N3x7 D15a5732   作:vic.

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第-4.5話「決戦の日」

2017年・夏、花寺家・アリスの部屋。

 

7月29日の説明会を終え、高専の壮大なキャンパスと教授陣の熱量に触れたアリスの情熱は、さらなる高みへと加速していた。

 

「夏を制する者が、すべての受験を制する——」

 

中学2年生の夏休み。周囲の中学生たちが部活動や夏祭りに興じ、受験をどこか遠い未来の出来事として捉えているこの時期に、アリスは早くも最大の勝負に出た。自室の机の上に積み上げられたのは、過去20年分に及ぶ「国立すこやか市高等専門学校」の入試過去問題集(赤本)の山であった。

 

高専の入試問題は、一般的な公立高校の受検問題とは一線を画す。特に偏差値71を誇るこの超難関校では、数学や理科において高校履修範囲の高度な応用問題や、大学初級レベルの思考力を問う発展問題が惜しげもなく盛り込まれているのだ。

 

「中学レベルの完璧さは当然の前提。高専の医学部が求めているのは、未知の難問にぶつかった時の論理的思考力と解法への執念……!」

 

アリスは、自身の学習スケジュールを分単位で緻密に組み立てた。

 

朝5時に起床し、頭が最も冴えている時間帯に数学と理科の過去問演習。

10年分の過去問を一度解くだけでは終わらせない。1回目で間違えた問題はもちろん、解法に少しでも迷いが生じた問題には独自のマークをつけ、なぜその解法に至るのか、別解は存在しないかを徹底的にノートに解き明かした。

 

2周目、3周目、4周目……。

彼女は夏休みの期間中、過去20年分の過去問を実に5周以上も繰り返し解き進めたのである。

 

解き直すたびに、思考のスピードと精度は極限まで研ぎ澄まされていった。

かつては数分を要していた難解な立体の切断問題や、複雑な化学反応式の計算も、今や問題文を目にした瞬間に最適解への道筋が脳裏に浮かび上がるレベルへと達していた。

 

夏の強い日差しが部屋の窓から差し込み、机に向かうアリスの額に一筋の汗が伝う。

腰まで伸びた鮮やかなホットピンクの髪が、風に乗って揺れるたびに静かな気迫を放っていた。

 

ペンを走らせる音だけが、静かな室内にカタカタと規則正しく響き渡る。

 

「(2021年5月21日……あの日、救急車の中で消えていった私の命。100年前から組み込まれていた世界の破滅システム……。私の知識が足りなければ、私はまた何も救えずに終わってしまう)」

 

脳裏に刻まれた前世の悲劇と、あの悪夢の中で見せつけられた暗号『20210522EE』。

理不尽な運命に対する激しい危機感が、彼女を無限の努力へと突き動かす最高の原動力となっていた。

 

そして、夏休みが終盤を迎える頃。

アリスの学習ノートは、ビッシリと書き込まれた解法と思考の軌跡で何冊も埋め尽くされていた。

 

最新の過去問を用いた模擬演習(タイムアタック)において、彼女が叩き出した得点は——合格最低点を遥かに凌駕する、ほぼ全教科満点。

 

中学2年生の夏。世界の理不尽なシステムへ抗うための圧倒的な「知性」という武器を、花寺アリスは確実にその手へと引き寄せている。

アリスは、その秋も時間を一刻も無駄にしなかった。

2019年1月13日・夜、花寺家・アリスの部屋。

 

窓の外では、キーンと冷え切った冬の静寂が街を包み込んでいた。

 

2016年の春、あの決意を両親に告げてからおよそ3年。

中学1年生での圧倒的な成績、過去の自分である「のどか」との邂逅、そして悪夢で突きつけられた予言の暗号『20210522EE』。

あらゆる記憶と使命感を胸に秘め、膨大な時間を1分1秒たりとも無駄にすることなく走り続けてきたアリスの目の前に、ついにその時が迫っていた。

 

明日、2019年1月14日。

「国立すこやか市高等専門学校 医学部」学力選抜試験。

 

偏差値71を誇る超難関校の門をくぐるための、運命の前夜。

 

