地獄(アリウス)に落ちた、普通の男子高校生は諦めない 作:お茶漬け2
俺がこの場所に連行されてから、すでに二、三週間ほどの時間が流れていた。
「起きろ。朝食の時間だ」
「……はいはい。今起きますよ」
鉄格子の向こうから投げやりな声をかけられ、俺は重い体を起こした。
「それを食い終わったら、すぐにマダムの所に行くぞ」
目の前に差し出された、お世辞にも美味しいとは言えない朝食に手を伸ばす。
(……今日もまた、あの拷問まがいの実験が始まるのか)
胃袋に食事を流し込みながら、深くため息をつく。
胸や頭を撃ち抜かれ、毒を盛られ、数え切れないほどの苦痛を味わってきた。それでも俺が正気を保って従っているのは、ひとえにアズサの命を守るためだ。俺が大人しく被検体であり続ける限り、あの化け物はアズサを殺さない。
完食後、俺は看守に連れられて再びベアトリーチェの部屋へと足を踏み入れた。
「今日は何をするつもりさ?」
俺の問いかけに、ベアトリーチェは無数の目を細めて、じっとりと微笑んだ。
「いいえ……今日であなたの実験は、一旦終了といたしましょう」
「ある程度のデータは採取できましたし、今ここにある設備では、大した結果は望めそうにありませんので」
「そうか。そいつは嬉しいね」
「あら……。最初に会った時よりも、ずいぶんと威勢がなくなってしまったこと」
「そりゃそうだろ。毎日毎日、銃で蜂の巣にされたり、致死量の毒を盛られたり、怪しい化学薬品を注射されたりだぞ? 悪かったな、俺には痛みを快楽に変換できるような特殊な性癖は無いんでね」
俺は皮肉を込めて吐き捨てる。
「マジで何回死にかけたか分からない。途中で数えるのをやめたけど、感覚的には百回以上だぞ」
「ふふ。それほどの苦痛を与えられながら、未だに正気を保っているのは流石と言うべきでしょうか」
「あっはい、そうですか」
趣味の悪い笑顔を浮かべるベアトリーチェに、俺はぶっきらぼうに返す。
「さて、本題です。今からあなたには、アリウス分校の本校へと移動してもらいます」
「は? ここがアリウス分校じゃないのか?」
「正確にはちょっと違います。ここは私のプライベートな実験室のようなもの。……あなたの『神秘』、その再生力は目を見張るものでした。銃撃による外傷はおろか、毒物や化学薬品による内部の侵食に対しても、あなたの肉体は即座に有効な成分を分泌し、自ら治癒してしまう。本来であればこの実験も一ヶ月以上はかかる見込みでしたが、私の予想を遥かに上回る速度であなたの肉体が適応してしまったのです」
「簡単に治すって言ってくれるけどさ……痛覚は普通にあるんだから、痛いもんは痛いんだよ」
「それはあなたが我慢すれば良いだけのことでしょう?」
悪びれもせず、当然のように言ってのける化け物。
「おっと、話が逸れましたね。あなたのその驚異的な再生力は、我が私兵としても極めて有用です。ですからあなたには、私兵としての実力を最低限まで引き上げるため、あちらの訓練場で地獄の訓練を積んでもらいます」
「あっそ。お前に会わなくていいなら、訓練でも何でもするよ……」
「あと、私への適切な態度も身につけてほしいですね」
「それは人間に空を飛べって言ってるようなもんだぞ」
俺は最後にそう言い残し、忌々しい部屋を後にした。
「付いてこい……」
廊下で待っていたガスマスクの看守にそう促され、俺はアリウス生の後を付いていく。
(この人、さっきから必要事項しか喋らないんだよなぁ……)
道中、退屈しのぎに何度か会話を試みたが、全て完全に無視された。さすがに少し泣きそうになる。
(この数週間、話し相手が一人もいなかったし、いたとしてもあのクソババアだし……マジでノイローゼになるところだったわ)
「着いたぞ……」
そんなくだらない恨み言を心の中で呟いていると、案内役の足が止まった。
(ここが、アリウス分校……)
学校と言う割にはあまりにもボロボロで、まるで戦時中の軍事拠点のような重苦しい空気が漂っている。所々に美しい西洋風の建築跡が残っているものの、その大半は無残に崩れかけ、不気味な植物に覆い尽くされていた。
(兵士を育てているって言ってたが、これはあまりにも酷すぎるぞ……)
広場に足を踏み入れた俺の目に飛び込んできたのは、元いた世界では到底想像もできないような、理不尽極まる光景だった。
「おい!! 何ボサっとしている!! 早く銃を持て!!」
「休むな!! 早く立て!! まだ今日のノルマは達成していないぞ!!」
「だって……昨日から何も食べてなくて……本当に、力が入りません……」
「口答えするな!! 今日もノルマを達成できなかったら、明日の飯も抜きだぞ!!」
地面に倒れ込む幼い子供に、容赦なく鞭を打ちながら叱責しているロボットの教官。
「お前たちに自由などない。ただの兵士だ。すべてはマダムに、その命を捧げることだけを考えろ」
感情の消えた声で、拡声器を使って洗脳紛いな言葉を刷り込んでいるロボット。
「ふえぇ…お腹がすきました…」
「うぅ…寒い…」
「ヒヨリ、ミサキしっかりしろ…」
「……」
隅でうずくまっている4人組だったり…
(……なるほどな。確かにアズサが、命を懸けてでもここから逃げ出そうとした訳だ。これじゃあ教育なんてできたもんじゃない。ただの虐待だ……!)
