ドン! と古びた木の板が殴りつけられる音が辺りに響き、積もった埃が宙に舞った。
小さな村の草臥れた宿屋のカウンターを、影夫がミリアの手で激しく打ちつけたのだ。
ミリアの拳を痛めるかもしれないことを失念するほどに、影夫は怒っていた。
「馬鹿なことを言わないでください! そこには一泊10Gと書いてあります!!」
「これは知り合い用の値札だ。あんたよそ者だろ? よそ者は100Gなんだよ」
徹夜でモンスターとの戦いをした翌日。
睡眠不足と疲労からか、熱を出したミリアを休ませるため、街道沿いにあった小さな村に影夫とミリアはやってきていた。
だが、この村は様子がおかしく、村人がみな一様に探るような視線でミリアをじろじろと眺めては敵意を隠さない態度をとるのだ。
(そんなに人をいれたくないんだったら、塀でも作って鎖国しとけよ)
「もういいっ、ほかをあたります!」
「勝手にしな」
しっしっと手で追い払われながら、ミリアの身体を借りた影夫はぼったくりボロ宿を飛び出した。
(お兄ちゃん……ここ、やだよ……)
ミリアも村の異様で不穏な雰囲気にあてられたのか、そわそわとして不安げな様子の声を上げて心の声で訴えかけてくる。
いっそのこと、泊まらずに馬車の中で寝たほうがマシかもしれない、と影夫は思うがやはり馬車で休んでも寝心地は悪いし、環境もよくない。
(ごめん。でもミリアの身体を休めなきゃダメだから、な)
(うん……)
(ミリア。難しいかもしれないけど、外の様子は気にしないでくれ。俺がいるから心配しなくていいよ。……ほんとごめんな)
(わかった……)
影夫は、ミストバーンと違い、憑依した相手の魂を支配して眠らせたり封じたりはできない。
自発的に眠ってくれればいいが、こんな不穏な雰囲気では緊張して不安になってしまうだろうから、それも望めない。
(くるんじゃなかった……)
村の中を歩いていると、家の中から、道端から、そこらじゅうからじろじろと見てくる村人の視線を無視しながら、村にもう一軒ある宿へと影夫は入っていく。
「すみません、一泊」
「帰っておくれ、よそものはお断りだよ」
「そんな馬鹿な! じゃあ誰なら泊めるっていうんです!? 村人が宿に泊まるわけないでしょうに!」
「うるさいよ。宿はもう一軒あるだろ? そっちにいきな」
その宿の女主人はミリアの姿を見るなり、言葉をさえぎって追い出してきた。
追い出すなり、塩まで撒いている始末だ。
現代と違い、それなりに高価であるはずの塩を撒いてまで嫌うというのか。
「なんなんだ、本当になんなんだよこの村は……」
「お前さん、よそものじゃろう?」
げんなりして、元の宿に戻ろうと歩いている影夫に老人が近寄って話しかけてきた。
「そうですよ。悪いですか?」
「……悪いことは言わん、出て行ったほうがいい」
「そうしたいのは山々ですが、体調が悪くて……休まないといけませんから」
「そうか。じゃがせめて事情だけでもしっておいたほうがええじゃろう……」
ひそやかな声で老人が語るところによると、この村から開拓に出た若者たちが作った村が近くにあるのだが、そこが盗賊団に襲われて全滅したらしいのだ。
なんでも盗賊団は、旅人に偽装させた斥候役を村に紛れ込ませ、中から手引きをさせて村人達の抵抗を封じ、皆殺しにして金品を奪ったのだとか。
その生き残りが村に逃げてきており、村全体がよそ者に対して疑心暗鬼になっているのだという。
(そうか。昨日のアンデッドモンスターの群れはそういうことだったのか)
内心で、昨日のやけにしつこく量の多いモンスターの集団の正体について、影夫は納得していた。
悲惨な集団死などがあって、複数の強い怨念や無念が残ると、その場に濃厚な邪気が生まれ、空気が淀む。