アリスの机の上は、すっきりと整理されていた。

何冊も使い古され、付箋と書き込みで分厚くなった過去問題集やノートは綺麗に並べられ、明日持ち込む受験票と筆記用具が静かに光を反射している。

 

「ふぅ……」

 

ゆっくりと息を吐き出し、アリスは椅子から立ち上がると、姿見の前に立った。

 

鏡に映るのは、3年間の過酷な学習と鍛錬を乗り越え、より一層凛とした佇まいとなった15歳の自分の姿。

腰まで美しく伸びた生まれつきのホットピンクの髪が、部屋の明かりを受けて神秘的な輝きを放っている。そしてその奥にある同じ色の瞳には、一切の迷いも、揺らぎもなかった。

 

(100年前から巡る予言のシステム……。世界を沈める大洪水……。2021年5月21日に途絶えた私の最初の命……)

 

アリスはそっと胸に手を当てた。

 

(だけど今の私は、あの時とは違う。知識を蓄え、思考を研ぎ澄まし、命を救うための圧倒的な力を手に入れるスタートラインまで辿り着いた)

 

あの日、冷たい雨のアスファルトの上で届かなかった叫び。

ちゆ、ひなた、アスミたちの泣き声。

それら全ての記憶が、いまアリスの全身に計り知れない強さと誇りを与えていた。

 

明日試されるのは、単なる中学3年間の学力ではない。

悲劇のシナリオを書き換えるために積み重ねてきた、彼女の「生の執念」そのものだ。

 

「よし……」

 

アリスは電気を消し、静かにベッドへと入った。

冷たい冬の夜空を見上げながら、明日始まる最大の抗いに向けて、そっと瞳を閉じるのだった。

2019年1月14日・早朝、すこやか市・駅前通り。

 

凛とした冷気が街を包み込む、試験当日の朝。

静まり返った薄明の街並みを、アリスは澄んだ足取りで歩いていた。

 

コートの隙間から覗く、腰まで伸びた鮮やかなホットピンクのロングヘア。

鞄の中には、完璧に研ぎ澄まされた頭脳と、これまで積み重ねてきた努力の全てが詰まっている。

 

最寄りの駅へと向かう歩道橋の麓に差し掛かった、その時だった。

 

「……あ」

 

朝靄(あさもや)の向こう側から歩いてくる、ひとりの少女。

マフラーに顔を少し埋め、白い息を吐きながら歩くその姿——。

 

2017年の夏に巡り会った、かつての自分自身の過去の姿、「花寺のどか」だった。

 

約1年半ぶりの再会。

かつて出会った時よりも、ほんの少し背が伸び、どこか成長を感じさせるのどか。

ふたりは自然と足止めを刺し、互いの瞳を見つめ合った。

 

のどか「……アリス、ちゃん……?」

 

前回の記憶を鮮明に残していたのどかは、アリスの変わらないホットピンクの瞳と髪を見て、すぐにその正体に気づいた。

 

アリス「おはよう、のどかちゃん」

 

アリスは静かに微笑み、のどかのもとへと一歩踏み出した。

受験という人生の大きな岐路を前にしても、その表情には一切の焦りや緊張はない。

 

のどか「今日……高専の試験なんだよね? RAPIDの前にあった横断幕で見たよ……『国立すこやか市高専』って」

 

アリス「うん。今日がその学力選抜試験の本番」

 

のどかは少し心配そうに、けれど力強い眼差しでアリスを見つめた。

 

のどか「私……あの時アリスちゃんが教えてくれたこと、ずっと考えてた。私が未来で死んでしまうこと、世界の悲劇のこと……。最初はすごく怖かった。でもね、アリスちゃんが私のために、みんなのためにあんなに一生懸命勉強して、未来を変えようとしてくれているのを見て……私、すごく救われたんだよ」

 

のどかは胸の前で小さな手と手をギュッと握りしめた。

 

のどか「だから、頑張って……! アリスちゃんなら絶対に大丈夫。私のぶんも……未来を、掴んできて!」

 

過去の自分から託される、切実で温かいエール。

その言葉は、どんなお守りや気休めの言葉よりも深く、アリスの胸の奥底へと染み渡っていった。

 

