転生
「これはないだろ……」
黒い影が1つ、透き通る綺麗な川の水面を見て頭を抱えていた。
「いくら俺が喪男で童貞でキモオタでリア充を妬みまくってたからってさ」
「シャドーに転生ってなんだよ、邪悪な意思の固まりに転生ってどういうことだよ……俺にはそれがお似合いってか」
彼の元の名前は黒須影夫。
彼は意識を失った後、気付けば見知らぬ廃墟の中にたたずんでいて、妙にふわふわした身体に違和感を覚えつつ、周囲を徘徊して、みつけた川を覗き込んでいたのであった。
「いや、まぁたしかに不謹慎ネタ好きだし、劣等感もバリバリだけど」
「ってかドラクエ? シャドーってことはここドラクエなのか?」
「転生、ってやつか」
呆然としていた影夫の頭が現実を受け入れ始める。
生前彼はネットでSSを読んでおり、そこで異世界転生や憑依といった話も見ていた。
「まてまてまて! じゃあ俺、勇者とかに見つかったら退治されるの?」
「まずいな。黒い邪気の塊がプルプルぼく悪いシャドーじゃないよ、なんていっても信じてもらえねーだろうなあ」
彼は再び頭を抱えてしまう。
こうなったら、どこか人気のない山奥にでもひっそり隠れ住むしか……
「っ!?」
そこまで考えた彼は、あたりに漂ってきた、甘く芳しい匂いに気付いた。
「な、なんだぁ……?」
抗し難いほど魅力的な匂い。
空腹の限界の時にニンニクがたっぷり効いた厚切りのステーキや、カレーの匂いを嗅がされたような、辛抱たまらなさがある。
「いや、っていうかシャドーって飯食うの? すげえ美味そうな気配だけどさ、人間とかじゃねえよな、まさか」
クンクンと匂いを嗅ぐ。
生前の感覚で覚えている嗅覚で感じるものとは違うが、なにかこう、美味しい食べ物っぽいことが彼の頭に伝わってくる。
そして、彼の意識は今、極度の空腹であると訴えてきた。
「うお……なんかやべぇ」
認識してしまうともうだめだった。
彼は、フラフラ……いや、ふわふわと匂いの元へと誘われていった。
「おいおいおいおい!」
しばらく進んだところで、小さな村落が見えてくる。
その中から強烈に芳しい匂いがしてくる。
「マ、マジで人間が美味そうだったりしないよな!?」
嫌な予感にヒクヒクと表情を引き攣らせるが、足は止まらない。
不思議と人気がない村の中へと入り込み、広場のほうへと移動していく。
「ん? なんだ??」
「っ!!!」
「ーー!??」
広場に通じる道へと出たとき、彼は手に木槍や農具を持った村人達が殺気だって、広場で何かを取り囲んでいるのを見た。
「なにしてるんだ、あれ……?」
取り囲まれているのは、高校生くらいのように見える黒髪の少年と、ひとりの少女のふたりだ。
少女は小学校4、5年くらいの歳ごろかと思われる。
線の細い大人しそうな印象がある黒い長髪の少女だ。
ストレートのロングヘアにしていて、着物を着ていたら小さな大和撫子のように見えるだろう。
だがその服も身体も傷だらけの埃塗れで、まるでボロクズのようであった。
「えっ……?」
少年は少女を庇うように抱きしめており、少女の方は泣きながら赤く染まった2つ転がっている何かのうちの1つにしがみつき、泣きじゃくっていた。
あまりに惨たらしく、鮮血でそまっているそれは、肉塊になった人間のようだった。
「う、えええ……」
影夫は思わず吐き気を催し、目をそらしてうずくまる。
ネット上でグロ画像なんかは見たことはあった。
しかし、充分自分には耐性がついていると思っていたがそれは大間違いだった。
生の死体。それも、惨たらしく嬲り殺しにされたソレを見て、風に乗って漂ってくる血の匂いは嗅ぐということは雲泥の生々しさがあった。
「なんだ、なんだよこれ」
「国民的RPGの世界のはずだろうが! なんでこんな……うぇぇ」
えずく影夫だが、シャドーとなった彼には吐き出すものはなかった。
黒い霧のようなもやが、もわぁっと出るだけだ。
「うぷ……はぁはぁ」
頭の中は大パニックだ、現代日本で惨殺現場に立ち会うことなんて考えられない。
とはいえ、数分もすれば落ち着いてくる。
「はぁ……ってそれどころじゃねえだろ!」
いやに落ち着くのが早い。と彼は自分でも思いながらも慌てて視線を戻す。
