地獄(アリウス)に落ちた、普通の男子高校生は諦めない 作:お茶漬け2
「ハァッ……!?」
激しく息を吐き出しながら、俺は飛び起きた。
(頭が痛ってぇ……。何処だここ? なんだか酷いデジャブだな……。いや、そんなことはどうでもいい。一体、何が起きたんだ?)
まとまらない思考を必死に整理する。確かに俺は、さっき遠くからの狙撃によって胸と頭を撃ち抜かれたはずだ。死を確信するほどの衝撃だった。なのに、なぜ俺は今生きている?
それよりも――アズサは無事なのか……!?
ぐるぐると答えの出ない疑問が頭を駆け巡っていると、重々しいドアが開く音が部屋に響いた。
「やっと起きたか、この化け物め……」
吐き捨てるような声。俺の前に立っていたのは、あの廃墟で襲撃してきたのと同じ、不気味なガスマスクを付けたアリウスの人だった。
(あのガスマスク……ってことは、ここは奴らの拠点か?)
「着いてこい。貴様には、会ってもらう方がいる」
ガスマスクの看守はそう言うと、俺の腕を強引に引っ張った。
自分の両手を見ると、冷たい金属製の手錠がかけられている。
(手の自由は奪われているし、ここから力ずくで逃げ出すのは無理だな。今は大人しく命令に従っておくか……。アズサのことも気になるけど、今はあいつのことを信じよう)
殺風景なコンクリートの廊下を連行されること約5分。看守はある大きな扉の前で足を止め、恭しくノックをした。
コンコン――「マダム、例の者が目を覚ましました」
扉の奥から、背筋が凍るほど艶やかで、それでいて底冷えするような大人の女性の声が返ってきた。
『そうですか……。お入りなさい』
「ハッ! 失礼します」
看守が重厚な扉を開け、俺を部屋の中へと押し込む。
その瞬間、俺はあまりの異様な光景に息を呑んだ。
「ごきげんよう。私の名はベアトリーチェ。このアリウス分校を支配している者です」
(……何だコイツ、本当に人間なのか?)
そう戦慄するのも無理はなかった。ベアトリーチェと名乗るその存在の姿は、あまりにも人の範疇を逸脱していたからだ。
長身の、白いドレスを身に纏った赤い肌の肉体。そして長い黒髪に縁取られたその頭部は――無数の『目』が蠢く翼で埋め尽くされた、おぞましい毛玉のような異形だった。
そうして俺が異形の姿に唖然としていると、隣のガスマスク野郎が声を荒らげた。
「貴様……っ! マダムが直々に挨拶をしてくださっているのだ、さっさと返事をしろ!」
看守に激しく肩を揺さぶられるが、俺は目の前の化け物を見据えた。
「おい、そこのおばさん。その格好はあんたの趣味か? 悪いことは言わないから、今すぐやめた方がいいと思うぜ。今の時代、多様性だなんだって言われてるけどさ……流石にそのスタイルは擁護しきれないって」
「…………ほう」
ベアトリーチェの無数の『目』が一斉に細められ、部屋の温度がさらに数度下がったような錯覚に陥る。底知れない沈黙が、ただただ俺を圧迫していく。
「貴様ァッ! マダムになんて無礼を……万死に値するぞ!!」
激昂したガスマスク野郎の拳が、俺の鳩尾に深々と突き刺さった。
「――ッ、ガハッ……!?」
容赦のない暴行。内臓を破裂させるような激痛に、床へへたり込んで激しく咳き込む。
ベアトリーチェは殴られ続ける俺を止めようともせず、ただ愉しそうに、冷酷な観察者の目で眺めていた。
「……そこまでにおしなさい。まぁ、良いでしょう。貴方はこれから、私の愛しい被検体となる身。その言葉遣いも、品も学も何一つ無い、哀れな子供の戯言です。いちいち気にしていては、私の品性が失われてしまいますもの」
どこまでも上品ぶった、大人の余裕を見せるベアトリーチェ。さっきの辛辣な悪口など耳に入っていない、とでも言いたげな口ぶりだ。
「……さっき、俺が殴られてるのを見て、めちゃくちゃ優越感に浸ってた癖によく言うぜ。品性が聞いて呆れるな」
