ミリアの身体を借りた影夫は、ルイーダの酒場の中にいた。
少し前まででかいジョッキでエールをあおって、あーだこーだとくだを巻いていた冒険者連中が、じろりとミリアの姿をねめつけている。
(相変わらず柄が悪いな……)
よく見れば冒険者達のミリアに対する反応は様々だ。
ミリアのことを知らなくて女の子がいることにぎょっとしている者も居れば、興味なさげに一瞥しただけで再び酒を傾けはじめる者もいる。
ルイーダの勘気に触れるのが怖いのか、脅えたように視線を逸らした者もいた。
そんな中、以前に絡んできたDQN冒険者どもはというと、獲物を見つけたとばかりにミリアを見るなり、いきなり罵声を飛ばし始めていた。
「ああっ? あのガキまだ逃げてなかったのかよ!」
「期限は来月だぜ! 逃げるなら今のうちだぞ!」
「無理して死ぬんじゃねーぞ。ぎゃはははは!!」
まともに相手にするだけ無駄なので影夫は一瞥もくれずに彼らを無視。
さっさと腰の道具袋から書類を取り出してルイーダへと渡す。
「依頼達成しました。これがその証明。グリズリーの素材買取の証明書です。念のため、後で調査してください。狩り残しがあれば宿にまで一報をお願いします」
「……たしかに確認したよ。依頼達成おめでとうさん。報酬はこれだ」
ルイーダはミリアが差し出した依頼書を一瞥し、カウンターの上に金貨の詰まった袋をドンと置いた。
ミリアは袋を持ち上げると中身も見ずに道具袋の中へと押し込んだ。
後は帰るだけ。影夫は糞どもの掃き溜めからなるべく早く帰りたいのだ。
「ありがとうございます」
「金額の確認はしないのかい?」
「あなたを信用していますから。小銭を掠めるようなつまらない真似はしないでしょう。するような人なら次からお付き合いはしないだけです」
「ま、待ちやがれ!」
そのまま踵を返そうとするが、DQN冒険者達に取り囲まれてしまう。
「……何の用ですか?」
「おまえなんかに達成できるわけねえ!」
「偽造だ! だまそうったってそうはいかねえぞ!」
彼らは影夫が不正をしたと決めつけ、怒鳴り散らしながら、威圧するように顔を近づけたり、床を踏み鳴らして脅してきた。
だが、前世の影夫ならばともかく、人外となり力もつけた彼は少しの緊張も恐怖も感じない。
全力で殺しに掛かってくるモンスター達に比べれば吼える馬鹿はうるさいだけだ。
「……変ないいがかりはそのくらいにしたほうがよいと思いますよ。人のことにいちいち口を出すのもやめるべきですね」
「黙れ! さっきの証明ってのは偽造屋に作らせたもんだろ! てめえが金持ちのご令嬢だって、調べはついてんだ!」
「てめえ俺らを舐めてんだろ! 死にてえのか!」
動じない影夫に苛立ったのだろう。大げさに腕を振り上げ、顔を近づけて耳元で馬鹿が怒鳴りつけてくる。
影夫の心中に更なる苛々が募っていく。
(クソどもが。前世からお前らのような奴には虫唾が走るんだよ)
弱いと思った相手を威圧して悦に浸る馬鹿は、影夫が憎しみすら覚える種類の人間である
。
「ふぅん。貴方たちはルイーダさんが偽造も見抜けない間抜けだって言うんですね」
「……っ!?」
だから薄笑いを浮かべて、そう言い返してやる。それだけで喚いていた連中は真っ青になって絶句した。
「へぇ? そうなのかい。アタシも舐められたもんだね」
「う……」
「そ、そうじゃねえ! あ、姐御を、馬鹿にする気はこれぽっちもねえよ!!」
「このガキッ、口が廻るからって調子こいてんじゃねえ!」
口元に笑みを浮かべてルイーダがそう言うとDQN達はすくみあがったが、すぐに恐怖をごまかすためなのか、ミリアを罵り始めた。
「ブッコロス!!」
馬鹿の中でも飛びぬけた一人は罵るだけでは飽き足らず、怒りの感情のままに身体を動かし、ミリアに殴りかかってくる。
拳の角度からして男が狙っているのはミリアの小さな顔だった。
(こいつっ……!)
