アズサがトリニティへと旅立ってから、数日の月日が流れた。
「俺も、そろそろ『任務』を始めなきゃな」
マダムから課せられた俺の任務。主にはトリニティの防衛戦力や中心人物の情報、および敷地内の地形やその他諸々の調査だ。
(正直めんどくさいけど……まぁ、これにかこつけてトリニティに行けば、アズサの動向もついでに見られるしな。そう考えれば悪くない)
そんな不真面目な動機を胸に、俺はついにトリニティ総合学園の学園都市へと足を踏み入れた。
(……うわ、初めて来たけど、マジで凄いな……)
敷地内に足を踏み入れた瞬間、俺はトリニティの圧倒的な街並みに言葉を失っていた。
見渡す限りの建物がすべて白を基調とした美しい西洋風の建築で統一されている。まるで前世でテレビ越しに見た、どこかヨーロッパの外国にでも迷い込んだかのようだ。それに、すれ違う行き交う生徒たちも全員がどこか格式が高いというか、育ちの良さそうな高級品を当たり前のように身につけている。
(お嬢様学校とは聞いていたけど、ここまで凄まじいとはな……。住んでいる世界が違いすぎる)
そんな場違い感を覚えながら、情報収集のために街を歩いていると――突如として、少し離れた方角から激しい爆発音が轟いた。大地が微かに震える。
(おっと……とは言っても、ここはやっぱりキヴォトスだな。どこに行っても年中行事みたいに争いごとはあるわけだ)
だが、俺はすぐにニヤリと口元を歪めた。
(でも、これは都合がいいぞ。この騒ぎになれば、ここの治安を守る組織……確か、『正義実現委員会』だっけか? そいつらが確実に鎮圧に現れるはずだ。なら、俺は高台から安全にそいつらの戦闘能力を観察させてもらうとしよう)
俺は即座に身を隠しながら、爆発音が響いた方面へと素早く移動した。近くの使われていない建物の屋上へと這い上がり、身を伏せる。
(ここら辺の位置ならバッチリだな。さてさて、どんな惨状になっているのやら?)
首から下げた双眼鏡を構え、レンズのピントを騒ぎの中心へと合わせる。
(なるほど、結構な数の正義実現委員会の隊員たちが集まっているな。それでもまだ騒ぎが収まっていないってことは、暴れている犯人もなかなかのやり手……)
爆発によって巻き上がった分厚い土煙のせいで、肝心の中心部がよく見えない。俺はレンズを凝視し、目を凝らし続けた。徐々に風が吹き、煙のベールが晴れていく。
(お、ちょっと煙が晴れてきたな。さーて、どんな悪党が暴れてるのかなって……ん? んんんんん!?)
双眼鏡を覗く俺の身体が、完全に硬直した。
俺の目に飛び込んできたのは、正義実現委員会の人達を相手に苛烈な銃撃戦を繰り広げている犯人の姿。
その犯人は――顔にガスマスクを装着し、眩しい白色の髪と、背中から小さな翼を生やした、見覚えしか存在しない一人の少女だった。
(いや、待て待て待て!! 何してんだよアズサ――ッ!!!)
脳内で限界突破の絶叫ツッコミが炸裂する。
(えっ!? あいつ、マダムに言われた任務の内容をちゃんと覚えているのか!? 潜入だぞ? 目立たないように影から機会を伺う『スパイ潜入』だぞ!? なんで初手から真逆の正面突破テロリストムーブをかましてんだよ……!)
(これで事情聴取とかされてアリウス生だってバレたらどうなるんだ? いや、まぁ、トリニティ側の手引きした奴が完璧な履歴書を用意したらしいから、書類上からバレる事は無いはずだけど……それにしたって限度があるだろ……!)
結局、その規格外の銃撃戦はそれから3時間近くも続いた。最後らへんは、さすがに多勢に無勢、そしてアズサ側の弾薬が完全に尽きたことで、彼女は委員会にガッチリと身柄を確保される形となった。
(……あいつ、本当にこれからのトリニティでの学園生活、大丈夫なのか……?)
胸の奥を占める、隠しきれない一抹の不安と強烈な頭痛を抱えながら、俺は静かに双眼鏡を収め、屋上から気配を消してその場を後にした。
───────────────────
アズサの確保を見届けてから、だいぶ時間が経ち、あたりはすっかり夜の帳に包まれていた。
「あ〜……マジで広いな、ここは。地形の把握と移動だけでこんなにも時間が経っちまった……ってか、今の俺の見た目ってフード被ってガスマスクつけているし、完全に変質者よな......」
そんなくださないことを考えながら、薄暗い街灯に照らされた曲がり角を曲がった、その瞬間。正面から歩いてきた誰かと、不意に勢いよくぶつかってしまった。
「イテッ……!」
「ヒャッ……///♡」
鼓膜を震わせたのは、妙に艶っぽい女の子の短い悲鳴だった。ぶつかった衝撃で、彼女がその場にしなだれかかるようにして尻餅をつく。
「おっと……ごめんなさい、前をよく見てなかったです。――立てますか?」
俺は自分の非を認めつつ、地面にへたり込んだ彼女へ向けて、反射的にそっと右手を差し伸べた。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
おっとりとした、どこか色気のある声。彼女は俺の手を握り返し、ゆっくりと立ち上がった。
「そうか、それなら良かっ……って、えっ? ……えええええ!?」
差し伸べた手を引き戻した瞬間、俺の視界に彼女の全身のビジュアルが飛び込んできて、言葉が完全にロックされた。
彼女は自身の豊かな胸元を隠すように両手を合わせると、くねくねと身体を揺らしながら微笑んでみせる。
「あらあら……見られちゃいましたか♡」
俺は目の前の彼女の姿を凝視したまま、ただただ驚愕するしかなかった。
(いやっ、え、待て。なんで水着……!? まだプールの季節じゃ……いや、百歩譲ってプールの季節だったとしても、夜の街中をスクール水着一枚で歩いてるのは完全におかしいだろ……! だとしても何故? いや、マジで本当に……ここの世界は水着で出歩くのが合法なのか!?)