アリス「ありがとう、のどかちゃん。……行ってくるね」

 

アリスは深く頷くと、迷いのない足取りでのどかの横を通り抜き、駅の改札へと向かって歩き出した。

 

前世で届かなかった命、絶望に満ちた予言のコード、そして今日から始まる未来への第一歩。

すべてを背負った花寺アリスの背中は、朝日を浴びてホットピンクの髪を鮮やかに輝かせながら、決戦の地である高専へと向かって力強く進んでいく。

2019年1月14日・午前9時00分、国立すこやか市高等専門学校・大講義室。

 

冷気が張り詰める広大な試験会場。

整然と並べられた机には、全国から集まった一筋縄ではいかない猛者たちが緊張した持ち味で着席していた。偏差値71、倍率にして十数倍とも言われる超難関「医学部」の一次選抜試験。周囲の受験生たちの呼吸は浅く、鉛筆を握る手がわずかに震えているのが空気伝いに伝わってくる。

 

その喧騒と緊張の真ん中で、花寺アリスだけはただ一人、鏡のように静かな精神を保っていた。

 

腰まで伸びた鮮やかなホットピンクのロングヘアが、冬の静寂の中で微かに揺れる。

机の上に並べられたのは、極限まで研ぎ澄まされた思考と、3年間一日たりとも休むことなく積み重ねてきた努力の記憶。

 

『——これより、一次選抜試験を開始します。はじめ』

 

試験官の厳格な合図とともに、一斉に紙をめくる鋭い音が会場中に響き渡った。

 

「カリカリカリカリ……っ!」

 

一瞬にしてペンを走らせる音が大講義室を満たす。

 

アリスは問題用紙を開き、最初の一行に視線を滑らせた。

出題されたのは、公立高校の受検問題を遥かに凌駕する超高難度の難問群。大学教養レベルの思考力を要求する複雑な数理モデル、高度なロジックを要する英語論説、そして先端医学の基礎となる複雑な化学・生物の複合問題。

 

しかし——アリスの瞳には、それらの難問がまるでスローモーションのように見えていた。

 

(解ける……。解法が、道筋が、明確に見える……!)

 

中2の夏に20年分の過去問を5周以上解き明かし、パターンを極限まで分析し尽くしたアリスの頭脳にとって、試験問題の問いかけはすでに通ってきた道に過ぎなかった。

 

数学の立体図形切断と微積分が絡む最難関問題。

他の受験生が思考を停止させ、冷や汗を流すような設問に対しても、アリスのペンは一秒の迷いもなく紙の上を滑っていく。

 

(私は、ここで立ち止まるわけにはいかない……!)

 

脳裏をよぎるのは、2021年5月21日の雨の夜。

救急車の中で消えていったかつての自分の命。

そして夢の中で刻まれた、不吉極まりない世界の破滅コード『20210522EE』。

 

理不尽な運命のシステムが、どれほど冷酷に世界の破滅を画策しようとも。

この試験を突破し、絶対的な医療の知性を手に入れることが、全ての惨劇を塗り替えるための最初の条件なのだ。

 

1時間目、2時間目、3時間目——。

全教科の試験が進む中、アリスの集中力は途切れるどころか、加速度的に研ぎ澄まされていく。

 

問われる知識のすべてを、寸分の狂いもなく正確に解答欄へと叩き込んでいくその姿は、まさに運命に抗う戦士そのものであった。

 

『そこまで。筆記用具を置いてください』

 

夕刻、最後の教科の終了を告げるアナウンスが響いた時、アリスは静かにペンを置いた。

 

やりきった。完璧だった。

見直しの時間すら余るほどの圧倒的な速度と精度で、全問の解答を書き終えていた。

 

会場を後にする受験生たちが口々に「難しすぎた」「解ききれなかった」と落胆の声を漏らす中、アリスは冬の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

ホットピンクの瞳に宿るのは、確信に満ちた強い光。

 

一次選抜試験の突破は、もはや疑いようのない事実。

命を救うための圧倒的な力を手に入れるための戦いは、いま確実に次のステージへと動き出していた。

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