シェルターを出た「保留個体」の追跡観察が開始された。
対象は単独行動を継続。
敵対行動なし。
接触行動多数。
危険性評価保留。
そのため避難所では三つの班が編成された。
軍人チーム。
有志チーム。
そして両者による合同観察班。
目的は一つ。
"対象の継続観察"、それだけだった。
この時点では、誰も大した話になるとは思っていなかった。
最初に異変に気づいたのは誰でもなかった。
正確には、誰もそれを異変だと思っていなかった。
ただ、記録だけが少しずつ変わっていた。
■観察初日
鉄製の机にモニターが並ぶ。
軍人チーム。
有志チーム。
合同観察班。
画面の中。
彼は図書館にいた。
本を読む。
窓の外を見る。
また読む。
それだけ。
軍人が報告する。
「対象は本日も安定しています」
有志が言う。
「彼、今日も図書館いるね」
軍人が止まる。
「……彼?」
「え?」
有志が不思議そうに軍人を見た。
「今、“彼”と言いましたか」
有志が笑う。
「だって対象って言いにくくない?」
軍人。
「正式呼称です」
その時、今まで黙っていた男が口を開いた。
「正式名称は対象だ」
有志。
「あ、推薦」
男の眉が少し動く。
「何だ、有志」
「だから名前じゃないって」
「そちらもだ」
「確かに」
軍人。
「確かにじゃない」
推薦。
「記録は記録だ」
有志。
「減るもんじゃないだろ」
推薦。
「そういう問題じゃない」
軍人。
「そういう問題ではないな」
有志。
「どっちの味方だよ」
軍人。
「記録の味方だ」
有志が頭を抱えた。
■観察二日目
映像が切り替わる。
公園。
ゲートボール。
高齢者ゾンビたち。
そして彼。
カン。
球が変な方向へ飛ぶ。
「また外した!!」
有志。
「角度計算ミスです」
軍人。
「いや絶対狙ってないだろ!」
「結果的には接近成功しています」
「そういう問題じゃねえ!」
画面の中の彼は、負けていた。
また負けた。
さらに負けた。
推薦が初めて口を開く。
「ルールは把握しているのか?」
沈黙。
有志。
「そこ!?」
軍人。
「そこなんですね」
推薦。
「重要だろう」
「もっと重要なことあるだろ!」
「例えば?」
「なんでゾンビとゲートボールしてるのかとか!」
推薦は少し考えた。
「確かに」
軍人が吹き出した。
■中堅軍人の違和感
その日、ずっと黙っていた中堅軍人がいた。
現場経験の長い男だった。
映像を見ながら呟く。
「……普通だな」
有志。
「でしょ?」
「普通ですね」
軍人。
推薦も頷く。
「普通だ」
その言葉に、
誰も違和感を持たなかった。
■観察三日目
商店街。
将棋盤。
彼は負けていた。
また負けた。
さらに負けた。
「弱っ!!」
有志。
「そこは防御です」
軍人。
「防御以前だろ!」
推薦。
「飛車を捨てた」
有志。
「分かるなら止めろ!」
軍人。
「我々は観察者です」
「便利だなその言葉!」
しかし誰も帰らない。
■財布
午後。
彼は財布を拾った。
迷わない。
中も見ない。
近くの警察官ゾンビへ渡す。
「落ちてました」
それだけ。
沈黙。
有志。
「うわ、拾った」
軍人。
「拾得物処理として正しい」
推薦。
「待て」
全員。
「?」
「バケツは」
沈黙。
「バケツ?」
「危険物だったらどうする」
有志。
「財布だぞ」
「財布に見せかけた危険物かもしれない」
「終末世界だぞ」
「終末世界だから言っている」
軍人が顔を逸らした。
笑ったのを隠したのである。
■花
夕方。
少女のゾンビが座っていた。
彼はしゃがむ。
花を一輪、髪に挿す。
少し整える。
立ち上がる。
それだけ。
誰も喋らない。
有志が小さく言う。
「……なんかさ」
軍人。
「ああ」
「人間すぎない?」
推薦は何も言わなかった。
ただ映像を見ていた。
長い沈黙の後。
「普通だな」
今度は誰にも聞こえた。
■夜
全員が戻る。
報告書を書く。
軍人。
「対象は引き続き安定」
有志。
「彼、今日も普通にいい人だった」
軍人が止まる。
少し考えて、そして書き直した。
「彼は引き続き安定」
有志。
「ほら」
軍人は何も言わない。
推薦も訂正しなかった。
■会議終了
最後。
推薦は映像を見返していた。
財布。
花。
将棋。
ゲートボール。
全部繋がらない。
でも、全部同じだった。
そして言う。
「現時点では問題なし」
有志。
「珍しい」
推薦。
「問題が起きてから慌てる方が嫌いだ」
中堅軍人が頷く。
「同意する」
■最終報告書
軍人報告。
「彼は現時点で危険性は低い」
有志記録。
「彼は多分いい人」
合同観察班追記。
「現時点で問題なし」
そして。
誰かが最後に書き足した。
「……こいつ何やってんの?」
さらにその下。
別の筆跡。
「バケツは持て」
有志。
「絶対推薦だろ」
推薦。
「知らん」
軍人。
「知らないらしい」
その夜。
彼は豪邸へ帰り。
麦茶を飲み。
本を読み。
何も知らずに眠った。
観察班だけが、少しずつ。
対象ではなく。
彼を見始めていた。
(第11話・完)