翌日の午前、エイジは天空闘技場の観客席にいた。ドゥーロと会うことが大事な用事というわけでもないけれど、他にやることもなかったので早めにタワーへ着いてしまったその暇つぶしだった。235階、ヒソカ対ドゥグ・アウグメド、開演まではあと5分を切っていた。
エイジはアウグメドについては知らないが、ヒソカについてはよく噂を聞いていたし、一度試合の後にすれ違ったこともあった。しかしエイジはヒソカが嫌いだった。マジシャン同士のマジックショーのように、同類との闘いはしらけたモノになることを彼は予感していた。相手もそれを感じていたのか、二人はこれまでついぞ闘うこともなかった。エイジが退屈にポップコーンを食べていると、ステージ奥の出入り口から噂の殺人倒錯ピエロ変態が登場し、会場は湧き上がった。エイジはますます退屈した。いっそ別のフロアでも見るかとエイジが立ち上がったとき、アナウンスが響いた。
「えー、ヒソカ選手の対戦予定相手ドゥグ・アウグメド選手ですが、本日入場が確認されておりません。よって今試合はヒソカ選手の勝利となります」
一斉にブーイングが沸いた。そばでも中年の男たちの愚痴が聞こえた。
「ったく珍しくヒソカがヤル気だってのに、もう片方がサボんじゃ世話ねえよ」
「っかしいな...ドゥグはサボるようなヤツじゃないんだよ」
「ファンみてえじゃねえか」
「ファンで悪いかよ」
「悪かねえよ?でも現にいねえぜ?」
「うーん...」
___ハハァ...
エイジは内心に笑った。ドゥグ・アウグメドのことではなく、すっぽかされたヒソカの方だ。ヤツはイライラしてるに違いない、その証拠にバックヤードに戻りもせず、手持ち無沙汰に観客席を見渡して....おっと___エイジはわざとらしく目を逸らした。目をギンギンにしたヒソカがこちらを見つめていた。
___ここはアブないな、とっととズラかろう。
エイジは逃げるように会場を去ったし、じっさい逃げていると思われても気にしなかった。楽しければ軍隊でも相手にするし、つまらなければチンピラからも逃げる。闘いは彼にとって勝敗ではなかった。しかし....と、ほとんど落下に近い速度で地上へと降りるエレベーターの中でエイジは考えた__能力だけで見たら相性はいいだろうな、俺の「逃亡遊戯(キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン)」なら、ヒソカはあの粘着質のオーラを維持できない。だが、そうなるとケダモノの繁殖じみた肉弾戦になるだろうし、そんな画は想像もしたくない...
そうしてやはりエイジはヒソカについて考えるのをやめた。
時間はまだ正午に近づいてすらなかったが、他にやることもないエイジがそのまま地上にある例のフードコートに行くと、ドゥーロはすでにあのテーブルの前に座って待っていた。そしてエイジの姿を認めると、左脚を庇いながらも無理に立ち上がった。エイジはそこにわずかな違和感を覚えた。
「オマエ軍人か?」
「...昔の話だ」
「まァいいが、俺を上官みてえに扱うなよ、生まれたてのヒヨコじゃねえんだから」
「...わかった」
そこでエイジはふと、降りてくるエレベーターの方を見上げた。
ドゥーロにはその意味がわからなかった。
「?」
「いや、早く行こう。ここには変態がいる」
エイジはそう言って足早にタワーを離れ、ドゥーロも足を少し引き摺りながら後についた。
___「あんたカレー好きなのか?」
部屋中に満ちたスパイスの匂いがすり抜けていく窓辺の席で、ドゥーロはエイジに尋ねた。
「別にぃ?オレはここの常連で、常連じゃないヤツがいたらすぐわかるから選んだだけだ。誰にも聞かれたくない話なんだろ?」
常連ならやっぱり、とドゥーロはツッコみたくなったが、目の前にいる得体の知れない男が馴れ合いを嫌っていることは明らかだったので、無駄な口はきかないことにした。ふと見下ろした石畳の道では、人々がお互い狭そうに身をよじりながらひっきりなしに行き交う光景があった。
「そういえば聞きたいんだが、ドゥグ・アウグメドは知っているか?」
とエイジが尋ね、ドゥーロは驚いた。
「知ってるも何も、その男の話をするところだった」
「ドンピシャか」
「あんたどこまで知ってるんだ?」
「はぐれモンを集めてるヤツがいそうだってことくらいだよ。なんだろーな、鉄骨渡りでもさせんのかな、ハハッ」
笑っているのか息を吐いただけなのかか、ドゥーロには目の前の男が読めなかった。
「待ってくれ、アンタが俺を警戒するのはわかるが、なぜすでにそんなに知っているのか教えてくれ。じゃないと話をすり合わせられない」
「何も知らねえよ。ドゥグって真面目なヤツが試合をバックれた。アンタには裏の知り合いがいる。アンタは元軍人だ。アンタはドゥグを知っている。じゃあ系列の裏の大会に元軍人のドゥグが流れたってことじゃねーの。お姫様扱いされるキャリアじゃあねえだろうしな」