「あ、あ、ああ……ど、どうしよう……!」
影夫が人生で初めて直面する生き死にの修羅場にまごつき、惨すぎる光景に頭が真っ白になって硬直してしまっている間に事態は急変していた。
「いやああああああぁぁぁ!!!」
村人の男連中が、少女を庇う少年に木槍を突き立て、鎌で斬りつけていたのだ。
「やめてぇ! やめてやめてやめてぇぇぇぇ!!!」
「なんでこんなことするの! どうしてぇッ!?」
血塗れになって自分を庇う少年の腕の中で、泣きじゃくる少女が、村人に喚き散らしていた。
「騙されるな皆のもの! ソヤツらは魔王の手先じゃ、とどめをさせ!!」
太った男が喚くと、残りの村人達が無情にも少年へと武器を振りかざした。
「ぐっ……うぅ……に、げろ、みりあ……」
さらに全身にいくつもの槍を突きたてられ、その少年は血を吐いて、ぐったりと地面に倒れこんだ。
「あ、あああああああああああああぁぁぁ!!」
「……ゆ、るさない……った、い……ゆるせない……ゆるさないッ!!」
絶叫する少女はどうみても、ボロボロの身体なのに、目をギラつかせて怒り狂っていた。
「躊躇するな! 殺せ!」
「…………」
太った男の喚き声におされて、殺気立った村人の中で一際ガタイのいい青年が、喚く少女の前に立ち、木槍を向けて――
「ッ!?」
すぐ次の瞬間に訪れるであろう惨劇が、影夫の脳裏をよぎって、感情が爆発した。
「やめろぉぉぉ!!」
もはやただ眺めていることなど不可能だった。
はじけるように飛び出し、少女に槍を向けていた青年を突き飛ばして少女を背に庇い村人を怒鳴りつける。
「てめえら!! 今すぐその子を」
「ま、魔物だあああああああ!!!」
「うわああああああああ!!!」
影夫の姿を見るなり、村人達はみな大パニックで騒ぎ出した。影夫の言葉はさえぎられ、聞いてもらえそうなそぶりはまったくない。
「はなしきけよくそがっ!」
話すら聞いてもらえないのは彼にしても想定外だったが、それならばと、ふわふわした腕を伸ばし、地面に転がる青年を全力で持ち上げて村人達のほうへと投げ飛ばす。
「ぐあっ!?」
不意の衝撃に青年が木槍を手放して地面に転がり、村人達は事態が理解できず動けずにいた。
「大丈夫かおい! しっかりしろ!」
そのまま影夫は血塗れで倒れこむ少年の側に駆け寄る。
「……う……あ」
「まだ生きてる、でも……」
しかし、影夫は医者ではないし、身体中を穴だらけにされた
人間の救い方は分からない。
周囲の連中は全部敵だ。少女にも救うすべはないと思われた。
だが、何もせずにはいられず何とかせねばと必死にその身体に手を伸ばす。
「くそっ、し……止血、とにかく血をとめないと!」
「あぁぁ……お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」
必死に助けようとする影夫の姿を見て、少女も血塗れの少年にそばに駆け寄ってすがりつき必死に声を掛ける。
影夫がしているように必死に身体の穴をふさいで血を止めようとしているが、肩も腹も足も、あちこちがあなだらけでどうにもならず、血は流れ出るばかりだ。
「くそ……死ぬな、死ぬなよ!」
「……た、たの、たのむ……いもうとを……」
影夫が魔物の姿をしているというのに、表情を緩め、少年は影夫にむけてそんなことを言ってくる。
「何言ってる、諦めるな! おまえが何とかしろよ、この子を哀しませる気か!!」
そういう影夫だったが虚しい言葉なのは自分でも分かる。どうしようもなく、致命傷であるのが分かってしまうのだ。
「は、やく……や、やく、やくそくを……」
「する! 何でもしてやるから、死なないでくれよぉ!」
影夫はどうしようもなく、感情が高ぶり無茶苦茶な気持ちで目の前が霞む。
シャドーの体であるので涙は出ない。だが、潤んだ目はゆらゆらと揺れて黒い霧を放っていた。
「み、りあ……このひと、をおれだと……おも、って……いっしょ、に……」
「お、お兄ちゃん、いや、死んじゃぁ、やだぁぁ」
「……ぐふっ!?」
「お兄ちゃん!? いやあああああああぁぁぁぁ!!」
(ふざけんな、なんだこれは!!)