「貴様! 何度言えば――」
喚き散らすガスマスク野郎を完全に無視し、俺はベアトリーチェの『目』をまっすぐに見つめ返した。
「じゃあさ。そんな学も品性もない哀れな俺の質問を聞いてくれるかい?」
ベアトリーチェは無数の目を不気味に歪め、ニヤリと笑って答えた。
「特別に、いいでしょう。お聞きなさい」
「じゃあ、3つの質問をする。……まず1つ目だ。俺が倒れていた場所に、羽の生えた白髪の少女はいなかったか?」
「アズサのことですか……。ええ、いましたよ。彼女は脱走の罪で本来であれば即座に処分するつもりでしたが……偶然か、あるいは必然か、彼女があなたという素晴らしい存在を見つけてきてくれたのも事実。ですから、特別にその命だけは見逃してあげました」
(アズサは逃亡に失敗したのか……。くそ、だけど、まだ生きてるだけマシだ。)
「2つ目。ここは何をしている場所なんだ?」
「簡単に言えば、我がアリウスの暗殺者や、兵士を育成する訓練場……といったところですね。あなたにも追々、そこへ行ってもらいます」
「なぜ、そんなことをする?」
「アリウスを忘却の彼方へと追いやった、あの忌々しいトリニティへ復讐するためですよ」
「そんなくだらない復讐のために……子供を利用するのか?」
カオルは奥歯を噛み締めた。アズサもそうだ。さっき俺たちを追いかけてきたガスマスクの兵士たちだって、声の感じからして俺と大して年齢は変わらないはずだ。
「当たり前でしょう?」
ベアトリーチェは、何でもないことのように平然と言い切った。
「子供とは、大人に搾取されるために存在する駒なのですから」
(こんな大人が、本当にいるのかよ……。確かに俺がいた世界にも、胸糞悪い考えの奴は少なからずいた。だけど、ここまで底の浅い、ドス黒い悪意の塊みたいな奴には会ったことがない……!)
激しい嫌悪感を押し殺し、カオルは最後の質問をぶつける。
「最後に3つ目。俺を被検体にすると言っていたが、一体何をするつもりだ?」
「それこそが、あなたをここまで生かして連れてきた理由です。一から説明してあげましょう」
ベアトリーチェは豪奢な椅子に深く腰を下ろし、愉しげに語り始めた。
「私はあなたに、果てしない興味があるのです。……『男性』の人型存在は、このキヴォトスの歴史においても前例がないほどに珍しい。いえ、伝承でしか語られてこなかったものですから」
「……はぁ? な、何言ってんだテメェ。男が珍しい? それじゃまるで……俺しか男がいないみたいな言い方じゃないか」
「ええ、その通りですよ。おっと、言い方を変えましょうか。生物学的なオスであれば、このキヴォトスにも存在します。ですがそれは犬や猫などの畜生、あるいはロボットや犬型の獣人ばかり……。いわゆる人間、人型の『男性』は、この広大なキヴォトスを探し回っても、あなた一人しか存在しないのですよ」
ベアトリーチェの無数の目が、ねっとりとカオルの全身をなめるように動く。
「本当に、私が最初に見つけられて良かった。もし他のメンバーに先を越されていたらと思うと、今でも肝が冷えます。……ロイヤルブラッド、そしてあなたという異界のサンプルを研究すれば、私の計画はもっと質の高い『崇高』へと近づけるに違いないでしょう」
ベアトリーチェの言葉に、嘘やハッタリの気配は微塵もなかった。つまり、すべてが事実。
(まず、俺しか男がいないってどういうことだ……!? じゃあこの世界の奴らはどうやって生まれてきたんだよ。それにアズサの言ってた『キヴォトス』って、やっぱりこの世界の名前なのか? ロイヤルブラッド? 崇高? わけが分からねえ……!)
混乱する頭。だが、一つだけ確実に理解できたことがある。
この化け物の企んでいることが、ろくでもないことだということ。
(なら……アイツの言いなりになるくらいなら、死んだ方がマシだ!)
