俺はいつも通り、マダムから課せられたトリニティの情報収集を進めるため、とある薄暗い路地裏へと潜り込んでいた。すると不意に、背後から荒々しい怒鳴り声に呼び止められた。
「おい! そこのお前、何私達の拠点に無許可で立ち入ってんだ!?」
振り返ると、そこにいたのは銃を構えてこちらを睨みつける、ヘルメットを被った不良少女だった。
(チッ……ここはヘルメット団のたまり場だったか、ミスったな……)
面倒なことになったと内心で毒づいていると、さらに路地裏の奥から別の騒がしい声が響いてきた。
「おーい、何やってんだお前ら? 喧嘩か? やめろよ! 今日は12時から発売される超限定スイーツを奪うために、これから店を襲撃するんだからな! 遅れるんじゃねえぞ!」
「あ、違うんすよ姉貴〜。何か私達の拠点に見知らぬ不審者が紛れ込んでて……」
そんな頭の悪い会話を繰り広げる少女たち。
(……いや、その気概と行動力があるなら、普通に列に並んで買いに行けよ)
そう思っていると俺に一つの考えが浮かぶ
(ん? 待てよ、襲撃……? ここはキヴォトスだし、言葉通りの意味で派手に火薬をぶちまける気だろうな。……なら、その襲撃を止めて一般人を守るために、トリニティの治安維持組織――正義実現委員会が確実に動くはずだ。だったら、これってちょうどいいんじゃないか?)
俺の口元に不敵な笑みが浮かぶ。
(数日前、アズサが正義実現委員会と派手に戦っているのを双眼鏡越しに見たけれど、やっぱり遠くから観察するのと、実際に前線で戦って肌で感じるのは全くの別物だからな。上手くいけば、正義実現委員会の中でも名前の知られた、人と手合わせができる可能性があるぞ……!)
そう思考がまとまった刹那、俺の身体はすでに動いていた。
油断してこちらを見ていた眼前の不良少女二人の懐へと一瞬で踏み込み、その顎へと正確に一撃を見舞って声も出させずに気絶させる。倒れ込む身体を静かに支えながら、俺は彼女たちの頭からその防具を剥ぎ取った。
「ちょっとヘルメット、借りるぜ〜」
頭にすっぽりとヘルメットを被り、アリウスの衣服を隠すようにジャンパーの襟を立てる。即席のヘルメット団員へと変装を完了させた俺は、襲撃部隊の列に混ざるべく、路地裏の暗闇へと音もなく消えていった。
───────────────────
雲一つない、突き抜けるような快晴の空。
賑やかな昼休み中の教室で、白洲アズサは机に突っ伏したまま、手元のスマートフォンをじっと見つめていた。
(カオルは、今頃元気にしているかな……)
液晶画面に映し出されているのは、アズサとカオルのツーショット写真。優しく笑うカオルと、慣れないカメラに少しだけ緊張した自分の顔。
トリニティでの学園生活は、私が思っていたよりもずっと、ずっと温かくて楽しかった。
いつも皆で他愛のない話を始め、ヒフミが嬉しそうにその話を広げ、ハナコが楽しげにコハルを揶揄って、コハルが顔を真っ赤にして怒る。そんな、ただただ愛おしいだけの日常。
あぁ……楽しいな。みんなと笑って、みんなと遊んで、みんなと頑張って。
こんな光に満ちた日常が、これから先もずっと、ずっと続いて欲しいと心の底から願ってしまうほどに。
だけど、目を閉じれば、脳裏にはいつでも地獄のアリウスにいる皆の姿が鮮明に映る。過酷だったけれど、確かにサオリやミサキ、ヒヨリやアツコたちと過ごしたあの日常も、私にとっては大切で、楽しかったのだ。
私は、今でもまだ迷っている。
アリウスという故郷を取るのか、それともこの補習授業部のみんなを取るのか。
どちらも私にとっては、命に代えても守りたい大事な人達だ。どちらか一方だけを都合よく選ぶことなんて、私にはできない。
Vanitas vanitatum, et omnia vanitas
(全ては虚しい。どこまで行こうとも全ては虚しいものだ)
頭の中に、マダムの冷酷な呪詛が響く。どこまで足掻こうとも、全てはただ虚しい結果へと収束していく。
――だけど。
それが、私がここで諦める理由にはならない。
かつて、あの薄暗い作戦室でカオルが私に教えてくれた。俺達は都合のいい道具じゃない、意志を持った『人間』なんだ、と。
だったら私は、私の意志で、私ができる限りの全ての手を尽くして、アリウスも、トリニティも、私の大切な人たちを全員守り抜いてみせる。
それこそが、私がこの世界で進むべき、たった一つの道なのだから。
「アズサちゃん? さっきからずっとスマホを見つめたままフリーズしてますけど……どうかしたんですか?」
「っ……! ひ、ヒフミか……!」
背後から突然かけられた弾んだ声に、アズサは心臓が止まるほど驚いて飛び起きた。大慌てでスマートフォンの画面を自分の胸元へと隠す。
「何を隠してたんですか?」
「いや、これはその……。……前にいた学校の、友達との写真、だ」
「えっ、前の学校のお友達ですか!? わ、私、すっごく気になります……! あの、もし迷惑じゃなければ、その写真、私にも見せてほしいです!」
ヒフミは大きな瞳をキラキラと輝かせ、興味津々といった様子で机に身を乗り出してきた。
「み、見せるのは一向に構わないが……背景に写っているのは、あまり綺麗な場所ではないぞ?」
「全然気にしません! アズサちゃんの大切なお友達、ぜひ紹介してください!」
アズサが少し躊躇しながらも画面を向けると、そこには薄暗い廃墟を背景に、少し緊張した面持ちのアズサと、その隣で優しく微笑む一人の少年の姿が写っていた。