「...驚いたな、その通りだ。だが実際の話はもっと根が深い___」
と、ドゥーロが本筋に入り始めるところで、空気を読まない店員が二人のテーブルにマテ茶を配膳した。ドゥーロはほんの少し不快を覚えて浅黒い肌をした店員の男を見上げ、そしてそれ以上に向かいに座るエイジの不機嫌を恐れて目配せをした。だが当のエイジは気にもせず窓の外を見ながらマテ茶を飲んでいた。
「ここはビリヤニが格別だが、俺が好きなのはマテ茶だ。フェルナンドーだけがまともに淹れられる」
「...」
ドゥーロは、エイジという男がよりわからなくなったようにも、少しわかったようにも思えた。
「ゆっくり話せよ、まだ日は高い」
エイジがそう言って、ドゥーロは確かにゆっくり語り始めた。
「...俺とドゥグは元々同じ軍出身だが、面識はなかった。兵役を終えて傭兵になり、ルボの内戦で政府側について、そこで知り合ったんだ。石壁部隊って知ってるか?」
「いや?そこにいたのか?」
「いや違う。そいつらにやられたって話だ。そこから天空闘技場に流れ着いて足を洗ったつもりだった。だがおれたちはいつのまにかルボのテロリストとして国際指名手配されていた」
「あー、政府が変わったからか?遡及的だな」
「内戦後の新興国じゃよくある話だ。過去は常にスケープゴートにされる」
「で、そこをつつかれたのか?」
「ああ、ドゥグはルボの新政府に身柄を引き渡されない代わりに、ほぼ無条件の契約(コントラクト)を作られ引き込まれた」
「アンタは?断ったのか?」
「いや、ただ弱すぎたんだ。助かったとも言えるが」
ドゥーロは軽く首を横に振って答えた。そこには惨めさ、諦め、いくつかの感情がうかがえた。
「ドゥグがサインした契約(コントラクト)は非常に強力なものだ。俺は彼に真相を聞いたが、念による制約と誓約がかかっているようで、彼は何も話せなかった。だが、俺自身契約の直前まではヤツらと接触(コンタクト)をとっていたし、それで多少は察することができた。話のバックには国がいて、おそらくこれは念をベースにした大会だ」
「...グリードアイランドか」
「あんた何なんだ?本当に知らないのか?」
「ニュースでよくやってんだろ?文化保全がどうたらとか嘘くさいヤツ」
「それか...ああ、そうだ。奴らはアレを反転工学(リバースエンジニアリング)して大会に念の概念を組み込みたいらしい。なぜそんなことするのか不明だが」
「いいぜ、興味が湧いてきた。まだ枠余ってんだろ?」
「ああ、だが俺の紹介で通せるかどうか...」
「ん?アンタずっと身代わり探してたんじゃないのか?」
「...」
「気にしちゃいねーよ、俺が嫌いなのは俺を騙せる嘘つきだけだ」
「...いや、そんなつもりはなかったが、今言われてハッとした...自分の弱さにムシャクシャしていたのはたしかだ」
ドゥーロはそう気恥ずかしさを自覚しながら言い、それから小さな紙切れを机の上にスッと差し出した。
「この番号にドゥーロの紹介でかけたといって、『グリードアイランドの新作をプレイしたい』と伝えろ。それであとは指示が来るはずだ」
「んー」
エイジはそれだけ返事をして、しかし紙切れは拾わずに窓の外を眺めた。ドゥーロは窓辺に巻く小さな風がそれを吹き飛ばしてしまわないかと心配にもなった。やっとエイジが口を開いた。
「オーラの弱さは『集中』と『制約と誓約』でカバーできる」
「?」
「アンタの場合は条件を『両腕で掴む』とか『血を燃料にする』とか、もっと単純なのでいうと『指先のみにする』とかだな。グラップル(つかみ)のときに熱するだけで相手は脊髄反射でビクつく。アンタもともと強化系だろ?嘘下手だしな」
「...」
図星だった。ドゥーロは何も返せなかった。
「まあ正攻法が通じずに搦め手に逃げるのは新人(ニュービー)あるあるだが、消極的な判断の先に待ってるのはただの袋小路だ。たしかにアンタはオーラの量も少ないし単純なヤツだが、それは悪いことじゃない。洗練されたシンプルな念能力を作るチャンスでもある」
「何で急にそうアドバイスをくれるんだ?」
「別に?師匠の受け売りさ。俺が言われたのは逆のことだが」
「...ありがとう」
ドゥーロは確かにいくつかの気持ちを込めて、そう礼を言った。エイジは気にもしなかったが。そしていつの間にかマテ茶を飲み干したエイジは立ち上がって、思い出したようにドゥーロの肩をポンポンと叩いた。
「良い能力だ」
「...ドゥグを頼んだ」
ドゥーロは最後にそう言ったが、エイジはそれにもこたえなかった。エイジが店を去るとき、ちょうど浅黒い肌のフェルナンドーがビリヤニを運んできたが、エイジは親指で背後の窓辺の席を指して、あの男に食わせておけと合図した。いつまでも風は窓から外へと吹き抜け続け、だが新たに生まれ続けるスパイスの芳醇な香りは飽きることなく店を満たし続けていた。