地獄(アリウス)に落ちた、普通の男子高校生は諦めない 作:お茶漬け2
「さて……どう逃げ切るかだな」
俺は顎に手を当て、思考を巡らせる。
「敵の人数は何人くらいなんだ? さっき襲撃された時は、5、6人くらいだったけど」
「多分だけど、それ以上はいると思う。今までの傾向を考えると、10人から15人はいると思った方がいい」
アズサの表情は険しい。
「それに、私がアリウスから逃げ出してもう四日くらい経っているから……アリウス側も、もっと多くの人数を派遣してきているかもしれない」
「1人相手に数十人か。相手側も結構容赦ないな……」
「アリウスの規則で、逃げ出すことは絶対に許されないから。……今までに逃げ出した人たちは、みんな殺されたって噂があるくらいだし」
「それ聞いて、よく逃げ出そうと思ったな」
生死を賭けた決断。カオルの率直な疑問に、アズサは小さく首を振ったが、その瞳には強い光が宿っていた。
「……それでも、私が諦めない理由にはならないから」
「そうか。なら……絶対に成功させないとな。ちなみに、どこに逃げるのかは決めているのか?」
「うん。今地図を出すから、ちょっと待ってて」
ガサゴソと、アズサがボロボロの鞄から年季の入った地図を取り出す。
床に広げられた地図を一緒に覗き込む。
「あった。ええとね、今私たちが居るのがここら辺。で、目指す場所はここ。――『トリニティ』っていう学園がある自治区なんだけど……」
「そこに着くまで、どれくらい時間が掛かる?」
「今のペースだと、あと半日くらいだと思う」
「半日か……。アズサ、もし今敵襲に遭ったら、どれくらい戦える?」
「今の弾薬と装備の数だと……正面からの戦闘なら、3、4人くらいが限界だと思う」
「なら、全員を倒す必要はないな。足止めして、行動不能まで追い込めればいい。……アズサ、無線は2つあるか?」
「……一応、あるけど」
アズサが不思議そうに無線を取り出す
「よし。俺に、いい作戦がある」
「確かにそれが成功すれば、トリニティまで逃げ切れるかもしれない。……けど、それだとカオルが危なすぎる。本当にいいのか?」
アズサが心配そうな眼で俺を見つめる。
「それはアズサだって同じだろ」
「そうだけど……私は戦闘経験がある。でも、カオルは話を聞く限り、戦ったことなんてないんでしょ?」
「あぁ、こういう本気の殺し合もなんなら喧嘩すらもしたことない」
「だけど別に、真正面から撃ち合うわけじゃない。ここに敵をおびき寄せればいいんだ。逃げ足にはそれなりに自信があるからな」
「それでも……っ」
「この作戦を考えたのは俺だ。作戦を実行するのに、アズサにだけ危険な思いはさせないよ。……それに、命を賭ける時は、二人一緒だ」
カオルの強い言葉に、アズサは小さく息を呑み、やがて諦めたように薄く微笑んだ。
「……分かった。健闘を祈る」
「あぁ、そっちこそな」
◇
アズサと別れ、俺は無線機を片手に、追ってくるアリウス生を誘き出すためのポイントへと移動した。
崩れたコンクリートの陰に身を潜め、そっと外を覗き込む。
「……っ、居た」
ガスマスクを被り、銃を構えた少女たちが隊列を組んで歩いてくるのが見えた。
心臓が、壊れた鐘のようにうるさく胸の奥で鐘を鳴らし始める。恐怖を誤魔化すように、俺は無線機のスイッチを入れた。
「こちら『カラス』。標的を発見、人数は7人だ。……『白鳥』の方は?」
『こちら白鳥。私の方も標的を発見、人数は8人』
なぜこんな妙なコードネームで呼び合っているかと言うと、アズサから「離れて行動する時は、万が一通信を傍受された時のために、お互いの名前を伏せるコードネームが必要だ」と真剣な顔で言われたからだ。黒髪の俺がカラスで、白い羽を持つ彼女が白鳥。我ながら分かりやすい。
「分かった。距離を詰め次第……作戦を開始する。合図を待てくれ」
(まだ標的から距離がある。おびき出すとはいえ、少しでも数を減らすために一人か二人はここで倒しておきたい……)
正面からの撃ち合いになれば、俺は確実に死ぬ。だから、相手の不意を突くしかない。
ガタガタと震えそうになる膝を必死に叩き、俺はコンクリートの物陰を縫うようにして少しずつ距離を詰めた。
(ここでやらなきゃ、俺が死ぬ。行ける、俺なら確実にやれる……!)
