「起きろ、カオル。朝だぞ」
「ふぁ~……、もう朝か……」
部屋の中にアズサの声が響く。
「朝五時起きは、何ヶ月経ってもまだ慣れないな……」
眠い目を擦りながら、バキバキと音を立てて背を伸ばす。
「ちょっと顔洗ってくるわ」
「うん、いってらっしゃい」
アリウス自治区にはまともなライフラインなんて存在しない。ガスなんて当然通っていないので、蛇口をひねって出るのは氷のように冷たい水だけだ。毎朝の洗顔はもちろん、シャワーを浴びる時もただの冷水なので、毎回本気で凍え死にそうになる。
部屋に戻り、戦闘服の紐を締めながら尋ねる。
「今日の訓練のスケジュールは何だ?」
「今日は、三十キロの重りを背負いながらの持久走。その後に筋トレと射撃訓練。最後に、教官との模擬試合だね」
「うぇ~……、今日もメニューがキツイな……」
正直に言って、アズサの戦闘能力はこの隊の中でもトップクラス、いや別格に成績が良い。
体持久走もほぼ毎回一着でゴールし、射撃訓練でもアズサの手にかかれば動いている的のど真ん中に全弾命中する。教官との模擬試合は基本的に教官一人に対してアリウス生が三人一組で挑むものなのだが、アズサだけは単騎で教官を完全に制圧してしまうのだ。
それに比べて俺はと言えば……俺の持つ『神秘』が【再生力】に全振りされているせいで、他の生徒のような超人的な腕力や頑丈さは一切ない。
(まぁ、いざとなれば自分の体を囮にした自爆特攻をしても一瞬で元通りになるて言う強みはあるのだが)
射撃の腕も、ここ数ヶ月アズサに毎日マンツーマンで教えてもらいながら必死に撃ち続けているが、まだ完全に安定しているとは言い難かった。
◇
そして地獄のような持久走と射撃訓練が終わり、俺は教官とアズサの模擬試合を観戦していた。
結果から言えば、アズサの圧倒的な圧勝だった。
模擬試合なので使用している銃弾は実弾ではなくゴム製の弾だが、アズサはそれらを全て紙一重で躱し、流れるような動作で相手の懐へ潜り込むと、そのまま教官ロボットを地面に叩きつけて機能停止させていた。
(やっぱアズサは凄いな……。)
その無駄のない美しい身のこなしに心から感心していると――バサリ、と教官ロボットの無機質な電子音が広場に響いた。
『――次。葉ノ宮カオル、前へ出ろ』
どうやら、次は俺の番らしい。
アリウスの模擬戦前には、三分間だけチームでの作戦会議が許されている。三人一組の即席の隊で、俺は仲間のアリウス生二人に告げた。
「俺が真っ先に前に出てヘイトを買う。その隙に、二人は援護と奇襲を頼む」
短い作戦会議が終わり、俺たちは定位置につく。
『私がこの石を投げ、地面に着いた瞬間にスタートだ』
教官ロボットが無機質な声を上げ、空高く石を放り投げた。
放物線を描いた石が地面に衝突した、まさにその刹那――俺は弾かれたように前方へと突撃した。教官が鋭い反応で訓練用のライフルを構え、ゴム弾を放ってくる。弾丸が肉を掠める激痛が走るが、俺は一切怯まずに特攻をかけ、教官の懐へ飛び込んでゴム製のナイフを突き刺した。
だが、その攻撃は寸前で銃身を使って俺のナイフを受け止める。
『動きが単調だぞ、カオル!』
「別に、これで決まるなんて思ってませんよ!」
敵の動きが止まったその瞬間こそが、俺の狙いだ。背後から、作戦通り仲間たちの銃弾が一斉に教官へと浴びせられる。
『オラァッ!!』
教官は俺の腹を容赦なく蹴飛ばし、その反動を利用して後方へ跳び、銃弾の雨を紙一重で回避した。そのまま、射撃を行ってきた二人のアリウス生へと急速に距離を詰めていく。
「行かせるかよ……っ!」
俺は前線へ出させないように教官に攻撃を仕掛けたが、実力差は歴然、全ての刃線を容易くいなされてしまう。二人のアリウス生も、俺と教官の身体が重なっているせいで誤射を恐れて上手く援護射撃ができない。
『邪魔だ!』
ガシィッ、と胸ぐらを設定され、俺はそのままコンクリートの壁へと激しく投げ飛ばされた。
視界が火花を散らす。教官はその隙に二人のアリウス生へと襲いかかり、圧倒的な体術で瞬く間に二人を地面に組み伏せて制圧してしまった。
『お前たちの実力など、所詮こんなものか!!』
教官ロボットが勝利を確信し、声を荒らげた――その、一瞬の隙。
「なぁ。俺のこと、忘れてないか?」
ゾクリとするほど冷たい声が、教官の真後ろから響く。
『……なっ!?』
気配を完全に消し、死角から音もなく突き出されたナイフ。教官は電子の目を見開き、既のところで首を捻って回避行動をとるが
(声をかけられるまで、背後に接近されていることにまったく気づかなかった……!?)
「ハハッ! お前、今めちゃくちゃ体勢悪いだろ?」
回避を優先して重心の崩れた教官に、俺は至近距離から訓練用ライフルの引き金を引いて目眩ましを食らわせ、そのまま全体重をかけて押し倒した。
ドサリ、と巨体が床に沈む。その喉元へ、ゴム製のナイフの刃を深く突き立てた。
「……俺らの勝ち、でいいよな?」
荒い息を吐きながら尋ねると、教官ロボットは静かに駆動音を下げた。
『……あぁ。お前たちの勝ちだ。』
勝利の宣言と共に、張り詰めていた訓練場の空気が緩む。
「凄いなカオル! 最後の奇襲、教官は完全に裏をかかれていた。ナイフを喉元に突き当てるまでの動きも流れも、すごくスムーズだったぞ!」
アズサが目を輝かせて駆け寄ってくる。
「ありがと、アズサ。でも、正直教官が俺の復帰速度を見くびって油断してたのもあったし、二人が引きつけてくれなきゃ勝てなかったからな。俺一人の力じゃまだまだだよ」
一人反省会をしていると――ふいに、訓練場の拡声器から無機質なアナウンスが流れ、俺の肩をガスマスクの看守が冷たく叩いた。
「葉ノ宮カオル、マダムがお呼びだ」
「チッ、もうそんな時期か……」
俺は、心配そうにこちらを見つめるアズサに向き直り、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ごめん、アズサ。今日から定期的に、俺、マダムの部屋に行かないといけないんだ。だから、戻るの遅くなると思う」
「マダムの……。そうなのか」
アズサの瞳に、一瞬だけ深い不安の色が過る。だが、彼女はカオルを信じるように小さく頷いた。
「分かった。……気をつけて。行ってらっしゃい、カオル」
「あぁ、行ってくるよ」
そういい、俺は看守の後をついて行った