脳内を困惑と、得体の知れない恐怖が凄まじい勢いで支配していく。
完全にフリーズして冷や汗を流している俺の様子を見て、彼女は不思議そうに、けれど心配そうに顔を覗き込んできた。
「あのー……大丈夫ですか?」
(えっ……!? なんでこの人は、自分が水着姿のくせに何事もないかのように普通に接してきてるんだよ!? そういう特殊な性癖なのか、それともそういう最先端のファッションなのか……!?)
いよいよパニックになりかけた俺は、これ以上関わったら前世の倫理観が崩壊すると察し、引き攣った笑みを浮かべながら後退りした。
「えっ、あ、は、はい! 大丈夫です! 俺、ちょっと急ぎの用事を思い出さなきゃいけないんで、それじゃ、失礼しました!!」
「あ、ちょっと待ってくだ――」
呼び止める声を背中に浴びながら、俺は全力の早歩きで颯爽とその場を後にした。
(お嬢様学校とは何だったんだよ……! 清楚で上品な人ばかりが集まっている聖域だと思ってたのに、蓋を開けてみれば初日からテロリストと露出狂のコンボじゃねーか! やっぱり、事前の思い込みだけで物事を判断するのは良くないな……)
トリニティのあまりにも深すぎる闇(?)を身を以て体感しながら、俺は一気に疲弊した精神を引きずり、一刻も早く我が家のような地獄へと戻るべく、アリウス自治区への帰路を急いだ。
───────────────────
アリウスの拠点に戻った直後、通路の向こうから歩いてきたサオリに声をかけられた。
「ちょうどいいところに来た、カオル。これを見てくれ」
そう言ってサオリから手渡されたのは、一枚の写真と古いタブレット端末だった。
「この写真に写っている人物は『シャーレの先生』という。……コイツはいずれ、我らアリウスの計画にとって最大の脅威になりうる存在だ。今のうちに顔と特徴をちゃんと網羅しておけ」
「へぇ……。先生、ね」
「すまないが、私は今から次の任務がある。見終わったら、そこの机の上に置いておいてくれ」
「こんな遅い時間から任務かよ、ご苦労なこった。気をつけて行ってらっしゃい」
「あぁ、行ってくる」
そう短く言い残し、サオリは暗い廊下の奥へと消えていった。彼女の後ろ姿を見送った後、俺は手元に遺された写真とタブレットへと視線を落とす。
「これが……黒服の言っていた『先生』って人か……」
「あの地下カフェで、黒服が口にしていた「キヴォトス外の世界から正規の手続きでやってきた大人。」
この世界に来てからというもの、周りは女の子かクリーチャーばかりだったから、自分以外の『男の人間』の顔を見るのは、前世でトラックに轢かれて以来の気がする。
写真に写るその大人の第一印象は、どこにでもいそうな普通の好青年、といった感じだった。スラリと細身で、高身長。そして清潔感もある。アリウスの大人たちのドス黒い空気とは無縁の、あまりにも無害そうな大人だった。
「ん〜、でも、見た感じは危害なんてなさそうだけどな。黒服が言ってた通りヘイローだってないし……サオリは一体、コイツの何にそこまでの危機感を持ったんだ?」
そんな疑問を抱えながら、俺はタブレットの画面をタップし、保存されていた動画を再生した。そこに映し出されていた戦場の光景に、俺の指先が止まる。
「ははっ……マジかよ……」
画面を見つめる俺の背筋に、ドッと冷や汗が伝わっていくのが分かった。
『ユウカは前方で防御陣形を! ハスミは奥の戦車を狙って! スズミは閃光弾で敵の進行を足止めして!』
スピーカーから響く男の声。それは、まるでゲームの盤上を上空から俯瞰しているプレイヤーのごとく、完璧すぎるタイミングで放たれる指揮だった。
「おいおいおい……先生って、俺と同じ外の世界から来た普通の人間なんだよな? 見た感じは若いし、顔立ちからして多分同郷の日本人だろ? それに、そこに映ってる生徒達とも初対面のはずだ。何人かは所属してる学校すらバラバラじゃないか。……なら、なんでスクワッドの皆みたいな洗練された連携の動きが、アイツの一声でできるんだよ!?」
サオリが「最大の脅威」と切り捨てた理由を、俺は痛いほどに理解した。
(確かに驚異的だ……。コイツ自身に他を圧倒するような戦闘力はない。だけどその代わり、現場の味方を最大限に活かし、そのポテンシャルを120%引き出すことができる。まるで戦場に奇跡を呼ぶような指揮能力だ。……これは、前線で敵として戦う側からすれば、一番相手にしたくない嫌なタイプだな……)
画面の中で、見事な勝利を収めて生徒たちに囲まれている「先生」の姿。
そんな、まだ見ぬ未来の宿敵の影に強烈な嫌悪と警戒を抱きながら、俺はタブレットの電源を落とし、重い身体を横たえて眠りについた。