2019年2月中旬、国立すこやか市高等専門学校・合格発表会場。
「……あった!」
巨大な掲示板の最前列で、アリスの番号『1004』が、一番上の輝かしい位置に力強く刻まれていた。
一次選選抜試験「496点」という驚異的なハイスコア、そして面接試験で見せた圧倒的な覚悟。何ひとつ隙のない完璧な結果で掴み取った、偏差値71の超難関・国立すこやか市高専医学部への【合格】。
横に立つ両親は涙を浮かべて歓喜し、アリスもまた、胸の奥から込み上げる熱い感情とともに、静かに深く息を吐き出した。
(ここから……ここからすべてが始まるんだ)
2019年4月・入学式、国立すこやか市高等専門学校・大講堂。
満開の桜が舞い散る春の日。
新入生代表として壇上に立ったのは、生まれつきの鮮やかなホットピンクのロングヘアを美しくなびかせた花寺アリスだった。
その深く澄んだホットピンクの瞳には、かつて「花寺のどか」として生きた記憶、雨の夜の事故、そして夢の中で目撃した冷酷な予言コード『20210522EE』の恐怖が、一切の揺らぎなく刻み込まれている。
「新入生代表、花寺アリス——」
教職員や新入生、保護者たちの視線が一身に注がれる中、アリスの声が静かに、しかし講堂の隅々にまで響き渡った。
アリス「私たちは今日、命の深淵と向き合い、未来の医療を切り拓くための第一歩を踏み出します。どんなに困難な病や、世界の理不尽なシステムが立ち塞がろうとも……私たちは決して諦めず、圧倒的な知性と技術をもって、すべての命を繋ぎ止める力となることをここに誓います」
力強く凛とした誓いの言葉に、講堂全体が息を呑み、やがて万雷の拍手が巻き起こった。
式を終え、新しい制服に身を包んだアリスは、春風が吹き抜ける校庭へと足を踏み出した。
過去の自分である「のどか」との約束。
そして、2021年以降に訪れるはずの巨大な破滅のシナリオを書き換えるという絶対の誓い。
花寺アリスの、5年間に及ぶ苛烈で壮絶な高専生活が、いま遂に幕を開けた。
2019年4月、国立すこやか市高等専門学校・女子寮「桜花寮」201号室。
厳かな入学式と新入生代表の宣誓を終え、アリスは割り当てられた女子寮の部屋——201号室のドアを静かに開けた。
新築の木香と畳の匂いが微かに漂うシンプルな室内。デスク、ベッド、クローゼット、そして広々とした書棚が配置されたその空間は、これから5年間にわたる過酷な学びと研究の日々を支える、彼女の新たなる拠点だった。
アリス「ふぅ……」
鞄をデスクの脇に置くと、アリスはそっと窓辺に歩み寄った。
窓を開けると、夕暮れ時の心地よい春風が室内へと吹き込み、彼女の腰まで伸びた鮮やかなホットピンクのロングヘアを優しくなびかせる。グラウンドの向こうには、重厚なレンガ造りの医学部実験棟と、先端病理研究センターの白いシルエットが、茜色の夕空に浮き彫りになっていた。
デスクの上の真新しい分厚い専門書——『解剖学総論』『生化学入門』『医用工学概論』。
中学生の域を遥かに超えた、大学初級〜中級レベルの高度なテキスト群がズラリと並んでいる。
アリスはそれらの背表紙にそっと指先を滑らせた。
(いよいよ、始まった……)
かつて「花寺のどか」として生きた最初の人生。
2021年5月21日という冷たい雨の夜に途絶えた命。
そして、あの虚無の水の世界で響いた無機質な声と、夢の中で突きつけられた冷酷なる予言の暗号『20210522EE』。
世界を丸ごと飲み込もうとする破滅のシステムと、避けられない大洪水の運命。
それら全ての惨劇を打ち破り、目の前の命も、遠くの命も、そしてかつての自分自身の未来すらも救い出すために——自分はこの偏差値71の難関高専の門を叩いたのだ。
ポケットから取り出したスマートフォンには、さきほど母・明日菜から届いた「入学おめでとう。無理をしすぎないでね」という温かいメッセージと、帰り道に見送ってくれた「のどか」の優しい笑顔の面影が残っていた。
アリス「無理なんて、いくらでもするよ……」
アリスはスマートフォンの画面を閉じ、ホットピンクの瞳に静かで苛烈な決意の炎を宿した。
アリス「1分1秒も無駄にはしない。この5年間で、私は医学と生体工学のすべてを修めて見せる。世界の理不尽なシナリオなんかに、絶対に負けたりしないから」
制服の上着を丁寧にハンガーへかけ、髪を後ろで一つに結び直すと、アリスは早くもデスクの明かりを点けた。
1ページの目次を開き、ペンを握る。