画面を覗き込んだヒフミの動きが、ピタリと止まる。
「…………へ? ……あ、あれ……? アズサちゃん、お隣に写っているのって……ええっ!?」
ヒフミは自分の目を疑うように、何度もパチパチと瞬きを繰り返した。
それからスマートフォンの画面を限界まで顔に近づけ、穴が開くほど凝視する。
「アズサちゃんのお友達って――男の子なんですか!?」
ヒフミのひっくり返った驚愕の声が、静かな教室内に大きくこだました。その叫びを聞きつけて、近くにいた補習授業部のみんなと、作業をしていた先生がガタリと一斉に反応する。
「えっ? 男の子の生徒……?」
真っ先に歩み寄ってきた先生が、不思議そうに画面を見つめて疑問を呟いた。
「確かに、私がこのキヴォトスに赴任してきてからも、男子の生徒の姿なんて一度も見たことがないね……」
「そうですね……。キヴォトス内における『男の人』なんて、今や実在しない都市伝説のようなものでしたからね〜」
浦和ハナコがいつものおっとりとした口調で、だけどその瞳に深い興味の光を宿して言った。
「……うん。確かに、前に私がいた所でも、カオ……その、友達しか男子はいなかったな……」
危うく名前を口にしそうになりながらも、アズサは静かに頷いた。そんなアズサの様子を観察していたハナコが、ふふっ、と妖艶な笑みを浮かべて身を乗り出してくる。
「でも、それは色々と大変そうですよねぇ。男子が一人きりで、それ以外が全員女性の環境なんて……。その男の子も、きっと毎日色んなエッチな妄想をして、悶々とした青春を過ごしていたんでしょうねぇ♡」
「な、何言ってるのよアンタはーっ!? い、色々って何よ! エッチなのはダメ! 死刑なんだからねっっ!!」
ハナコの爆弾発言に、コハルが顔をこれ以上ないほど真っ赤にして盛大に突っかかる。
教室内がいつもの賑やかさを取り戻す中、ヒフミはまだ興奮が冷めやらないといった様子で、アズサの手をぎゅっと握った。
「そ、それでアズサちゃん! その男の子って、一体どんな人なんですか!?」
「どんな人……か」
アズサはヒフミの熱意に押されながら、ぽつりと呟いた。
どんな人、か。今までずっと当たり前のように隣にいた存在だから、いざ言葉にして説明しようと考えると、なんだか酷く難しい。
だけど――アズサの胸の奥で、一番初めに鮮明に浮かび上がってきた彼の姿は。
「一番信頼出来る人……かな?」
ゆっくりと、アズサが愛おしそうに口を開いた。
「すごく優しいんだ。外の世界のことを何も知らなかった私に、色んなことを教えてくれて……私はあいつに、すごく感謝している。あいつはいつも『普通のことしか教えてないよ』って言っているけれど……私はその『普通』が分からなかった。だから、私にその『普通』を教えてくれたことが、本当に、すごく嬉しかったんだ」
どこか遠くを懐かしむような眼差しで、彼女は言葉を紡いでいく。
「戦闘面でも、背中を完全に預けられるほどに信用している。元々は戦いなんてしたこともなかったはずなのに、死に物狂いで必死に努力している所も、すごく尊敬しているんだ。まぁ……たまに訓練をサボって、バレてめちゃくちゃに怒られていたけれど……」
ふっとアズサの口元が綻んだかと思えば、直後、その瞳にほんの少しだけ陰りが差した。
「だけど……あいつはちょっと、無理をするところがある。いつも一番に前線に出たり、危険なことを率先して自分から引き受けたりすることがあるんだ。どれだけボロボロになっても大丈夫だって信頼はしているけれど、私は……あいつが酷く傷つく姿を、見たくない。……だから、そうならないように、私が隣であいつを支えてやりたい。……そう、思っているんだ」
真っ直ぐに語るアズサの姿を見て、先生や補習授業部の面々は思わず息を呑んでいた。
みんなが呆然と沈黙してしまった理由は、あまりにも明確だった。
彼の話をするアズサの顔は、白い頬をほんのりと林檎のように紅潮させていた。その大切な思い出を一つ一つ噛み締めるように優しく微笑み、その瞳は慈愛に満ちた、酷く穏やかな光を湛えていたからだ。
普段はあまり感情を大袈裟に顔に出さないアズサ。一度だけ感情をあらわにしたことがあったが、おもちゃを貰った子供のような、無邪気で満面な笑みだった。
けれど、今回の笑顔はそれとは全く違っていた。そう、まるで――。
大切な人を心から想う、恋する乙女そのものの顔だったのだ。
あまりにも思いがけず、そしてあまりにも純粋すぎる恋バナを前にして、教室内のみんなが一瞬にして顔を真っ赤に染めてモジモジとし始める。
「……? 皆、急に顔が真っ赤になっているけれど、どうかしたのか? 体調でも悪いのか?」
あまりの照れ空間に耐えかねた周囲の空気を察して、アズサが不思議そうに話を中断させた。
「フフッ、アズサはその男の子のことを、本当に、心の底から大切に思っているんだね」
先生がどこか温かい笑みを浮かべて問いかける。
「あぁ。本当は、一緒にこのトリニティに来たかったけれど、それは叶わなかった。……だけど、私にはこれがあるから、離れていても絶対に大丈夫だ」
アズサは自分の髪に留められた、可憐な紫色の花飾りにそっと愛おしそうに触れた。
その宝物を大切に見つめるアズサの健気な横顔を眺めながら、先生は書類をめくる手を止め、温かい珈琲を喉に流し込んみ
(青春だな〜)
そう思うのであった