最後に大量の血を吐き、息を止めた少年を見下ろし、影夫は目の前で起きた死の衝撃に心中で罵倒する。
(ちくしょうめ!!)
影夫の胸中には強い怒りが渦巻いていた。
それらは理不尽への怒りであり、残虐行為を行う野蛮な連中への怒りであり、どうにも出来ない自らの無力への怒りだった。
「や、やっぱりじゃああ!! 皆の者! ワシの言うとおりじゃったろう!!」
「あいつら一家は魔王軍の手先なんじゃ! 人間の敵なんじゃああ!! その証拠に魔物が助けにきおったわ!!」
ブクブクと太った豚のような男がとんでもないことを言い出し、影夫が絶句する。
その言われ方からすると、この一家は魔王軍?との繋がりを疑われていたらしい。
「違う! てめらの蛮行を見てられなかっただけだ!」
「何を……っひぃぃ!?」
影夫は、その豚男を憎悪に任せて睨みつけて黙らせ、すばやくかつ丁寧に、少年の亡骸の前で泣きじゃくる少女をそっと横抱きに抱き上げる。
「怪我はないかい?」
ゆっくりと優しく語りかける影夫にお姫様だっこされている幼子がきょとんとした顔で、影夫を見つめていた。
その瞳は、泣きすぎて腫れており、目は充血して目や鼻が涙や鼻水でぐずぐずだった。
その姿に、彼はいてもたってもいられず幼子の頭をあやすようになでてやる。
「えぐっ、ぐす……」
幼子が腕の中でビクリと震えるのが分かった。
安心させるように背中をさすりながら、頭も撫で続ける。
「約束だ。俺がお兄さんのかわりに……絶対に守ってやるから。だから、もう大丈夫だよ」
ゆっくりとそういうのが影夫にかけられる精一杯の言葉だった。
「ほ、ほんと?」
「ああ、俺はこう見えて正義の味方なんだよ、君のお兄さんと一緒のな」
影夫はおどけるように言って笑いかけた。
生前の姿ならともかく、シャドーの今だと、醜さというよりは愛嬌がある感じの印象があった。
心に傷をおった少女がこれで和むとは思えないが、それでも少しでも心を落ち着けて欲しかった。
無残な仕打ちを受けたいたいけな少女をわずかでも救いたかった。
「皆のもの! 何をしておる、武器を構えろ! 殺せ、魔物もろとも殺すんじゃ!!!」
「くされ外道が! てめえは人間じゃねえ!」
影夫がなんと言おうが、殺せ殺せと騒ぎたてる豚のように太り、顔を醜く邪悪にゆがめている醜悪な男。
村を纏めているとおぼしきこの豚には一家が存在しては都合の悪いことがあるのだろう。
ヒステリックに喚きたてて扇動を図る輩は、下衆な企みをしている事が多いと影夫は前世の経験から知っていた。
つまり、この豚はつまらない私欲か馬鹿げた狂信でこんなことを引き起こした。そう思うと影夫の胸でさらなる怒りが爆発する。
「てめぇ、てめぇはあぁぁぁ……!!」
影夫は怒りすぎて言葉にならない。
「お前らそれでも人間かよ! こんな小さい女の子まで寄ってたかって殺そうってのか!!」
「魔物の言葉に騙されるでない!! あの裏切りもの一家は魔族と通じ、村を滅ぼそうとしていたんじゃ!! 村長であるワシの言葉を信じよ!!」
「違う! パパもママもお兄ちゃんもそんなこと絶対しないもん!」
「みんな、この村が好きだって言ってた、村のためにいっぱい頑張ってたんだよ! なのに、滅ぼすわけないもん!!」
家族を罵られ、我慢のできなくなった少女が影夫の腕の中で豚男に吠え掛かる。
きっとすごく温かい家庭だったのだろう。
父からも母からも兄からも皆に愛され、愛していたのだろう。
それなのに、目の前で残酷に奪われてしまったこの少女の心の傷はいかばかりだろうか。と思いを巡らせ影夫は泣きそうなほど心が痛んだ。
「なんで酷いことするの!? みんな今まで優しくしてくれてたのに! パパやママやお兄ちゃんとも仲良くしてたのに! なんで!? どうしてぇぇ!?」
少女の慟哭を受けて、村人達は少しうろたえたじろぐ姿を見せた。この少女が言っていることは真実なのだろう。
「そ、村長……」
「だ、だまれだまれぇぇい!! 裏切り者の悪の手先めが!! 死ね! 殺してやるっ! あのゴミクズ連中のようになぁ!!」
「ぐ……くそがぁっ……!」
村人の躊躇をかき消すように喚いた村長の言葉の意味を理解した影夫は、頭が真っ白になって言葉につまり、ぼろぼろと目から黒い霧を滂沱と流した。
「なんだよ、なんなんだよ……」
現代日本で綺麗事と善意の中で育った影夫は、怒りを通り越して呆気にとられ、次にどうしようもなく悲しくなったのだ。
「パパ、ママ、お兄ちゃん……」
村長の言葉を受けた少女が呆然と呟く。
その瞳は見開かれ、あまりの言い草に、大きな衝撃と絶望を受けていることが窺えた。
(なんで、そんな事が! そんな仕打ちができるんだよ!)