緊張で乾いた唇を舐め、無線機のスイッチを入れた。
「こちらカラス。標的との距離を詰めた。いつでも開始できる」
『こちら白鳥。私も、いつでも行ける』
「――作戦開始だ」
無線を切ると同時に、アズサから渡されていたスモークグレネードのピンを引き抜き、敵の集団の真ん中へ放り投げる。
激しい白煙が瞬時に辺りを包み込んだ。
「何だっ!?」
「敵襲だ! 直ちに陣形を組め!」
「どこから仕掛けて――」
煙の向こうで狼狽える声。その隙を見逃さず、俺は廃墟の床から拾い上げていた鉄パイプを思い切り振り下ろした。
ガキンッ、と硬いヘルメットを強打する重い衝撃が手元に伝わる。
「何が起き――っ」
崩れ落ちる一人。間髪入れず、隣のもう一人の側頭部へ、渾身の力で鉄パイプを叩きつける。
いくら戦闘慣れしてるとはいえ、いきなり頭部を殴打されれば脳震盪を起こして気絶する。
しかし、相手もバカではない。仲間がやられた位置を割り出し、煙の向こうから猛烈な銃撃を浴びせてきた。
「っぶねぇ!?」
鼓膜を震わせる銃声を背に、俺は遮蔽物へと飛び込む。
「あっちに逃げたぞ! 追え、逃がすな!」
背後から複数の足音と、激しい銃弾の雨が降り注ぐ。
幸いにもこの一帯は入り組んだ廃墟群だ。崩れた壁を盾にしながら、必死に銃弾の嵐を掻い潜る。
バチチッ、とすぐ近くのコンクリートが弾け飛んだ。その破片か、あるいは弾丸そのものか――体を熱い何かが掠めていく。
「くっ……!」
焼けるような痛みが走るが、足を止めれば即座に蜂の巣だ。歯を食いしばり、俺はあらかじめ決めていた目的地へと飛び込んだ。
薄暗い廃墟に入り、限界に近い足に鞭打って階段を駆け上がる。
ちょうど上の階の反対側から、計画通りアズサと、彼女を追ってきた別の集団がなだれ込んでくるのが見えた。
アズサとすれ違う刹那、俺たちはアイコンタクトを交わす。
左右に分かれて走り抜けながら、俺は仕掛けておいた罠の糸を力いっぱいに引っ張り――そのまま、すぐ側にある割れた窓から外へと飛び降りた。
地面に転がり込んで数秒後。
ドォォォォン!!! と、背後で耳を聾するほどの凄まじい爆発音が響き渡り、古い廃墟が自重に耐えかねて轟音と共に崩壊していった。
「はぁ……はぁ……上手く、行ったか……?」
もう上がらない息を無理やり整えながら、崩壊した瓦礫の山へと近づく。
煙が晴れた先には、完全に瓦礫の下敷きになり、身動きが取れなくなっているアリウス生たちの姿があった。
「作戦は……成功したみたいだな」
「カオル! 大丈夫か!?」
反対側から、アズサが砂埃を払いながら走ってくる。
「なんとか……生きてるよ」
俺はへなへなと座り込みそうになるのを堪え、苦笑いを浮かべた。
「ボロボロの廃墟だったからな。グレネードの爆発の衝撃で建物ごと崩して、まとめて行動不能にする作戦。一発勝負だったけど、上手くいって良かったよ。アズサこそ、怪我はないか?」
「私は何ともない。カオルの作戦のおかげだ」
アズサはホッとしたように胸を撫で下ろした。
「そうか、それなら良かった。……よし、早く移動しよう。一応ここにいる追手は全員無力化したけど、コイツらだけとは限らない。この爆発音を聞きつけて、また別の増援が現れたら今度こそ終わりだからな」
「待って。その前に、弾薬とかの補充をしておきたい。さっきの戦いで弾薬とグレネードをほぼ使い切ってしまったから、また戦闘になった時でも戦えるレベルまで回収しておきたいんだ」
「分かった。俺もちょっと休憩したいから、終わったら呼んでくれ」
「うん、分かった」
アズサが瓦礫の下敷きになっているアリウス生へと近づいていく。
その時、倒れていたアリウス生の一人が、ボソボソと通信機に向かって声を絞り出した。
「イマッ……ダッ……ヤレ……!」
直後、カオルの胸を、目にも留まらぬ【何か】が鋭く貫いた。
「……ハァ?」
ドクドクと、自分の胸から信じられない量の鮮血が溢れ出てくる。
一瞬、世界から音が消えたかのような静寂。それを切り裂いたのは、アズサの悲鳴だった。
「カオルッ……!?」
(くそっ……、なんで撃たれて……)
視線を彷徨わせるが、周囲に敵の姿はどこにもない。そこでカオルは理解する。
(スナイパー、か……っ!)
恐れていた事態だ。自分たちを追っているのは、目の前の連中だけじゃない。遥か遠方から、俺たちの命を確実に狙う者がいたのだ。
カオルは口からドロリと血反吐を吐きながら、叫んだ。
「アズサッッ!! 早く逃げ――」
ドォン……ッ!!!
叫び声を容赦なく圧殺する、凄まじい銃声。
猛烈な速度で飛来した大口径の弾丸が、カオルの頭部を無慈悲に貫通した。
「あっ……、ァ、あ……」
目の前の凄惨な光景に、アズサは喉を詰まらせ、声を荒らげる。
だが、その絶望に満ちた叫びすら、もう彼の耳には届いていなかった。
(あぁ……。結局、異世界に転生しても、何も出来ずに死ぬのかよ。世界を救うヒーローみたいにはなれなくて、かと言って、世界を滅ぼす魔王にもなれない。そんな、ただの作品で言うモブキャラみたいに、ただあっけなく……)
急激に身体が冷えていく。この感覚は、つい最近体験したばかりだ。肉体が、確実な死へと向かっている。
(アズサは、逃げ切れたのかな。一緒に逃げるって約束したのに、守れなくてごめん。……あーあ、結局、この世界のことも、アズサのことも、何も知れないままだったな。俺のいた世界の話をするって、約束したのに。もっと、色んなことを話したかったな……)
完全に光を失ったまぶたが閉じ、彼の意識は、深い暗闇の底へと溶けて消えた。