その日、観察チームは少しだけ混乱していた。
同じシェルター内。
臨時に編成された合同観測班。
軍人2名、有志の一般人3名、そして推薦1名。 いずれも「真ん中より少し上」の階級や立場にいる者たちだった。
現場に出るわけではない。 しかし現場の報告を受け、判断し、記録を“正しく残す側”の人間。
だからこそ、言葉の揺れだけがやけに目立つ。
「今日も“彼”、公園です」
「行動パターンは?」
「不明です。というか……安定しません」
軍服の男が端末を閉じる。
「安定しないのに一定ってことか」
有志の男が苦笑する。
「意味わかんないですね、それ」
推薦が淡々と言う。
「記録上は一定だ」
少し間。
誰かが言った。
「だから見てるんですよ」
一日目:財布
公園へ向かう途中。
観察班は距離を取りながら後を追う。
彼は歩いていた。
ハヤテが少し後ろをついている。
歩道の端に、財布が落ちている。
黒い革の財布。
有志が落としたものだった。
彼は立ち止まる。
拾う。
中を見る。 札、カード、身分証。
数秒。
そして——
「……交番、あるかな」
それだけ言った。
有志の一人が小さく呟く。
「あ。それ、俺のだ」
沈黙。
軍人が言う。
「回収前提の行動ではないな」
有志が首を振る。
「普通は回収されると思うでしょ」
軍人は短く返す。
「普通は回収しない」
有志は言い返せない。
「バケツは」
推薦が呟いた。
有志が頭を抱えた。
「またそれですか」
軍人もため息をつく。
「財布です」
「知っている」
推薦は真顔だった。
「危険物だった場合の隔離手段は必要だ」
「だから財布だって」
「前回もそう言った」
「前回何があったんですか」
軍人が聞く。
推薦は少しだけ黙った。
「花火」
有志が吹き出した。
「まだ言ってんのか!」
「火薬だった」
「子どもの手持ち花火だろ!」
「火薬は火薬だ」
軍人が目を逸らした。
笑いを堪えている。
三人がそう言っている間にも
彼はそのまま交番ゾンビの詰所へ向かい、財布を渡す。 軽く会釈。
終わり。
有志がぽつりと言う。
「いい子なんだけど……うん」
軍人が頷く。
「いい子だ」
推薦が続ける。
「だから基準が揺れる」
二日目:花
住宅街の端。
女の子のゾンビが座っている。
動かない。 壊れてもいない。
ただ、そこにいる。
彼は立ち止まる。
少し考えたあと、近くの花壇から花を一輪取る。
髪に挿す。
整えるように。
観察班の空気がわずかに揺れる。
有志が言う。
「今の、意味あるんですか?」
軍人が即答する。
「行動としての目的は不明」
推薦が言う。
「観測上の“余裕”には見える」
有志が眉をひそめる。
「余裕?」
推薦はそれ以上説明しない。
彼は一度だけ頷き、そのまま歩き去る。
三日目:猫
河川敷。
風が強い。
ハヤテが先に走る。
草むらが揺れる。
「……猫?」
一匹ではない。 数匹。 さらに増える。
猫集会だった。
彼は立ち止まる。
「……え」
一斉に猫が飛びかかる。
「ちょ、ちょ、ちょ……!」
声が崩れる。
観察班が動く。
「対象接触!」
「距離確保!」
軍人が一歩出かけて止まる。
推薦が静かに言う。
「様子を見ろ」
猫は増え続ける。
ハヤテも突っ込む。
混乱。
やがて。
彼は地面に座っていた。
猫まみれだった。
ハヤテも隣で同じ状態。
「……猫、すごいな」
それだけ。
観察班は固まる。
有志が言う。
「今の、助けに行く意味ありました?」
軍人が答える。
「現場対応はした」
有志は苦笑する。
「それ、何もしてないのと同じじゃないですか」
推薦は映像を見たまま言う。
「やはり持たせるべきだな」
沈黙。
有志が振り向く。
「何をです?」
「バケツだ」
さらに沈黙。
軍人が目を閉じる。
「またですか」
「必要だ」
「何に」
推薦は猫に埋もれている烏丸を見る。
少し考える。
「色々だ」
「雑すぎるだろ」
有志が即座に突っ込んだ。
推薦は構わず続ける。
「猫が増えた時」
「増える前提やめてください」
「増えた」
「増えましたけど」
「だから必要だ。花を摘んだ時も」
「それは手で持てる」
軍人が肩を震わせる。
推薦は納得していない顔だった。
「では大きめのバケツだな」
とうとう軍人が吹き出した。
その後
彼は猫を払いながら立ち上がる。
「帰るか」
ハヤテが先に歩く。
何もなかったように。
観察班はその背中を見送る。
しばらく誰も動かない。
軍人が端末を見て言う。
「評価不能」
有志が続ける。
「それしか言わないですよね」
推薦が静かに言う。
「評価できる基準が揺れている」
少し間。
有志がぽつりと言う。
「でも、危なくはなかったですね」
誰も否定しない。
報告書
軍人:
「対象:安定」
有志:
「判断不能」
推薦:
「継続観測」
そして最後に、一行だけ。
誰も書いた覚えがない。
「こいつ何やってんの?」
外では彼が普通に歩いている。
ハヤテと一緒に。
何も知らないまま。
(第12話・完)