「呼ばれるまで、ここで大人しく待っていろ」
看守に突き放されるように言われ、俺は肩をすくめた。
「はいはい。分かりましたよ……」
案内された部屋は、アリウスのボロボロな廃墟群には似合わない、やけに設備の整った綺麗な病室だった。薬品の匂いがかすかに漂う中、俺は近くのベットに腰を下ろす。
(へぇ、ここにもこんなしっかりした医療設備があるんだな。中もかなり清潔だし……)
待ち時間の退屈しのぎに周りを見渡すと、棚にいくつかの本や古い新聞が乱雑に置かれているのが見えた。
(結構、色んな種類の本があるんだな。ファッション雑誌に、少女漫画、それから童話。……なんだこれ、『分かりやすくて楽しい手話教室』?)
なんでこんな不気味な暗殺学校の病室に手話の本があるんだよ、と内心でツッコミを入れながら、俺は直近の日付が書かれた新聞を手に取った。アリウスの外の世界のことはまだよく分からないから、少しでも情報を集めておきたい。
パラパラと新聞のページをめくり、とある国際ニュースの記事に目を留める。
「えーと……『レッドウィンター連邦学園にて、プリンの配給を巡り大規模なクーデターが勃発』……。いや、馬鹿なのかこいつら。反乱を起こす理由がプリンってどういうことだよ……」
あまりにも平和(?)すぎる外の世界の常識に頭を抱えていると――ふいに、すぐ近くから鈴を転がすような優しい少女の声が聞こえた。
「新聞、読むの好きなの?」
「いや、そんなことはないけど。この世界のことをまだ何も知らないから、勉強がてらさ……」
「へえ。偉いんだね」
「そうそう、何も知らないままだとさ……って、あれっ!?!?」
自然に会話を続けてしまい、俺は息が止まるほど驚いて飛び起きた。
「やっと気づいた……ふふ」
声のした方向を向くと、仕切りの白いカーテンが静かに引かれ、その奥にベッドに腰掛けた一人の少女が佇んでいた。
ミステリアスな白いフード付きロングコートの淡い薄紫色の髪をした少女がいた
「おはよう。結構、熱心に読んでいたね」
「おはよう……って、今はもうそんな時間帯じゃないけどな」
「挨拶は大事だよ。」
悪びれもせず、ベッドの上で小さく小首を傾げる彼女。
(いつからここにいたんだ?まったく気づかなかった…)
「最初からずっと、ここにいたよ?」
「マジかよ……いや、ナチュラルに心を読むのやめてくれない?」
「ふふ、そんな雰囲気が顔に出ていたから。心を読んだわけじゃないよ」
「俺そんな分かりやすいのかよ……」
「あなたは……葉ノ宮カオル、でしょ?」
「なんで、俺の名前を知っているんだ?」
俺の問いかけに、少女はクスクスとガスマスクの奥で喉を鳴らした。
「フフッ……。それは、乙女の秘密だよ」
「なんだそれ……」
「ふふ、冗談。本当のことを言うとね、あなた、このアリウスの上の人たちの間では結構有名だよ。キヴォトスでも前例がないほど珍しい『男子生徒』だからね……」
「なるほどね……。」
アツコは澄んだ瞳で俺を見つめ、静かに問いかけてくる。
「あなたは……なんで、こんな場所に連れてこられたの?」
「被検体としてさ」
「被検体……?」
「そう。君がさっき言った通り、俺は男だ。この世界には人型の男は俺しかいないらしいし、俺の持つ『神秘』もみんなとちょっと違うらしい。だから、あのババアに実験材料にされてるんだよ」
「そうなんだね……」
アツコは悲しそうに、頭を少しだけ伏せた。
「――そういう君は、なんでここに居るんだ?」
「私も……被検体というわけではないけれど、あなたと同じ。少し特殊な血筋らしくて。だから、定期的にマダムに呼ばれて、ここにいるの……」
「そうなんだな……。お互い、ロクでもない大人に捕まって大変だけどさ。諦めずに頑張ろうぜ」
「うん。そうだね、カオル」
お互いの境遇を分かち合い、ほんの少しだけ部屋の空気が柔らかくなった気がした。
「そういえば、名前、なんて言うんだ?」
「ふふ、まだ名乗っていなかったね。私は秤アツコ。よろしくね、カオル」
「アツコか。うん、こちらこそよろしく」
「良ければ、アッちゃんって呼んでもいいんだよ?」
マスクの奥で、彼女が確実にいたずらっぽく微笑んだのが分かった。
「まぁ~……、気が向いたらね」
ガチャリ!!
突然、病室の重々しい扉が乱暴に開け放たれた。
「葉ノ宮カオル! マダムがお呼びだ、さっさと前へ出ろ!」
ガスマスクの看守が、容赦のない声を張り上げる。
「おっと……。時間らしいな」
「……もう、行っちゃうの?」
アツコの美しい瞳が、名残惜しそうに俺の動きを追う。俺はベットから立ち上がり、彼女に笑ってみせた。
「どうせまた明日もここに連れてこられることになるからさ。その時に、またたくさん話そうよ」
「……うん。そうだね」
「おい、何をボサっとしている! 早く行くぞ!」
「へいへい、分かってますよ」
看守に強引に背中を押され、俺は歩き出す。最後に、アツコへ向けて手を振った。
「じゃーな、アツコ。また明日」
「うん。また明日、カオル」
そうしてアツコに手を振って別れを告げ、俺は冷たい廊下を通ってマダムの部屋へと向かった。
いつものようにいくつか怪しい薬品を投与され、肉体の拒絶反応と再生の激痛を耐え抜いた後、ベアトリーチェは無数の目を細めて静かに言った。
「今日の実験は、ここまでといたしましょう」
「おお〜、今日はずいぶんと引き上げが早いな?」
「私も、この後に処理しなければならない案件がありますのでね。今日はこの辺りで区切りをつけます」
「ふーん……」
俺は破れた袖を整えながら、部屋の棚に並ぶ、怪しい色をした化学薬品の瓶を盗み見た。そこでふと思いつき、なるべく世間話のような軽いトーンで切り出してみる。
「なぁ、マダム。そこに並んでる中でさ、もう使わない余り物の薬品とかって無いの?」
「物によりますが……一体、何の話ですか?」
「ほら、前に俺の実験の時に使ってた、ちょっとした衝撃を与えるだけで派手に爆発するっていう、あの液体爆弾とか、ああいう、実戦の戦闘に使えそうなやつさ」
「あぁ、あの試薬ですか。何個か、倉庫の隅に眠っていますけれど……」
「それ、俺にいくつか貰えないか?」
「……そうですね」
ベアトリーチェは、哀れな子供の浅知恵を嘲笑うようにクスクスと肩を揺らした。
「この実験期間が終わって余ったもので良ければ、追々あげましょう」
「言ったな? 後になって、やっぱり無しとか言うなよ?」
「ええ。その程度の薬品なら、私にかかればいつでも造れますから。あなたのような無力な子供に数本与えたところで、痛くも痒くもありません。……どうせ、あなたのその死ねない肉体を活かした、無様な自爆特攻にでも使うつもりでしょう?」
「サンキュー。これで俺の戦闘の幅が広がるよ」
部屋を後にして、アズサの元へ帰った…