勝利を確信して甲高く笑っている異形の化け物に向かって、カオルは全力で声を張り上げた。
「――誰が、いつ、アンタの命令に従うって言ったよ!?」
激しい叫びが部屋に響き渡る。
高笑いしていたベアトリーチェの動きがピタリと止まり、無数の瞳が、冷徹な静寂を伴ってカオルをじっと見つめた。
ガスマスクの看守が怒りで肩を震わせ、声を荒らげた。
「貴様ッ! 何をッ……!!」
だが、俺はそんな雑音を完全に無視し、ベアトリーチェの無数の目を睨みつけながら言い放つ。
「別にアンタの計画なんざ、俺にとっちゃ死ぬほどどうでもいいことなんだよ! お前みたいな化け物の操り人形になるくらいなら、今ここで舌を噛み切って死んでやった方がマシだね!」
ベアトリーチェは愉しげにクスクスと笑い声を漏らした。
「……確かに、その覚悟だけは認めてあげましょう。しかし哀れな子供よ、あなたにそれは出来ません。肉体的にも、そして精神的にもね」
「……何を言っている?」
不審に思った瞬間、ベアトリーチェは机の上に置かれていた重厚な拳銃を、淀みのない動作で拾い上げた。
そして――迷いなく、俺の脇腹に向けて引き金を引いた。
ドンッ!!!
「ガハァッ……っ!?」
焼火箸を突き立てられたような激痛が走り、俺は膝から崩れ落ちる。激しく溢れ出る鮮血。
「はぁ……はぁ……っ。何だ、命令に従わないなら、自分の手で殺すってか……?」
「……そんな下劣なこと、この私がするわけがないでしょう?」
嘲笑うようなベアトリーチェの声。俺は痛む脇腹を片手で押さえ――そこで、決定的な違和感に気づき、目を見開いた。
痛みが……一瞬で消えていく。それどころか、手のひらに触れていたはずの生暖かい血の感触が消え、破れた服の奥の皮膚が、完全に元の状態へと戻っていた。
「気づいたようですね……」
(何で、俺の傷口が完全に塞がってる……!?)
「不思議には思いませんでしたか? あなたはここに連れてこられる前、大口径の弾丸で胸と頭を打ち抜かれたのですよ? にもかかわらず、なぜ今こうして五体満足で生きているのか」
ベアトリーチェの言葉が、俺の脳髄を殴りつける。
確かにそうだ。俺は頭を撃ち抜かれて、死を確信して意識を失った。普通なら有り得ない。人間は、脳か心臓、どちらか一方でも破壊されれば即死する。なのに、俺は生きている。傷一つなく。
「あなたの『神秘』は、他の生徒たちとは決定的に構造が異なる。肉体そのものは砂のように脆く、容易に破壊できるというのに……それを完全に補って余りあるまでの【再生力】。ふふ、ますますあなたというサンプルに興味が湧いてきました」
拳銃を机に戻し、ベアトリーチェはねっとりとした声を響かせる。
「……それに。もしあなたが私の言葉に従わないというのであれば、白洲アズサの命は無いと思った方が良いでしょうね」
「っ!? なんでだよ! アズサは関係ないだろ!!」
俺は手錠を鳴らし、激昂して叫んだ。
「関係は大有りですよ。言ったでしょう? 白洲アズサが今日まで処分されずに生き延びられたのは、あなたを私の元へ連れてきたからです。彼女は、あなたという最高の果実を私に差し出してくれた。だからこそ免罪符が与えられた。……なら、果実であるあなたが私の手から零れ落ちるなら、もう彼女を生かしておく理由はどこにもありません」
「お前……っ!」
卑劣極まる大人の脅迫。
自分の命はどうなっても良かった。だけど、あのボロボロの廃墟で、俺の手を引いて必死に逃げてくれた、あの不器用で優しい女の子を、俺のせいで死なせるわけにはいかない。
俺は、きつく、血がにじむほどに拳を握り締め――そして、ゆっくりと首を垂れた。
「……分かったよ。お前の実験とやらに、協力してやる」
「うふふ、物分かりの良い子供は好きですよ」
「黙れ。お前なんかにつるまれて好かれたくねえよ」
「結構。それではこれから数週間、私の実験に付き合ってもらいましょうか。呼び出しがかかるまでは、さっきの部屋で大人しく待機していなさい」
ベアトリーチェの合図で、俺は再びガスマスクの看守に連行され、暗い監獄のような部屋へと戻されることになった。
閉ざされる鉄格子の音を聞きながら、俺は冷たい床に寝転がる。
(はは……。やっぱり俺は、異世界転生しても、とことん不運なのようだな……)