する。

しばらくして、ゲンヤは大きく息を吐いた。

怒りを押し殺し、背もたれに寄りかかる。

 

『……で』

 

低い声で問い掛ける。

 

『俺に何をしてほしい』

 

はやては顔を上げた。

 

「ティアナの後任になれそうな人に、心当たりはありませんか?」

 

ゲンヤは腕を組む。

 

『第二候補はどうした』

 

「第二、第三候補の子には断られてしまいました」

 

『……だろうな』

 

苦々しく呟く。

 

『第一候補だったティアナが潰れたって話を聞けば、誰だって尻込みする』

 

その言葉は、単なる事実以上の重さを持っていた。

 

“潰れた”。

 

その一言が、リィンの現状を的確に言い当てていた。

能力の問題ではない。

経験不足でもない。

責任という重圧に、心が耐えきれなかったのだ。

誰も否定できなかった。

 

『それだけじゃねぇ』

 

ゲンヤは机上の資料を指先で叩く。

 

『レリック確保も遅れてる』

 

『部隊育成も止まってる』

 

『六課を作った理由のうち、二つもまともに機能してねぇじゃねぇか』

 

静まり返る室内。

その言葉は、組織の現実を容赦なく突きつけていた。

理想だけでは部隊は動かない。

誰か一人の崩壊は、連鎖的に全体を蝕む。

 

『……ギンガを送る』

 

「え?」

 

『戦闘スタイルはスバルと被る。だが、あいつなら妹の動きは誰より理解してる。少なくとも前衛の連携は立て直せるだろう』

 

「ありがとうございます!」

 

はやては深く頭を下げた。

ゲンヤは窓の外へ視線を向ける。

 

『厄介なことになったもんだぜ……』

 

機動六課。

それは管理局史上、類を見ない戦力を誇る特務部隊。

誰もが未来を期待した部隊だった。

だが今、その精鋭部隊は犯罪者と決着をつけるより先に、自らの足元から崩れ始めていた。

組織とは、どれほど優れた剣を揃えても、それを束ねる柄が折れれば戦えない。

その当たり前の現実を、機動六課は痛いほど思い知らされていた。

 

 

機動六課は噛み合わない歯車を無理やり回す事で稼働していた。

任務そのものは終わっていない。

報告書も上がるし、訓練も続いている。

だが――

 

「……」

 

高町なのはは、誰もいない執務室で画面を見つめていた。

時計の針は、既に深夜を回っている。

表示されているのは、新しい訓練メニュー。

何度も修正しては、また考え直す。

 

もっと効率的に。

もっと安全に。

もっと、みんなが傷つかないように。

 

そう考え続けているはずなのに、気が付けば同じ場所を何度も巡っていた。

 

「……ティアナ」

 

無意識に名前が漏れる。

あの日。

彼女を撃墜した瞬間が、何度も頭の中で再生される。

 

――視界いっぱいに広がる閃光。吹き飛ぶ小さな身体。地に落ちた衝撃音。

その直後に見えた、ティアナの驚愕と理解が追いつかないまま歪んでいく表情。

あれは必要な指導だったのか。

それとも――

やりすぎだったのか。

 

「……」

 

なのはには分からなかった。

言葉だけでは止まらなかった。

ティアナは焦っていた。

自分を追い込んでいた。

だから、あの時止める必要があった。

それは今でも間違いだとは思っていない。

 

しかしその結果、彼女は自信を失った。

そして、六課から姿を消した。

正解だったはずの行動が、誰かを壊してしまった。

その矛盾が、なのはの心を締め付けていた。

 

「……なのは」

 

「なに? ヴィータちゃん」

 

ある日、ヴィータに呼び止められた。

 

「今日は休め」

 

「でも、訓練メニューが……」

 

「だからだよ」

 

ヴィータは呆れたように眉をひそめる。

 

「最近のお前、ずっとおかしいぞ」

 

「……」

 

「寝てねぇだろ」

 

否定できなかった。

 

訓練メニューを考える。

任務資料を見る。

また考える。

そうしなければ、不安だった。

何かをしていないと、ティアナのことを考えてしまうから。

 

「ギンガを迎える前に、今のままじゃ駄目だ」

 

ヴィータの言葉は厳しかった。

 

「お前ら全員、一回頭冷やせ」

 

その判断で、FW陣を含めた六課には一日の休暇が与えられた。

 

街を歩く。

久しぶりの休日。

本来なら楽しいはずだった。

なのに、なのはの視線は自然と人混みへ向いていた。

 

オレンジ色の髪。

似た背格好の少女。

その度に胸がざわつく。

 

「……いるわけないのに」

 

自嘲するように呟く。

無意識にティアナを探している。

 

謝りたいのか。

話したいのか。

それとも、もう一度やり直したいのか。

 

自分でも分からない。

 

「私は……どうすれば良かったのかな」

 

答えは出ない。

ただ、同じ問いだけが頭の中を回り続ける。

気が付けば、足は街の喧騒から外れ、静けさの濃い一角へと入り込んでいた。

音が遠のくほどに、胸の内側だけがやけに大きく響く。

 

ここで立ち止まっていいのか。

進むべきなのか。

 

それすら曖昧なまま、視線の先に小さな教会が浮かび上がる。

街の喧騒から切り離されたような、異質な静寂。

 

「教会……?」

 

その言葉を口にした瞬間、理由のない寒気が背を撫でた。

祈りの場所のはずなのに、どこか“呼ばれている”ような感覚がある。

行ってはいけない、と理性が囁く。

それでも、確かめなければならない気がした。

なのはは、ゆっくりと扉へ手を伸ばす。

 

そして――冥王教会の扉を開いた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。