第56話「システムが迫っている」
跳ね起きると同時に、喉の奥から切裂くような悲鳴が漏れた。
えみり「嫌だァァァァァァァっ!!」
全身を激しい冷や汗が包み込み、荒い息が整わない。シーツを力任せに握りしめた指先は、恐怖で白く強張っていた。
視界に広がるのは、いつもの慣れ親しんだいちご坂の自分の部屋。だが、脳裏には依然として、地上360メートルから投げ出されていく32人の影と、44,200トンの鋼鉄が狂ったように軋む破砕音が恐ろしい明瞭さで焼き付いている。
189名の死。冷酷に計算されたシステムのアラート。そして、あらかじめ色分けされた家系図のグラフ――。
連日のように繰り返されるこの悪夢は、夜が訪れるたびにえみりの精神を苛み、削り取っていた。夢の中で崩落の恐怖が頂点に達するたび、彼女は現実のベッドの上で悲鳴を上げて飛び起きてしまう。
えみり「はっ……はっ……また、あの夢……」
胸を上下させながら手で顔を覆うえみりだったが、すぐにハッと息を呑み、申し訳なさそうに身を縮めた。
薄い壁を隔てた隣の部屋。
この連夜の悲鳴が、近所に住む有栖川ひまりにどれほどの心配と迷惑をかけてしまっているか、えみりには痛いほど分かっていたからだ。ひまりはいつも優しく心配してくれるが、その親切心が余計にえみりの胸を咎めさせる。
誰にも言えない「世界のシステム」の予兆。
現実と夢の境界が削られていく中で、えみりは一人、終わりのない恐怖のループに取り残されている。
夜の静けさの中、荒い息を整えながらスマートフォンを手に取ったえみりは、震える指で画面をスクロールした。
画面に映し出されていたのは、奇妙な文字列と、彼女が夢で見たはずの数字だった。
「20230511189」
検索結果の掲示板やSNSのログには、事故が起きるよりも前から、その数字が未来の予言としてひそやかに書き込まれていた。
「2023年5月11日、189人」――。
それはタワーの崩落日であり、システムが弾き出した正確な死亡者数そのものだった。
事故が起きるより前に、誰が、何の目的でこのデータをネットの海にアップロードしたのか。いや、そもそも人間が書き込んだものではなく、「システム」そのものが、あらかじめ確定した未来のログを演算の端っこにリークしたのではないか?…いや、そもそもシステムがこんなネットの海に入り込むわけがない。ただ冷淡に予言を生み出しているだけなのではないか?
問いかけに問いかけが連なっていく。
えみり(予言されていた……? 私が見ていた悪夢だけじゃない。この世界のどこかに、最初からこの死のスケジュールが書き込まれていたっていうの……?)
冷や汗の滲んだ画面の光が、えみりの青ざめた顔を照らし出す。
夢の中で体験した189名の落下と崩壊が、ただのトラウマや幻覚ではなく、逃れられない「決定事項」としてネットの記録に刻まれていたという事実が、彼女の心をさらに深く追い詰めていく。
壁の向こうでひまりが眠っているかもしれない静かな夜に、その数字の羅列だけが、不気味な青白い光を放ち続けている。
パラ宿の見慣れた街並み・2026年12月3日 07:30
翌朝のパラ宿は、いつもと変わらぬ穏やかな眩しい光に包まれていた。しかし、その平和な街並みの下層には、命をあらかじめ定められた計算式に従って回収する、冷淡で嘲笑いすら浮かべない「システム」が網の目のように潜んでいるのではないか――そんな底知れぬ違和感が、ドロシーの胸を締め付けていた。
ドロシー「ねえ、シオン……レオナ……。この街、何かおかしくない……?」
普段の威勢の良さは影を潜め、ドロシーの瞳には怯えの色が混じっていた。レオナは心配そうに寄り添い、シオンは腕を組み固い表情を浮かべる。189人の命が機械的に消し去られたタワー事故と、ネット上に残された「20230511189」という暗号。それを知ってしまった今、二人もドロシーの言葉を頭から否定することはできなかった。かといって、自分たちが生きる明るい世界がそんな残酷な数式に支配されていると全面的に信じることもできない。宙吊りの猜疑心が、三人を取り巻いていた。
その時、ドロシーの視線が一角の路地に吸い寄せられた。
歩道の脇には、誰かが不当に立てかけた一本の杖。
そのすぐ近くでは、清掃業者が専用のブロワー機械をうならせ、ゴシゴシと音を立てて落ち葉を吸い取っている。
さらに数メートル先では、二人の少年が紐付きの練習用サッカーボールを夢中で蹴り合っていた。
あまりにも日常的で、無秩序に見える光景。しかし、ドロシーの脳内では「システム」が弾き出す最悪のピタゴラスイッチのような破滅の連鎖が勝手に組み立てられていく。
ドロシー(……もし、あの杖が不自然な風で倒れたら? 業者の足元に引っかかって転倒し、機械が暴走したら? その音に驚いた少年の蹴ったボールの紐がちぎれ、業者の顔面を直撃したら? 激痛で路上に倒れ込んだその頭部を、ちょうど通りかかったトラックの巨大なタイヤが――)