「そ、村長の言うとおりだ、俺は、あいつらが魔族と会ってるのを見てるんだぁ!」
「殺せ! 殺さねえと俺達が死ぬんだ!」
「俺らは悪くねえよ! こいつらが!!」
「イカれた野蛮人どもめ……!!」
少女を抱える腕に力がこもり、影夫の全身は激情に震えてしまう。限界を迎えた怒りは憎悪となり殺意となって影夫の身体に満ちる。
(殺してやる、こいつらみんな殺してやる!)
心の底からいくらでも激情が湧きあがる。影夫はそれに呼応して身体にどす黒い力が漲るのを感じる。
だが、腕の中のミリアの存在が彼を躊躇わせていた。
感情に任せて野蛮人どもに報いを与えてやりたいという衝動と少女を守るためには逃げたほうがいいという理性が葛藤していた。
「……ぐ……」
「そうじゃそうじゃ、こやつらは人間の敵じゃ! 世界のために人でなし一家は根絶やしにせねばいかんのだぁぁ!!」
耳障りな村長の言葉があたりに響きわたったその時。
「あはっ……」
「ふふふ」
ビクンと一度身を震わせ、少女が突然、ころころと鈴を転がしたような笑い声をもらした。
「くすくすくすくすくすくす……」
その嗤い方を見た影夫は、暴虐な仕打ちの果てについに今、この娘の精神が壊れてしまったのだということを知った。
引きこまれるような黒さをたたえた瞳には生気が感じられない。
その瞳で影夫を見つめたミリアがニッコリと微笑んで口を開いた。
「ねぇ私の勇者さま。わたしね、お願いがあるの。聞いてくれる?」
「あ、ああ……何だい?」
「チカラ……勇者さまが持つチカラをわたしにちょうだいっ!」
「へ……?」
「勇者さまは、いい子のお願いをかなえてくれるんだよね? ママがそう言ってたもん。わたし、いい子にしてたよ」
少女は、身振り手振りを交え、期待感で胸をいっぱいにしながら楽しげにそう述べた。
影夫は不吉な言葉を聞いて絶句してしまう。
「あのね、勇者さま。私の名前はミリアっていうの。いい名前でしょ大好きなの! 家族みんなで一生懸命考えてくれたんだから!」
「パパもママもお兄ちゃんもみんな大好きなのに、大事だったのに、殺されちゃった……」
「ゆるせないっ、ぜったいゆるせない!!」
「みな殺しにしてやる!!!」
ミリアはころころと表情をかえ、激情を露にして憎悪と怒りを撒き散らす。
その凄まじい負の感情の力と殺戮衝動は波動となって、影夫の身体と共鳴して、揺るがした。
「殺して殺して殺して殺して、思い知らせてやるの!!」
「だから、チカラをちょうだい! みんなを殺すチカラが欲しいの!」
「いいでしょ? ねえ、いいよね! おねがいおねがい勇者さま! あははははははっっ!!」
ミリアがけたたましく笑うと、影夫の身体から急速に力が抜けていく。
影夫は、まるで自分という存在が吸い取られているような感覚に陥った。
「え、ぁ……?」
今の影夫には腕の中の小さな少女が獰猛で貪欲な捕食者に見える。
「ああぁっ、ありがとう勇者さま! 私のお願い、かなえてくれて! チカラが、すごいすごいよ! ああぁっ、もっと、もっとちょうだい、全部ちょうだい!」
「ま、まっ……て」
「いただきまーす!」
次の瞬間、ミリアは影夫を食べ終えていた。