桜の舞い散る夕暮れの女子寮で、未来を書き換えるための花寺アリスの真の戦いが、静かに、そして力強く始まった。
そして、アリスの過ごす時間は流れていく。
2019年5月22日、国立すこやか市高等専門学校・桜花寮201号室。
新緑の風が窓から吹き込み、机の上に置かれたテキストのページを優しく揺らしていた。
2019年5月22日。
高専に入学してから1ヶ月余りが過ぎ、周囲の学生たちが過酷な専門カリキュラムのスピードに戸惑い始める中、アリスの学習ペースは既に遥か先へと到達していた。
デスクの上で開かれているのは、『NEXTEP問題集 高校数学I』。
高専での数学は、通常の高校よりもはるかに早いスピードで高度な内容へと進んでいく。しかし、中2の夏から圧倒的な先取り学習を重ね、難関高専の過去問を解き尽くしてきたアリスにとって、数学Iの発展・応用問題すらも着実に解き明かせる領域にあった。
「……よし。二次関数の最大・最小と動域の条件分け、これで完了」
シャープペンの芯が滑らかな音を立ててノートを埋めていく。
腰まで伸びた鮮やかなホットピンクのロングヘアが、集中して机に向かう彼女の背中で静かに揺れていた。
アリス「(日々の基礎固めを一切怠らないこと。どれだけ高度な医学や生体工学を学ぼうと、すべての思考の土台となるのは、この確実な数理的論理力……)」
ふと、アリスはペンを止め、カレンダーの「5月22日」という日付を静かに見つめた。
あの日、夢の中で突きつけられた不吉な予言のコード『20210522EE』。
2年後の今日という日に訪れるはずだった、世界を呑み込む破滅の記憶。
(2年後の今日……世界がどうなってしまうとしても。私はこの1日1日を絶対に無駄にはしない。解き明かした問題の数だけ、手に入れた知識の量だけ、私は未来の悲劇を回避するための力に近づいているんだから)
アリスは再び静かに息を整えると、ノートの次のページを開き、力強い手つきで『NEXTEP問題集』の難問へと立ち向かっていくのだった。
2019年7月3日、国立すこやか市高等専門学校・女子寮201号室。
夕闇が迫る空の向こう、すこやか市の街並みを揺らす不穏な振動と黒い靄(もや)。
窓から遠くの街並みを見下ろしたアリスの視界に入ってきたのは、巨大なメガビョーゲンと、それに応戦するキュアグレースたちの姿だった。
(メガビョーゲン……! 街で、また……)
ホットピンクの髪を風になびかせ、息を呑んでその激闘を見つめていた、その時——。
まるで空間の歪みから漏れ出すかのように、重く、冷たく、無機質な「暗号」の囁き声が、アリスの脳裏へ直接直接響き渡った。
『20260831EEINMIHOSHITOWN……』
アリスの背筋に、氷を突きつけられたような凄惨な戦慄が走る。
『……202207086……2024041222……201907031』
「観星町にいる選ばれし者以外の全ての者(Everyone Else in Mihoshi Town)」を示す不吉なコード。
そして、その後に続く無数の日付と数字の羅列。
「201907031……。2019年7月3日……今日、この瞬間……!?」
末尾に刻まれた「1」という数字。
その直後、遠くの街でキュアグレースたちの放った浄化の光が炸裂し、激しく暴れていたメガビョーゲンが光の粒子となって消滅していくのが見えた。
消え去っていく蝕みの気配を見つめながら、アリスは冷や汗の流れる頬を伝わせ、小さく呟いた。
アリス「……そうか……。ビョーゲンズの生み出したメガビョーゲンが浄化されて消滅することも……あのシステムの計算上では『死亡』としてカウントされているんだ……」
予言のコードが刻むのは、人間の命の終焉だけではない。
世界に生まれ、世界を蝕み、そして消えていく異形の存在の消滅すらも、すべてはあらかじめ破滅のプログラムの中に「個体数の減少」として組み込まれている。
「2026年8月31日……観星町……」
ささやかれた未来の日付と地名をアリスは必死に脳裏に刻み込んだ。
すこやか市だけにとどまらず、遠い未来、別の街にまで及ぶ世界の崩壊のシナリオ。
アリス「(やっぱり……世界のシステムは、着々と破滅へ向けてカウントダウンを刻んでいる。メガビョーゲンが倒されることですら、そのプログラムの一部に過ぎないなんて……!)」
夕闇の中、光となって消えていったメガビョーゲンの残光を見つめながら、アリスは握りしめた拳にぐっと力を込めた。
刻一刻と迫る絶望の未来。