胸の奥にドス黒い怒りが湧き上がるのを自覚していると、連れてきた看守が冷たく言った。
「今日からお前が所属する隊だ。教官に挨拶しておけ」
言うだけ言うと、案内役のアリウス生はさっさと去っていった。
俺は、目の前に立つ鋼鉄の機械――教官ロボットに向き直り、頭を下げる。
「今日からこの隊に入ることになりました、葉ノ宮カオルです。よろしくお願いします」
「マダムからは話を聞いている。すぐにその隊服に着替え、訓練の準備をしろ」
無機質な電子音と共に、アリウスの制服と防弾チョッキ、そして一丁の重みのあるアサルトライフルを渡された。
近くの崩れた壁の陰に隠れ、大急ぎで着替えを済ませる。
(衣服のサイズはぴったりだけど……問題はこれだよな。俺、銃の撃ち方なんてこれっぽっちも知らないんだけど。この世界じゃ銃を持つのが呼吸レベルの常識らしいけど、俺のいた国じゃ持ってるだけで即逮捕だからなぁ……)
訓練が始まるまで、まだ少しだけ時間があるようだ。
慣れない銃を恐る恐る抱えながら、俺はさらに周囲の生徒たちを観察した。
(みんな、あちこち結構な怪我をしてるな。ここの住人は撃たれても平気なはずなのに、ここまで包帯塗れってことは、それ以上の過酷な負荷をかけられてる証拠だ……)
歪んだ世界の縮図を眺め、暗澹たる気持ちになっていた――その時だった。
泥に塗れた生徒たちの群れの中に、俺は、はっきりと見知った姿を見つけた。
(……!? あれっ! もしかして……)
泥や煤に塗れた生徒たちの中に、見間違えるはずのない綺麗な白髪を見つけ、俺は思わず声を張り上げた。
「やっぱり……アズサだったか!!」
「……っ!? その声は……!!」
弾かれたように振り返ったアズサが、俺の姿を認めた瞬間、その綺麗な紫の瞳を限界まで見開いた。
「久しぶり、アズサ。元気にしてた――ガハッ!?」
言い切る前に、アズサがもの凄い勢いで俺の胸元に突進してきた。
少女のものとは思えない猛烈なタックルを食らい、俺は本気で息が止りそうになる、しかし彼女はそんな俺の悶絶などお構いなしに、細い両腕で俺の腰をギチギチと強く抱きしめてきた。
「本当に……本当に良かった……っ! 私のせいで、カオルが死んでしまったのだと、ずっと……っ」
腕の中に閉じ込められたアズサの肩が、小刻みに震えている。俺の胸元に押し当てられた彼女の顔から、温かい涙の感触がじわりと伝わってきた。
「確かにこの三週間くらい監禁されてたけどさ。殺されてもないし、怪我もしてないよ。ピンピンしてる」
「うん……。でも、また会えて本当に良かった……」
「……あぁ。俺もアズサにまた会えて、すげえ嬉しいよ」
涙目になりながら健気に微笑む彼女に、俺は柄にもなく優しい声で答える。
――が、そこで俺の脳内は一気にパニックへと陥った。
(待て待て待て待て、この状況……俺、アズサにめちゃくちゃ至近距離で抱きしめられてね!? やばいやばい、どうすればいいんだこれ!? 抱き返せばいいのか? アズサにはそういう変な意図は一切無いんだろうけど、こちとら『彼女いない歴=年齢』の悲しき純情男子高校生だぞ!? こういう時どう動くのが正解なのか一ミリも分かんねぇ……!!)
そんな童貞をこじらせた脳内会議を全力で繰り広げていると、アズサが不思議そうに俺の顔を見上げてきた。
「カオル……顔が真っ赤だぞ。どこか体調でも悪いのか?」
「だ、大丈夫だよ……! だけど、ちょっと苦しいから、その……手を離してくれないか?」
「あっ……ご、ごめん。嬉しくて、つい取り乱してしまった」
ハッと我に返ったアズサは、慌てて腰に回していた腕を離した。腕を離されたというのに、俺の体には未だに彼女の心地よい体温の残熱が残っていた。
「そういえばカオル、さっき怪我もしていないと言っていたが……あの時、遠距離から頭と胸を完全に撃ち抜かれていただろ? あれは一体どういう……」
「あぁー、それがさぁ……実は俺の体、ちょっと普通じゃなくて……」
説明しようとしたその瞬間、教官ロボットの冷酷な重低音が広場に響き渡った。
『お前たち、無駄口を叩くな。これより訓練を開始する』
「……訓練が始まるみたいだ。詳しい事情は、後でゆっくり話すよ」
「分かった」
俺は手渡されたアサルトライフルを不器用に構え直し、アズサに尋ねる。
「初めて訓練するんだけど、一体何をするんだ?」
「そっか……カオルは銃を扱うのが初めてだったな」
アズサはキリッとした表情に戻り、頼もしく頷いてみせた。
「なら、私と一緒に行動しよう。フォーメーションの組み方も、銃の扱い方も、分からないことがあったら全部私が教えるから」
「ありがとう。……また、アズサに頼らせてもらうよ」
こうして、地獄のアリウス分校における、俺たちの奇妙な共闘生活が幕を開けた。