男の行動を理解した影夫は瞬時に下衆への怒りで心が染まり、暗黒闘気を纏わせた手で、振りぬかれた男の拳を受け止めた。
「なぁっ!?」
罵るだけならば穏便に済ませようとは思っていたが、向こうから手を出してきたなら話は別だ。
こういうクズは痛い目をみないと。力で押さえつけられないと理解しないだろう。
「自分より弱い相手を、それも女の子を殴るなんて最低だって、誰かに教わらなかったのか」
こいつはミリアを殴ろうとした。そのことが影夫を強く怒らせていた。
こども、それも女の子に手を出そうとする野蛮なゴミを躾けるのに影夫は遠慮するつもりはなかった。
「ぎっ……あ、は、はなしやがれっ……」
「先に手を出したのはお前だ」
ギチギチと闘気と力を込めて男の拳を圧搾していく。
ミリアの手は小さく、華奢に見えるが、幾多の戦いや修行で鍛えられた力は並ではない。
暗黒闘気をまとっているならばなおさらだ。
アイアンクローを本気でやれば、普通の人間をトマトのように潰すこともできるくらいなのだ。
「拳を向けたってことは、拳がなくなる覚悟はあるよな」
「ひっ、ひ……!!」
めきりめきりと男の拳が軋み、激痛がその男を襲う。
男が慌ててミリアの手を振り払おうとしたり、全身の力を込めて引っこ抜こうとする。
しかし、拳は掴まれたまま微動だにせず、逃れることなど出来はしなかった。
「あ……あ……っ」
骨の限界を超えた瞬間。男の拳はあっけなく折れ砕けた。
「ぐぎっ!?」
グギョンと肉と骨がつぶれる音が響き、少し遅れてびちゃびちゃと血が床へと垂れ落ちる音がそれに続いた。
無茶な力で折れてへし曲がった骨の一部が、肉と皮を突き破って外へと白い姿を見せている。
「ぁぁああああッ!?」
影夫が手を離してやると、男は砕けた手を押さえ悲鳴を上げて、床に転がりのた打ち回った。
「よく聞けゴミ虫ども」
すかさず影夫は、喚き散らす男の顔面を足蹴にして無理やりに黙らせ、殺気を込めて口を開く。
「私は、お前らみたいな連中が死ぬほど嫌いだ。次に気に障ったら駆除してやる」
最後に、闘気を込めた蹴りで地面の男を店外へと蹴り飛ばしてルイーダの元へもどり、影夫は頭を下げた。
「お騒がせしてすみませんでした」
「ふふ、お嬢ちゃんは見た目と違って凄腕だね。依頼は1人で?」
流血沙汰を気にしたそぶりも見せずにルイーダは興味深げに聞いてくる。
このくらいの荒事は茶飯事なのだろう。視界の端では身体のごつい酒場の店員が血で汚れた床を掃除し始めていた。
その手際は手馴れており、店員もなんら動揺していない。
「いえ。もちろんでろりんさんの協力あってこそです。彼らは素晴らしい技能と知識をお持ちなので、弟子にしてもらいました」
「へえ? あの子らがねぇ」
「本当ですよ。一月前の時点でも酒場でトップクラスに強かったのは彼らでしょう。私は短気な性質ですが、彼らは心が広いので争いを避けていたようですけどね?」
影夫はそういって、背後で黙り込む連中を舐めるように見渡してみる。
面白いように全員が震えあがっている。間違って本職のヤクザに因縁をつけてしまったチンピラ連中の反応みたいだな、と影夫は思った。
「もっともオイタが過ぎた人には後でお礼があるかもしれませんね。かわいそうに」
「「「ひ、いいいぃ……!」」」
思い当たる節があったのか数人が転がるように店を飛び出し、それにつられて残りろくでなしどもも逃げていった。
店に残ったのはルイーダと、まともと思われる冒険者グループ数組くらいだった。
「……あんな馬鹿どもでもそれなりの使い道はあるからね、あまり虐めないでやっておくれよ。今は粋がっている連中も、数年もすれば弁えて大人しくなるもんさ」
「……私はそれが一番むかつくんです。後で改めるくらいなら最初から粋がるんじゃない」
影夫はそう吐き捨てる。
前世時代から素行の悪い連中に対して溜まっていた鬱憤が顔を覗かせ、止められなくなる。
「散々他人に迷惑かけておいて、今は更正しましたからみたいな顔でぬけぬけと一般人の仲間いり。人様にかけた迷惑や責任をとるやつなんか殆どいない! 恥知らずにも愚かな過去を得意げに話す奴までいる始末……死ねばいいのに」
「アンタ、ずいぶん育ちがいいんだね。本当のお嬢さまかい? にしては妙なところもあるねぇ。ま、詮索はしないけどさ」
影夫が散々に連中を糾弾しているとルイーダは面白そうに見つめてくる。
「あいつらはさ。あんたと違って賢く生きる術も知識も躾も、何も受けられなかったんだ。甘えが許されない環境だったのもあるかもしれないね。ま、あんな連中にも色々あるのさ」
諭すように言うルイーダの言葉に影夫は思わず言葉を詰まらせた。
あの手の連中の事情なんて想像したこともなかった。
両親は金持ちではなかったので影夫はずっと自分が普通に育ったと思っていたが、もしかすると肉親や親戚、恩師に至るまで接した大人が皆まともな人ばかりだったというのは、
ずいぶんと贅沢な家庭環境だったのではなかろうか。と影夫は思った。
そうだとすると自分がそんなことも斟酌できない狭量な人間に思えた。
相手の立場で考えてあげなさいとは、両親にいつか言われた教えであり、実践できているつもりであった。そのことを影夫は恥じる。
(人それぞれ事情がある。確かにそうだ。むろんそれで何もかも許される免罪符にはなりはしないし行動に対する責任は取る必要はあるけれど)
「そうですね……すみません。大人げなかったです」
「ふふふ、本当にあんたは変な子供だね。まあとにかく。これからもよろしく頼むよ。あんた達は頼りになりそうだ」
「はい。あ、そうだ今ある依頼書の一覧の写しをいただけますか?」
「あいよちょっと待ってな……ほらよ」
「ありがとうございました」
カウンターの棚から、書類をあさり、その中の何枚かをルイーダさんは手渡してくれた。
影夫はペコリと頭を下げて、ルイーダの酒場を後にする。
外で転がり気絶していたろくでなしは、店員が綺麗に片付け終えていた。
反省させようとして反省。