だが、そのすべてを監視し、解読できるのは、記憶を持って生まれた自分しかいない。
花寺アリスのホットピンクの瞳は、世界の理不尽な暗号をすべて打ち砕くため、どこまでも冷徹に、そして熱く燃え上がっていた。
時は流れ…
2020年・春、シンガポール・市街地。
2年生へと進級したアリスたち高専生を待っていたのは、国際的な視野を養うための4日間のシンガポール・ホームステイ研修だった。
しかし、南国のスコールが激しく街を叩きつける中、アリスたちを乗せた大型バスや周囲の車両は、突如として厳重な道路通行止め(ロードブロック)に阻まれることとなる。激しい雨音と不穏な赤色灯の光が、異国の路上を不気味に照らし出していた。
車内の生徒や教員たちが動揺する中、アリスは迷いなく動き出した。
リュックからレインコートを取り出して深く被ると、腰まで届く鮮やかなホットピンクの髪を濡らさぬようフードの中に収め、バスのドアへ向かう。
「アリスちゃん!? どこに行くの、危険だよ!」
心配して声をかける同級生たちに向かって、アリスは振り向き、静かで力強い眼差しを向けた。
アリス「I’ll ask them about the problem with traffic. Could you wait there till I’m back?(交通規制の理由について聞いてきます。私が戻るまで、ここで待っていてくれますか?)」
流暢で洗練された英語を残し、アリスは雨が降り頻る屋外へと飛び出した。
叩きつける大雨の中、レインコートを濡らしながら、規制線を張っている地元シンガポール警察の警察官のもとへと迷いなく駆け寄る。
アリス「Are there any accidents or problems?(事故ですか?)」
突然現れた東洋人の少女に、警察官は鋭い表情で手で制した。
警察官「Sir, please go back to car. Because it’s dangerous!(危ないですから車に戻ってください。)」
警察官はアリスの凛とした佇まいに一瞬圧されつつも、毅然とした口調で下がらせようとする。しかし、命の現場を見据えて学習を重ねてきたアリスの瞳には、一切の畏怖も引き下がる気配もなかった。
アリス「What about injured people?(負傷者は?)」
医療の道を志す者として、真っ先に問うべき本質。アリスのあまりにも冷静で意図の明確な問いかけに、警察官は少し口調を緩め、雨音に負けないよう声を張った。
警察官「2 people have a light wound, there is nothing seriou-(2名がいますが、ほんの軽傷で——)」
——その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
——ズドォォォォンッ!!!!
直後、目と鼻の先にある数階建ての商業ビルから、耳を裂くような重苦しい爆発音が響き渡り、空気を震わせる衝撃波が雨を吹き散らした。
炎と黒煙が激しいスコールを押し返し、建物のガラス片や瓦礫が路上へと飛散する。
「!?!?」
足止めされていた車両のドライバーたちが一斉にドアを開け、あるいは車内から身を乗り出して惨状を仰ぎ見た。異国の街角が、一瞬にして悲鳴と混乱のパニックへと叩き落とされる。
ドライバーA「Oh, my goodness!(なんてこった!)」
ドライバーB「How did that happened?!(一体どうしてこんなことが起きたんだ!?)」
ドライバーC「Damn, not this again!(くそっ、またこれかよ!)」(街のあちこちで続く不吉な惨劇を連想させる叫び声)
激しい炎の照り返しが、レインコートのフードから覗くアリスの顔を赤く染め上げる。
(爆発……!? 軽傷だけじゃ済まない……! 瓦礫の下に、巻き込まれた人がいる……!)
警察官たちが慌てて無線で本部へ怒号のような要請を送る中、アリスのホットピンクの瞳は冷徹なまでに研ぎ澄まされていた。
異国の地で突如として直面した、理不尽な惨劇と破壊。
世界のあちこちで刻まれ続ける「破滅の記録」が、今まさに彼女の目の前で現実の悲鳴となって吹き荒れていた。
アリスは吹き荒れる爆風の中、倒れかけた警察官を庇うように足を踏み出すと、命を救うための「知性と覚悟」を胸に、爆煙の上がるビルへと視線を向けた。
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