すると、その近くにある死体がその邪気で動く魔物と化すことがあるのだ。
あのモンスターどもは全滅した村からあらわれていたのか。
「村の皆はのぅ、息子か娘か、甥や姪か、孫か、叔父叔母か。いずれかの親類が、全滅した村に移住していたもんでな」
「今は皆、怒りと悲しみでどうしようもなくなっておるのじゃよ」
「天涯孤独のわしだけが、冷静でいられたというわけじゃ。もう誰もわしの言うことを聞かんし……どうしようもないんじゃ」
「……そうですか」
確かに同情は出来る、気持ちも分かる。
だからって、無関係な人にまでこんな陰湿なことをする必要はないだろうに。
はっきりと疑いを言ってくれて正面から気が済むで調べてくれれば誤解の解きようもあるのに。
影夫は内心のむかむかを抑えつつ、老人と別れて宿に戻った。
「おや。泊まらないんじゃないのか?」
「いえ、ここしかないようですので」
「そうか。宿代は300Gだぜ」
「え?」
「値上がりしたんだよ。素直に金を出せばよかったのによ。ほれどうするんだ。また値上がりするかもしれねえぞ」
ブチ切れそうになるのを必死にこらえて影夫は、ゴールドを叩きつけるようにテーブルにおく。
「く……これでいいんでしょう!」
「毎度あり。部屋は2階だ。好きな部屋を使ってくれていいが妙な真似はするなよ」
「っ……」
ドタドタを音を鳴らして2階へ上り、階段に一番近い部屋に入る。
想像どおり、埃の積もったベッドを軽く綺麗にして、影夫はミリアの身体をベッドに寝かせるのだった。
(ミリア、大丈夫か?)
(うん。でも、ちょっと疲れちゃった……寝るね)
(ああ。側にいてやるからな安心して寝たらいいよ)
影夫達は今から朝までトイレ以外に部屋を出ることはない。
こんな村で出てくるような食事は怖くて口に出来ないし、不穏な動きをしないか監視されているようなことを老人がいっていた。
疑われるのも馬鹿らしいし、村人の顔なんてみたくもないから丁度いい。
幸い水か湯で戻しながら食べるタイプの乾パンのような携帯食をもってきてある。
美味しくはないし病人にはふさわしいとはいえない食事だが、我慢するしかない。
ここに来るまでにホイミは掛けてある。ホイミによる体力回復と休息で、明日にはおそらく治るだろう。
(それじゃおやすみミリア)
(おやすみなさい……)
翌日。
ミリアの体調がよくなったのでふたりは、一秒でもこんな村にいたくないとばかりに、急いで村を後にした。
村から出る際、馬車に探られた形跡があることに気づいて、むかっ腹が立ったが、盗賊一味かどうかの確認をしただけのようで、物は取られていなかったので、影夫もミリアもどうにか我慢ができた。
もし、嫌がらせでミリアの母のドレスを汚されたり破られたり盗まれたりしていたらきっとあの村は終わっていただろう。
いや。正確には、終わらせていただろうから、彼らの最後の理性は彼らの命を救った形になった。
「あの村、いつか滅ぶな」
「……」
あんなことを毎度毎度していたら、いつか旅人や冒険者と小競り合いから争いになり、その果てに殺し合いになるだろう。
(そうなったら、因果応報いい気味だ。被害者だからってだれかれかまわず当り散らしてもいいってわけじゃないんだぞ)
単に疑われるだけならまだしも、無関係なのに露骨な敵意を向けた上で、散々にぼったくるのは理屈が通らない。
復讐なら加害者に思う存分すればいいだろう。それを咎めるつもりも非難もしない。
だが、それが出来そうにないからといって、弱そうな女の子を標的にするのは許しがたい。
卑劣で、強い敵意を向けられて尚、相手を深く思いやって許してやれるほど聖人君子ではない影夫は、そう吐き捨てながら馬車を進めたのだった。
この村は、ほっとけば勝手に滅びます。