ドロシーは呼吸を忘れ、全身を冷や汗で濡らしながらその瞬間を待った。ドミノが倒れるように、惨劇が連鎖して「死のデータ」が回収されるのではないかと。
……だが、何も起きなかった。
杖は風に揺れることもなく突っ立っており、業者は淡々と落ち葉を吸い続け、少年たちのボールは紐に引かれて規則正しく戻ってくる。車は安全な速度で通り過ぎて行った。
事故は起きない。世界は何事もなかったかのように平然と回り続けている。
ドロシー「……起きて、ない……?」
ドロシーが力なく呟く。しかし、それは安心をもたらすものではなかった。
システムが引き金を引かなかったのは、単に「今日の、この場所の、この人間」が計算式に含まれていなかったからに過ぎないのではないか。予言された「20230511189」のように、運命の刻印が押されたその瞬間にだけ、日常のわずかな歪みが完璧な死の装置へと変貌するのではないか――。
シオンが重く静かな声で口を開いた。
シオン「……確率の収束か、あるいは計算された偶然か。事故が起きなかったことすらも、奴らのシナリオ通りなのかもしれないな」
レオナもまた、自分の手を強く握りしめながら小さく頷いた。
レオナ「ドロシー……僕たち、もう『今まで通り』には戻れないのかな……」
その日以来、ドレッシングパフェの三人から以前のような無邪気な笑顔は消えていた。見慣れたパラ宿の街並みも、賑やかなプリパラのステージも、いつ発動するとも知れぬ冷酷なアルゴリズムの上に成り立つ「虚構の平和」に見えてしまう。
日常という名の薄氷を踏み締めながら、彼女たちは終わりの見えない見えないシステムへの恐怖と対峙し続ける。
日常の中に潜むシステムが、何の感情も持たずただ淡々と「データ」として命を刈り取っていく――その恐ろしい実例は、かつてパラ宿から離れたアボカド学園やパパラ宿の地でも刻まれていた。
7年前の7月14日、夢川ゆいの目の前で起きた、あの凄惨な爆発事故。それも発生する前からずっと、「201907142」という数字として予言されていた。
当時、華やかなステージとファンシードリームに満ち溢れていたプリパラの一角で、何の前触れもなく、近くの建物がガス漏れとガスへの引火により激しい爆破が発生した。立ち昇る黒煙と爆風の中で、そこにいた2人のプリパラアイドルは逃げる間もなく巻き込まれ、瞬時にその命をシステムへと回収されたのだった。
事故当時、幼かったゆいはその凄まじい光景を眼前にして言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。プリパラという夢と希望が集う完璧な仮想空間において、本来起こり得るはずのない「死」という冷酷なエラー。それは運営側の事故処理やシステムエラーという言葉で片付けられようとしたが、実際にはあらかじめプログラムされていたデータ削除――計算通りの命の刈り取りに過ぎなかった。
その出来事は長らく、偶然の出来事だったとして人々の記憶の奥底へと追いやられていた。しかし、「20230511189」の予言とNEW YORK WIREの惨劇を知ってしまった今のドレッシングパフェにとって、7年前のあの爆破事故は単なる過去のトラウマでは済まされなかった。
ドロシー「7年前のゆいの目の前で起きた爆破……あれも偶然のバグなんかじゃなかったんだ……」
ドロシーが青ざめた顔で絞り出すように呟く。
シオン「プリパラのシステム内部であっても、外の現実世界であっても関係ない。システムが必要だと判断すれば、ステージの真っ最中であろうと、夢を見る幼い子供の目の前であろうと、容赦なく爆発を起こして命を刈り取る……」
シオンは固く拳を握りしめ、かつての事故記録やデータベースの残骸を脳内で再構築するように目を閉じた。
「ゆいがずっと抱えていたあの日の記憶……それこそが、この世界全体が巨大な死の計算式に支配されているという動かぬ証拠だったということか。プリパラが『安全な夢の空間』であるという前提そのものが、僕たちを油断させるための偽りだったのかもしれない」
レオナは震える声で、シオンの袖をぎゅっと掴んだ。
レオナ「じゃあ……私たちが今まで歌って踊っていたあのステージも、いつ爆発して僕たちの命を奪うか分からないってこと……? 7年前のあの日みたいに……」
誰もその問いに答えることはできなかった。
夢川ゆいが目撃した7年前の爆発事故。それは、輝かしいプリパラの歴史の裏側に刻まれた、システムによる容赦ない「データ削除」の先例であり、今やパラ宿の日常全体を侵食する終わりなき恐怖の象徴として、三人の心に重くのしかかっていた。
どれほど華やかなライブを行おうと、どれほど笑顔でファンに応えようと、システムを打倒することはできない。
足元のステージの底には、あの日ゆいの目の前で2人のアイドルを吹き飛ばした冷酷なシステムは、今も静かに次の「回収」の瞬間を待っている。
70 b3 c0n71nu3d…